シュヴィー

和名:シュヴィー

英名:Shuvee

1966年生

栗毛

父:ナシュア

母:レヴィー

母父:ヒルプリンス

同時代を生きた名牝達との対戦成績では分が悪かったがニューヨーク牝馬三冠馬となり古馬になって牡馬相手のジョッキークラブ金杯2連覇を果たす

競走成績:2~5歳時に米で走り通算成績44戦16勝2着10回3着6回

誕生からデビュー前まで

米国ヴァージニア州において、ホイットニー・A・ストーン氏により生産・所有され、W・C・フリーマン調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳5月にアケダクト競馬場で行われたダート5ハロンの未勝利戦で、主戦となるジェシー・ダヴィッドソン騎手を鞍上にデビューしたが、マザーグースS・CCAオークスの勝ち馬レディピットの半妹グナイトの7馬身3/4差の4着に完敗。2週間後に出走したベルモントパーク競馬場ダート5.5ハロンの未勝利戦では、後にアディロンダックSで2着、アストリアS・スピナウェイSで3着するフィリーパサーから2馬身1/4差の4着に敗れた。さらに2週間後に出走した同コースの未勝利戦では、後のスカイラヴィルS・ヴェイグランシーHの勝ち馬ゴールデンオアから5馬身3/4差の3着だった。その後は少し間隔を空け、7月末にアケダクト競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利戦に出たが、後のテストS2着馬フレンチブレッドの3馬身差2着。9日後にサラトガ競馬場でダート5.5ハロンの未勝利戦に出たが、パシャミン(本邦輸入種牡馬デュラブの祖母)の1馬身半差3着。過去5戦は全て1番人気であり、その素質は評価されていたようだが、追い込んで届かないレースが続いていたようである。

6戦目となったサラトガ競馬場ダート5.5ハロンの未勝利戦では本馬は1番人気ではなかった。1番人気に推されたのは、快速馬ドクターファーガーの半妹で、兄に劣らない素質を見せていたタウィーだった。そして結果も勝ったタウィーに12馬身ちぎられて5着に敗れてしまった。その翌週に出たサラトガ競馬場ダート6ハロンの未勝利戦を2着ターブルドットに4馬身差で勝ち、7戦目でやっと待望の初勝利を手にしたときには、既にデビューから3か月以上が経っていた。

次走はアケダクト競馬場ダート6ハロンの一般競走となった。このレースではナショナルスタリオンSを勝っていたギャラントブルームとの対戦となった。結果はギャラントブルームが勝ち、本馬は3馬身差の2着だったが、斤量は本馬のほうが8ポンド重く、実力差による敗戦とは断定しがたかった。しかし同コースで行われた次走の一般競走も、グナイトの1馬身1/4差2着と取りこぼした。9月下旬には初のステークス競走となるアスタリタS(D7F)に出走した。分割競走となったため対戦馬の層が薄くなったはずだが、勝ったディヘラ(エリモエクセルの4代母)から1馬身1/4差の3着に終わった。

次走のフリゼットS(D8F)ではディヘラに加えて、前走メイトロンSを9馬身差で圧勝してきたギャラントブルームと2度目の対戦となった。しかしこのレースでは、本馬がギャラントブルームをゴール直前で差し切って首差で勝利した。続くセリマS(D8.5F)では、ポリードルモンドS・コリーンS・アディロンダックS・アーリントンワシントンラッシーS・マーメイドSを勝っていたプリンセスショットとの対戦となったが、今回も本馬がゴール直前でプリンセスショットを差し切って首差で勝利した。2歳最後のレースとなったガーデニアS(D8.5F)では、3度目の対戦となったギャラントブルームから1番人気の座を奪い取ったが、レースではギャラントブルームが勝利し、本馬は1馬身1/4差をつけられて2着に敗れた。

2歳時の成績は13戦3勝だった。米最優秀2歳牝馬の座は、10戦6勝のギャラントブルームと、9戦7勝のプリンセスショットの2頭が分け合ったが、本馬はこの2頭いずれにも勝利した実績があり、翌年以降の飛躍が期待された。

競走生活(3歳時)

