ブラックキャビア

和名:ブラックキャビア

英名:Black Caviar

2006年生

黒鹿

父:ベルエスプリ

母:ヘルシンキ

母父:デザートサン

GⅠ競走15勝を含む25戦無敗の記録を残し、牝馬及び短距離馬として世界競馬史上最高クラスの評価も得た豪州が誇る世界的名牝

競走成績:2~6歳時に豪英で走り通算成績25戦25勝

読者の皆さんは、競走馬育成シミュレーションゲームをやった経験がおありだろうか。筆者は少しやってみた事があるが、それほど嵌らなかった。単純に合わなかった事もあるだろうが、デビューから20戦も30戦もして無敗のまま引退するような化け物のような馬を簡単に作れてしまうのが嘘くさく感じてしまったのも理由の1つである。54戦無敗の成績を誇った19世紀ハンガリーの名牝キンチェムの時代でもあるまいし、そんな馬が近代競馬の一線級で出てくるはずが無いと思っていた。米国の女傑ゼニヤッタがデビューから19連勝したときは驚きの連続だったが、最後のレースで負けてしまった。

ゼニヤッタでさえもクリアできなかった20戦以上して無敗というのはやはり無理だと思っていた矢先、豪州で無敗のまま連勝街道を邁進している馬がいるという話を耳にした。ブラックキャビアという名前のその馬は、あれよあれよという間に20連勝をクリアしてしまった。そして遠征先の英国でも無敗を死守して、25戦無敗の成績で引退していった。

ブラックキャビアが無敗のまま引退したというニュースを聞いたとき、筆者が抱いていた上述の常識は粉砕されてしまった。そして、競走馬育成シミュレーションゲームをまたやってみようかという気になった。しかしその前にこの名馬列伝集を完成させなければならない。ブラックキャビアが紹介されていない海外の名馬列伝集というのはあり得ないので、速やかにブラックキャビアを主役とした列伝、すなわち本項を作成する事にした。

誕生からデビュー前まで

2006年8月18日の午前5時20分、豪州ヴィクトリア州ナガンビーにあるギルガイファームにおいて、黒鹿毛の牝馬が誕生した。この馬が本馬ブラックキャビアである。かつて英国の大馬主ロバート・サングスター氏が創設したスウェッテナムスタッドの豪州支場(サングスター氏の息子アダム・サングスター氏が父の死後に引き継いでいた)に委託されて育成された本馬は、生産者であるリック・ジェイミーソン氏により2007年12月のメルボルンプレミアセールに出品され、ピーター・ムーディー調教師により21万豪ドル(当時の為替レートで約2100万円)で購入された。

ムーディー師はあくまで代理人であり、本馬の所有者となったのは親しい友人同士が結成した馬主団体だった。その構成メンバーは、ゲイリー・J・ウィルキー氏と妻のケリン・J・ウィルキー夫人、ニール・ウェレット氏、コリン・H・マッデン氏と妻のジャンヌ・マッデン夫人、パム・A・ホークス夫人、デヴィッド・M・テイラー氏と妻のジル・テイラー夫人だった。元々はウィルキー夫妻、ウェレット氏、マッデン夫妻が幼少期からの友人であり、みんなでお金を出して馬を買おうというアイデアを出したのはウェレット氏だった。彼等はさらにマッデン夫人の姉妹であるホークス夫人、知人だったメルボルンの不動産業者テイラー氏を仲間に勧誘した。それを聞き知ったテイラー夫人は夫が馬を買うことに反対したが、テイラー氏はなし崩し的に妻も仲間に含めてしまった。

みんなが揃って馬名を考える事になった際に、本馬の母がヘルシンキ、祖母がスカンジナビア、曾祖母がソングオブノルウェーと、いずれも北欧ゆかりの名前である事に気付いた。彼等が北欧に抱いていたイメージはサーモン(鮭)だった。そこで、その場にいたウィルキー夫妻の娘が、鮭の身体にある黒い斑点から、黒いキャビアを連想。そして本馬の名前はブラックキャビアとなったのだった。

本馬を任されたのはセリで購入した本人であるムーディー師だった。ムーディー師は、トーマス・ジョン・スミス調教師(タラックキングストンタウンの管理調教師)やコリン・シドニー・ヘイズ調教師(オクタゴナルの父ザビールの管理調教師)といった豪州競馬史上屈指の名伯楽達の元で経験を積んだ後にメルボルンで開業していた。ムーディー師が手掛けた馬には、2001年のヴィクトリアダービー勝ち馬アマルフィなど牡馬の活躍馬も少なくないが、本馬が入厩した当時のムーディー厩舎には、GⅠ競走を6勝して2009/10シーズンの豪年度代表馬に選ばれる事になる1歳年上の名牝タイフーントレイシー(残念ながら本馬が活躍する最中の2012年8月に初子を産んだ直後に早世している)もいたところを見ると、彼はどうやら牝馬の育成に長けていたようである。

競走生活(2・3歳時)

2歳時の2009年4月にフレミントン競馬場で行われた芝1000mの2歳ハンデ競走で、ジャラッド・ノスク騎手を鞍上にデビューした(実際にはこの前月に距離800mの非公式トライアル競走に出て、主戦となるルーク・ノレン騎手を鞍上に勝っている)。単勝オッズ3倍の1番人気に支持された本馬はスタートから2番手を先行すると、残り300m地点で瞬間的に馬群から抜け出し、2着クワサクワサに5馬身差で勝ち上がった。

