イルドブルボン
和名:イルドブルボン |
英名:Ile de Bourbon |
1975年生 |
牡 |
黒鹿 |
父:ニジンスキー |
母:ロゼリエール |
母父:ミスティ |
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キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・コロネーションCをいずれも完勝し父として英愛ダービー馬も出した本邦輸入種牡馬 |
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競走成績:2~4歳時に英仏で走り通算成績12戦5勝2着3回 |
誕生からデビュー前まで
本馬を生産したジェーン・エンゲルハード女史は、本馬の父ニジンスキーの所有者として知られるチャールズ・W・エンゲルハード・ジュニア氏の妻で、1971年に夫が死去した後に競馬事業を受け継いでいた。米国ケンタッキー州で誕生した本馬は、1歳時に英国のフルク・ジョンソン・ホートン調教師により見出された。ホートン師は本馬を初めて見た時の印象について「肋骨に問題がある」と感じたということで、あまり本馬を高く評価したわけではなかったようである。成長しても体高は16.1ハンドだったというから、馬格がとりたてて目立つ馬でもなかったようだが、それでも血統の良さを評価したのか、とりあえず本馬を購入したホートン師は本馬を英国に連れて行き、本馬はデヴィッド・マッコール氏の所有馬としてホートン師の調教を受ける事となった。
競走生活(2・3歳時)
2歳時に9月にアスコット競馬場で行われたフィリップスS(T7F)でデビューしたが、ホームランの4着に敗れた。その後は未勝利の身でウィリアムヒルフューチュリティS(英GⅠ・T8F:現レーシングポストトロフィー)に出走したが、ダクティログラファーの9着に惨敗(前走で本馬を破ったホームランが半馬身差の3着に入っている)。2歳時は2戦していずれも着外という成績だった。
3歳時は5月にニューマーケット競馬場で行われたヒートホーンS(T10F)から始動して、後に英ダービー・愛ダービーを連勝するロイヤルロッジS勝ち馬シャーリーハイツの短頭差2着と好走。続いて英ダービーの前哨戦であるリステッド競走プレドミネートS(T11F)に出走して、ここでもイングリッシュハーバーの2着と好走した。
この時点で未勝利の身ではあったが、過去2戦の内容からして英ダービーに出れば面白い存在になっていたと思われる。しかし陣営は英ダービーを回避し、英ダービーの2週間後に行われたキングエドワードⅦ世S(英GⅡ・T12F)に本馬を向かわせた。後のサンフアンカピストラーノ招待H・ハードウィックS・セントサイモンS・ジョッキークラブS勝ち馬オブラツォヴィ、後のホワイトホールS(現愛国際S)勝ち馬ストラダビンスキーなどが対戦相手となったが、本馬が2着ストラダビンスキーに2馬身半差で完勝し、初勝利をグループ競走でマークした。
次走はキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)となった。シャーリーハイツは故障のため不在だったが、リュパン賞と仏ダービーを連勝してきたアカマス、前年の英セントレジャーで名馬アレッジドに生涯唯一の黒星をつけていた英オークス馬ダンファームリン、英ダービーでシャーリーハイツの頭差2着、愛ダービーでもシャーリーハイツの首差3着だったハワイアンサウンド、ガネー賞・ドラール賞の勝ち馬で仏オークス・ロワイヤルオーク賞・イスパーン賞・サンクルー大賞2着のトリリオン、オカール賞・ハードウィックSの勝ち馬モンコントゥールなどの有力馬が出走していた。アカマスが単勝オッズ3倍の1番人気に支持される一方で、前走から主戦を務めるジョン・リード騎手が手綱を取る本馬は単勝オッズ13倍の伏兵扱いだった。レースではダンファームリンのペースメーカー役の馬達が先頭を飛ばし、かなり馬群が縦長になる展開となった。本馬は馬群の中団好位を追走していたが、逃げ馬勢が失速すると入れ代わるように加速して位置取りを上げ、直線入り口で先頭を奪った。そして内埒沿いを走りながら後方馬勢の追撃を完封。2位入線のアカマスに1馬身半差、3位入線のハワイアンサウンドにさらに首差をつけて優勝した(アカマスは後に薬物検査に引っ掛かり失格となった)。
続いて出走したジェフリーフリアS(英GⅡ・T13F61Y)では単勝オッズ2.375倍の1番人気に応えて、2着パイコに1馬身半差で勝利した。その後は英セントレジャー(英GⅠ・T14F127Y)に向かい、1番人気に支持された。しかし英オークス・愛オークス勝ち馬ジュリエットマーニーの全弟で英オークス馬シンティレートの半兄でもある良血馬ジュリオマリナー(本馬が惨敗した2歳時のウィリアムヒルフューチュリティSで首差2着していた)の6着に敗れた。3歳時の成績は6戦3勝だったが、英タイムフォーム社のレーティングでは133ポンドの評価を受け、共に130ポンドだったシャーリーハイツとアカマスを上回る3歳馬トップの評価を得た。