半年間の休養を経て、3歳時はニューヨーク牝馬三冠路線を目指して、5月にアケダクト競馬場で行われたカムリーS(D7F)から始動。ここでは久々の対戦となったタウィーに敗れて頭差の2着だった。

しかし三冠競走第1戦のエイコーンS(D8F)では、ケンタッキーオークスを勝ってきたヘイルトゥパッツィーを3/4馬身差の2着に抑えて勝利した。第2戦のマザーグースS(D9F)でも2着ヘイルトゥパッツィーに2馬身半差で勝利。そして第3戦のCCAオークス(D10F)も2着ヘイルトゥパッツィーに3馬身差をつけて完勝し、母レヴィーとの母子制覇を果たすと同時に、前年のダークミラージュに続く史上2頭目のニューヨーク牝馬三冠馬となった。

7月に出走した新設競走コティリオンH(D8.5F)では、リバティーベル競馬場のコースレコード1分43秒2を計時して、2着クラスイズアウトに首差で勝利した。続いて出走したデラウェアオークス(D9F)で、ギャラントブルームと4度目の対決を迎えた。ギャラントブルームも前走モンマスオークスで本馬とニューヨーク牝馬三冠競走を争ったヘイルトゥパッツィーを12馬身差の2着に下すなど6連勝中と目下絶好調であり、2頭の対決は大いに注目された。しかし結果は、ギャラントブルームはピットバニーに先着を許して2位入線(ただし、ピットバニーが進路妨害で2着に降着となったため、繰り上がって1着となった)、本馬は4着と、何とも盛り上がらない結末になってしまった。

このままでは終われない本馬は、次走のアラバマS(D10F)でピットバニーを4馬身差の2着、ヘイルトゥパッツィーを3着に切り捨てて勝利。そしてガゼルH(D9F)でギャラントブルームと5度目にして最後の対決のときを迎えた。レースでは本馬が1番人気、ギャラントブルームは2番人気だった。しかし結果はギャラントブルームが2着ピットバニーに3馬身半差をつけて完勝し、本馬はさらに3馬身遅れた3着。これでギャラントブルームとの対戦成績は1勝4敗となり、本馬の完敗に終わった。

本馬は次走のベルデイムS(D9F)で古馬牝馬と対戦したが、前年のベルデイムSを筆頭にテストS・アラバマS・サンタマリアH・サンタマルガリータ招待H・ヴァニティH・サンタモニカH・ダイアナH・ウィルシャーH2回などを勝っていた当時の最強古馬牝馬ゲイムリーから6馬身半差、ハリウッドオークス・サンタモニカH・トップフライトH2回・マスケットH・ブラックヘレンHを勝っていたゲイムリーの好敵手アメリゴレディからも3馬身半差をつけられて3着に完敗。ベルデイムSの3週間後に行われたマッチメイカーSでギャラントブルームとゲイムリーが対戦し、ギャラントブルームが2着ゲイムリーに7馬身差で圧勝したため、ますます本馬の影は薄くなってしまった。

その後本馬はヴォスバーグH(D7F)でゲイムリーと再度対戦したが、このレースを制したのは、短距離路線をひた走ってプライオレスS・カムリーS・テストS・フォールハイウェイトHなどを勝っていたタウィーであった。本馬はゲイムリー(8着)には一応先着したが6着に終わった。なお、ゲイムリーはこのレース限りで競走馬を引退している。

次走のレディーズH(D10F)では、アメリゴレディを1馬身1/4差の2着に、デラウェアH・ヴァインランドHの勝ち馬オベア(悲運の名牝ゴーフォーワンドの母)を3着に破って勝利した。次走のフィレンツェH(D9F)でもアメリゴレディ、オベアと対戦したが、ここではアメリゴレディが勝利を収め、本馬は3/4馬身差の2着に敗退。3歳時を12戦6勝の成績で終えた。

ニューヨーク牝馬三冠競走を全勝しており、通常なら米最優秀3歳牝馬に選ばれて当たり前の好成績だったが、大方の予想どおりにこの年の米最優秀3歳牝馬は8戦全勝のギャラントブルームが米最優秀ハンデ牝馬と共に受賞した。

