プレザントコロニー

和名:プレザントコロニー

英名:Pleasant Colony

1978年生

黒鹿

父:ヒズマジェスティ

母:サンコロニー

母父:サンライズフライト

ベルモントSを「史上最悪の騎乗」で3着に敗れて米国三冠馬の栄誉は逃したが、リボー直系を代表する種牡馬として大成功を収める

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績14戦6勝2着3回

誕生からデビュー前まで

米国の事業家トーマス・メロン・エヴァンズ氏により、彼が1956年に設立したヴァージニア州バックランドファームにおいて生産・所有された。エヴァンズ氏は経営に行き詰った企業を買収して立て直す手腕に非常に長けており、米国における企業買収の先駆者として知られていた。没後の2000年には米国ピッツバーグポストガゼット紙により20世紀米国において最も影響力があった事業家に選出されたほどの人物だった。

しかし馬産家としてはいま一つの状態が続いており、本馬が登場しなければ、後に米国ジョッキークラブ、サラブレッド馬主生産者協会、ヴァージニア州サラブレッド協会の会員になったり、米国競馬名誉の殿堂博物館の取締役員になったりは出来なかったかもしれない。

リー・P・オドネル調教師に預けられた本馬は、成長すると体高17ハンドに達した背が高い馬だったが、体格はひょろひょろしており、数字ほど立派な馬体には見えなかったようである。

競走生活(2歳時)

2歳9月にベルモントパーク競馬場で行われたダート7ハロンの未勝利戦でデビューしたが、勝ったサミングから16馬身差をつけられた6着と惨敗。しかし3週間後にメドウランズ競馬場で出走したダート8ハロン70ヤードの未勝利戦では、打って変わって、2着コミュニティインタレストに9馬身半差をつける圧勝で初勝利を挙げた。

翌10月にはボウイー競馬場で分割競走マールボロナーサリーS(D7F)に出走したが、ジョンズロールの2馬身1/4差4着に敗退した。ちなみにもう一方のマールボロナーサリーSは、後に本馬と2回顔を合わせるキュアザブルースが勝っている。それから2週間後にはアケダクト競馬場でピルグリムS(T9F)に出走したが、前々走のカウディンSで2着してきたアークレイリの3/4馬身差2着に敗れた。

さらに2週間後に出走したレムセンS(GⅡ・D9F)でもアークレイリに後れを取り2位入線だったが、アークレイリが3位入線馬フーリッシュタナーの進路を妨害したと判定されて3着に降着になったため、繰り上がって本馬が勝利馬となった。ところで、この年のレムセンSはGⅠ競走だったとする資料が多いが、米ブラッドホース誌の資料ではレムセンSがGⅠ競走になったのは翌1981年で、この年はGⅡ競走だったとなっているから、本項でもそれを採用している。2歳時はこれが最後の出走で、5戦2勝の成績だった。

競走生活(3歳初期)

3歳時は2月のファウンテンオブユースS(GⅢ・D8.5F)から始動した。ここでは、レムセンS降着後にワットアプレジャーSを勝ち、トロピカルパークダービーで2着してきたアークレイリに加えて、シャンペンS・ヤングアメリカS・カウディンSを勝ち、サプリングS・ホープフルS・アーリントンワシントンフューチュリティでも2着して前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれていたロードエイヴィーも、前走ハッチソンSを勝利して出走してきた。レースでは本馬、アークレイリ、ロードエイヴィーの3頭が殆ど同時にゴールインし、本馬はロードエイヴィーには鼻差先着したがアークレイリには鼻差先着されて2着に敗れた。

3月のフロリダダービー(GⅠ・D9F)では、アークレイリ、ロードエイヴィーの2頭に加えて、トロピコールダービーの勝ち馬ダブルソニック、ローレルフューチュリティ2着馬マッチングギフト、前年のレムセンSで2着に繰り上がっていたフーリッシュタナーなどとの対戦となった。しかしここではロードエイヴィーが2着アークレイリに4馬身半差をつけて圧勝を収め、本馬はロードエイヴィーから13馬身差をつけられた5着と大敗した。この時点でエヴァンズ氏はオドネル師に見切りをつけ、本馬を伊国出身のジョン・P・カンポ調教師の元に転厩させた。