競走生活(4歳時)
4歳時は5月にグッドウッド競馬場で行われたリステッド競走クライヴグラハムS(T10F)から始動して勝利。続いてコロネーションC(英GⅠ・T12F)に出走し、ガネー賞を勝ってきた前年の仏ダービー2着馬フレールバジルや、ユジェーヌアダム賞・ギシュ賞・ニエル賞の勝ち馬で後にサンクルー大賞を勝つゲイメセンなどと対戦した。結果は本馬が2着フレールバジルに7馬身差をつけて圧勝した。続いてキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSで2連覇を目指す予定だったが、故障のため回避。
秋はこの年に新設されたセプテンバーS(T11F30Y)で復帰したが、クラカヴァルの2着に敗退。続いて凱旋門賞(仏GⅠ・2400m)に出走。英ダービー・愛ダービーに加えて本馬不在のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSやベンソン&ヘッジズ金杯も勝利していたトロイ、仏ダービー・リュパン賞などの勝ち馬トップヴィル、グレフュール賞・オカール賞・ロシェット賞・ニエル賞を勝ってきた仏ダービー2着馬ルマルモ、仏1000ギニー・サンタラリ賞・ヴェルメイユ賞を勝ってきたスリートロイカス、この年のエクリプス賞最優秀芝牝馬に選ばれるトリリオンなどの有力馬が顔を連ねており、本馬は前走の敗戦も嫌われて5番人気止まりだった。そしてレースでも見せ場無くスリートロイカスの36馬身差14着と惨敗し、そのまま現役を引退した。
4歳時の成績は4戦2勝だったが、それでも英タイムフォーム社のレーティングでは古馬最高の133ポンドの評価を得た。リード騎手は後にトニービンで凱旋門賞を、ドクターデヴィアスで英ダービーを、スウェインでキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSをそれぞれ勝っているが、本馬は自分が乗った中でも最も強い馬の一頭だったと評したという。
血統
Nijinsky | Northern Dancer | Nearctic | Nearco | Pharos |
Nogara | ||||
Lady Angela | Hyperion | |||
Sister Sarah | ||||
Natalma | Native Dancer | Polynesian | ||
Geisha | ||||
Almahmoud | Mahmoud | |||
Arbitrator | ||||
Flaming Page | Bull Page | Bull Lea | Bull Dog | |
Rose Leaves | ||||
Our Page | Blue Larkspur | |||
Occult | ||||
Flaring Top | Menow | Pharamond | ||
Alcibiades | ||||
Flaming Top | Omaha | |||
Firetop | ||||
Roseliere | Misti | Medium | Meridien | Tourbillon |
Meriem | ||||
Melodie | Monarch | |||
Mitidja | ||||
Mist | Tornado | Tourbillon | ||
Roseola | ||||
La Touche | Rienzo | |||
La Rasina | ||||
Peace Rose | Fastnet Rock | Ocean Swell | Blue Peter | |
Jiffy | ||||
Stone of Fortune | Mahmoud | |||
Rosetta | ||||
La Paix | Seven Seas | Hyperion | ||
Drift | ||||
Anne de Bretagne | Teddy | |||
Our Liz |
父ニジンスキーは当馬の項を参照。
母ロゼリエールは現役成績12戦5勝。仏オークス・ヴェルメイユ賞・ペネロープ賞・ポモーヌ賞を勝ち、凱旋門賞でもヴェイグリーノーブルの4着と健闘して1968年の仏最優秀3歳牝馬にも選ばれた名牝。繁殖牝馬としても優秀であり、本馬の半姉ローズベッド(父ハビタット)【クロエ賞(仏GⅢ)】、1975年の英チャンピオンSで名牝アレフランスを2着に破った半姉ローズボール(父ハビタット)【英チャンピオンS(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅡ)2回・ネルグウィンS(英GⅢ)】、全妹ローズクレセント【アシーニアH(米GⅢ)】などを産んでいる。ローズボールの子にはローズリーフ【グラッドネスS(愛GⅢ)】、孫にはイクタマル【スプリントC(英GⅠ)】、曾孫にはストレイトオブドーヴァー【クイーンズプレート】がいる。
