ギャラントブルーム
和名:ギャラントブルーム |
英名:Gallant Bloom |
1966年生 |
牝 |
鹿毛 |
父:ギャラントマン |
母:マルチフローラ |
母父:ビューマックス |
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同世代のシュヴィーや年上のゲイムリーといった歴史的名牝を下して2歳から4歳まで怒涛の12連勝を記録する |
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競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績22戦16勝2着1回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
テキサス州の大牧場キングランチにおいて、同牧場の所有者ロバート・クリーバーグ・ジュニア氏により生産・所有され、キングランチ牧場の専属調教師だった大ベテランのマックス・ハーシュ調教師に預けられた。小柄な馬体と温和な気性の持ち主だったという。
競走生活(2歳時)
2歳6月にベルモントパーク競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利戦でデビューし、2着ウィズジスリングに9馬身差をつける鮮烈なデビューを飾った。1週間後のナショナルスタリオンS(D5.5F)では主戦となるJ・ロッツ騎手を鞍上に、2着ゴールデンオアに1馬身1/4差で勝利した。しかしその後は調子を崩し、モンマスパーク競馬場で行われたダート5.5ハロンの一般競走では、勝ったビッグアドヴァンスから11馬身差の5着最下位に敗退。ブリンカーを装着して出走した次走のソロリティS(D6F)でも、勝ったビッグアドヴァンスから23馬身差をつけられた8着最下位と惨敗。さらにスピナウェイS(D6F)もクイーンズダブルの18馬身差8着に終わった。スピナウェイSの9日後に出走したアケダクト競馬場ダート6ハロンの一般競走では、2着シュヴィーに3馬身差をつけて勝利した。もっとも、後に本馬の好敵手となる歴史的名牝シュヴィーも、この時点ではデビュー7戦目の未勝利戦をようやく勝ち上がった程度の馬に過ぎなかった。
しかし本馬の調子はこの勝利を機に上昇し、それから8日後に出走したメイトロンS(D6F)では、2着イレイディエイト(ニシノフラワーの父マジェスティックライトの母)に9馬身差をつけて圧勝。クイーンズダブルは3着であり、スピナウェイSの借りをここで返した。その4週間後にはフリゼットS(D8F)に出走。ここでシュヴィーと2度目の対戦となった。シュヴィーは相変わらず1勝馬のままだったが、このレースでは、先行した本馬をゴール寸前で差し切って2勝目を挙げ、直線半ばでは3馬身ほどのリードを取っていたはずの本馬は首差の2着に敗れた。
本馬はシュヴィーに負けたのではなく、本馬自身に負けたのだと考えたハーシュ師は、今まで以上に厳しい調教を本馬に課した。この調教を受けてさらに強くなった本馬は、次走のガーデンステート競馬場ダート8ハロン70ヤードの一般競走を、2着ディアトゥオールに2馬身1/4差で楽勝。続いてガーデニアS(D8.5F)に出走した。ここで前走セリマSを勝ってきたシュヴィーと3度目の対戦となった。今回は本馬がシュヴィーを1馬身1/4差の2着に破って勝利した。
2歳時の成績は10戦6勝で、アディロンダックS・アーリントンワシントンラッシーS・コリーンS・マーメイドS・ポリードルモンドSを勝ったプロセスショットと並んで、米最優秀2歳牝馬に選出された。
競走生活(3歳時)
本馬が3歳になった1969年の4月、ハーシュ師は88歳で死去し、彼が管理していた馬達は息子のバディ・ハーシュ調教師に受け継がれた。おそらくその影響だろうと思われるが、この年の本馬はニューヨーク牝馬三冠競走が行われている最中の5月にアケダクト競馬場で行われたリバティーベルH(D6F)から始動した。このレースを2着クレムスフェアリーゴールドに首差で辛勝した本馬は、結局ニューヨーク牝馬三冠競走には出走することは無かった(シュヴィーが3競走全てに勝利して前年のダークミラージュに続く史上2頭目のニューヨーク牝馬三冠馬に輝いている)。
前走から1か月後にモンマスパーク競馬場で出たダート8ハロン70ヤードの一般競走では、2着ゴールデンオアに2馬身差で勝利した。それから9日後に出走したポストデブS(D8F70Y)では、ゴールデンオアに加えて、ブラックアイドスーザンSを勝ってきたプロセスショットも参戦してきて、米最優秀2歳牝馬対決となった。しかし本馬が2着プロセスショットに半馬身差で勝利した。