ここまでの本馬は先頭でゴールした事が1回しかない並の馬だったが、転厩すると一変。ジェフリー・フェル騎手とコンビを組んで出走したウッドメモリアルS(GⅠ・D9F)では、前走のゴーサムSで2着に敗れるまではローレルフューチュリティ・マールボロナーサリーSなど6戦無敗だったキュアザブルース、ワーラウェイSの勝ち馬でシャンペンS2着・ゴーサムS3着のノーブルナシュア、エヴァーグレイズSの勝ち馬ハイランドブレード(古馬になってパンアメリカンS・ブルックリンH・マールボロカップ招待HとGⅠ競走を3勝)などを相手に回し、2着ハイランドブレードに3馬身差、3着キュアザブルースにはさらに5馬身差をつけて完勝。このレースにより、ようやくケンタッキーダービーの有力馬として認知されるに至った。

ケンタッキーダービー

そして迎えたケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)では、目の上のたんこぶだったアークレイリとロードエイヴィーの姿は無かった。2頭とも故障を起こして米国三冠路線は全休(アークレイリは復帰できずそのまま引退種牡馬入り)となっていたのである。スウィフトS・ベイショアS・ゴーサムS・ブルーグラスSなど5連勝中だった9戦8勝馬プラウドアピール、前走ブルーグラスSで3着してきたバッシュフォードマナーS・トレモントSの勝ち馬ゴールデンダービー、キュアザブルース、ホープフルS・ベルモントフューチュリティS・フラミンゴS・サンフォードSの勝ち馬でサラトガスペシャルS2着のタップシューズ、アーカンソーダービー・レベルSなど3連勝で臨んできたボールドイーゴー、サンタアニタダービーの勝ち馬でサンフェリペH2着のスプレンディドスプルース、イリノイダービー2着馬パスザタブ、ルイジアナダービーの勝ち馬でアーカンソーダービー3着のウッドチョッパー、サンヴィンセントSの勝ち馬でサンフェリペH3着のフライングナシュア、アーリントンワシントンフューチュリティ・サラトガスペシャルS・バハマズSの勝ち馬でフラミンゴS2着・ホープフルS3着のウェルデコレイティド、ウッドメモリアルSで4着だったノーブルナシュア、サニースロープSの勝ち馬パルテ、ラッキードローS・ジェネラルジョージS・ボウイーSの勝ち馬クラシックゴーゴー(クロフネの母父として知られる)、ケンタッキージョッキークラブSの勝ち馬テレビジョンスタジオ、フロリダダービー4着後にフラミンゴS3着・ブルーグラスS4着だったダブルソニック、カリフォルニアダービー2着・サンタアニタダービー3着のホウダウンズデイ、ルイジアナダービー3着馬ボウリト、アーカンソーダービー2着馬トップアベンジャー、メキシコでクラシコアナウアク・フューチュリティメキシカノとGⅠ競走2勝を含むグレード競走6勝を挙げて挑んできたメキシコ産馬ハバノなどが対戦相手だった。プラウドアピールが1番人気に支持され、主戦となるジョン・ベラスケス騎手と初コンビを組んだ本馬が単勝オッズ4.5倍の2番人気となった。

スタートが切られるとプラウドアピールなどが先行して、本馬は21頭立ての17番手という後方待機策を採った。先行争いは非常に激しくなり、最初の2ハロン通過タイムが21秒8というケンタッキーダービー史上最速級という凄まじいハイペースでレースが進んだ。向こう正面で少しペースが落ち着き、半マイル通過は45秒2となったが、プラウドアピールを始めとする先行馬の大半は既にお釣りが無く次々に脱落。一方の本馬は向こう正面から位置取りを上げ始め、三角で馬群の間を縫って進出し、四角では外側に持ち出して4番手で直線に入ってきた。好位から四角でまくって先頭に立っていたパルテを直線入り口でかわすと、そのままゴールへと突き進んだ。後方からはウッドチョッパーが凄まじい勢いで追い込んできたが凌ぎきり、2着ウッドチョッパーに3/4馬身差、3着パルテにはさらに3馬身差をつけて優勝した。

