ロベルト
和名:ロベルト |
英名:Roberto |
1969年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ヘイルトゥリーズン |
母:ブラマリー |
母父:ナシュア |
||
英国競馬の英雄ブリガディアジェラードに生涯唯一の黒星をつけて英国競馬史上屈指の悪役と呼ばれた英ダービー馬で、種牡馬としても大成功する |
||||
競走成績:2~4歳時に愛仏英で走り通算成績14戦7勝2着3回 |
誕生からデビュー前まで
米国ケンタッキー州ダービーダンファームにおいて本馬を生産・所有したのは、同牧場の所有者で実業家でもあるジョン・W・ガルブレイス氏である。彼の経歴に関してはシャトーゲイの項で既に記載したのだが、本項でも改めて記載しておく。ガルブレイス氏は1897年にオハイオ州ピッカウェイ郡にあるダービーという町で誕生した。最初は広告業で成功し、後に不動産業にも進出してさらなる成功を収めた。彼は1945年にペンシルヴァニア州に本拠地がある大リーグ球団ピッツバーグ・パイレーツのオーナーにも就任しており、1986年まで41年間も勤め上げた事でも米国ではよく知られている。
そんな彼が馬産を開始したのはパイレーツのオーナーになるより早く、1935年の事であった。出身地オハイオ州ダービーに、その地名を取ったダービーダンファームを設立したのが始まりだった。1949年にはケンタッキー州アイドルアワーストックファーム(かつて米国の名馬産家エドワード・ライリー・ブラッドリー大佐の馬産本拠地だった)を買収してダービーダンファームの本拠地をそちらに移した。彼は欧州の歴史的名馬リボーやシーバードを米国にリースしたり、1963年にシャトーゲイで、1967年にプラウドクラリオンでケンタッキーダービーを勝ったりなど、米国競馬界における貢献度も大きかった。
本馬の母ブラマリーはガルブレイス氏の所有馬としてCCAオークスやガゼルHなどを勝った名牝であり、本馬に対するガルブレイス氏の期待は小さくなかった。その証拠が本馬の馬名由来である。本馬の馬名は、ピッツバーグ・パイレーツのオーナーだったガルブレイス氏が、当時パイレーツに所属していたロベルト・クレメンテ選手にちなんで命名したのである。プエルトリコ出身のクレメンテ選手はパイレーツ一筋で通算3000本安打を打ち、リーグMVP1度・ワールドシリーズMVP1度・首位打者4度・オールスター出場12年(15試合)・ゴールドグラブ賞12回受賞という歴史的名外野手で、出身地のカリブ諸国やラテンアメリカにおける慈善事業にも積極的に参加していた人物であり、パイレーツの誇りと讃えられていたのだった。そんな期待馬である本馬をガルブレイス氏は米国ではなく欧州で走らせる事にして、愛国ヴィンセント・オブライエン調教師に預けた。
競走生活(3歳初期まで)
2歳7月にカラー競馬場で行われた芝6ハロンの未勝利戦でデビューして勝利。次走のアングルシーS(愛GⅢ・T6F)も勝利。さらに愛ナショナルS(愛GⅡ・T7F)ではJ・ロエ騎手を鞍上に、2着トールドリームに5馬身差、3着となった後のグラッドネスSの勝ち馬パードナーにはさらに6馬身差をつけて圧勝した。その後は仏国に遠征して、レスター・ピゴット騎手を鞍上に、仏グランクリテリウム(仏GⅠ・T1600m)に出走した。しかしここでは、ハードツービート、クリテリウムドメゾンラフィットを勝ってきたスティールパルス、後にサンタラリ賞を勝ち仏オークスで2着するプロディース(バブルガムフェローの祖母)の3頭に屈して、ハードツービートの4着に敗退した。2歳時は4戦3勝の成績で、愛最優秀2歳馬に選ばれた。
3歳時は4月にフェニックスパーク競馬場で行われたヴォクスホールトライアルS(愛GⅢ・T7F)から始動した。ここでは当時49歳のベテラン騎手だった豪州出身のビル・ウィリアムソン騎手を鞍上に、後に愛2000ギニーと仏ダービーで3着するフレアパスを2着に破って勝利した。
続いてウィリアムソン騎手を鞍上に、英2000ギニー(英GⅠ・T8F)に参戦した。このレースでは、前年のオブザーヴァー金杯の勝ち馬で、前哨戦のサースククラシックトライアルでは英1000ギニー馬ウォータールーを7馬身差の3着に破っていたハイトップが1番人気に支持されており、本馬は対抗馬の扱いだった。スタートが切られるとハイトップが果敢に先頭に立ち、本馬は序盤を抑え気味に入った。そしてレース中盤から加速して、逃げるハイトップを追撃。しかし最後まで届かずに、半馬身差の2着に敗れた。しかし3着サンプリンス(ロベールパパン賞・コヴェントリーSの勝ち馬で、後にセントジェームズパレスS・クイーンアンSも勝った名マイラー)には6馬身差をつけていたから、内容的には合格点だった。
