パーソナリティ
和名:パーソナリティ |
英名:Personality |
1967年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ヘイルトゥリーズン |
母:アフェクショネイトリー |
母父:スワップス |
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プリークネスS・ウッドワードSなどを制して米年度代表馬に選ばれた良血馬は米年度代表馬として史上初めて日本に種牡馬として輸入される |
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競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績25戦8勝2着4回3着2回 |
誕生からデビュー前まで
11度の北米首位調教師に輝き、馬主や生産者としても名高かったハーシュ・ジェイコブズ氏がイシドール・ビーバー氏と共同のビーバー・ジェイコブズ・ステーブル名義でケンタッキー州レキシントンにおいて生産した馬で、ジェイコブズ氏の妻エセル夫人名義で競走馬となった。勿論担当調教師はジェイコブズ氏が務めた。
父はやはりビーバー・ジェイコブズ・ステーブルの生産馬で既に多くの活躍馬を出していた名種牡馬ヘイルトゥリーズン。母もやはりビーバー・ジェイコブズ・ステーブルの生産馬で後に米国顕彰馬に選ばれるアフェクショネイトリー。祖母サーチングも後の米国顕彰馬で、母系は名門ラトロワンヌ系(本馬より3歳年下の従兄妹は凱旋門賞馬アレフランス)という非常な良血馬だった本馬は、調教師・馬主・生産者としていずれも3千勝前後を挙げていながら米国三冠競走には何故か無縁だったジェイコブズ氏から大きな期待をかけられていたと思われる。
競走生活(3歳初期まで)
2歳10月にアケダクト競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦でデビューしたが、9着に惨敗して2歳時の出走はこれだけだった。3歳時は1月のフロリダ州ハイアリアパーク競馬場開催から始動。まずはダート6ハロンの未勝利戦に出走したが、ここではサマーエアーの3馬身半差3着だった。翌月に同コースで出走した未勝利戦を6馬身差で勝ち上がった。この初勝利を挙げた時にコンビを組んだエディ・ベルモンテ騎手が本馬の主戦となった。初勝利から僅か6日後に出走したダート7ハロンの一般競走も3馬身半差で快勝した。
しかしその2週間後の2月23日、ジェイコブズ氏はフロリダ州において66歳で死去してしまった。そこで本馬は息子のジョン・W・ジェイコブズ調教師に受け継がれた。しかしその後はしばらく結果が出ず、3月上旬に出走したフラミンゴS(D9F)では、アーリントンワシントンフューチュリティ・カウディンS・シャンペンS・バハマズSを勝っていた前年の米最優秀2歳牡馬サイレントスクリーンには先着したものの、エヴァーグレイズS3着馬マイダッドジョージ、コーンオフザコブ、エヴァーグレイズS2着馬バードアレーンの3頭に敗れて、マイダッドジョージの5馬身差4着。3月下旬にアケダクト競馬場で出走したベイショアS(D7F)では、スウィフトSを勝ってきたサニーティム、ハッチソンS3着馬ネイティヴロイヤリティ、デラウェアチーフの3頭に敗れて、サニーティムの9馬身半差4着。4月初めに出走したゴーサムS(D8F)では、ネイティヴロイヤリティ、デラウェアチーフ、サイレントスクリーンの3頭に敗れて、ネイティヴロイヤリティの2馬身3/4差4着と、3戦連続4着に終わった。
しかしゴーサムSの翌週に出走したアケダクト競馬場ダート7ハロンの一般競走を2着トールフェローに5馬身差で勝つと、3週連続出走となったウッドメモリアルS(D9F)では、サイレントスクリーンを3/4馬身差の2着に、デラウェアチーフを3着に退けて勝ち、ようやくケンタッキーダービー馬の候補として名乗りを上げるに至った。
競走生活(米国三冠競走)
そして迎えたケンタッキーダービー(D10F)では、フロリダダービーを勝ってきたマイダッドジョージ、ベルモントフューチュリティS・ローレルフューチュリティの勝ち馬でサンフォードS2着の同馬主同厩馬ハイエシャロン、サイレントスクリーン、サンタアニタダービー・ワールズプレイグラウンドS・サンフェリペSなどの勝ち馬でグレートアメリカンS2着のテルラーゴ、デルマーフューチュリティ・ハイビスカスS・カリフォルニアダービーの勝ち馬でバハマズS・サンハシントS・サンフェリペS・サンタアニタダービー・ダービートライアルS2着のジョージルイス、フラミンゴS2着後にファウンテンオブユースSを勝ちフロリダダービー・ブルーグラスSで2着していたコーンオフザコブ、ブルーグラスSを勝ってきたダストコマンダー、エヴァーグレイズSの勝ち馬でファウンテンオブユースS2着・ブルーグラスS3着のナスクラ、ダービートライアルSを勝ってきたアーカンソーダービー3着馬アドミラルズシールド、ネイティヴロイヤリティなどが対戦相手となった。マイダッドジョージが1番人気で、本馬とハイエシャロンのカップリングが2番人気となった。しかしレースは道中を7番手で進んだ単勝オッズ16.3倍の8番人気馬ダストコマンダーが四角で内側を突いて先頭に立ち、直線独走で2着マイダッドジョージに5馬身差をつける圧勝。本馬は全く見せ場が無く、勝ったダストコマンダーから12馬身差の8着と大敗した。
