ナンバードアカウント

誕生からデビュー前まで

和名:ナンバードアカウント

英名:Numbered Account

1969年生

鹿毛

父:バックパサー

母:イントリーギング

母父:スワップス

名門牝系ラトロワンヌ系出身の初代エクリプス賞最優秀2歳牝馬は繁殖牝馬としてもプライヴェートアカウントなどを産んで成功を収める

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績22戦14勝2着3回3着2回

米国ケンタッキー州の名門牧場クレイボーンファームの所有者オグデン・フィップス氏により生産・所有され、父バックパサーも手掛けたエドワード・アルバート・ネロイ調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳5月にアケダクト競馬場で行われたダート5ハロンの未勝利戦で、主戦となるブラウリオ・バエザ騎手を鞍上にデビュー。この3か月後にソロリティS(2年後にグレード制が施行された際に最初からGⅠ競走に格付けされた2歳戦の大競走)を制するブレンダビューティを10馬身差の2着に破って圧勝し、鮮烈なデビューを飾った。その5日後には同コースで行われたファッションS(D5F)に出走。翌月にコリーンS・ナショナルスタリオンSを勝利するロンドーを3馬身差の2着に破り、前走における本馬の勝ちタイム58秒2よりさらに0秒8も速い57秒4というコースレコードを計時して勝利した。

このまま何事も無ければどんどんレース出走を続けていったはずなのだが、そうはならなかった。それは本馬自身が故障などを起こしたからではなく、管理するネロイ師がファッションSの6日後に心臓発作のため47歳で急死してしまったからだった。専属調教師だったネロイ師を突然失ったフィップス氏は大至急後任の調教師を探した。そしてロジャー・ローリン調教師を新たに任用したのだった。

ローリン師の管理馬となった本馬が再び競馬場に姿を現したのは、ネロイ師の死から約10週間後の8月初旬だった。サラトガ競馬場でスカイラヴィルS(D6F)に出走した本馬は、2着ベンダラに1馬身差をつけて勝利した。しかし12日後に出走したアディロンダックS(D6F)では、デビーデボ、ダンスパートナーの2頭に屈して、勝ったデビーデボから1馬身半差の3着に敗れてしまった。しかしさらに9日後に出走したスピナウェイS(D6F)では、本馬がいない間にコリーンS・ナショナルスタリオンSを勝っていたロンドーを2馬身半差の2着に、デビーデボを3着に破って勝利した。

それから1か月後にはベルモントパーク競馬場に移動してメイトロンS(D6F)に出走。1985年の北米首位種牡馬バッカルーの母となるステッピングハイを6馬身半差の2着に破って圧勝した。16日後に出走したフリゼットS(D8F)では、デュラズナS・アスタリタSを勝ってきたベアリーイーヴンに加えて、後に米国競馬史上初の100万ドル牝馬となるスーザンズガールと顔を合わせた。もっとも、本馬とスーザンズガールはこれが初顔合わせではなく、初対戦は本馬が3着に敗れたアディロンダックSだった。そのときにスーザンズガールは本馬から半馬身差の5着だった。しかし今回はさらに差が広がり、本馬がスーザンズガールを7馬身差の2着に下して圧勝した(ベアリーイーヴンは3着だった)。

それから12日後にはローレル競馬場に姿を現して、セリマS(D8.5F)に出走。後にクラークHやダイアナHを勝つフェアウェイフライヤーという実力馬が立ち向かってきたが、本馬が2着サスセプティブルに6馬身差をつけて圧勝した。翌11月にはガーデンステート競馬場に赴き、2歳牝馬限定競走としては全米最高賞金額を誇っていたガーデニアS(D8.5F)に出走。3度目の対戦となったスーザンズガールを2馬身3/4差の2着に退けて勝利を収めた。

続いて出走したのは、2歳戦としては全米最高賞金額を誇っていたガーデンステートS(D8.5F)だった。ガーデニアSとガーデンステートSを連覇した馬は今だかつて1頭もおらず(牝馬がガーデンステートSを勝った例自体が1947年のイッツアベットのみであり、その時期にはガーデニアSは創設されていなかった)、本馬は史上初の偉業に挑んだのである。しかしこの年のガーデンステートSには、フラッシュS・ベルモントフューチュリティS・シャンペンS・ローレルフューチュリティと4連勝中の同厩馬リヴァリッジ(ただし馬主は異なる)も出走していた。結果はリヴァリッジが勝利を収め、後のオハイオダービー・モンマス招待Hの勝ち馬フリーテックス、翌年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬キートゥザミントの2頭にも後れを取った本馬は、勝ったリヴァリッジから4馬身半差の4着に敗退。2歳シーズンを勝利で締めくくる事は出来なかった。

しかし2歳時は10戦8勝の好成績で、この年から創設された米国競馬の年度表彰エクリプス賞において、記念すべき初代の最優秀2歳牝馬に選ばれた。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月にアケダクト競馬場で行われたプライオレスS(D6F)から始動して、2着マインディマローンに2馬身半差をつけて順当勝ちを収めた。しかし14日後のカムリーS(D7F)では、ステイシーデットの鼻差2着に敗退。そしてその後に骨折が判明して、ニューヨーク牝馬三冠競走には不参戦となった。

