ザルカヴァ
和名:ザルカヴァ |
英名:Zarkava |
2005年生 |
牝 |
黒鹿 |
父:ザミンダール |
母:ザルカシャ |
母父:カヤージ |
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直線で繰り出す切れ味抜群の末脚を武器に仏1000ギニー・仏オークス・ヴェルメイユ賞、そして凱旋門賞も優勝した生涯無敗の女傑 |
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競走成績:2・3歳時に仏で走り通算成績7戦7勝 |
誕生からデビュー前まで
アガ・カーンⅣ世殿下により生産・所有された愛国産馬で、アガ・カーンⅣ世殿下の専属調教師として名馬ダラカニなどを手掛けていたアラン・ド・ロワイエ・デュプレ師に預けられた。主戦はダラカニと同じくクリストフ・スミヨン騎手で、本馬の全レースに騎乗した。
競走生活(2歳時)
2歳9月にロンシャン競馬場で行われたカスカド賞(T1600m)でデビューして、単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持された。レースでは馬群の中団を進み、残り400m地点で外側を通ってスパート。残り200m地点で先頭に立ち、2着トゥルーリーベルに2馬身差で楽勝した。
2戦目は1か月後のマルセルブサック賞(仏GⅠ・T1600m)となった。カルヴァドス賞2着馬ローレルディーンゲイルが単勝オッズ2.2倍の1番人気、2戦2勝のコンフェランスコールが単勝オッズ5.5倍の2番人気、モイグレアスタッドS3着馬マッドアバウトユーが単勝オッズ6.5倍の3番人気で、本馬は単勝オッズ7倍の4番人気だった。
スタートが切られるとコンフェランスコールが先頭に立ち、マッドアバウトユーが2番手、本馬とローレルディーンゲイルは馬群の中団後方につけた。10頭立ての7番手で直線に入ってきた本馬を、スミヨン騎手は内側に突っ込ませた。しかし前が塞がってしまい、残り300m地点では、先頭のコンフェランスコールとの差はまだ5馬身ほどあった。ところがここから馬群がばらけると他馬の間をすり抜けた。そして残り200m地点から猛烈な加速を見せると、残り100m地点で瞬く間にコンフェランスコールを差し切り、最後は2馬身半差をつけて勝利した。
2歳時はこの2戦のみで半年間の休養に入った。
競走生活(3歳前半)
3歳初戦は4月のグロット賞(仏GⅢ・T1600m)となった。ここでは、コンフェランスコール、オマール賞2着馬ムースオショコラ、レゼルヴォワ賞2着馬ギプソンデザートなどを抑えて単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持された。レースは不良馬場で行われたが、本馬のレースぶりには変化が無く、道中は7頭立ての5番手を追走。直線に入る前に少し位置取りを上げて3番手で直線に入ると、外側に持ち出して残り300m地点でスパートを開始。馬場状態が悪くても本馬の切れ味は抜群で、残り200m地点では既に先頭。そして先行して2着に入ったコンフェランスコールに2馬身半差をつけて勝利した。
次走は仏1000ギニー(仏GⅠ・T1600m)となった。過去3戦ではそれほど強い相手と戦ってきたわけではなかったが、このレースでは1頭の歴史的超名牝の姿があった。それは、後にBCマイル3連覇を筆頭に、ロートシルト賞4連覇・ムーランドロンシャン賞・ファルマスS・ジャックルマロワ賞・イスパーン賞2回・クイーンアンS・フォレ賞とGⅠ競走で14勝を挙げるゴルディコヴァだった。しかし稀代の名マイラーとなるゴルディコヴァもこの段階では3戦2勝、グループ競走出走歴が無い普通の馬だった。そのため本馬が単勝オッズ1.3倍という断然の1番人気に支持され、コンフェランスコールと前走インプルーデンス賞で英1000ギニー馬ナタゴラの2着してきたミエスク賞勝ち馬モダンルックの2頭がカップリングで単勝オッズ9.2倍の2番人気、ゴルディコヴァは2戦2勝の同馬主馬カヤバとカップリングされてようやく単勝オッズ10倍の3番人気だった。
スタートが切られるとコンフェランスコールが先頭に立ち、スタートで躓いて騎手が落馬しそうになったゴルディコヴァは体勢を立て直して好位まで位置取りを上げ、本馬は馬群の中団後方を追走した。ゴルディコヴァは5番手、本馬はその真後ろの8番手で直線に入ると、残り400m地点で2頭がほぼ同時に仕掛けた。ゴルディコヴァも着実に末脚を伸ばしていって残り200m地点で先頭に立ったが、この時点で既に本馬が真横に来ていた。そして本馬がそのまま突き抜け、2着ゴルディコヴァに2馬身差、後に愛1000ギニー・ナッソーS・サンチャリオットSとGⅠ競走3勝を挙げる3着ハーフウェイトゥヘヴンにはさらに1馬身半差をつけて快勝した。