次走のプリークネスS(D9.5F)では、ダストコマンダー、マイダッドジョージ、前走3着のハイエシャロン、同4着のナスクラ、同5着のサイレントスクリーン、同6着のアドミラルズシールドなどが出走してきて、ほぼケンタッキーダービーと同じメンバー構成となった。マイダッドジョージが単勝オッズ3.6倍の1番人気、ダストコマンダーが単勝オッズ4.4倍の2番人気、サイレントスクリーンが単勝オッズ5.2倍の3番人気、本馬とハイエシャロンのカップリングが単勝オッズ5.5倍の4番人気となった。しかしレースでは本馬が2着マイダッドジョージに首差、3着サイレントスクリーンにはさらに3馬身差をつけて勝利を手にし、生前三冠競走に縁が無かった生産者のジェイコブズ氏に遅まきながらも三冠競走のタイトルをプレゼントした。
その後はベルモントSの前哨戦代わりにジャージーダービー(D9F)に出走。ケンタッキーダービーで7着だったコーンオフザコブ(プリークネスSには不参戦)を1馬身半差の2着に、サイレントスクリーンをさらに2馬身1/4差の3着に破って勝利した。しかしこの後に熱発してしまい、ベルモントSには出走できなかった。本馬不在のベルモントSはプリークネスSで4着だったハイエシャロンが勝利を収め、本馬に続いて亡きジェイコブズ氏に三冠競走のタイトルをプレゼントしている。
競走生活(3歳後半)
その後は一間隔空けて、7月にアケダクト競馬場で行われたダート7ハロンの一般競走に出走して、イリノイダービー・クラークH2回を勝っていた5歳牡馬ボールドフェイヴァリットの首差2着。翌8月にサラトガ競馬場で出走したジムダンディS(D8F)では、2着ラウドに頭差で勝利した。しかし次走のトラヴァーズS(D10F)では、ラウド、ドワイヤーH・ホイットニーSを勝ってきたジャッジャブル、ジムダンディSで3着だったプリマスの3頭に後れを取り、コースレコードで走破したラウドから2馬身差の4着に敗退。ベルモントパーク競馬場に場所を移して9月に出走したガヴァナーニコルズS(D9F)では、グレーヴセンドH・ウイリアムデュポンジュニアHを勝ってきた4歳牡馬ディスティンクティヴ、ディスカヴァリーH・エクセルシオールHを勝ちホイットニーSで2着していた4歳牡馬ハイドロジスト、トラヴァーズSで3着だったプリマスなどに敗れて、ディスティンクティヴの2馬身1/4差5着に終わった。次走のスタイミーH(D10F)では、前走で2着だったハイドロジストの半馬身差2着だった。
次走のウッドワードS(D10F)では、ハイドロジスト、ドンHの勝ち馬トゥーガンダンに加えて、エイコーンS・マザーグースS・CCAオークスのニューヨーク牝馬三冠競走とフリゼットS・セリマS・アラバマS・レディーズH・トップフライトH・ダイアナH・ベルデイムSを勝っていた当時の米国最強古馬牝馬シュヴィーも参戦してきた。しかし本馬がハイドロジスト、トゥーガンダンとの三つ巴の大接戦を制し、2着同着となった他2頭に首差をつけて勝利した。ここで5着に完敗したシュヴィーが次走のジョッキークラブ金杯でラウドやハイドロジストを破って勝ったため、本馬の評価が間接的に上昇する事になった。
3歳時の成績は17戦8勝で、この年の米年度代表馬・米最優秀3歳牡馬のタイトルを獲得した。ただし年度代表馬は全米サラブレッド競馬協会による選出で、デイリーレーシングフォーム紙はフォートマーシーを年度代表馬に選出した。このように各団体が別々に代表馬を選出する状況はこれまでにも頻繁にあった。それを避けるために翌1971年からはエクリプス賞が創設されて全米で統一選出されるようになり、複数の馬が同じタイトルを分け合うことは基本的に無くなった(1978年のみ例外的に、最優秀2歳牝馬と最優秀短距離馬がいずれも2頭ずつ選出されている)。なお、父ヘイルトゥリーズンはボールドルーラーの8連覇を阻止してこの1970年の北米首位種牡馬を獲得しているが、それに最も貢献したのが本馬である。
競走生活(4歳時)
本馬は4歳時も現役を続行。1月にハイアリアパーク競馬場で出走したダート7ハロンの一般競走では、1歳年上のドワイヤーHの勝ち馬グリーミングライトの3/4馬身差2着。3月に出走したポーモノクH(D6F)では、ガーデンステートSの勝ち馬フォーラム、ジェロームH3着馬エスティメーターダイヴの同世代馬2頭との接戦に屈して、フォーラムの首差3着。4月にボウイー競馬場で出走したジョンBキャンベルH(D8.5F)では、グレイラグHの勝ち馬ブシドー、ワイドナーH・スタイヴァサントH・ウエストチェスターSの勝ち馬ネヴァーボウ、セミノールH・ワイドナーHの勝ち馬トゥルーノースといった面々に屈して、勝ったブシドーから8馬身半差の6着と大敗した。同月にアケダクト競馬場で出走したエクセルシオールH(D9F)では、ラウドの1馬身半差2着と好走したが、翌月にアケダクト競馬場で出走したダート6ハロンの一般競走では、トボガンHの勝ち馬で後にヴォスバーグHを勝つ快速馬ダックダンスの9馬身半差5着と大敗、それから9日後に出走したメトロポリタンH(D8F)では、勝ったチューンエックスから11馬身差をつけられた11着に惨敗。このレースを最後に、4歳時6戦未勝利の成績で競走馬引退となった。