それから2週間後に出走したモンマスオークス(D9F)には、プロセスショットに加えて、本馬が不在だったニューヨーク牝馬三冠競走で全てシュヴィーの2着に敗れたケンタッキーオークス馬ヘイルトゥパッツィーも出走しており、本馬とシュヴィーの現在の実力差を測る物差しになると思われた。結果は本馬が2着ヘイルトゥパッツィーに12馬身差という大差をつけて圧勝した。
そして1週間後のデラウェアオークス(D9F)において、本馬とシュヴィーの4度目の対戦が行われた。2強対決の様相を呈したが、伏兵のピットバニーが先頭でゴールインし、本馬は2位入線、シュヴィーは4位入線という結果だった。これで本馬の連勝は6で止まったかと思われたが、ピットバニーが本馬の進路を妨害した咎で2着に降着となり、本馬が繰り上がって勝利馬となったため、連勝は途切れなかった。
次走のガゼルH(D9F)には、アラバマSを勝ってきたシュヴィーと、アラバマSで2着してきたピットバニーの2頭も参戦してきて、消化不良に終わったデラウェアオークスのリターンマッチとして盛り上がった(本馬とシュヴィーは共に斤量127ポンドに設定された)。しかし結果はあっけなく、本馬が2着ピットバニーに3馬身半差をつけて圧勝し、シュヴィーはピットバニーからさらに3馬身後方の3着に敗れた。これが本馬とシュヴィーの最後の対戦で、対戦成績は本馬の4勝1敗となった。
本馬の次走となったマッチメイカーS(D9.5F)では、ブラックアイドスーザンS・ポストデブS・モリーピッチャーH・マスケットHを勝っていた1歳年上のシンギングレイン、そしてベルデイムS2回・テストS・アラバマS・サンタマリアH・サンタマルガリータ招待H・ウィルシャーH2回・ヴァニティH・サンタモニカH・ダイアナHを勝っていた2歳年上のゲイムリーとの対戦となった。これに先立つベルデイムSで、既にシュヴィーがゲイムリーに挑んでいたが、6馬身半差をつけられた3着と返り討ちにあっていた。しかしこのレースでは、本馬が2着ゲイムリーに7馬身差をつけて圧勝した。
20日後のスピンスターS(D9F)は、本馬のあまりの人気に馬券発売が中止されるエキシビションレースとなり、2着ミスリボーに2馬身差で勝利した。本馬はこの年8戦全勝の成績で、春シーズン時点ではタイトル獲得が確実視されていたシュヴィーを抑えて、米最優秀3歳牝馬を受賞した(投票においては本馬が圧倒的な支持を得て、シュヴィーを単独で推す人は皆無だったという)。さらにはゲイムリーと並んで米最優秀ハンデ牝馬にも選ばれた。
競走生活(4歳時)
4歳時はカリフォルニア州に飛んで、2月のサンタマリアH(D8.5F)から始動した。結果は2着コミサリーに鼻差で勝利して、連勝記録を11に伸ばした。次走のサンタマルガリータ招待H(D9F)では、前走より4ポンド重い129ポンドという酷量が課せられ、しかもスタミナを消耗する重馬場だったが、2着コミサリーに2馬身差で勝利した。
2戦2勝でカリフォルニア州を後にした本馬は、6月のナッソーカウンティH(D9F)で初めて牡馬に挑戦した。しかしレース中に球節を痛めてしまった影響もあって、サラトガスペシャルS・サプリングS・ベイショアSを勝ちメトロポリタンHで2着してきたレヴュワー(後に悲劇の名牝ラフィアンの父になる)、サンフェリペS・サンアントニオH・ウエストチェスターHの勝ち馬で次走のブルックリンHを勝つデュワンの2頭の牡馬に屈して、勝ったレヴュワーから16馬身差をつけられた3着に敗退。これでステークス競走10勝を含む連勝記録は遂に12で途切れてしまった。もっとも、不良馬場にも関わらず、レヴュワーの勝ちタイム1分46秒8はコースレコードだったから、ここでは相手が悪かったと言えるのかもしれない。
次走も牡馬相手のサバーバンH(D10F)となったが、バロメーターの11馬身差7着と完敗。このレースを最後に、4歳時4戦2勝の成績で競走馬を引退した。
本馬を手掛けたバディ・ハーシュ師は「30年間に及ぶ調教師生活において、ギャラントブルームが最も誠実な馬でした」と評している。
血統
Gallant Man | Migoli | Bois Roussel | Vatout | Prince Chimay |
Vashti | ||||
Plucky Liege | Spearmint | |||
Concertina | ||||
Mah Iran | Bahram | Blandford | ||
Friar's Daughter | ||||
Mah Mahal | Gainsborough | |||
Mumtaz Mahal | ||||
Majideh | Mahmoud | Blenheim | Blandford | |
Malva | ||||
Mah Mahal | Gainsborough | |||