英ダービー
続く英ダービーでも当初はウィリアムソン騎手が騎乗する予定だったが、レースの10日前にウィリアムソン騎手がケンプトンパーク競走場のレースで落馬して負傷した。怪我は軽かったために英ダービーの騎乗には支障が無いと医師は診断したが、ガルブレイス氏は完調ではない騎手に大一番を任せる事は出来ないと、騎手の乗り代わりを強行に主張した。結局英ダービーでは、仏グランクリテリウムで騎乗経験があるピゴット騎手が本馬に騎乗する事になった。ウィリアムソン騎手の出身地である豪州の新聞ジ・エイジ紙の英ダービー翌日発行分にはその辺の経緯が明記されており、「ウィリアムソン騎手は完全に回復したのにレース48時間前に降ろされました」と書かれている。
この英ダービー(英GⅠ・T12F)では、ダリュー賞を勝ってきた仏国の期待馬リファール、ロイヤルロッジSの勝ち馬ヤロスラヴ、仏グランクリテリウムで本馬に先着する2着した後にオブザーヴァー金杯でも2着していたスティールパルス、ダンテSの勝ち馬でデューハーストS2着のラインゴールド、リングフィールドダービートライアルSを5馬身差で勝ってきたチャーリング、チェスターヴァーズを勝ってきたオーミンド、サンダウンクラシックトライアルの勝ち馬でオブザーヴァー金杯3着のペントランドファース、サラマンドル賞・ディーSの勝ち馬アワーミラージュ、ホワイトローズSの勝ち馬でダンテS2着のモールトン、チェシャムS・ソラリオSの勝ち馬メドウミント、ブルーリバンドトライアルSで2着してきたスコティッシュライフル、ダリュー賞で2着してきたスカワ、デューハーストS3着馬マーシアボーイなどが対戦相手となったが、ハイトップが回避したこともあり、本馬が単勝オッズ4倍の1番人気に支持された。
スタートが切られると単勝オッズ51倍の伏兵ペントランドファースが先頭を引っ張り、本馬は中団を進んだ。そしてタッテナムコーナーを回りながら仕掛けて、直線に入るとすぐにペントランドファースをかわして先頭に立った。そこへ後方から来た単勝オッズ23倍の伏兵ラインゴールドと激しい叩き合いとなり、2頭が殆ど同時にゴールインした(3着に粘ったペントランドファースとは3馬身差)。写真判定の結果、本馬が短頭差で勝利しており、栄光ある英ダービー馬の称号を手中に収めた。しかしウィリアムソン騎手が降ろされた経緯を知るファン達は本馬の勝利を素直に祝福する事が出来ず、写真判定で本馬の勝利が確定しても拍手を送らなかったと伝えられている。なお、ガルブレイス氏は前述のとおりケンタッキーダービーで2勝を挙げており、本馬の勝利によりケンタッキーダービーと英ダービーを両方勝った史上初めての馬主となった(彼以降にはポール・メロン氏、マイケル・テイバー氏、アハメド・ビン・サルマン殿下の3名が達成している)。
続く愛ダービー(愛GⅠ・T12F)では、愛2000ギニー馬バリモア、英ダービーで着外に敗れた後にプリンスオブウェールズSに出走してブリガディアジェラードの2着していたスティールパルス、英ダービーで15着に終わっていたリファール、やはり英ダービーで着外だったスティールパルスなどを抑えて1番人気に支持された。しかしここでは全く本領を発揮できずに、スティールパルスの12着に惨敗してしまった。米国の新聞スポークスマン・レビュー紙はレース翌日の記事で「雨でずぶ濡れになった馬場状態と当日の強い風が適合しなかったと思われます」と論評している。
ベンソン&ヘッジズ金杯