競走生活(4歳時)

4歳時も現役を続け、初戦は4月のディスタフH(D7F)となった。このレースには前年の米最優秀短距離馬に選ばれたタウィーも出走していた。しかしレースでは、3歳時にブラックアイドスーザンSを勝利するも今ひとつ波に乗れていなかった同世代の米最優秀2歳牝馬プリンセスショットが、2着タウィーに1馬身3/4差をつけて勝利を収め、本馬はプリンセスショットから15馬身差をつけられて6着最下位に沈んだ。本馬とタウィーとの対戦はこれが最後で、結局本馬は4戦全てタウィーの後塵を拝する結果となった。

その後も本馬は不調が続き、アケダクト競馬場ダート8ハロンの一般競走では、勝ったグリーミングソードから3馬身1/4差の4着。ギャロレットH(D8.5F)では、前年のマッチメイカーSでギャラントブルームとゲイムリーに続く3着だったブラックアイドスーザンS・モリーピッチャーH・マスケットHの勝ち馬シンギングレインに8馬身差ちぎられて2着に敗れた。ここでダヴィッドソン騎手は本馬の主戦を降ろされてしまい、以降は過去に騎乗経験があるブラウリオ・バエザ騎手とロン・ターコット騎手の両名が交替で本馬に騎乗することになった。

まずはバエザ騎手と共にトップフライトH(D9F)に出走して、2着シンギングレインに4馬身差で勝利した。しかしヴェイグランシーH(D7F)では、勝ったプリンセスショットから10馬身差をつけられた5着。モリーピッチャーH(D8.5F)では、勝ったダブルリップルから6馬身差の5着と、2戦続けて見せ場を作れなかった。

そこで今度はターコット騎手と組んでダイアナH(D9F)に出走。それほど得手ではなかった重馬場を克服して、2着ダークエメラルドに鼻差で勝利した。続いて出走したベルデイムS(D9F)では、デラウェアHを2連覇してきたオベアを1馬身差の2着に破って勝ち、前年完敗したリベンジを果たした。次走は牡馬相手のウッドワードS(D10F)となった。しかし結果は、名牝アフェクショネイトリーの息子で、同年のプリークネスS・ウッドメモリアルS・ジムダンディSを勝っていたパーソナリティの7馬身3/4差5着と完敗。さすがに牡馬のトップクラスが相手では分が悪いかと思われた。

ところが次走のジョッキークラブ金杯(D16F)では、16ハロンという長距離を積極的に先行して、四角先頭から直線を押し切るというレースぶりを披露して牡馬を蹴散らし、この年のトラヴァーズSの勝ち馬ラウドを2馬身差の2着に、前走ウッドワードSで2着だったディスカヴァリーH・エクセルシオールH・スタイミーHの勝ち馬ハイドロロジストを3着に破って優勝。牝馬がジョッキークラブ金杯を勝ったのは、1919年の同競走創設以来初めてだった。

4歳時10戦4勝の成績を残した本馬は、2年連続で米最優秀短距離馬に選ばれたタウィーを抑えて、米最優秀ハンデ牝馬のタイトルを受賞した。なお、翌年から米国競馬の年度表彰はエクリプス賞に一本化され、米最優秀ハンデ牝馬という部門は消滅したため、本馬が最後の同タイトル保持馬となった。

競走生活(5歳時)

ギャラントブルームやタウィーといったかつての好敵手達が4歳限りで競走馬を引退したのとは異なり、本馬は翌5歳時も現役を続行した。まずは4月にアケダクト競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走にバエザ騎手と組んで出走したが、サマーエアーの5馬身差2着に敗れた。ターコット騎手と共に出たベッドオローゼズH(D8F)も127ポンドの斤量が響いたのか、1歳年下のマザーグースS・ブラックアイドスーザンSの勝ち馬オフィスクイーンの2馬身差2着に敗れた。しかし同じく127ポンドを課せられたトップフライトH(D9F)は、1歳年下のエイコーンS・レディーズHの勝ち馬キャシーハニーを3/4馬身差の2着に、オフィスクイーンを3着に抑えて勝ち、1968・69年に勝利したアメリゴレディに続く史上2頭目の同競走2連覇を果たした。