血統
Hail to Reason | Turn-to | Royal Charger | Nearco | Pharos |
Nogara | ||||
Sun Princess | Solario | |||
Mumtaz Begum | ||||
Source Sucree | Admiral Drake | Craig an Eran | ||
Plucky Liege | ||||
Lavendula | Pharos | |||
Sweet Lavender | ||||
Nothirdchance | Blue Swords | Blue Larkspur | Black Servant | |
Blossom Time | ||||
Flaming Swords | Man o'War | |||
Exalted | ||||
Galla Colors | Sir Gallahad | Teddy | ||
Plucky Liege | ||||
Rouge et Noir | St. Germans | |||
Baton Rouge | ||||
Affectionately | Swaps | Khaled | Hyperion | Gainsborough |
Selene | ||||
Eclair | Ethnarch | |||
Black Ray | ||||
Iron Reward | Beau Pere | Son-in-Law | ||
Cinna | ||||
Iron Maiden | War Admiral | |||
Betty Derr | ||||
Searching | War Admiral | Man o'War | Fair Play | |
Mahubah | ||||
Brushup | Sweep | |||
Annette K. | ||||
Big Hurry | Black Toney | Peter Pan | ||
Belgravia | ||||
La Troienne | Teddy | |||
Helene de Troie |
父ヘイルトゥリーズンは当馬の項を参照。
母アフェクショネイトリーは当馬の項を参照。→牝系:F1号族②
母父スワップスは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は米国で種牡馬入りした。しかし米国では全くと言ってよいほど活躍馬を出す事ができなかったため、1979年から日本で種牡馬生活を送ることになった。米年度代表馬が日本に種牡馬として輸入されたのは本馬が初めてである(2頭目がサンデーサイレンス)。そのためか米国における散々な種牡馬成績にも関わらず日本では比較的人気を集めた。初年度は68頭、2年目は53頭、3年目は60頭、4年目は63頭、5年目は67頭、6年目は60頭、7年目は47頭、8年目は43頭の繁殖牝馬を集めた。しかしさすがに20歳になった9年目の1987年は29頭、10年目の1988年は8頭まで交配数が減少。この1988年に代表産駒のホクトヘリオスがマイルCSでサッカーボーイの2着したために少し注目度が上昇し、翌11年目は22頭まで交配数が回復した。しかし12年目の1990年は11頭まで交配数が下がり、同年に23歳で他界した。本馬の日本における種牡馬成績はまずまずと言ったところだった。全日本種牡馬ランキングでは1987年に24位となったのが最高だった。後継種牡馬と目されたホクトヘリオスがGⅠ競走未勝利ながら一定数の繁殖牝馬を集めたが、早世した影響もあり成功できず、本馬の直系は残らなかった。母の父としては地方競馬の強豪ダイコウガルダンなどを出した。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1976 |
Bohemian Grove |
ブランドフォードS(愛GⅡ) |
1982 |
ウラカワオーカン |
新春杯(高知)・二十四万石賞(高知) |
1982 |
フリューゲルヒタチ |
スプリンターズ賞(高崎) |
1983 |
エリモターン |
京都大障害春 |
1983 |
ダイスプリンター |
新潟皐月賞(三条)・東北優駿(水沢)・新潟グランプリ(新潟) |
1984 |
サロニカキング |
中津記念(中津) |
1984 |
ホクトヘリオス |
京成杯三歳S(GⅡ)・中山記念(GⅡ)・函館三歳S(GⅢ)・京王杯オータムH(GⅢ)・東京新聞杯(GⅢ) |
1985 |
イチアヤヒデ |
東海金杯(笠松)・東海菊花賞(名古屋) |
1985 |
シュウカクレディ |
三歳優駿(高崎)・クイーンC(高崎) |
1985 |
メモリーバイス |
新潟大賞典(GⅢ) |
1987 |
カツノジョオー |
ローズS(GⅡ) |
1987 |
ナムラリーダー |
サラブレッドチャンピオン(中津)・中津桜花賞(中津)・中津王冠(中津)・中津大賞典(中津) |
1987 |
フジノパーソナ |
いで湯賞(上山)・三歳優駿(上山) |