続いて出走したのは、この年に創設されたベンソン&ヘッジズ金杯(英GⅠ・T10F110Y)だった。対戦相手の中には英ダービー2着後にサンクルー大賞を勝ってきたラインゴールドの姿もあったのだが、このレースにおける主役は本馬でもラインゴールドでもなく、英国競馬史上最強馬との呼び声も高かったブリガディアジェラードだった。同世代のミルリーフを一蹴した英2000ギニーを筆頭に、ミドルパークS・セントジェームズパレスS・サセックスS・グッドウッドマイルS・クイーンエリザベスⅡ世S・英チャンピオンS・ロッキンジS・ウエストベリーS・プリンスオブウェールズS・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSなど無傷の15連勝中だったブリガディアジェラードは、名馬リボーが保持していた近代欧州競馬記録である16連勝に並ぶべく出走してきており、単勝オッズ1.33倍という圧倒的な人気を集めていた。他の主な出走馬は、ムーランドロンシャン賞・グリーナムS・コートノルマンディ賞・ラクープドメゾンラフィットの勝ち馬でセントジェームズパレスS・サセックスS・クイーンエリザベスⅡ世S・ムーランドロンシャン賞・エクリプスS2着のゴールドロッドだった。
英ダービーで本馬に騎乗したピゴット騎手は、ラインゴールド陣営からの騎乗依頼を受諾していた。ピゴット騎手は情よりも勝つ可能性を重視する人物だったから、彼は本馬よりラインゴールドのほうがまだ見込みはあると思っていたのだろう。実際にこの段階では、前走の愛ダービーで惨敗した本馬よりラインゴールドのほうが実力は上位であると思っている人が多く、ラインゴールドが単勝オッズ4.5倍の2番人気だったのに対して、本馬は単勝オッズ13倍の低評価だった。オブライエン師はウィリアムソン騎手にも声を掛けたが、ベルギーのブリュッセルで別のレースに騎乗する先約があったウィリアムソン騎手にも断られてしまった。
そこで困ったオブライエン師はガルブレイス氏に相談した。実はガルブレイス氏は、どちらかと言えば今まで中団待機策が主体だった本馬に逃げを打たせるという奇襲戦法を考えていた。そのためにガルブレイス氏は、わざわざ米国(平坦小回りの競馬場が多いため逃げ馬が有利であり、多くの騎手は逃げ戦法に慣れていた)からパナマ出身の名手ブラウリオ・バエザ騎手を呼び寄せたのだった。
レース当日は快晴であり、馬場状態は非常に堅くなっていた。通常であればコース内に散水するべき状態だったが、重馬場を不得手としていたブリガディアジェラードに気を利かせたヨーク競馬場は散水を行わなかった。それはブリガディアジェラードだけでなく、前走の愛ダービーで重馬場に泣いて惨敗した本馬にとっても歓迎すべきことだった。
さて、スタートが切られるとバエザ騎手鞍上の本馬は「まるで地獄から来た蝙蝠のように悪魔的な」と評されたほどのハイペースで逃げを打った。そしてブリガディアジェラードが本馬の少し後方を追いかけてくる展開となった。直線に入って残り3ハロン地点に差し掛かったところでブリガディアジェラードが本馬に並びかけようとしてきた。しかしここでバエザ騎手が仕掛けると、まだ余力が十分にあった本馬は二の脚を使ってブリガディアジェラードを引き離しにかかった。そしてそのまま先頭でゴールインし、3馬身差の2着に敗れたブリガディアジェラードに生涯最初で最後の敗北を味あわせた。本馬の勝ちタイム2分07秒1は世界レコードであり、後の1979年にトロイが同競走で2分06秒4を計時するまで保持された。本馬にとってはまさしく会心の勝利だったが、英国競馬の英雄ブリガディアジェラードに生涯唯一の黒星を付けてしまったわけであり、これで本馬には完全に悪役というイメージが定着してしまった。
競走生活(3歳後期)
その後はバエザ騎手と共に仏国に移動して、ニエル賞(仏GⅢ・T2400m)に出走。ここでは、前年の仏グランクリテリウムで本馬を破った後に仏ダービー・リュパン賞・フォンテーヌブロー賞を勝ち、サンクルー大賞でラインゴールドの3着していたハードツービートとの再戦となった。レースでは、3着馬トゥジュールプレ(後にアルクール賞・プランスドランジュ賞2回を勝っている)を10馬身も引き離して2頭が一騎打ちを演じた末に、ハードツービートが勝利を収め、本馬は1馬身差の2着に敗れた。