仮にゴルディコヴァのスタートで問題が無くても本馬が勝っただろうと思える内容であり、稀代の超名牝2頭の最初の対戦は本馬に軍配が上がった。また、勝ちタイム1分35秒2は、2003年にミュージカルチャイムズが計時したレースレコードに0秒2まで迫る好タイムであり、同日に行われた仏2000ギニーを制したファルコの勝ちタイム1分35秒6より0秒4速いものでもあり、牡馬も含めたこの年の仏国最強3歳馬は本馬ではないかと言われ始めた。
次走の仏オークス(仏GⅠ・T2100m)は、ゴルディコヴァとの対戦第2ラウンドとなった。この2頭以外の出走馬は、サンタラリ賞勝ち馬ベルエセレブル、フィリーズマイル2着・サンタラリ賞3着のカルヴァドス賞勝ち馬プロヴァイゾ(後に米国に移籍してフランクEキルローマイルH・ジャストアゲームS・ダイアナS・ファーストレディSとGⅠ競走を4勝)、クレオパトラ賞など3戦全勝のレオズスターレット、マルセルブサック賞で1度本馬と対戦してその時は最下位に終わっていたが、その後にレゼルヴォワ賞・ペネロープ賞を勝ちサンタラリ賞で2着してきたギャニョアなどだった。しかし本馬が単勝オッズ1.33倍という圧倒的な1番人気に支持され、ゴルディコヴァは単勝オッズ10倍の2番人気だった。
スタートが切られると本馬陣営が用意したペースメーカー役のサンジダが先頭に立ち、今回は問題なくゲートを出たゴルディコヴァが2番手を先行。一方の本馬は馬群の中団後方に下げて末脚を溜める得意戦法に出た。そのままの体勢で直線に入ると、残り400m地点でゴルディコヴァが先頭に立った。しかし8番手で直線に入ってきた本馬が離れた大外から追い上げてきて、残り300m地点で並ぶ間もなくゴルディコヴァをかわすと、そのままゴールへと一直線。本馬より後方から追い込んで2着に入ったギャニョアに3馬身差、3着ゴルディコヴァにはさらに1馬身半差をつけて完勝。鞍上のスミヨン騎手をして「ダラカニと同程度の特別な感触を受けました」と言わしめた。
この後はマイル路線に向かったゴルディコヴァは夏場も休み無く走ったが、本馬は夏場を休養に充てた。
ヴェルメイユ賞
そして9月のヴェルメイユ賞(仏GⅠ・T2400m)に出走した。ミネルヴ賞勝ち馬でヨークシャーオークス2着のダーレミ、仏オークス2着後に愛オークスで3着していたギャニョア、リディアテシオ賞勝ち馬ターフローズ、ノーブレスS勝ち馬アイスクイーン、マルレ賞勝ち馬トリートジェントリー、ジャンロマネ賞を勝ってきた後のEPテイラーS勝ち馬フォークオペラ、リブルスデールS勝ち馬でヨークシャーオークス2着のミチータなどが本馬の無敗記録に待ったをかけようと参戦してきた。しかし本馬に敵いそうな馬はおらず、本馬が単勝オッズ1.53倍の1番人気に支持され、ダーレミが単勝オッズ9倍の2番人気となった。
しかしレースが始まると予想外の事態が起きた。今までスタートで特に失敗した事が無かった本馬が大きく出遅れてしまったのである。この出遅れは普通であれば致命的と言えるものであり、本馬がゲートを出た時には他馬は既に4~5馬身ほど前方を行っていた。しかし鞍上のスミヨン騎手は慌てず騒がず、そのまま本馬を最後方で走らせた(大逃げを打った先頭のアドレッドからは12馬身ほど後方)。そのまま最後方で直線に入ってくると、大外に持ち出して残り300m地点からスパート。前方では好位から抜け出したダーレミが逃げ粘るアドレッドを残り120m地点でかわして先頭に立っていたが、その直後に大外から凄まじい勢いで追い上げてきた本馬が残り50m地点で一瞬にしてダーレミをかわし、最後は2馬身差をつけて勝利した。ダーレミも後にプリティポリーS・ヨークシャーオークス・ドバイシーマクラシックとGⅠ競走3勝を挙げる実力馬(特に日本から参戦したブエナビスタを2着に破ったドバイシーマクラシックは名高い)だったのだが、ここでは本馬の引き立て役だった。
仏1000ギニー・仏オークス・ヴェルメイユ賞の3競走を全て制覇したのは、1973年のアレフランス以来35年ぶり史上7頭目だった(日本では「仏国牝馬三冠」と呼称する場合があるが、例によって日本のみの表現で、海外の資料には無い)。
大きく出遅れた上に馬場状態は稍重だったにも関わらず勝ちタイム2分26秒0は2002年にパーリーシェルズが計時したものと並ぶレースレコードタイだった。また、同日に同コースで行われたニエル賞における仏ダービー馬ヴィジョンデタの勝ちタイム2分27秒4より1秒4速く、同じく同日に同コースで行われたフォワ賞におけるパリ大賞勝ち馬サンベジサンの勝ちタイム2分28秒8より2秒8も速かった。ヴェルメイユ賞・ニエル賞・フォワ賞はいずれも凱旋門賞と同じロンシャン競馬場芝2400mで実施される重要な前哨戦であるが、この3競走の中で最も強い勝ち方をした本馬が、本番の凱旋門賞でも本命視されるようになった。しかしヴェルメイユ賞で仕出かした出遅れを不安視する向きもあり、陣営は改めて本馬にスタート特訓を施した。