続いて5月にコーフィールド競馬場でリステッド競走ブルーサファイアS(T1200m)に出走。ここでもノスク騎手を鞍上に単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持されると、2着デメリットに6馬身差で圧勝した。

2歳時はこの2戦のみで終え、3歳時は前走から3か月半後の8月にムーニーバレー競馬場で行われたリステッド競走アローTSプレート(T1200m)から始動した。このレースではノレン騎手と公式戦初コンビを組み、単勝オッズ1.2倍の1番人気に応えて、2着ミラキュラスミスに3馬身3/4差で快勝した。

それから2週間後の9月にはフレミントン競馬場でデインヒルS(豪GⅡ・T1200m)に出走。既に他を圧倒する本馬のスピード能力は誰もが認めるものになっており、本馬が単勝オッズ1.44倍の1番人気に支持され、GⅢ競走アップ&カミングSの勝ち馬ラレフィードが単勝オッズ10倍の2番人気となった。しかし今回はスタートで躓いて出遅れてしまったために、過去3戦のように楽勝というわけにはいかず、2着ウォンテッド(翌年にGⅠ競走ニューマーケットHを勝っている)に3/4馬身差、3着ラレフィードにはさらに半馬身差で勝利した。

このスタート時の躓きの際に胸の筋肉を傷めてしまったため、その後は一間隔を空けて、翌2010年1月にムーニーバレー競馬場で行われたEMオーストラリアS(豪GⅡ・T1200m)に向かった。ここではルビトンS2回・CMAリサイクリングSなどGⅢ競走を5勝していたヒアーデエンジェルスという馬が出走してきて、本馬と人気を分け合った。本馬が単勝オッズ1.73倍の1番人気で、ヒアーデエンジェルスが単勝オッズ2.875倍の2番人気となった。しかし本馬が2着ヒアーデエンジェルスに2馬身1/4差で勝利した。

しかしこのレース直後に右前脚の靱帯損傷が判明したために長期休養に入り、3歳時の出走は3戦のみに留まった。

競走生活(4歳前半)

4歳時に当たる2010/11シーズンは、10月にコーフィールド競馬場で行われたスキラッチS(豪GⅡ・T1000m)から始動した。本馬が単勝オッズ1.8倍の1番人気で、GⅡ競走コーフィールドスプリントHの勝ち馬ファーストコマンドが2番人気、GⅠ競走ブルーダイヤモンドSの勝ち馬スターウィットネスと、ホバートヴィルS・メムジーSとGⅡ競走2勝のミックマックが並んで単勝オッズ8倍の3番人気となった。結果は本馬が2着に入った伏兵ウインターキングに1馬身1/4差をつけて勝利した。

それから2週間後にはムーニーバレー競馬場でシュウェップスS(豪GⅡ・T1200m)に出走した。このレースには、オールエイジドS・ドゥーンベン10000とGⅠ競走2勝を挙げていた他に、エマンシペイションS・サリンジャーS・ブリーダーズクラシック・カンタベリーS・プレミアS・ザショーツとGⅡ競走を6勝していたホットデニッシュという強敵が登場した。この段階における実績では確実にホットデニッシュが上位だったのだが、単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持されたのは本馬のほうで、ホットデニッシュは単勝オッズ6倍の2番人気だった。レースは大方の予想どおり、本馬が2着ホットデニッシュに5馬身半差をつけて圧勝した。

その後はフレミントン競馬場に向かい、パティナックファームクラシック(豪GⅠ・T1200m)に参戦。ここでは、GⅠ競走マニカトSを筆頭に、ギルガイS・ヒーリーS・マキュアンSとグループ競走を4連勝中のヘイリスト、スキラッチSで本馬の4着に敗れた後にGⅠ競走クールモアスタッドSを勝ってきたスターウィットネス、TJスミスS・ウインターSのGⅠ競走2勝に加えて、シルヴァースリッパーS・フューリアスSとGⅡ競走を2勝していたメリト、前年のパティナックファームクラシックとエミレーツSのGⅠ競走2勝に加えて、アジャックスS・カンタベリーS・ギルガイSとGⅡ競走を3勝していたオールサイレントも出走してきた。このレースだけ騎乗したベン・メルハム騎手鞍上の本馬が単勝オッズ1.9倍の1番人気、ヘイリストが単勝オッズ3.5倍の2番人気、スターウィットネスが単勝オッズ7倍の3番人気となった。

本馬とヘイリストの対戦は当時の様子を知る米国の人に言わせると「アファームドVSアリダー」又は「サンデーサイレンスVSイージーゴア」を彷彿とさせるほど事前には盛り上がったらしい。しかしレースでは本馬が“an astonishing demolition job(驚くほど破壊的な他馬の打破)”と評されたほど圧倒的なスピード差を見せ付け、2着スターウィットネスに4馬身差をつけて圧勝、ヘイリストは6着に沈んだ。

本馬はこれでGⅠ競走初勝利となった。かつて豪州の短距離女王ミスアンドレッティ(マニカトS・ライトニングS・オーストラリアS・ニューマーケットH・ジエイジクラシックとGⅠ競走を5勝。遠征先の英国でもキングズスタンドSを勝ち、豪年度代表馬にも選ばれている)を管理していたベテラン調教師リー・フリードマン師はこのレースを見て「ブラックキャビアは私が見た中で最高の短距離馬です」と語った。