次走は牡馬相手のホイットニーH(D9F)となった。ここでは、レムセンS・ローマーHの勝ち馬でメトロポリタンH・ブルックリンH2着のプロタントが勝利を収め、本馬は3馬身差の3着に敗れた。しかし本馬に先着した2頭の牡馬はいずれも本馬より斤量が軽かったし、この年のメトロポリタンHの勝ち馬チューネックス、モンマス招待H・サバーバンHの勝ち馬トゥワイスワーシー、ワイドナーH・ブルックリンHの勝ち馬ネヴァーボウといった面々には先着しており、その実力を示すことは出来た。

次走のダイアナH(D9F)では、アッシュランドS・ディスタフH・モリーピッチャーHの勝ち馬でケンタッキーオークス2着の同世代馬ダブルデルタとの対戦となった。本馬には128ポンドが課せられたが、ダブルデルタとの競り合いを首差で制して同競走の2連覇を達成。やはり2連覇を目指して出走したベルデイムS(D9F)は本馬にとって不得手な不良馬場となり、ダイアナH2着後にマスケットHを勝ってきたダブルデルタの半馬身差2着と惜敗した。次走のウッドワードS(D10F)では、サンガブリエルH・サンマルコスH・サンフアンカピストラーノ招待H・カリフォルニアンS・ハリウッドパーク招待ターフHを勝っていた南米チリ出身のクーガー、ジェロームHを勝ってきたティナジェロ、トラヴァーズSで2着してきたモンマス招待Hの勝ち馬ウエストコーストスカウトといった強豪牡馬勢が対戦相手となり、ウエストコーストスカウトの6着に敗れた(1位入線したのはクーガーだったが進路妨害で3着に降着となっている)。マッチメイカーS(D8.5F)では、この年のエイコーンS・マザーグースSの勝ち馬ディシート(本邦輸入種牡馬ナグルスキーの母)、この年のエイコーンS・プライオレスS・カムリーSで2着していたシーサガ、ダブルデルタの3頭との接戦に屈して、他2頭に頭差ずつをつけて勝利したディシートから僅か3/4馬身差の4着に敗れた。

現役最後のレースは2連覇がかかるジョッキークラブ金杯(D16F)となった。鞍上は最初で最後の騎乗となるジョン・ヴェラスケス騎手だった。ここで本馬は生涯最高のパフォーマンスを披露し、2着パラジェに7馬身差をつける圧勝で2連覇を達成。

5歳時9戦3勝の成績ながら、記念すべき第1回のエクリプス賞最優秀古馬牝馬に選ばれた。獲得賞金は89万445ドルに達し、北米牝馬最多賞金記録を更新した。

本馬の現役時代は、ギャラントブルーム、ゲイムリー、タウィーといった、いずれも米国競馬の殿堂入りを果たした強豪牝馬がひしめいていた。本馬は前述3頭との対戦成績では見劣りするが、常に第一戦を走り続け、初勝利以外の全ての勝利をステークス競走で挙げている。ジョッキークラブ金杯を勝った牝馬は、同競走の距離が短縮された今日になっても、本馬唯1頭である(このレースに出走しようとする牝馬自体が近年は殆ど見られない)。

血統

Nashua Nasrullah Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
Mumtaz Begum Blenheim Blandford
Malva
Mumtaz Mahal The Tetrarch
Lady Josephine
Segula Johnstown Jamestown St. James
Mlle. Dazie
La France Sir Gallahad
Flambette
Sekhmet Sardanapale Prestige
Gemma
Prosopopee Sans Souci
Peroraison
Levee Hill Prince Princequillo Prince Rose Rose Prince
Indolence
Cosquilla Papyrus
Quick Thought
Hildene Bubbling Over North Star
Beaming Beauty
Fancy Racket Wrack
Ultimate Fancy
Bourtai Stimulus Ultimus Commando
Running Stream
Hurakan Uncle
The Hoyden
Escutcheon Sir Gallahad Teddy
Plucky Liege
Affection Isidor
One I Love