次走の凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)では、ハードツービート、仏オークス・ペネロープ賞・ノネット賞の勝ち馬レスクース、パリ大賞・ロワイヤルオーク賞を勝ってきたプルバン、愛セントレジャー・ジャンプラ賞・クイーンズヴァーズの勝ち馬で伊ジョッキークラブ大賞・カドラン賞2着のパーネル、ドラール賞・サンロマン賞・ロシェット賞の勝ち馬でイスパーン賞2着のシャラプール、英セントレジャー・ベレスフォードS・ニジンスキーS・デスモンドSの勝ち馬ブッチャー、ヴェルメイユ賞を勝ってきたサンサン、スティールパルス、モーリスドニュイユ賞・ケルゴルレイ賞・リングフィールドダービートライアルSの勝ち馬で英セントレジャー・コロネーションC2着のホメリック、愛オークス馬で英オークス2着のリーガルエクセプション、アスコット金杯・グッドウッドCの勝ち馬エリモホーク、グレフュール賞・ノアイユ賞の勝ち馬で仏ダービー2着のサンシー(ハギノトップレディの父)、イスパーン賞・エクスビュリ賞・プランスドランジュ賞の勝ち馬ミスターシックトップ、フォワ賞を勝ってきたスノーキャッスル、日本から遠征してきた天皇賞春・宝塚記念・目黒記念春・函館記念の勝ち馬メジロムサシなどが対戦相手となった。バエザ騎手騎乗の本馬はハードツービートに次ぐ2番人気に推されたが、サンサンの6馬身差7着に敗れた。3歳時の成績は7戦3勝だったが、それでもこの年に英愛両国で最優秀3歳牡馬に選ばれた。
競走生活(4歳時)
なお、本馬が4歳になる直前の1972年12月31日、とある悲劇が発生した。本馬の馬名由来となったクレメンス選手が12月23日にニカラグアで発生した地震の救援に向かうために飛行機に搭乗したところ、その飛行機が離陸直後に墜落して彼は落命してしまったのである。そのクレメント選手が米国野球殿堂入りを果たしてから1か月後のガネー賞が本馬の4歳シーズン初戦として選ばれた。しかし仏国に到着した本馬は負傷してしまい、ガネー賞には出る事なく愛国に戻ってきた。本馬不在のガネー賞は、前年のベンソン&ヘッジズ金杯で4着だったラインゴールドが勝利を収めた。
改めて地元愛国レパーズタウン競馬場で行われたニジンスキーS(T10F)から始動したが、前年の愛2000ギニー馬で愛ダービーでも本馬に先着する3着だったバリモアの2着に敗れた。
それでも次走のコロネーションC(英GⅠ・T12F)では、ピゴット騎手を鞍上に、単勝オッズ1.44倍の1番人気に支持された。そして2着となったヨークシャーオークス・パークヒルS・プリンセスロイヤルSの勝ち馬アッティカメリに5馬身差をつけて圧勝した。
その後はエクリプスSに出走する予定だったが直前で回避した。本馬不在のエクリプスSは、前年の愛ダービーで本馬に先着する2着だったスコティッシュライフルが勝利した。
一方の本馬は、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ・T12F)に向かった。対戦相手は、この年に入ってジョンポーターS・ガネー賞・ハードウィックS・サンクルー大賞と4連勝中と絶好調のラインゴールド、前年の凱旋門賞では8着だったハードツービート、この年の愛ダービー馬ウィーヴァーズホール、前年の英ダービー4着後にグレートヴォルティジュールS・ジョッキークラブS・プリンセスオブウェールズSを勝ち英セントレジャー・愛セントレジャーで2着していたアワーミラージュ、そして前週の愛オークスを勝ってきたばかりのサンタラリ賞・グロット賞の勝ち馬で仏オークス2着のダリアなどだった。結果はダリアが2着ラインゴールドに6馬身差をつける圧勝を収め、本馬は12頭立ての11着と惨敗。これを最後に4歳時3戦1勝の成績で競走馬を引退した。
血統
Hail to Reason | Turn-to | Royal Charger | Nearco | Pharos |
Nogara | ||||
Sun Princess | Solario | |||
Mumtaz Begum | ||||
Source Sucree | Admiral Drake | Craig an Eran | ||
Plucky Liege | ||||
Lavendula | Pharos | |||
Sweet Lavender | ||||
Nothirdchance | Blue Swords | Blue Larkspur | Black Servant | |
Blossom Time | ||||
Flaming Swords | Man o'War | |||
Exalted | ||||
Galla Colors | Sir Gallahad | Teddy | ||
Plucky Liege | ||||
Rouge et Noir | St. Germans | |||
Baton Rouge | ||||