凱旋門賞
そして出走した凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)では、ガネー賞・タタソールズ金杯・プリンスオブウェールズS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・英国際SとGⅠ競走5連勝中だった現役欧州最強古馬デュークオブマーマレード、本馬と同じく6戦全勝で挑んできた仏ダービー・ニエル賞勝ち馬ヴィジョンデタ、前年の愛ダービー・ノアイユ賞・ニエル賞の勝ち馬でこの年もコロネーションCを勝っていたソルジャーオブフォーチュン、オイロパ賞・サンクルー大賞・グレートヴォルティジュールSの勝ち馬で前年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSと凱旋門賞で2着していたユームザイン、独ダービー・ラインラントポカル・バーデン大賞とGⅠ競走3連勝してきた独国最強3歳馬カムジン、独ダービー・ドイツ賞・オイロパ賞・伊ジョッキークラブ大賞を勝っていた独国最強古馬スキャパレリ、パリ大賞・フォワ賞の勝ち馬ザンベジサン、伊ダービー馬チマデトリオンフ、ケルゴルレイ賞・ジョッキークラブS・ドーヴィル大賞の勝ち馬ゲッタウェイ、キングエドワードⅦ世S・プリンセスオブウェールズSなどの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS2着のペイパルブル、ゴードンリチャーズSなどの勝ち馬アスク、そして日本から参戦してきた皐月賞・東京優駿・天皇賞春・天皇賞秋などの勝ち馬メイショウサムソンなどが対戦相手となった。
出走16頭中の紅一点だった本馬が単勝オッズ2.625倍の1番人気、デュークオブマーマレードが単勝オッズ5倍の2番人気、ソルジャーオブフォーチュンが単勝オッズ5.5倍の3番人気、ヴィジョンデタが単勝オッズ8倍の4番人気となった。
スタートが切られると、デュークオブマーマレードとソルジャーオブフォーチュンを共に管理していたエイダン・オブライエン調教師が送り込んできたペースメーカー役のレッドロックキャニオンが後続を大きく引き離して先頭に立ち、ソルジャーオブフォーチュンは先行、メイショウサムソンは好位、デュークオブマーマレードとヴィジョンデタは中団待機、そして最内枠発走の本馬は馬群の内側後方につけた。そのままの態勢でレースが進み、直線に入るとソルジャーオブフォーチュンが抜け出しにかかった。一方の本馬は10番手で直線に入ってきたが、馬群の中に突っ込んだためになかなか進路が開かずに立ち往生する場面が見られた。しかし残り300m地点で馬群の隙間が出来るとここでスパートを開始。牝馬限定戦で繰り出していた強烈な末脚は超一流の牡馬相手のこのレースでもずば抜けており、残り150m地点で先頭に立つと、好位から馬群を割って抜け出してきた2着ユームザインに2馬身差をつけて完勝(メイショウサムソンは10着だった)。
無敗で凱旋門賞を制したのは1998年のサガミックス以来10年ぶり、牝馬が制したのは1993年のアーバンシー以来15年ぶり、3歳牝馬の勝利としては1982年のアキーダ以来26年ぶりとなった。ちなみに、直線で致命的な不利を受けたにも関わらず凱旋門賞を勝ったのは、1964年のプリンスロイヤル以来だそうである。
勝ち馬表彰式場に向かう本馬に対して、実況アナウンサーやロンシャン競馬場に詰め掛けた観衆は“Quelle pouliche! Extraordinaire!(これこそまさに天才少女!)”と叫んだ。この8日後、現役を引退して繁殖入りすることが発表され、生涯無敗馬となった。生涯無敗の凱旋門賞馬誕生は、1956年に引退したリボー以来52年ぶりとなった(と海外の資料にあるのだが、ラムタラの事を失念しているようである)。
本馬の3歳限りの引退は、アガ・カーンⅣ世殿下やデュプレ師達による長い協議の末に決定されたが、引退決定後にデュプレ師は「彼女の引退で少し失望しました」と未練を感じさせる発言をしたそうである。
競走馬としての評価と特徴
3歳時の成績は5戦全勝で、この年のカルティエ賞年度代表馬・最優秀3歳牝馬のタイトルを受賞した。英タイムフォーム社のレーティングは133ポンドで、この年の3歳馬では牡馬ニューアプローチと並んでトップタイ(古馬を含めると米国調教馬カーリンの134ポンドに次ぐ2位)の評価を得た。3歳牝馬が130ポンド以上のレーティングを与えられたのは1996年のボスラシャム(132ポンド)以来12年ぶりだった。
本馬は非常に大きな跳びで走る馬で、まるで障害を飛越するかのように脚を高く上げて走るという特徴的な走法だった。こうした大跳びの馬は重馬場を不得手とする傾向があるが、本馬はそれほど苦にしなかった(ただしそれほど得意というわけでもなかったらしい)。