7月末のテストS(D7F)で復帰すると、15日前のデラウェアオークスを勝ってきたライトハーテッドを1馬身差の2着に抑えて勝利を収めた。それから14日後にはデラウェアH(D10F)に出走したが、前年の同競走を勝っていたブレッシングアングリカ、前年のケンタッキーオークス・マザーグースS・CCAオークスでいずれも2着だった後のレディーズHの勝ち馬グラフィティの2頭の4歳馬に屈して、勝ったブレッシングアングリカから4馬身差の3着に敗れた。それから17日後のマスケットH(D8F)では、ラスパルマスH2回・サンタモニカH・サンタマルガリータ招待H・サンタバーバラH・ロングビーチH・ビヴァリーヒルズH・ウィルシャーHの勝ち馬でレディーズH・ヴァニティH2着の6歳牝馬マンタを3/4馬身差の2着に抑えて勝利した。

そして10日後のベルデイムH(D9F)で、スーザンズガールと4度目の対戦となった。しかし3歳になってサンタイネスS・サンタスサナS・ケンタッキーオークス・エイコーンS・コティリオンH・ガゼルHを勝っていたスーザンズガールの実力は既に本馬を上回っていた。ブラックアイドスーザンS・ヘンプステッドH・CCAオークス・モンマスオークス・アラバマSを勝っていた同世代馬サマーゲスト、スピンスターS・ヴェイグランシーH・サスケハナH・フォールハイウェイトHを勝っていた4歳牝馬シュークルート(デラウェアHでは本馬より下の4着だった)達にも屈した本馬は、勝ったスーザンズガールから5馬身1/4差の5着に敗れた。

それから1か月後に出走したマッチメイカーS(D9.5F)では、ポストデブS・コティリオンH・ブラックヘレンHの勝ち馬でモンマスオークス・アラバマS2着の4歳馬アルマノースに後れを取って2位入線だったが、アルマノースが3位入線のオネストウスの進路を妨害したとして3着に降着となったため、本馬が繰り上がって勝ちを拾った。

次走のスピンスターS(D9F)では、ラウンドテーブルが保持していた1分47秒4のコースレコードと同タイムのレースレコードを計時して、ベルデイムH3着後にファイエットSを勝っていたシュークルートを2馬身1/4差の2着に、前年のフリゼットS3着後にゴールデンロッドS・ジャスミンS・アッシュランドS・パッカーアップS・ニューヨークHなどを勝ちケンタッキーオークスで2着していたベアリーイーヴンを3着に破って勝利した。

3歳時は8戦5勝という悪くない成績を収めたが、13戦9勝のスーザンズガールの成績に比べると見劣りしてしまい、エクリプス賞最優秀3歳牝馬には選ばれなかった。

競走生活(4歳時)

4歳時は4月にアケダクト競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走から始動して、後に大種牡馬ダンチヒの母となるパドノムを6馬身差の2着に破って圧勝。続いてベッドオローゼズH(GⅡ・D8F)に出走したが、自身の伯父であるポーカー産駒のポーカーナイトに敗れて、1馬身半差の2着だった。次走のトップフライトH(GⅠ・D9F)では、2着サマーゲストに4馬身差をつけて圧勝したポーカーナイトに8馬身半差をつけられて4着に完敗。翌5月のヴェイグランシーH(GⅢ・D7F)で、後のデラウェアHの勝ち馬クリスリンの首差2着に敗れたのを最後に、4歳時4戦1勝の成績で競走馬を引退した。スーザンズガールとはベルデイムHの後に対戦する機会は無かった。

血統

Buckpasser Tom Fool Menow Pharamond Phalaris
Selene
Alcibiades Supremus
Regal Roman
Gaga Bull Dog Teddy
Plucky Liege
Alpoise Equipoise
Laughing Queen
Busanda War Admiral Man o'War Fair Play
Mahubah
Brushup Sweep
Annette K.
Businesslike Blue Larkspur Black Servant
Blossom Time
La Troienne Teddy
Helene de Troie
Intriguing Swaps Khaled Hyperion Gainsborough
Selene
Eclair Ethnarch
Black Ray
Iron Reward Beau Pere Son-in-Law
Cinna
Iron Maiden War Admiral
Betty Derr
Glamour Nasrullah Nearco Pharos
Nogara
Mumtaz Begum Blenheim
Mumtaz Mahal
Striking War Admiral Man o'War
Brushup
Baby League Bubbling Over
La Troienne