プリークネスS

次走のプリークネスS(GⅠ・D9.5F)では、前走で18着と大凡走したプラウドアピールは姿を消し、ウッドチョッパー、パルテ、前走8着のフライングナシュア、同10着のボールドイーゴー、同11着のダブルソニック、同19着のトップアベンジャーに加えて、ウッドメモリアルS2着後にケンタッキーダービーを回避して向かってきたハイランドブレード、ウッドローンSを勝ってきたサーティエイトペイシズ、イリノイダービー・タンパベイダービーの勝ち馬パリスト、一般競走2勝のエスカンビアベイ、ゴールデンジュビリーHを勝ってきたベアナックルズ、マーヴィンルロイH2着馬エーランなどが対戦相手となった。当然ここでは本馬が単勝オッズ2.6倍の1番人気に支持され、ボールドイーゴーが単勝オッズ4.5倍の2番人気、前走で見せた豪脚が評価されたウッドチョッパーが単勝オッズ5倍の3番人気となった。

スタートが切られると、ボールドイーゴーが先頭に立ち、サーティエイトペイシズ、パリストなどがそれを追走、本馬は馬群の中団後方につけた。ボールドイーゴーが刻んだペースは最初の2ハロン通過が23秒8、半マイル通過は47秒6という、前走に比べるとゆったりしたペースだった。本馬は三角手前で仕掛けると、三角で馬群の外側を駆け上がり、四角では既に2番手に上がってきた。そして直線に入ると、3番手のパリストや4番手のサーティエイトペイシズを置き去りにして、逃げるボールドイーゴーを追撃。残り1ハロン地点で並びかけると叩き合いに持ち込んで競り勝ち、2着ボールドイーゴーに1馬身差、3着パリストにはさらに2馬身差をつけて優勝。ウッドチョッパーは前走で見せた末脚をここでは披露できず、11着と馬群に沈んだ。

ベルモントS

次走のベルモントS(GⅠ・D12F)では、1978年のアファームド以来3年ぶり史上12頭目の米国三冠馬誕生が期待され、単勝オッズ2倍の1番人気に支持された。ボールドイーゴー、前走6着のハイランドブレード、同7着のエスカンビアベイ、同8着のベアナックルズ、同11着のウッドチョッパー、ケンタッキーダービー14着後にピーターパンSを勝ってきたタップシューズ、ヒルプリンスS・サラナクSで連続2着してきたステージドアキー、ヤングアメリカS2着馬セジョウなどが出走してきたが、もう1頭このレースには予想外の敵がいた。それは未勝利戦で本馬を16馬身ちぎったサミングだった。サミングは未勝利戦を勝った後にステークス競走を6連敗するなど出世が遅れ、三冠競走最初の二戦には参戦できず、裏街道のヒルプリンスS・ペンシルヴァニアダービーを2連勝して三冠最終戦のベルモントSにようやく間に合わせてきたのである。

スタートが切られると、ボールドイーゴー、ステージドアキー、タップシューズ、サミングなどが挙って先頭争いを展開し、本馬は大胆にも最後方待機策を採った。最初の2ハロン通過は23秒4とプリークネスSより速かったが、半マイル通過は48秒2と、道中は少し落ち着いた。向こう正面で本馬が仕掛けて、三角から四角にかけて外側を駆け上り、三角で先頭集団から抜け出していたサミングに迫っていった。そして直線に入ると、本馬の外側から追い込んできたハイランドブレードと叩き合いながらサミングを追撃。しかし四角で経済コースを通って後続との差を広げていたサミングとの差はなかなか縮まらなかった。それどころか直線半ばでハイランドブレードに後れを取ってしまった。ゴール直前でようやくサミングが失速したが時既に遅く、サミングが押し切って優勝し、ハイランドブレードが首差の2着、本馬はハイランドブレードから1馬身半差の3着に敗れ、米国三冠馬の誕生は成らなかった。