競走生活(4歳後半)

その後は一間隔を空けて、翌2011年2月のライトニングS(豪GⅠ・T1000m)に出走した。主な対戦相手は、パティナックファームクラシックから直行してきたヘイリスト、GⅠ競走ゴールデンスリッパーの勝ち馬クリスタルリリーくらいのものであり、もう本馬の鞍上を他の騎手に譲る事は無くなるノレン騎手騎乗の本馬が単勝オッズ1.29倍の1番人気、ヘイリストが単勝オッズ5.5倍の2番人気、クリスタルリリーが単勝オッズ17倍の3番人気となった。例によって好スタートから先行した本馬は、残り500m地点で早くも先頭に立つと、後は何の危ない場面もなくゴール前では手綱を緩める余裕ぶりで、2着ヘイリストに3馬身1/4差をつけて勝利した。

引き続きフレミントン競馬場に留まった本馬は3週間後のニューマーケットH(豪GⅠ・T1200m)に向かった。既に完全に本馬VSその他大勢の構図となっており、牝馬なのに58kgのトップハンデを課せられた本馬が単勝オッズ1.18倍の1番人気、パティナックファームクラシックで本馬の2着だったスターウィットネス(斤量54kg)が単勝オッズ16倍の2番人気、ダーレーBRCスプリント・ハイデラバドレースクラブSとGⅢ競走で2勝を挙げ、後にGⅠ競走ドゥーンベン10000を勝利するビーディド(斤量53.5kg)が単勝オッズ21倍の3番人気、ライトニングSで5着に終わっていたクリスタルリリー(斤量50kg)は単勝オッズ71倍の7番人気止まりだった。本馬のレースぶりは今までと変わらず、スタートから先行して残り400m地点で仕掛けて残り200m地点で先頭に立って後続を引き離すというもので、逃げ粘った2着クリスタルリリーに3馬身差をつけて、1分07秒4のレースレコードを計時して楽勝した。

このレースで本馬が披露したパフォーマンスに対して、ワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングは132ポンド、英タイムフォーム社は136ポンドの高評価を与えた。前者は中間発表時点ではあるが、短距離馬及び豪州調教馬として史上初の世界1位(最終的にはフランケルの136ポンドに次いでこの年2位)だった。また、この132ポンドという数値は、ワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングが国際クラシフィケーションとして行われていた1983年のオールアロング、1985年のペブルス、1988年のミエスクと並ぶ古馬牝馬史上最高値タイだったが、後の2013年に実施されたレーティング見直しにより他3頭の数値が全て引き下げられたため、本馬が歴代単独1位となっている。

これでデビュー10連勝となった本馬は、その後はムーニーバレー競馬場に向かい、前走から2週間後のウィリアムレイドS(豪GⅠ・T1200m)に出走した。本馬が単勝オッズ1.09倍の1番人気で、クリスタルリリーが単勝オッズ15倍の2番人気、GⅡ競走ロイヤルソブリンSを勝ってきたマスターハリーが単勝オッズ16倍の3番人気となった。ここでは珍しくやや抑え気味に進み、道中は7頭立ての4番手につけていた。しかし残り500m地点で先頭のクリスタルリリーに並びかけると、残り400m地点であっさりと付き抜けた。後は馬なりのまま走り、2着クリスタルリリーに1馬身3/4差で勝利した。

その後はランドウィック競馬場に向かい、前走から2週間後のTJスミスS(豪GⅠ・T1200m)に参戦した。本馬が単勝オッズ1.14倍の1番人気で、クリスタルリリー、ライトニングS2着後にGⅡ競走チャレンジSを勝ってきたヘイリスト、それにランドウィックギニー・AJCダービーのGⅠ競走2勝に加えて、サイアーズプロデュースS・ロイヤルソブリンS・JJリストンSとGⅡ競走を3勝していたシュートアウトの3頭が並んで単勝オッズ21倍の2番人気となった。しかしシュートアウトにとっては距離が短すぎたようで、道中で他馬に付いていけずに後方のまま惨敗。先行したクリスタルリリーも伸びを欠いて失速。本馬以外の有力馬勢で唯一まともに走ったのは、逃げて粘ったヘイリストであり、もしかしたらこのまま逃げ切るのではないかと、ランドウィック競馬場に詰め掛けた3万人の観衆をどよめかせた。しかしヘイリストも、3番手追走から残り300m地点で仕掛けた本馬に残り100m地点で一気にかわされると抵抗できなかった。結局本馬が2着ヘイリストに2馬身3/4差をつけて快勝した。

その後は場所をブリスベンに移して、5月にドゥーンベン競馬場で行われたBTCカップ(豪GⅠ・T1200m)に向かった。本馬が単勝オッズ1.15倍の1番人気で、TJスミスS2着後にGⅠ競走オールエイジドSを勝ってきたヘイリストが単勝オッズ5.5倍の2番人気となった。しかし今回もヘイリストは本馬に敵わず、逃げるヘイリストを3番手追走から楽々と残り200m地点でかわした本馬が、2着ヘイリストに2馬身差をつけて勝利した。

