ピルグリメージュ

和名:ピルグリメージュ

英名:Pilgrimage

1875年生

栗毛

父:ザパルマー

母:レディオードリー

母父:マカロニ

自身も英2000ギニー・英1000ギニーを連覇した名牝だが母として英オークス馬と英ダービー馬を産み後世にも大きな影響力を保った名繁殖牝馬

競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績8戦6勝2着1回3着1回

誕生からデビュー前まで

英国ダーラム州ダーリントン町ニーシャムにおいて、かつて英国クラシック競走3.5勝馬フォーモサを生産したジェームズ・クックソン氏により生産された。デビュー直前の2歳9月に第4代ロンズデール伯爵セントジョージ・ロウザー卿により190ギニーで購入された。

競走生活(2歳時)

2歳10月にニューマーケット競馬場で行われたファーストオクトーバー2歳S(T4F)でデビュー。単勝オッズ5.5倍の2番人気に推された本馬はスタートしてすぐに先頭に立つと、ゴール前ではさらに後続との差を広げ、単勝オッズ2倍の1番人気に支持されていたダルガノを8馬身差の2着に切り捨てて圧勝した。それから10日後に出走した2歳プレートでは、単勝オッズ2倍以下の1番人気に支持され、2着クイーンオブパールズに1馬身差で勝利した。

その後はミドルパークプレート(T6F)に出走。アソールラッドという馬が単勝オッズ2.75倍の1番人気、ボクレールという馬が単勝オッズ6倍の2番人気で、本馬は単勝オッズ26倍という人気薄だった。スタートが切られると、ワイルドダレルという馬が先頭に立ち、本馬は後方からレースを進めた。そして馬群の間をすり抜けて徐々に位置取りを上げていったが、勝ったボクレールから4馬身差、2着ケイティコルトからも3馬身差をつけられた3着に敗れた。しかし16頭の馬に先着しており、前評判の低さを覆す好走だった。

次走のデューハーストプレート(T6F)では、キルデリクという馬が単勝オッズ4.33倍の1番人気、ネリナという馬が単勝オッズ5倍の2番人気、本馬が単勝オッズ5.5倍の3番人気で、前走で着外に終わったアソールラッドが単勝オッズ6倍の4番人気となった。スタートが切られると、リッチモンドSで後の本馬の好敵手ジャネットの3着という実績があった仏国調教の牡馬アンシュレールが先頭に立ち、今回の本馬は3番手につける先行策に出た。そしてゴール前で逃げ粘るアンシュレールをかわして先頭に立ち、半馬身差をつけて勝利。アンシュレールからさらに2馬身差の3着にはこれも仏国調教馬だった後のロワイヤルオーク賞の勝ち馬インヴァルが入り、人気を集めていた牡馬勢は全て着外だった。

本馬は休む間もなく翌日のポストスウィープSに出走。対戦相手は3頭しかおらず、ここでは本馬が1番人気に支持された。レースは出走4頭中1頭が道中でスタミナが切れて脱落し、本馬、クリテリオンSでジャネットの2着という実績があった英シャンペンSの勝ち馬である仏国調教馬クレモンティーヌ、後のコロネーションSの勝ち馬レッドウィングの3頭による勝負となった。この三つ巴の勝負を制したのは本馬で、首差の2着がレッドウィング、さらに頭差の3着がクレモンティーヌという結果だった。2歳時の成績は5戦4勝で、リッチモンドS・クリテリオンSを勝ったジャネットと共に翌年の英国牝馬クラシック競走の有力候補に挙げられた。

競走生活(3歳時)

しかし本馬が3歳時にまず出走したのは、牝馬限定戦の英1000ギニーではなく、牡馬混合戦の英2000ギニー(T8F17Y)だった。トム・キャノン騎手が騎乗する本馬が単勝オッズ3倍の1番人気に支持され、アンシュレールが単勝オッズ3.25倍の2番人気、キルデリクが単勝オッズ5.5倍の3番人気だった。

レース前に降り続いた雨のために、馬場状態は非常に悪化していた。その中でスタートが切られると、まずはインヴァルがスタミナを活かすべく先頭に立とうとしたが、馬場に脚を滑らせたのかすぐに後退。代わりにシティ&サバーバンHを勝ってきたセフトンが先頭に立ち、キルデリク、後のプリンスオブウェールズSの勝ち馬グレンガリーを含む有力馬勢の多くがその後方に固まり、本馬は馬群の中団後方にいた。しばらくするといったん後退していたインヴァルが再び上がってきて先頭を奪還。この頃から各馬の動きが激しくなり、セフトンが先頭を奪還し、さらに後方から上がってきたアンシュレールが2番手となり、本馬も3番手まで上げてきた。やがてセフトンとアンシュレールの2頭が叩き合いを開始し、このいずれかが勝ち馬になるかと思われた次の瞬間、本馬が一気に前の2頭を抜き去っていった。そして2着アンシュレールに半馬身差、3着セフトンにはさらに1馬身半差をつけて勝利。1822年のパスティーユ、1840年のクルシフィックス、1868年のフォーモサ以来10年ぶり史上4頭目の牝馬の英2000ギニー馬となった(フォーモサの英2000ギニー勝利は同着で決勝戦に出ていないために勝ったと認められない場合も多く、それを除けばクルシフィックス以来38年ぶり史上3頭目となる)。