Bramalea | Nashua | Nasrullah | Nearco | Pharos |
Nogara | ||||
Mumtaz Begum | Blenheim | |||
Mumtaz Mahal | ||||
Segula | Johnstown | Jamestown | ||
La France | ||||
Sekhmet | Sardanapale | |||
Prosopopee | ||||
Rarelea | Bull Lea | Bull Dog | Teddy | |
Plucky Liege | ||||
Rose Leaves | Ballot | |||
Colonial | ||||
Bleebok | Blue Larkspur | Black Servant | ||
Blossom Time | ||||
Forteresse | Sardanapale | |||
Guerriere |
父ヘイルトゥリーズンは当馬の項を参照。
母ブラマリーは本馬と同じくガルブレイス氏の生産・所有馬で、現役成績は38戦8勝。CCAオークス・ガゼルH・ジャスミンSに勝ち、デラウェアオークス・リバティーベルH・ヴェイグランシーHで2着した名牝。本馬の1歳年上の全姉グローリアススプリングの子にロウトレランス【ネクストムーヴBCH(米GⅢ)・スノーグースH(米GⅢ)】、孫にファミリーエンタープライズ【スピナウェイS(米GⅠ)】がいる他、ブラマリーの母レアリーの全姉デルタクイーンの子にアパトンザバック【ソロリティS】、アドヴォケイター【カウディンS・セミノールH・トボガンH・ウエストチェスターH】、孫にデルタジャッジ【サプリングS】、牝系子孫にエクスボーン【ハリウッドパークターフH(米GⅠ)】、 エクスペルド【エディリードH(米GⅠ)】、アファームドサクセス【ヴォスバーグS(米GⅠ)・シガーマイルH(米GⅠ)・カーターH(米GⅠ)】、日本で走ったサンキューホーラー【東海桜花賞・名古屋記念】、マイネルコンバット【ジャパンダートダービー(GⅠ)】などが、レアリーの母ブリーボックの半兄に生涯14戦して勝ったのは騎手同士が大喧嘩しながらの決着だったケンタッキーダービーの1勝のみという珍記録保持馬ブローカーズティップがいる。→牝系:F12号族①
母父ナシュアは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のダービーダンファームで種牡馬入りした。種牡馬としては欧米で活躍馬を続出させ、かなりの成功を収めた。1988年8月に19歳で他界し、遺体はダービーダンファームに埋葬された。
後世に与えた影響
本馬の後継種牡馬は、クリスエス、シルヴァーホーク、リアルシャダイ、ブライアンズタイム、レッドランサムなど数多く、特に日本における影響力は大きい。直系の特徴としては仕上がりが早い産駒が多く、使い詰めてさらに良化する。また、スタミナと底力も抜群で、芝もダートも問わない万能血統。弱点は切れ味に欠ける所と、一度調子を落とすとなかなか元に戻らない点だろうか。日本では直系子孫が特に有馬記念で大活躍しており、1994年から2003年までの10年間に、ナリタブライアン、マヤノトップガン、シルクジャスティス、グラスワンダー、シンボリクリスエスと直系子孫5頭が合計7勝を挙げている。もっとも最近はサンデーサイレンスの直系子孫に押され気味であり、有馬記念も10年以上勝っていない(補足:こんな事を書いてそれほど日が経たないうちに2015年の有馬記念をゴールドアクターが勝ち、2003年のシンボリクリスエス以来12年ぶりに本馬の直系馬が有馬記念を制覇した)し、活躍馬の数もやや減少傾向にある。
あと、直系子孫には自身と同じく歴史的名馬に生涯唯一の黒星を付けた馬が目立つ(目立つと言っても2頭だけだが)。具体的には孫のライスシャワー(1992年の菊花賞でミホノブルボンを負かした)と、曾孫のブレイム(2010年のBCクラシックでゼニヤッタを負かした)である。やはりそういう血筋なのだろうか。母父としてはコマンダーインチーフ、ホワイトマズルの兄弟やスティルインラブを輩出している。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1975 |
Darby Creek Road |
サラトガスペシャルS(米GⅡ) |
1975 |