Mumtaz Mahal | ||||
Qurrat-Al-Ain | Buchan | Sunstar | ||
Hamoaze | ||||
Harpsichord | Louvois | |||
Golden Harp | ||||
Multiflora | Beau Max | Bull Lea | Bull Dog | Teddy |
Plucky Liege | ||||
Rose Leaves | Ballot | |||
Colonial | ||||
Bee Mac | War Admiral | Man o'War | ||
Brushup | ||||
Baba Kenny | Black Servant | |||
Betty Beall | ||||
Flower Bed | Beau Pere | Son-in-Law | Dark Ronald | |
Mother in Law | ||||
Cinna | Polymelus | |||
Baroness La Fleche | ||||
Boudoir | Mahmoud | Blenheim | ||
Mah Mahal | ||||
Kampala | Clarissimus | |||
La Soupe |
父ギャラントマンは当馬の項を参照。
母マルチフローラは競走馬として14戦したが未勝利に終わった。しかしマルチフローラの半姉フラワーボウル(父アリバイ)【デラウェアH・レディーズH】の子には、本馬の従姉妹に当たる米国顕彰馬ボウルオブフラワーズ【フリゼットS・エイコーンS・CCAオークス・スピンスターS】、名種牡馬グロースターク、ヒズマジェスティ【エヴァーグレイズS】の3姉弟がいる。また、マルチフローラの半姉フローラルパーク(父アリバイ)の孫にはルーテントゥーテンウーテン【デモワゼルS(米GⅠ)】、曾孫にはプロルトリ【伊ダービー(伊GⅠ)】、玄孫にはグルーピードール【BCフィリー&メアスプリント(米GⅠ)2回・ヴァイネリーマディソンS(米GⅠ)・ヒューマナディスタフH(米GⅠ)】がいる。マルチフローラの半姉グリーンフィンガー(父ベターセルフ)の曾孫にはアワポエティックプリンス【コックスプレート(豪GⅠ)・ライオンブラウンスプリント(新GⅠ)・タンクレッドS(豪GⅠ)・AJCクイーンエリザベスS(豪GⅠ)】がいる。
マルチフローラやフラワーボウルの母フラワーベッドの半弟にはユアホスト【デルマーフューチュリティ・サンフェリペS・サンタアニタダービー・サンタカタリナH】がおり、近親には米国顕彰馬マジェスティックプリンス【ケンタッキーダービー・プリークネスS・サンタアニタダービー】、セクレト【英ダービー(英GⅠ)】、名障害競走馬イスタブラク、リアルクワイエット【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・プリークネスS(米GⅠ)・ハリウッドフューチュリティ(米GⅠ)・ピムリコスペシャルH(米GⅠ)・ハリウッド金杯(米GⅠ)】、日本の名門牝系の祖スカーレットインク(ダイワメジャー、ダイワスカーレット、ヴァーミリアンの先祖)など活躍馬が多数いるという名牝系である。→牝系:F4号族①
母父ビューマックスはブルリー産駒で、現役成績は14戦3勝と凡庸な競走馬だったが、母ビーマックがホープフルSなどを勝った名牝で、兄妹にサラトガスペシャルS・ディスカヴァリーH・カーターHなどを勝ったベターセルフ、ディスカヴァリーHの勝ち馬プロフェッツサム、エイコーンSの勝ち馬リヴァリナなど活躍馬が多数いる良血が買われて種牡馬となった。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のキングランチ牧場で繁殖入りした。母としては6歳時から9歳時にかけて4年連続で子を産んだ(内訳はリボー牡駒、グロースターク牝駒、グロースターク牡駒、ニジンスキー牝駒)が、その後は死産や不受胎が相次ぎ、14歳時にようやく5頭目の子であるボールドビダー牝駒、23歳時に6頭目の子であるオポチューン牡駒を産んだ。しかし本馬の産駒のうち5頭が未勝利馬又は不出走馬であり、唯一まともに走った3番子のグロースターク牡駒であるメダノが39戦9勝の成績を挙げたが、ステークス競走の勝ちはなく、種牡馬入りする事は出来なかった。牝系子孫は残っているようだが、活躍馬は出ていない。1977年に米国競馬の殿堂入りを果たした。1991年に25歳で他界し、遺体はキングランチ牧場ではなくケンタッキー州オールドフランクフォートプレイスに埋葬された。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第79位。