ナシュアは当馬の項を参照。

母レヴィーは現役成績40戦8勝、CCAオークス・ベルデイムH・セリマS・モンマスオークスに勝ち、アラバマS・エイコーンS・テストS・プライオレスSで3着した名牝。繁殖牝馬としても非常に優秀で、11頭の産駒のうち7頭が勝ち上がり、うち4頭がステークスウイナーとなった。その内訳は、本馬の全姉である2番子の牝駒ナリー【サンタイネスS・ブラックアイドスーザンS】、3番子の牡駒ロイヤルガンナー(父ロイヤルチャージャー)【コーンハスカーH】、6番子の本馬、7番子の牝駒エーティーエスオーリー(父モンゴ)【ナッソーS】である。1970年には本馬の活躍によりケンタッキー州最優秀繁殖牝馬に選ばれた。

そしてレヴィーはその牝系子孫の発展ぶりもまた素晴らしい。ナリーの子に、ナリーズフォリー【シーショアH】、ミーニヴァル【愛セントレジャー(愛GⅠ)・ガリニュールS(愛GⅡ)・ニジンスキーS(愛GⅡ)・ハードウィックS(愛GⅡ)】、孫に1987年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬サカウィスタ【BCディスタフ(米GⅠ)・オークリーフS(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)】、牝系子孫にジェリ【オークローンH(米GⅠ)・ウッドバインマイル(加GⅠ)】、エクラール【伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)】、レイジングフィーヴァー【メイトロンS(米GⅠ)・フリゼットS(米GⅠ)・オグデンフィップスH(米GⅠ)】、サマーソイリー【デルマーオークス(米GⅠ)】などが、本馬の半姉ベルフォーリー(父トムフール)の牝系子孫には、日本に繁殖牝馬として輸入されたマルバイユ【アスタルテ賞(仏GⅠ)】と、その子であるマルセリーナ【桜花賞(GⅠ)・マーメイドS(GⅢ)】とグランデッツァ【スプリングS(GⅡ)・札幌2歳S(GⅢ)・七夕賞(GⅢ)】の姉弟が、本馬の全妹シスターシューの牝系子孫には、ストラテジックチョイス【愛セントレジャー(愛GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)】、スペイン【BCディスタフ(米GⅠ)・ラブレアS(米GⅠ)】、プリアスコック【愛1000ギニー(愛GⅠ)】が、本馬の半妹レイズザレヴィー(父レイズアネイティヴ)の牝系子孫にはフェアミックス【ガネー賞(仏GⅠ)】がいる。

レヴィーの母ボータイは競走成績こそ12戦2勝ながら、やはり大変優秀な繁殖牝馬で、レヴィーの半姉デルタ(父ナスルーラ)【アーリントンラッシーS・アーリントンメイトロンH】、全妹で1957年の米最優秀3歳牝馬に選ばれたバイユー【エイコーンS・デラウェアオークス・ガゼルH・マスケットH】を産んでいる。そしてボータイの牝系子孫の発展ぶりも凄まじく、活躍馬が多すぎて書き出すのが嫌になるほどなので、その詳細は別ページの牝系図を参照してほしい。→牝系:F9号族②

母父ヒルプリンスは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国で繁殖入りした。本馬は繁殖牝馬としても一定の活躍を示し、生涯で産んだ10頭の産駒のうち6頭が勝ち上がり、初子の牡駒トムスウィフト(父トムロルフ)【セネカH(米GⅢ)】、2番子の牝駒シュキー(父キートゥザミント)【ボーゲイH】、5番子の牡駒ベネファイス(父ダマスカス)【アッシュフォードキャッスルS(愛GⅢ)】の3頭がステークスウイナーとなった。シュキーの孫には日本で走ったウイングランツ【ダイヤモンドS(GⅢ)】がおり、距離16ハロンのジョッキークラブ金杯を2連覇した本馬のスタミナは子孫にも受け継がれているようである(ウイングランツの場合は父ダンスインザダークであることも大きいだろうが)。本馬は1975年に米国競馬の殿堂入りを果たし、1986年に20歳で他界した。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第70位。

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