Fool's Prayer |
ナッソーカウンティH(米GⅢ) |
1975 |
Sookera |
チェヴァリーパークS(英GⅠ) |
1975 |
Young Bob |
ホーソーン金杯(米GⅡ) |
1977 |
Don Roberto |
ローリンググリーンH(米GⅢ) |
1977 |
Driving Home |
クイーンズプレート |
1977 |
||
1977 |
Lady Roberta |
ハネムーンH(米GⅢ) |
1977 |
Robsphere |
パンアメリカンS(米GⅡ)・ディキシーH(米GⅡ)・カナディアンターフH(米GⅢ) |
1978 |
Critique |
ハードウィックS(英GⅡ)・カンバーランドロッジS(英GⅢ)・セプテンバーS(英GⅢ) |
1978 |
Robellino |
ロイヤルロッジS(英GⅡ) |
1979 |
Immense |
リトルシルヴァーH(米GⅢ) |
1979 |
Mystical Mood |
スカイラヴィルS(米GⅢ) |
1979 |
ドーヴィル大賞(仏GⅡ) |
|
1979 |
Royal Roberto |
レキシントンS(米GⅡ)・エヴァーグレイズH(米GⅢ) |
1979 |
クレイヴンS(英GⅢ) |
|
1979 |
Slightly Dangerous |
フレッドダーリンS(英GⅢ) |
1979 |
Touching Wood |
英セントレジャー(英GⅠ)・愛セントレジャー(愛GⅠ) |
1980 |
Rare Roberta |
パース賞(仏GⅢ) |
1981 |
At Talaq |
パリ大賞(仏GⅠ)・VRCマッキノンS(豪GⅠ)・メルボルンC(豪GⅠ)・CFオーアS(豪GⅡ) |
1981 |
Bob Back |
伊共和国大統領賞(伊GⅠ)・テヴェレ賞(伊GⅡ)・プリンスオブウェールズS(英GⅡ) |
1981 |
Capitol South |
ホープフルS(米GⅠ) |
1981 |
Lear Fan |
ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・英シャンペンS(英GⅡ)・クレイヴンS(英GⅢ) |
1982 |
Gamberta |
ミネルヴ賞(仏GⅢ) |
1982 |
I Want to Be |
パークヒルS(英GⅡ)・メルドS(愛GⅢ) |
1982 |
Script Ohio |
ヤングアメリカS(米GⅠ) |
1983 |
Celestial Storm |
プリンセスオブウェールズS(英GⅡ) |
1985 |
フロリダダービー(米GⅠ)・ペガサスH(米GⅠ)・ジムダンディS(米GⅡ) |
|
1985 |
Dynaformer |
ジャージーダービー(米GⅡ)・ディスカヴァリーH(米GⅡ) |
1985 |
マンノウォーS(米GⅠ)・ターフクラシックS(米GⅠ)・ワシントンDC国際S(米GⅠ)・レキシントンS(米GⅡ)・ヒルプリンスS(米GⅢ) |
|
1985 |
Tralos |
カンバーランドロッジS(英GⅢ) |
1985 |
Undercut |
ヴィンテージS(英GⅢ) |
1985 |
White Mischief |
ホイストザフラッグS(米GⅢ) |
1986 |
Mamaluna |
ナッソーS(英GⅡ) |
1986 |
Robertet |
ドーヴィル大賞(仏GⅡ) |
1986 |
Tursanah |
レパーズダウンS(愛GⅢ) |
1986 |
Zalazl |
グレートヴォルティジュールS(英GⅡ) |
1987 |
Plenty of Grace |
イエローリボンS(米GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世CCS(米GⅡ)・ニューヨークH(米GⅡ)・ダイアナH(米GⅡ)・ボイリングスプリングスH(米GⅢ) |
1987 |
||
1987 |
Sweet Roberta |
セリマS(米GⅡ) |
1988 |
Montserrat |
レッドスミスH(米GⅡ)・ローレンスアーマーH(米GⅢ)・セネカH(米GⅢ) |
1988 |
Polemic |
カリフォルニアジョッキークラブH(米GⅢ) |
1989 |
Mio Robertino |
タイダルH(米GⅡ) |