その後は距離1350mのドゥーンベン10000に出るのではと言われていたが、陣営は自重して、BTCカップをシーズン最後のレースとした。4歳時の成績は8戦全勝で、アンダーウッドS・ヤルンバS・コックスプレート・マッキノンSを勝った後に愛国に移籍してタタソールズ金杯・エクリプスSを勝っていたソーユーシンクとの争いを150票対134票で制して、2010/11シーズンの豪年度代表馬及び豪最優秀短距離馬に選ばれた。

競走生活(5歳前半)

5歳時の2011/12シーズンは、10月のスキラッチS(豪GⅡ・T1000m)から始動した。単勝オッズ1.07倍の1番人気に支持されると、スタート直後は好位につけてレース中盤で2番手に進出。本馬より6kg軽い斤量を利して逃げていたカルタクイーンを残り300m地点で悠々と抜き去ると、2着カルタクイーンに4馬身1/4差をつけて楽勝した。これで豪州の英雄ファーラップの14連勝(豪州記録はカーバインの15連勝。オセアニア記録は新国の名馬グローミングと新国の名牝デザートゴールドが樹立した19連勝)に並んだ。

続いてシュウェップスS(豪GⅡ・T1200m)に出走。対戦相手は本馬の現役生活を通じて最少の3頭だったが、その中にはライトニングS・ニューマーケットHの勝ち馬で、遠征先の英国でキングズスタンドSを勝利していたGⅠ競走3勝馬シーニックブラストの姿もあった。しかしシーニックブラストは英国から日本、香港、米国と転戦して8連敗して戻ってきていたため評価は下がっており、単勝オッズ21倍の2番人気。本馬が単勝オッズ1.03倍の1番人気に支持された。そしてレースでも本馬が先行して残り400m地点で先頭に立ち、2着ダウトフルジャックに6馬身差をつけて勝利した。これでファーラップの14連勝を上回り、カーバインの15連勝に並んだ。

続いてパティナックファームクラシック(豪GⅠ・T1200m)に参戦。前走4着最下位のシーニックブラストに加えて、GⅢ競走ブレッチングリーS・WWコックラムSの勝ち馬で後にGⅠ競走ストラドブロークHを勝利するミッドサマーミュージック、ローマンコンサルS・ヴィクトリーSとGⅡ競走を2勝していたバッファリング(本馬の引退後にマニカトSなどGⅠ競走4勝)も参戦してきたが、本馬が単勝オッズ1.04倍の1番人気に支持され、ミッドサマーミュージックが単勝オッズ31倍の2番人気となった。ここでは内埒沿いにバッファリングが逃げを打ち、本馬は外側から先行。残り400m地点でノレン騎手が手綱を緩めたまま先頭に立つと、2着バッファリングに2馬身3/4差で勝利した。これでカーバインの15連勝を更新する16連勝の豪州記録を樹立した。

2011年はこれが最後のレースとなり、次走は翌年1月のEMオーストラリアS(豪GⅡ・T1200m)となった。ここでは単勝オッズ1.05倍の1番人気となった。レースではジェダイナイトという馬が逃げを打ち、本馬は馬群の中団で様子を見た。そして残り400m地点でスパートを開始すると、残り200m地点で先頭に立ち、2着ジェダイナイトに4馬身1/4差で勝利した。

次走はコーフィールド競馬場で行われたCFオーアS(豪GⅠ・T1400m)となった。過去に1200m以下のレースしか走った事が無い本馬にとって初の1400m戦であり、距離不安を指摘する専門家の声もあったが、それでも本馬の勝利を疑う人は少なく、単勝オッズ1.05倍の1番人気に支持された。対抗馬に指名されたのはコーフィールドC勝ち馬でアンダーウッドS2着のサザンスピードであり、単勝オッズ16倍の2番人気だった。なお豪州に移籍していたデリンズタウンスタッドダービートライアルS勝ち馬で愛ダービー・英セントレジャー2着のミダスタッチの姿もあったが、距離適性がまるで合っていないため単勝オッズ101倍の人気薄だった。スタミナを消耗しやすい湿った馬場状態の中でスタートが切られるとダンジラムが先頭に立ち、本馬は距離を意識したのか馬群の中団、サザンスピードは一発逆転狙いで最後方につけた。しかし残り400m地点で加速して最終コーナーを回り、残り200m地点で先頭に立った本馬に追いつける馬はいなかった。2着サザンスピードに3馬身1/4差で勝利を収め、距離1400mでも全く問題ないことを証明した。

次走のライトニングS(豪GⅠ・T1200m)では、前年のBTCカップ以来の実戦となるヘイリスト、バッファリング、GⅡ競走ローマンコンサルSの勝ち馬で後にGⅠ競走ウィリアムレイドSを勝つフォックスウェッジなどが本馬に挑んできた。本馬が単勝オッズ1.1倍の1番人気で、ヘイリストが単勝オッズ12倍の2番人気となった。スタートが切られるとヘイリストが先頭を伺ったが、ゲートの出が非常に良かった本馬がそのまま先頭に立った。そして残り300m地点で仕掛けるとヘイリストを突き放した。ヘイリストも今回は粘りを見せたが、やはり本馬には敵わなかった。本馬が2着ヘイリストに1馬身3/4差、3着バッファリングと4着フォックスウェッジにはさらに2馬身差をつけて勝利した。これでグローミングとデザートゴールドが保持する19連勝のオセアニア記録に並んだ。