ロゼリエールの全弟にはレロゾー【仏チャンピオンハードル】とロゼリエ【仏チャンピオンハードル】の名障害競走馬兄弟がいる。
ロゼリエールの曾祖母アンヌドブルターニュの牝系子孫からは、クエストフォーフェイム【英ダービー(英GⅠ)・ハリウッドパークターフH(米GⅠ)】、ファルブラヴ【ジャパンC(日GⅠ)・伊共和国大統領賞(伊GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)・英国際S(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)・香港C(香GⅠ)】、アザムール【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)・プリンスオブウェールズS(英GⅠ)】、ナタゴラ【英1000ギニー(英GⅠ)・チェヴァリーパークS(英GⅠ)】、日本で走ったヒルノダムール【天皇賞春(GⅠ)】などが出ている。牝系を遡ると19世紀英国有数の名牝アリスホーソンに行きつく。→牝系:F4号族②
母父ミスティはガネー賞・伊ジョッキークラブ大賞・フォワ賞・シェーヌ賞の勝ち馬で、遡るとサンクルー大賞勝ち馬ミディアム、メリディアンを経てトウルビヨンに行きつく血統。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は英国で種牡馬入りしたが、1987年、12歳の時に日本に輸入されてCBスタッドで種牡馬供用された。日本における供用初年度の1987年には65頭の繁殖牝馬を集め、2年目の1988年も63頭の交配数となった。本馬は日本で種牡馬生活を開始する前にも米国や独国で産駒がGⅠ競走を勝っていたが、この1988年に、欧州に残してきた産駒のカヤージが英ダービーと愛ダービーを制し、この年の英愛種牡馬ランキングにおいてカーリアンに次ぐ2位に入った。その後も欧州で複数のGⅠ競走勝ち馬が出て種牡馬としての名声は高まり、買戻しのオファーもあったという。当然、日本における活躍も期待され、日本における種牡馬生活3年目の1989年は62頭、4年目も62頭、5年目は61頭、6年目は60頭、7年目は59頭、8年目は53頭と一定の交配数が確保されていた。しかし日本における産駒成績は期待を下回るものであり、9年目は31頭、10年目は6頭まで交配数が減少。そして11年目を迎えた1997年は種牡馬活動を行うことなく、同年に24歳で他界した。全日本種牡馬ランキングは、メモリージャスパーやシルクグレイッシュが重賞を勝った1994年の24位が最高だった。スタミナやパワーは十分だが軽い芝向きのスピードに欠けていたのが日本で振るわなかった理由とされている。後継種牡馬にもあまり恵まれなかったが、直系は南米のチリなどで現在も残っている。母父としてはエリモダンディーを出した。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1981 |
Bonne Ile |
イエローリボンS(米GⅠ) |
1981 |
Lagunas |
独ダービー(独GⅠ)・ヴィンターファヴォリテン賞(独GⅢ) |
1982 |
Iroko |
パンアメリカンS(米GⅠ) |
1982 |
L'Irresponsable |
ダフニ賞(仏GⅢ) |
1982 |
Padang |
独オークス(独GⅡ) |
1983 |
Bonshamile |
ゴールデンハーヴェストH(米GⅡ)・コリーダ賞(仏GⅢ) |
1983 |
Rejuvenate |
パークヒルS(英GⅡ)・ムシドラS(英GⅢ) |
1985 |
Ile de Chypre |
英国際S(英GⅠ)・ロジャーズ金杯(愛GⅡ) |
1985 |
英ダービー(英GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・リングフィールドダービートライアルS(英GⅢ) |
|
1986 |
El Triunfo |
パリ大障害 |
1986 |
Ile de Nisky |
カンバーランドロッジS(英GⅢ) |
1986 |
Petite Ile |
愛セントレジャー(愛GⅠ)・ゴールデンゲートH(米GⅡ)・サンセットH(米GⅡ) |
1991 |
シルクグレイッシュ |
福島記念(GⅢ) |
1991 |
メモリージャスパー |
阪神牝馬特別(GⅡ) |
1992 |
マルブツブルボン |
名港盃(SPⅡ) |
1993 |
ハスカップボーイ |
桐花賞(水沢) |
1994 |
イチバンリュウ |
京都大障害秋 |