ゴールの瞬間にしかめ面をしたカンポ師は「もし5年前の私だったら、ベラスケス騎手の首を絞めて殺していたでしょう。そして殺す前に彼に対して、史上最悪の騎乗だと言ってやったことでしょう」と、レース後のインタビューで「サラブレッドレコード」の記者に語っており、道中の位置取りが後ろすぎたのが敗因である事を指摘した。もっとも、筆者がベラスケス騎手を弁護すると、この2年前のベルモントSにおいて、三冠達成確実と言われていたスペクタキュラービッドが早仕掛けで3着に敗れており(スペクタキュラービッドの敗因は他にもあったが)、そのレースで他馬に出走してスペクタキュラービッドの敗北を目の当たりにしていたベラスケス騎手は、同じ轍を踏むことを躊躇したのではないだろうか。また、レース前から当日の暑さにやられた本馬には著しい発汗が見られており、ゲート入りするのを嫌がる仕草も見せていた。カンポ師はベラスケス騎手を非難しながらも、それもまた敗因の1つとして挙げている。

競走生活(3歳後半)

次走のトラヴァーズS(GⅠ・D10F)では、ベラスケス騎手からアンヘル・コルデロ・ジュニア騎手に乗り代わっていた。ここでは、サミング、ようやく戦線に復帰してきたロードエイヴィー、ケンタッキーダービー9着後にドワイヤーS・スワップスSなど3連勝していたノーブルナシュア、ウィザーズS・ピーターパンSで2着して前走ジムダンディSを勝ってきたウィローアワーなどが対戦相手となった。ここでは、既に対戦していた相手には悉く先着したものの、初対戦となるウィローアワーに頭差届かず2着に敗退した。

次走のウッドワードS(GⅠ・D9F)では、ベルモントS・トラヴァーズS・ジョッキークラブ金杯・サバーバンH・アーカンソーダービー・オークローンH・レイザーバックH・スーパーダービーなどを勝っていた前年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬テンパランスヒル、前走フィリップHアイズリンHでGⅠ競走初勝利を飾ったドワイヤーS・カーターHの勝ち馬でスワップスS2着のアンバーパス、前走デラウェアHでGⅠ競走初勝利を飾ったフィレンツェH・ギャラントフォックスH・ジョンBキャンベルH・エクセルシオールHの勝ち馬リラクシング(イージーゴアの母)といった強力古馬勢が対戦相手となった。しかし本馬が2着アンバーパスに1馬身3/4差をつけて勝利した。

次走のマールボロCH(GⅠ・D10F)では、アンバーパス、前走5着のテンパランスヒル、トラヴァーズS4着後にジェロームHを勝っていたノーブルナシュア、ラカナダS・サンタマルガリータS・トップフライトH・ミシガンマイル&ワンエイスH・サンタマリアH・ドミニオンデイH2回を勝ちエイモリーLハスケルH・マールボロCH・サンタマルガリータHで2着していた前年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬グローリアスソングなどが対戦相手となった。ここではノーブルナシュアが勝ち、末脚不発の本馬はノーブルナシュアから6馬身半差も離されたまさかの4着に敗退。このレースを最後に、3歳時9戦4勝の成績で現役生活を終えた。

思えば、トラヴァーズSもマールボロCHも重馬場で行われており、結果論的には末脚勝負の本馬は重馬場が苦手だったという事になるのだろうか。結局この年のエクリプス賞では年度代表馬を逃してしまい(ジョンヘンリーが当時史上唯一の満票で受賞)、最優秀3歳牡馬のみの受賞となった。

血統

His Majesty Ribot Tenerani Bellini Cavaliere d'Arpino
Bella Minna
Tofanella Apelle
Try Try Again
Romanella El Greco Pharos
Gay Gamp
Barbara Burrini Papyrus
Bucolic
Flower Bowl Alibhai Hyperion Gainsborough
Selene
Teresina Tracery
Blue Tit
Flower Bed Beau Pere Son-in-Law
Cinna
Boudoir Mahmoud
Kampala
Sun Colony Sunrise Flight Double Jay Balladier Black Toney
Blue Warbler
Broomshot Whisk Broom
Centre Shot
Misty Morn Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Grey Flight Mahmoud
Planetoid
Colonia URU Cockrullah Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Summerleaze Fair Trial
Somerhill
Nalga Guatan Floretista
Guayaca
Nagoya Pelito
Nanita