競走生活(5歳後半)

その後の豪州短距離路線は、豪フューチュリティS、そしていずれも本馬が前年に勝っているニューマーケットH・ウィリアムレイドSと続いたが、本馬はそのいずれにも不参戦だった。本馬不在の豪フューチュリティSはGⅠ競走を既に8勝していた新国の名馬キングムファッサ(本馬とは最後まで対戦機会無し)が制したが、ニューマーケットHはヘイリストがバッファリングを2着に抑えて勝ち、ウィリアムレイドSではフォックスウェッジがヘイリストを2着に抑えて勝利と、この2戦は敗者復活戦のような状態となった。

ライトニングSの翌週だった豪フューチュリティSはともかく、何故本馬が前年に勝った2競走に不参戦だったのかと言うと、以前から取り沙汰されていた海外遠征がいよいよ現実味を帯びてきたからだった。元々本馬陣営は本馬の海外遠征には消極的だった(その理由は、本馬の登場以前に豪州最高の人気馬だったソーユーシンクがクールモアグループに引き抜かれて欧州に移籍した事に対して、豪州の競馬関係者達が反発したためと言われている)が、豪州国内では敵無しとなった今の状況下では、さすがに海外遠征するべきだという意見が大きくなっていたのである。

陣営が目標に掲げたのは6月に英国アスコット競馬場で行われるダイヤモンドジュビリーSだった。そしてそれに向けたスケジュールを組むため、2月のライトニングSの後しばらくは実戦に出るのを避けたのだった。

ぶっつけ本番でダイヤモンドジュビリーSに臨む意思は陣営には無く、豪州国内で2戦して遠征する事になったが、本馬の前哨戦として選んで欲しいと豪州各地の競馬場が誘致合戦を展開。この前哨戦1戦目は既に国民的英雄となっていた本馬の記念すべき20連勝目になる予定であり、間違いなく大きな盛り上がりを見せる事が見込まれたからであった。

陣営が選択したのはアデレード市のモーフェットヴィル競馬場で4月下旬に行われるロバートサングスターS(豪GⅠ・T1200m)だった。連勝を続ける馬にはそのまま勝ち続けて欲しいというのが大多数の競馬ファン(又は主催者側)の願いだが、他馬陣営にとってみれば連勝を続ける馬を倒すのは名誉(特に調教師であれば大変な箔が付く)であり、このレースにも、GⅠ競走グッドウッドHの勝ち馬ローンロック、GⅡ競走エドワードマニフォールドSの勝ち馬システィンエンジェルなど9頭が打倒本馬のために参戦してきた。本馬が単勝オッズ1.05倍の1番人気、ローンロックが単勝オッズ17倍の2番人気となった。スタートが切られると真っ先に本馬がゲートを飛び出し、他馬の様子を見ながら少し下げて3番手を追走。直線に入ってすぐの残り300m地点で仕掛けて残り200m地点で先頭に立つと、そのまま2着システィンエンジェルに4馬身半差をつけて圧勝。ここにゼニヤッタも成し遂げられなかったデビュー20連勝という大記録が達成された。

そのままモーフェットヴィル競馬場に留まった本馬は、前走から2週間後のグッドウッドH(豪GⅠ・T1200m)に出走した。ハンデ競走であるから本馬には牡馬・騙馬勢より多い57kgのトップハンデが課せられたが、今回はどれほど目立つ対戦相手がおらず、他馬との実力差を考えると斤量差0.5~3kg程度では大きな影響は無いと判断され、本馬が単勝オッズ1.05倍の1番人気に支持された。ここでも好スタートを切るとそのまま先頭を走った。馬なりのまま直線に入ってくると、残り200m地点で申し訳程度に加速して、2着ウィアーゴナロックに1馬身1/4差で勝利した。

ダイヤモンドジュビリーS

そしてグッドウッドHからちょうど6週間後、本馬の姿はアスコット競馬場にあった。特製の馬衣を着せられて豪州から飛行機に乗ること30時間、いよいよダイヤモンドジュビリーS(英GⅠ・T6F)の日を迎えたのである。

対戦相手は、前年のモーリスドギース賞勝ち馬で前走パレロワイヤル賞を勝ってきたムーンライトクラウド、前年のゴールデンジュビリーS勝ち馬ソサエティロック、この年のドバイゴールデンシャヒーン勝ち馬クリプトンファクター、前走ジュライSを勝ってきたパストラルプレイヤー、前走デュークオブヨークSで2着してきた前年のジュライS勝ち馬ザチェカ、クリテリウムドメゾンラフィットなどの勝ち馬レスティアダージェント、豪州からゴドルフィンに移籍していたデインヒルS勝ち馬ソウルなど12頭だった。本馬が単勝オッズ1.17倍の1番人気に支持され、後にGⅠ競走5勝を上乗せしてカルティエ賞最優秀古馬にも選ばれるムーンライトクラウドが単勝オッズ6倍の2番人気、ソサエティロックが単勝オッズ9倍の3番人気、クリプトンファクターが単勝オッズ17倍の4番人気となった。