英2000ギニーの勝利から2日後、本馬は英1000ギニー(T8F17Y)に参戦した。牝馬限定戦ではあったが、なにしろ英2000ギニーで牡馬を破ってから僅か2日後であり、その疲労が懸念された。しかも対戦相手も手強く、ジャネット、仏1000ギニー・ナボブ賞(現ノアイユ賞)を勝ってきたクレモンティーヌ、後のヨークシャーオークス2着馬ストラスフリートなどが出走してきた。それでもキャノン騎手騎乗の本馬が単勝オッズ1.8倍という圧倒的な1番人気に支持され、クレモンティーヌが単勝オッズ6倍の2番人気、ストラスフリートが単勝オッズ7倍の3番人気となり、ジャネットは何故かここでは単勝オッズ36倍の人気薄だった。

スタートが切られるとブルーリッジが先頭に立った。今回の本馬は前走と異なり、早い段階からブルーリッジを見るように先行した。そしてレース中盤で早くもブルーリッジをかわして先頭に立ってしまった。本馬が進出していったのを見た他の有力馬勢も追撃を開始してきた。まずはクレモンティーヌとジャネットが本馬に並びかけてきた。その後方からはストラスフリートもやってきたが、前3頭に並びかける前に失速。やがてクレモンティーヌも徐々に遅れ始め、勝負は本馬とジャネットの2頭に絞られた。しかし本馬がゴールまで押し切り、2着ジャネットに3/4馬身差、3着クレモンティーヌにはさらに2馬身差をつけて勝利。英2000ギニーと英1000ギニーを連覇したのは、クルシフィックス、フォーモサに次ぐ3頭目(フォーモサを含めなければ2頭目)の快挙だった。

次走の英オークス(T12F29Y)では、ジャネット、いったん仏国に戻ってグランプールドプロデュイ(後のリュパン賞)を勝ってきたクレモンティーヌ、後のナッソーSの勝ち馬オードヴィーなど7頭が対戦相手となった。本馬が単勝オッズ2倍の1番人気、ジャネットが単勝オッズ2.67倍の2番人気、クレモンティーヌとオードヴィーが並んで単勝オッズ13.5倍の3番人気で、他の出走馬4頭は全て単勝オッズ51倍以上の人気薄だった。スタートが切られるとジャネットが先頭に立ち、本馬は後方待機と、上位人気2頭が対照的な位置取りとなった。しかしやがてキャノン騎手は本馬の位置取りを徐々に上げて、スタート後4ハロン地点では、ジャネット、クレモンティーヌに続く3番手まで押し上げてきた。そのままの態勢で直線に入ると、ジャネットがクレモンティーヌを置き去りにしてスパート。本馬もその追撃を開始し、前評判が高かった2頭による勝負となった。しかし今回はジャネットがそのまま押し切って勝利を収め、本馬は1馬身差の2着に敗退。実は本馬は3歳当初からずっと跛行を起こしており、英2000ギニーも英1000ギニーもそんな状態での勝利だった。そしてこの英オークスのレース中に本馬の脚はパンクしてしまい、3本脚で走った結果の2着だった。本馬の生命に危機を及ぼすような事態にはならなかったが、この英オークスを最後に本馬の競走馬生活は終わった。

本馬が英2000ギニーで2着に負かしたアンシュレールは後に仏ダービー・アスコットダービー・クラレットS・クイーンアレクサンドラプレートを勝ち、英ダービー・パリ大賞・サセックスS・ジョッキークラブC・ニューマーケットセントレジャー・アスコット金杯で2着(勝ち馬アイソノミー)する馬だった。同じく3着に負かしたセフトンは英ダービー・ニューマーケットセントレジャーを勝つ馬だった。ジャネットは後に英セントレジャー・ヨークシャーオークス・パークヒルS・英チャンピオンS・ジョッキークラブCを勝ちドンカスターCで2着(勝ち馬アイソノミー)する馬だった。万全ではない状態でこれらの強豪達と互角以上に戦ったのだから、本馬の競走能力が同世代馬の中では頭一つ抜けていたのは間違いないだろう。

血統

The Palmer Beadsman Weatherbit Sheet Anchor Lottery
Morgiana
Miss Letty Priam
Orville Mare
Mendicant Touchstone Camel
Banter
Lady Moore Carew Tramp
Kite
Madame Eglentine Cowl Bay Middleton Sultan
Cobweb
Crucifix Priam
Octaviana
Diversion Defence Whalebone
Defiance
Folly Middleton
Little Folly
Lady Audley Macaroni Sweetmeat Gladiator Partisan
Pauline
Lollypop Voltaire
Belinda
Jocose Pantaloon Castrel
Idalia
Banter Master Henry
Boadicea
Secret Melbourne Humphrey Clinker Comus
Clinkerina
Cervantes Mare Cervantes
Golumpus Mare
Mystery Jerry Smolensko
Louisa
Nameless Emilius
Problem