ヒズマジェスティは当馬の項を参照。

母サンコロニーは現役時代タフに走って57戦し、ギャロレットHなど5勝を挙げた。サンコロニーの半妹にはタイムアンドライフ(父アーツアンドレターズ)【リディアテシオ賞(伊GⅡ)・レニャーノ賞(伊GⅢ)】が、サンコロニーの半妹ビッディングボールド(父ボールドビダー)の子にはシェルバックス【ベイメドウズBCダービー(米GⅢ)】がいるが、近親には活躍馬が少ない上、遡っても活躍馬がまるで出てこない状態で、牝系としては極めて目立たない。本馬の牝系は所謂ファミリーナンバー5号族であるが、今も昔も活躍馬のオンパレード状態である5号族の中では一番繁栄していない部類に入るのはほぼ確実である。→牝系:F5号族③

母父サンライズフライトは、ボールドラッド、サクセッサーの米最優秀2歳牡馬2頭の半兄。ボールドルーラー産駒らしく仕上がり早かった弟達とは異なり、古馬になっても黙々と走り続けてギャラントフォックスH・トロピカルパークH2回・オレンジボウルH勝ちなど84戦11勝の成績を残した。種牡馬としては失敗したが、母父として本馬を出したことで後世に影響を残している。サンライズフライトの父ダブルジェイはジョンヘンリーの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のバックランドファームで種牡馬入りした。米国馬産の中心地ケンタッキー州ではなくヴァージニア州における種牡馬生活だったために交配数にはそれほど恵まれなかったにも関わらず、種牡馬として大成功し、リボーの直系を代表する名種牡馬となった。産駒数が少ないために北米種牡馬ランキングで上位に入ることはあまり無かったが、産駒の質は非常に高く、世界各国で73頭のステークスウイナーを輩出、産駒の獲得賞金総額は軽く5000万ドルを超えているという。コンパラブルインデックス(種牡馬の交配相手となった繁殖牝馬達が過去に産んだ産駒のアーニングインデックスの平均)は2.47だったらしい(サンデーサイレンスは2.43)から、交配数は少なくても繁殖牝馬の質には恵まれていたようである。なお、アーニングインデックスは3.49で、コンパラブルインデックスを大きく上回っており、本馬の種牡馬能力の高さを示している。スピード、スタミナ、パワーなど全てにおいて優秀な上級産駒が多いのが特徴である。

1997年にエヴァンズ氏が86歳で死去すると、ケンタッキー州レーンズエンドファームに移動した。しかし既に老年だった本馬は交尾意欲が著しく減退しており、2000年に種牡馬を引退。その後は一時的にケンタッキーホースパークでジョンヘンリーなどと一緒に暮らした後、ヴァージニア州ブルーリッジファームへ移動して余生を送った。2002年の大晦日に食事を普通に採った後の睡眠中に24歳で他界した。同年にはシアトルスルー、サンデーサイレンス、スペンドアバックも他界しており、ケンタッキーダービー馬の訃報が相次ぐ年となった。

遺体はエヴァンズ氏の家族が相続していたバックランドファームに戻され、自身が誕生した小屋のすぐ近くに埋葬された。余談だが、エヴァンズ氏の息子達は父の後を継いで馬産活動を続け、2014年のベルモントSを勝ちジョッキークラブ金杯を2連覇したトゥーナリストを生産・所有している。このトゥーナリストの母の父は本馬である。種牡馬として大成功した本馬だが、後継種牡馬には今ひとつ恵まれておらず、唯一プレザントタップが成功した程度である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1983

Lac Ouimet

ジムダンディS(米GⅡ)・エクセルシオールH(米GⅡ)2回・ナッソーカウンティH(米GⅡ)・フェイエットS(米GⅡ)・ノリスタウンH(米GⅢ)