アスコット競馬場に詰め掛けた8万人の大観衆と、メルボルンの広場に設置された巨大画面の前に詰め掛けた大観衆、それにテレビ画面に釘付けとなった豪州の競馬ファン達が見守る中でスタートが切られると、まずはボガートが先頭に立ち、ソウルが2番手、本馬が3番手につけ、ムーンライトクラウドは中団、ソサエティロックは後方からレースを進めた。残り2ハロン地点でノレン騎手が仕掛けると、単独先頭に立っていたソウルを残り1ハロン地点で抜き去った。しかしこの段階までは本馬に対して檄を飛ばしていたノレン騎手は何を考えたのか、まだゴールしていないうちから本馬を追うのを止めて減速させた。この理由についてレース後にノレン騎手は、勝てると思った瞬間に頭が真っ白になった旨を認めた上で、レース中に本馬の脚に微妙な異常を感知した事、そして長丁場の旅で疲労していた本馬をこれ以上疲れさせたくなかった事なども理由として付け加えた。ノレン騎手は以前から本馬に対して優しすぎる旨をムーディー師から指摘されていたし、彼の脳裏には本馬に追いつける馬など世界中のどこにもいるはずがないという油断もあったようである。しかしそんなに甘くはなく、後方からムーンライトクラウドとレスティアダージェントの2頭が襲い掛かってきた。それに気付いたノレン騎手は慌てて本馬を再び追い始め、ムーンライトクラウドとレスティアダージェントに並ばれたかけた瞬間にゴールイン。レースをリアルタイムで見ていた人にとっては背筋が凍りつくようなゴール前だったらしい(この3日前にペットのフェレットを亡くしていた筆者はこのレースをリアルタイムで見ていない)が、写真判定の結果、本馬が2着ムーンライトクラウドに頭差、3着レスティアダージェントにはさらに首差で勝利していた(ただし写真判定と言っても、本馬が勝ったというのはゴールの瞬間に誰でも分かったらしい)。

もし負けていたらノレン騎手は一生本国に戻る事は出来なかったのではと思われるほどの駄騎乗(彼は“brain failure”、つまり頭がおかしくなったと酷評された)で、英タイムフォーム社の評価も本馬が勝ったレースの中では最低クラスである116ポンドという低レベルの内容だったが、それでも目標としていた英国GⅠ競走勝利を達成する事は出来た。

むしろこのレースのハイライトはレース後のパレードだった。アスコット競馬場に来場していた英国エリザベスⅡ世女王陛下は笑顔でパレードに降りてくると、眼前に歩いてきた本馬の鼻を撫でて勝利を讃えたのだった(これは豪州競馬史上最も偉大な瞬間ですと実況は伝えた)。本馬は目の前にいるのが女王陛下である事を分かっていたかのように、少し緊張して動く場面もあったが、鼻を撫でられるその瞬間はじっとしており、まるで女王陛下に傅く女騎士のようだった(もっとも本馬は日頃から大人しい気性の持ち主だったようである)。

危うく本馬の連勝記録をストップさせてしまうところだったノレン騎手は上述のとおり非難されたが、レース中に彼が感じたとおり、本馬の脚関節と筋肉に損傷が起きている事が判明。次走に予定されていたジュライCは回避して豪州に戻ってきた。

5歳時はこれが最後のレースとなったが、9戦全勝の成績で2011/12シーズンの豪年度代表馬及び豪最優秀短距離馬に選ばれた。

怪我の回復が遅れたために2012年は以降レースに出る事が無かったが、この年6戦全勝の成績で、カルティエ賞最優秀短距離馬も受賞した。欧州外の調教馬がカルティエ賞のタイトルを受賞したのは史上初の快挙だった。ワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングの評価は130ポンドでこの年世界第3位タイ(1位はフランケルの140ポンドだが、路線が違うため単純比較は出来ない)だった。

競走生活(6歳時)

2012/13シーズンは、年明け2月のライトニングS、改め本馬の名を冠したブラックキャビアライトニングS(豪GⅠ・T1000m)が初戦となった。GⅠ競走サールパートクラークSを勝ってきたモーメントオブチェンジ(後にCFオーアS・豪フューチュリティSも勝利)の姿もあったが、本馬が単勝オッズ1.1倍の1番人気に支持された。鞍上を降ろされる事を免れたノレン騎手騎乗の本馬はスタートから先行すると、残り400m地点で単独先頭に立ち、残り200m地点で後続を突き放した。そして最後は馬なりのまま走り、2着モーメントオブチェンジに2馬身半差で勝利した。勝ちタイム55秒42は、1988年の同競走勝ち馬スペシャルが計時した55秒5を25年ぶりに更新するコースレコードだった。

このレース5日後に本馬は豪州競馬の殿堂入りを果たした。現役中に豪州競馬の殿堂入りを果たしたのはサンラインに次いで2頭目だった。

次走は翌月のウィリアムレイドS(豪GⅠ・T1200m)となった。GⅠ競走レイルウェイSなどの勝ち馬で後にレイルウェイS2勝目を挙げるラッキーグレイ、後にコーフィールドC・コーフィールドSとGⅠ競走を2勝するフォークナー、一昨年のスキラッチSで本馬の2着だったカルタクイーン、それに香港マイル3連覇・チャンピオンズマイル勝ち馬だが騙馬のため種牡馬入りできずに豪州に移籍して現役を続けていた11歳馬グッドババの姿もあった。しかし本馬が単勝オッズ1.03倍の1番人気に支持され、フォークナーが単勝オッズ26倍の2番人気、グッドババは単勝オッズ101倍の最低人気だった。レースでは逃げるカルタクイーンを追って先行し、残り200m地点で先頭に立つと一瞬にして差を広げ、2着カルタクイーンに4馬身差をつけて完勝。キングストンタウンが保持していた豪州記録のGⅠ競走14勝に並んだ。7着最下位に終わったグッドババはようやくここで現役生活に終止符を打った。