ヴェルメイユ賞で大きく出遅れた原因は分かっておらず、騎乗していたスミヨン騎手も「私はゲートで何が起こったのか分かりません」とコメントしている。ただ、本馬はかなり神経質な気性の持ち主であったとする資料もあり、それが理由ではないかとも思われる。
血統
Zamindar | Gone West | Mr. Prospector | Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | ||||
Gold Digger | Nashua | |||
Sequence | ||||
Secrettame | Secretariat | Bold Ruler | ||
Somethingroyal | ||||
Tamerett | Tim Tam | |||
Mixed Marriage | ||||
Zaizafon | The Minstrel | Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Fleur | Victoria Park | |||
Flaming Page | ||||
Mofida | Right Tack | Hard Tack | ||
Polly Macaw | ||||
Wold Lass | Vilmorin | |||
Cheb | ||||
Zarkasha | Kahyasi | イルドブルボン | Nijinsky | Northern Dancer |
Flaming Page | ||||
Roseliere | Misti | |||
Peace Rose | ||||
Kadissya | Blushing Groom | Red God | ||
Runaway Bride | ||||
Kalkeen | Sheshoon | |||
Gioia | ||||
Zarkana | Doyoun | Mill Reef | Never Bend | |
Milan Mill | ||||
Dumka | Kashmir | |||
Faizebad | ||||
Zarna | Shernazar | Busted | ||
Sharmeen | ||||
Zahra | Habitat | |||
Petite Etoile |
父ザミンダールはゴーンウエストの直子で、1992年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬にも選ばれた英2000ギニー馬ザフォニックの全弟に当たる。現役時代は仏英で走り通算成績7戦2勝。デビュー戦・カブール賞(仏GⅢ)と2連勝し、続くモルニ賞(仏GⅠ)で短首差2着、4戦目のサラマンドル賞(仏GⅠ)でこの年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬リヴォークの3着と好走した。翌年は英2000ギニー(英GⅠ)から始動したがアントレプレナーの5着、仏国に戻って出走したリゾランジ賞(仏GⅢ)で2着、ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)でスピニングワールドに11馬身差をつけられ5着に敗れたのを最後に引退した。種牡馬としては本馬を筆頭に牝馬の活躍馬を数多く出しており、牡馬の活躍馬は少ない。
母ザルカシャは不出走馬。本馬の半弟ザルカンダー(父アザムール)【エイントリーハードル(英GⅠ)・ドートンヌ大賞(仏GⅠ)】、半妹ザルシャナ(父シーザスターズ)【ミネルヴ賞(仏GⅢ)】も産んでいる。ザルカシャの半姉にはザルキヤ(父キャットレイル)【サンドランガン賞(仏GⅢ)】がいる。ザルカシャの4代母は、アガ・カーンⅣ世殿下の祖父アガ・カーンⅢ世殿下と、父アリ・カーン王子が誕生させた英国の歴史的名牝プティトエトワール【英1000ギニー・英オークス・サセックスS・ヨークシャーオークス・英チャンピオンS・コロネーションC2回】である。プティトエトワールの繁殖成績は振るわなかったのだが、祖父と父を相次いで亡くしたために競馬事業を受け継ぐことになったアガ・カーンⅣ世殿下はプティトエトワールの牝系子孫を大切に守り続けた。それは本馬の登場により報いられたと言える。→牝系:F9号族③
母父カヤージは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬はアガ・カーンⅣ世殿下が仏国に所有するボネヴァル牧場で繁殖生活を送っている。ダラカニやシーザスターズとの間に子をもうけているが、シーザスターズ牡駒が調教中の故障で落命するアクシデントなどもあり、現時点では活躍馬は出ていない。