バックパサーは当馬の項を参照。

母イントリーギングは現役成績6戦2勝。本馬の全弟にはカンニングトリック【アーリントンH(米GⅡ)・ギャラントフォックスH(米GⅡ)】がいる他、本馬の全妹ファシネイティングトリックの孫にリダットーレ【ガヴェアブラジル共和国大統領大賞(伯GⅠ)・エディリードH(米GⅠ)・シューメーカーマイルS(米GⅠ)】、曾孫にディスタントウェイ【伊共和国大統領賞(伊GⅠ)2回】、ジョーブラーボ【リオデジャネイロ州大賞(伯GⅠ)】、玄孫にアウトプレイ【イピランガ大賞(伯GⅠ)】が、全妹スペシャルアカウントの子にギャラントスペシャル【リッチモンドS(英GⅡ)】、曾孫にヘリテージオブゴールド【アップルブロッサムH(米GⅠ)・ゴーフォーワンドH(米GⅠ)】、アメリカアライヴ【ターフクラシックS(米GⅠ)】が、全妹プレイメイトの子に大種牡馬ウッドマン【アングルシーS(愛GⅢ)・愛フューチュリティS(愛GⅢ)】、曾孫に日本で走ったハンソデバンド【共同通信杯(GⅢ)】がいる。

イントリーギングの半兄にはロイヤルアスコット(父プリンスキロ)【ロイヤルパームH】、シアトルスルーシルバーチャームの母父となったポーカー(父ラウンドテーブル)【ボーリンググリーンH】が、半弟にはバウチャー(父リボー)【英セントレジャー(英GⅠ)・ベレスフォードS(愛GⅡ)・ニジンスキーS(愛GⅡ)・デスモンドS(愛GⅢ)】がいる他、イントリーギングの半姉ブリリアントリー(父ヒルプリンス)の曾孫にはレディシャール【フラワーボウルH(米GⅠ)】、玄孫にはシェイクスピア【ジョーハーシュターフクラシック招待S(米GⅠ)・ウッドバインマイル(加GⅠ)】、パーフェクトシャール【BCフィリー&メアターフ(米GⅠ)】が、イントリーギングの半妹グロリファイング(父リボー)の曾孫には日本で走ったビーマイナカヤマ【北海道スプリントC(GⅢ)・ガーネットS(GⅢ)2回・黒船賞(GⅢ)・群馬記念(GⅢ)・かしわ記念(GⅢ)・朱鷺大賞典(GⅢ)・とちぎマロニエC(GⅢ)】、玄孫にはマイネルブルック【きさらぎ賞(GⅢ)】、ケイティラブ【アイビスサマーダッシュ(GⅢ)】がいる。

イントリーギングの母グラマーはテストSの勝ち馬。グラマーの母ストライキングは米国顕彰馬ブッシャーの全妹であり、ストライキングの母ベビーリーグは根幹繁殖牝馬ラトロワンヌの4番子。本馬の父バックパサーはベビーリーグの半妹ビジネスライクの孫なので、本馬とは同じ牝系に属する。→牝系:F1号族②

母父スワップスは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のクレイボーンファームで繁殖入りした。本馬は繁殖牝馬としても成功を収め、13戦6勝の成績を挙げた初子の牡駒プライヴェートアカウント(父ダマスカス)【ワイドナーH(米GⅠ)・ガルフストリームパーク(米GⅠ)・ジムダンディS(米GⅢ)】、21戦8勝の成績を挙げた3番子の牝駒ダンスナンバー(父ノーザンダンサー)【ベルデイムS(米GⅠ)・シュヴィーH(米GⅡ)】の2頭がグレード競走の勝ち馬となった。

また、競走馬としては不出走に終わった2番子の牝駒シークレットアセット(父グロースターク)の子にはアサティス【伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・ハードウィックS(英GⅡ)2回・カンバーランドロッジS(英GⅢ)・セプテンバーS(英GⅢ)】、ワルシャン【ゴードンS(英GⅢ)】が、ダンスナンバーの子には1989年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬リズム【BCジュヴェナイル(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)】、ゲットラッキー【アフェクショネイトリーH(米GⅢ)】、種牡馬として活躍したノットフォーラヴ、孫にはデイドリーミング【トップフライトH(米GⅡ)】、ジローラモ【ヴォスバーグS(米GⅠ)・ジェロームH(米GⅡ)】、曾孫にはフロストジャイアント【サバーバンH(米GⅠ)】、スーパーセイヴァー【ケンタッキーダービー(米GⅠ)】、ブルーグラスキャット【ハスケル招待H(米GⅠ)】、イマジニング【マンノウォーS(米GⅠ)】、玄孫にはコールバック【ラスヴァージネスS(米GⅠ)】が、2戦1勝だった4番子の牝駒コンフィデンシャリティ(父リファール)の子にはコンフィデンシャルトーク【ジャマイカH(米GⅡ)】がいる。

また、プライヴェートアカウントが種牡馬として大きな成功を収めた他、11戦4勝だった9番子の牡駒ポリッシュナンバーズ(父ダンチヒ)も種牡馬として活躍した。2014年のケンタッキーダービー・プリークネスSを勝ったカリフォルニアクロームの母ラヴザチェイスは、父がノットフォーラヴ、母の父がポリッシュナンバーズなので、本馬の孫同士の間に産まれた子ということになる。

本馬は1996年に27歳で他界し、クレイボーンファームに埋葬された。本馬の牝系子孫も伸びているが、プライヴェートアカウントが父として送り出した多くの一流馬(特に牝馬)によっても本馬の血が後世に広がっている。

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