続いて翌月のTJスミスS(豪GⅠ・T1200m)に出走。本馬とは6度目にして最後の対戦となるヘイリスト、前走のGⅠ競走ザギャラクシーを圧勝してきたベルスプリンター、BTCカップ・ドゥーンベン10000・マニカトSとGⅠ競走3勝を挙げてきたシーサイレン、GⅠ競走ゴールデンローズSの勝ち馬で、前走コーフィールドギニーでは本馬の半弟オールトゥーハードの3着だったエポーレット、エクスプレスウェイS・アポロS・チャレンジSとGⅡ競走3勝のレインアフェアーなどが対戦相手となり、本馬が豪州国内で出たレースでは最も層が厚い一戦となった。本馬が単勝オッズ1.14倍の1番人気、本馬と同父のベルスプリンターが単勝オッズ13倍の2番人気、シーサイレンが単勝オッズ31倍の3番人気となった。しかし本馬のレースぶりも結果も今までと殆ど変わらなかった。スタートから逃げるレインアフェアーを追って先行すると、残り400m地点で仕掛けて、残り200m地点でレインアフェアーをかわして先頭。そのまま後続を引き離し、追い込んで2着に入ったエポーレットに3馬身差をつけて楽勝。キングストンタウンの記録を上回り、GⅠ競走15勝の豪州新記録を樹立した(1960年代豪州短距離路線で大活躍した名牝ウェノナガールが現在のGⅠ競走に相当する競走を15勝しているが、これはグループ制度導入以前である。ちなみに世界記録はジョンヘンリーの16勝)。

このレース直後に英タイムフォーム社は本馬に再び136ポンドの評価を与えた。本馬は英タイムフォーム社のレーティングにおいて2度に渡り136ポンドを獲得したが、この数値は古馬牝馬としては1974年のアレフランスと並ぶ史上最高数値となっている。

生涯無敗のまま引退

TJスミスSの4日後、本馬の競走馬引退が陣営から発表された。引退理由は故障等ではなく、関係者の協議によりもう十分走ったという結論が出たためだとムーディー師は語った。再度の英国遠征も取り沙汰されていた中での唐突な引退発表だったために、連勝が途切れることを恐れて逃げたのだとか、これ以上走らせるよりも繁殖入りさせて子を産ませたほうが利益になると考えたのだという意見が見受けられた。

それはおそらく真実を突いているのだろうが、筆者は本馬陣営が臆病だったとは思わない。仮に筆者が本馬の所有者であれば、ダイヤモンドジュビリーS勝利後の故障を理由に引退させていたと思われるし、そもそも英国に遠征させようと考えたかどうかも定かではない。ウィルキー氏は本馬の引退発表後に「世界で最も偉大な短距離馬を所有する事は最高の特権でしたが、同時に競馬場に迸るファンの声援を聞いたり、競馬場内で振られる国旗を見たりして、いつも不安に感じていました」と語り、連勝が途絶えたり、故障で予後不良になったりした場合に一転して巻き起こるだろうバッシングを予測する恐怖心を吐露した。それでも英国に遠征したり、故障休養明けも3回走らせたりしたわけであるから、本馬陣営はかなり勇敢な人々だったと筆者は思っている。

いずれにしても本馬は25戦無敗で引退。チャンピオンクラスの馬の無敗記録としては、20世紀以降では世界最高となった。6歳時の成績は3戦全勝だったが、それでも2012/13シーズンの豪年度代表馬及び豪最優秀短距離馬を受賞した。

競走馬としての特徴など

本馬は牝馬とは思えないほど大柄な馬で、成長すると体高16.2ハンド、レース出走時のベスト体重は565~575kgほどに達した。体高17.2ハンドだったゼニヤッタより身長では劣るが、ゼニヤッタの体重は1217ポンド(約553kg)だったから本馬はさらに重い馬(日本で巨漢馬として鳴らしたヒシアケボノがスプリンターズSを勝ったときの体重560kgよりも重い)であり、筆者が知る限りこんなに重いチャンピオンホースは他に1285ポンド(約584kg)のポイントギヴンくらいである(筆者が思い浮かぶ中で次に重いのは米国の歴史的名馬フォアゴーだが、彼も1225ポンド、約556kgだったから本馬より軽い)。当然この体重は余分な脂肪などが原因ではなく、有り余るほどの筋肉が理由だった。

本馬のレースぶりはスタート後の圧倒的な加速力から先行して(逃げる事もあったが、別に先頭に拘るタイプの馬ではなかった)、残り400m地点辺りで仕掛けて残り200m地点で先頭に立ち、そのまま押し切るというものが多かった。どのレースなのかは資料に記載が無く定かではないが、本馬が計時した200mの最速ラップは9.98秒、時速にして72.14kmだったそうである。おそらく本馬は斤量を背負って出る実戦において、200mを10秒未満で走る事が出来た世界史上唯一のサラブレッドだったのではないかと思われる。かなり跳びが大きい馬で、ストライドは平均8.33mに達したが、それでいてピッチ走法のように脚を素早く動かしていた。