父ザパルマーはアスコットダービー・リヴァプールオータムCなど4勝を挙げ、セントジェームズパレスSでハーミットの2着、グレートフォールSで3着している。種牡馬としては当初英国で供用され、後に独国に売られて2度の独首位種牡馬になっている。ザパルマーの父はビーズマンである。しかし母レディオードリーは本馬を身篭った年にザパルマーだけでなくジアールという種牡馬とも交配されており、実はどちらが本当の本馬の父なのか分からない。ジアールはパリ大賞・セントジェームズパレスS・ジムクラックS・アスコットダービーの勝ち馬で、その父は英国三冠馬ウエストオーストラリアンと同じくメルボルン産駒のヤングメルボルンであり、本馬の父親候補はエクリプス系とマッチェム系に分かれてしまう事態になっている。英国血統書(ジェネラルスタッドブック)にも2頭の父の名が記録されているが、一般的にはザパルマーが父とされている。

母レディオードリーの競走馬としての経歴は不明。レディオードリーの4代母プロブレムは1826年の英1000ギニー馬だが、レディオードリーの牝系は活躍馬が続出するような名門ではなく、レディオードリーの母シークレットの半妹トラジェディの牝系子孫にネドナ【アラバマS】、シークレットの半妹コムデイの孫にペルディカン【バーデン大賞】、曾孫にパーム【ロベールパパン賞】がいる程度である。→牝系:F1号族⑥

母父マカロニは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、英国セフトンスタッドの所有者であるモントローズ公爵夫人ことキャロライン・アグネス・ベレスフォード女史により購入されて、セフトンスタッドで繁殖入りした。本馬は繁殖牝馬としても成功し、牡駒ラヴワン(父シーソー)【フォールポストS】、現役時代に対戦経験があるセフトンとの間に産んだ牡駒ルルド【クリアウェルS】、牝駒シュライン(父クレルヴォー又はアイソノミー)【チェスターフィールドC・リヴァプールスプリングC】、豪州首位種牡馬となったピルグリムズプログレス(父アイソノミー)、牝駒メッカ(父アイソノミー)【英ホープフルS】、牝駒カンタベリーピルグリム(父トリスタン)【英オークス・リヴァプールサマーC・パークヒルS・ジョッキークラブC】と次々に活躍馬を産んだ。

本馬がカンタベリーピルグリムを産んだ翌1894年にベレスフォード女史が死去すると、セフトンスタッドにいた馬達の多くは牧場ごと第16代ダービー伯爵フレデリック・アーサー・スタンリー卿により購入されたのだが、本馬はスタンリー卿に購入してもらえなかった。そしてジェームズ・ラーナック氏により160ギニーで購入されていった。その繁殖成績や競走成績からすると、160ギニーという価格ははっきり言って安かった(本馬のデビュー前の購入額は190ギニーだった)が、その理由は本馬には結構不受胎や死産が多く、既に高齢だった事もあって、もう繁殖牝馬としては活動できないだろうと言われていたからだった。ところが翌1895年には、自身の現役時代の好敵手だったジャネットの息子ジャニサリーとの間に、英ダービーとプリンスオブウェールズSを優勝した牡駒ジェダーを産んで、世間をあっと言わせた(世間が驚いたのはジェダーの英ダービー勝利が単勝オッズ101倍の超人気薄だったからでもあるが)。しかしこの段階で本馬は既にこの世にいなかった。ジェダーが英ダービーを勝つ前年の1897年に24歳で他界していたのだった。

本馬は自身が1878年の英2000ギニーと英1000ギニーを、子どもが1896年の英オークスと1898年の英ダービーを勝ち、そして孫のスウィンフォードが1910年の英セントレジャーを勝ったことにより、母子3代で英国クラシック競走完全制覇を見事に達成した。本馬の牝系子孫からは、シュラインの子であるサクソン【仏ダービー・リュパン賞】、メッカの子孫であるアメリーナ【伊1000ギニー・伊オークス】、シルヴァーナ【伊オークス】の姉妹なども出ているが、何と言っても本馬の血を後世に拡散させたのはカンタベリーピルグリムである。カンタベリーピルグリムが母としてチョーサー、スウィンフォードを産んだ事により、本馬の血を引かないサラブレッドは殆ど存在しない状況となっている。本馬の牝系子孫を後世に伸ばしたのもカンタベリーピルグリムであり、その中からは豪州の大種牡馬スターキングダム、20世紀英国屈指の名短距離馬ライトボーイ、オグリキャップの父ダンシングキャップ、東京大賞典や川崎記念を勝ったアシヤフジ、公営東海の強豪グレートローマンなども出ているが、牝系としてはあまり繁栄しなかった。

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