1984

Pleasant Variety

サンルイレイS(米GⅠ)・アーリントンH(米GⅡ)・ルイジアナダウンズH(米GⅢ)

1985

Cherokee Colony

フラミンゴS(米GⅠ)・サンカルロスH(米GⅡ)

1985

Colonial Waters

ジョンAモリスH(米GⅠ)・ジョニーウォーカークラシックH(米GⅡ)・レディーズH(米GⅡ)

1985

Imperial Colony

エクリプスH(加GⅢ)

1987

Dance Colony

アディロンダックS(米GⅡ)・アスタリタS(米GⅡ)

1987

Killer Diller

ガーデンステートS(米GⅢ)・アソールトH(米GⅢ)・トレントンH(米GⅢ)

1987

Pleasant Tap

サバーバンH(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)・マリブS(米GⅡ)・コモンウェルスBCS(米GⅢ)・チャーチルダウンズH(米GⅢ)

1987

Roanoke

カリフォルニアンS(米GⅠ)・ヤングアメリカS(米GⅡ)

1987

Sir Beaufort

サンタアニタH(米GⅠ)・サンカルロスH(米GⅡ)・ネイティヴダイヴァーH(米GⅢ)

1987

Stage Colony

ラトガーズH(米GⅢ)・フォートマーシーH(米GⅢ)

1988

Risen Colony

ハニービーH(米GⅢ)

1988

Seewillo

クイーンシャーロットH(米GⅢ)

1988

Shared Interest

ラフィアンH(米GⅠ)・ファーストフライトH(米GⅡ)

1989

Pleasant Baby

アーリントンオークス(米GⅢ)・シックスティセイルズH(米GⅢ)

1989

Pleasant Stage

BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・オークリーフS(米GⅡ)

1989

St. Jovite

愛ダービー(愛GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・アングルシーS(愛GⅢ)・愛フューチュリティS(愛GⅢ)・デリンズタウンスタッドダービートライアルS(愛GⅢ)

1990

Colonial Affair

ベルモントS(米GⅠ)・ホイットニーH(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)・エクセルシオールH(米GⅡ)

1991

Silver Fox

スタイヴァサントH(米GⅢ)

1992

Powder Bowl

マッチメイカーS(米GⅡ)・ブラックヘレンH(米GⅡ)

1993

Colcon

ノーブルダムゼルH(米GⅢ)・カーディナルH(米GⅢ)・ローカストグローヴH(米GⅢ)・マイチャーマーH(米GⅢ)・ジョーネイマスH(米GⅢ)

1993

Gator Dancer

カウディンS(米GⅡ)

1994

Behrens

ガルフストリームパークH(米GⅠ)2回・オークローンH(米GⅠ)・ドワイヤーS(米GⅡ)・ペガサスH(米GⅡ)・マサチューセッツH(米GⅡ)・サバーバンH(米GⅡ)

1994

Colonial Minstrel

シュヴィーH(米GⅡ)・ヒューマナディスタフH(米GⅢ)

1994

Colonial Play

オーキッドH(米GⅡ)

1995

Forbidden Apple

マンハッタンH(米GⅠ)・ベルモントBCH(米GⅡ)・ケルソH(米GⅡ)2回

1996

State Shinto

ドラール賞(仏GⅡ)・プランスドランジュ賞(仏GⅢ)

1997

Cat Cay

トップフライトH(米GⅡ)・サラブレッドクラブオブアメリカS(米GⅢ)・シャーリージョーンズH(米GⅢ)

1998

Colonial Colony

スティーヴンフォスターH(米GⅠ)

1998

Denon

ハリウッドダービー(米GⅠ)・チャールズウィッティンガム記念H(米GⅠ)・ターフクラシック招待S(米GⅠ)・マンハッタンH(米GⅠ)・フォンテーヌブロー賞(仏GⅢ)

1998

Pleasantly Perfect

BCクラシック(米GⅠ)・ドバイワールドC(首GⅠ)・パシフィッククラシックS(米GⅠ)・グッドウッドBCH(米GⅡ)2回・サンアントニオH(米GⅡ)

2000

Spanish Empire

フィフスシーズンS(米GⅢ)

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