先にも少し書いたが本馬は地元の豪州においては国民的英雄であり、特に女性からの人気が高かった。本馬がレースに出るときには競馬場内に女性の姿が目立っていたし、ブログやツイッターやフェイスブックのフォロワーも女性が多かったらしい。豪州で発行されている女性向けファッション雑誌「ヴォーグ」の表紙を飾った史上初の競走馬ともなっている。筆者は本馬の写真や映像を見て、その強さだけでなく、端正な顔立ちと、筋骨粒々の巨漢馬でありながらそれをあまり感じさせない優美さにも惹かれたが、きっとみんな同じ気持ちだったのだろう。ちなみに本馬を応援する女性ファン達は、ブラックキャビアという可愛げがない(?)名前で呼ばず、“Nelly(ネリー)”の愛称で呼んだ。

生誕地のギルガイファームには生産者ジェイミーソン氏の手により本馬の銅像が建てられ、ナガンビーの観光名所となっている。

本馬の趣味は海で泳ぐこと(と言うより水浴び)だった。元々は故障休養中のリハビリとして始めたものらしいが、本馬はそれに嵌ってしまい、普段でも砂浜で波に揉まれながら楽しそうに遊ぶ風景が頻繁に見受けられた。牧場にいるときには常に羊と一緒に遊んでおり、趣味と仕事を両立させるスーパーウーマンだった。

血統

Bel Esprit ロイヤルアカデミー Nijinsky Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
Crimson Saint Crimson Satan Spy Song
Papila
Bolero Rose Bolero
First Rose
Bespoken Vain Wilkes Court Martial
Sans Tares
Elated Orgoglio
Rarcamba
Vin d'Amour Adios Silly Season
Angello
Gliteren Final Orders
Sunny Gold
Helsinge Desert Sun Green Desert Danzig Northern Dancer
Pas de Nom
Foreign Courier Sir Ivor
Courtly Dee
Solar Hotfoot Firestreak
Pitter Patter
L'Anguissola Soderini
Posh
Scandinavia Snippets Lunchtime Silly Season
Great Occasion
Easy Date Grand Chaudiere
Scampering
Song of Norway Vain Wilkes
Elated
Love Song Warpath
Folk Song

父ベルエスプリはロイヤルアカデミー産駒の豪州産馬で、現役成績は19戦8勝。ブルーダイヤモンドS(豪GⅠ)・ドゥーンベン10000(豪GⅠ)・マリビノンプレート(豪GⅡ)・ブルーダイヤモンドプレリュード(豪GⅡ)・ブルーダイヤモンドプレビュー(豪GⅢ)・マクニールS(豪GⅢ)を勝ったが、サンラインノーザリーロンロ達と対戦したコックスプレート(豪GⅠ)ではノーザリーの8着に終わっている。

母ヘルシンキは不出走馬だが、ヘルシンキの母スカンジナビアは現役成績17戦4勝、クイーンズランドターフクラブC(豪GⅡ)・ブルーダイヤモンドプレリュード(豪GⅢ)を勝ち、サリンジャーS(豪GⅠ)・グッドウッドH(豪GⅠ)で2着、ニューマーケットH(豪GⅠ)・ライトニングS(豪GⅠ)で3着した活躍馬だった。スカンジナビアは繁殖牝馬としても優秀で、ヘルシンキの半弟マグナス(父フライングスパー)【ザギャラクシー(豪GⅠ)・ジエイジクラシック(豪GⅡ)】、半弟ワイランダー(父エクシードアンドエクセル)【スキラッチS(豪GⅡ)】、半妹スカンジヴァ(父ファストネットロック)【マジックナイトS(豪GⅡ)】も産んでいる。

ヘルシンキも母に負けじと繁殖牝馬として活躍し、本馬の半弟オールトゥーハード(父カジノプリンス)【コーフィールドギニー(豪GⅠ)・CFオーアS(豪GⅠ)・豪フューチュリティS(豪GⅠ)・オールエイジドS(豪GⅠ)・VRCサイアーズプロデュースS(豪GⅡ)・パゴパゴS(豪GⅡ)】も産んだ。しかし本馬やオールトゥーハードの半弟で豪州競馬史上最高額となる500万豪ドルの値が付いた牡馬ジミー(父リダウツチョイス)は2013年に毒蜘蛛に咬まれた後の合併症により蹄葉炎を発症して命を落としている。

スカンジナビアの母ソングオブノルウェーは豪州産の不出走馬。ソングオブノルウェーの母ラヴソングは異色のデンマーク産馬(その両親はいずれも英国産馬)で、デンマークのGⅠ競走クランペンボー・ダンスク・オークスを勝ち、競走馬引退後に豪州で繁殖入りしていた。本馬の母系が北欧ゆかりの名前なのは、ラヴソングがデンマーク出身だからと思われる。→牝系:F1号族③

母父デザートサンはサンラインの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は豪州ニューサウスウェールズ州ハンターバレーの牧場で、ウェレット氏達の所有のまま繁殖入りした。初年度はエクシードアンドエクセルと交配され、翌2014年9月に初子となる牝駒を産んでいる。2年目の交配相手にはセブリングが指名された。現役当時から、いずれは同じく無敗の史上最強馬フランケルと交配されるのではないかと噂されているが、現時点では実現していない。

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