ジャネット
和名:ジャネット |
英名:Jannette |
1875年生 |
牝 |
鹿毛 |
父:ロードクリフデン |
母:シェヴィソーンス |
母父:ストックウェル |
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2歳時7戦全勝の成績を挙げ、3歳以降も英オークス・英セントレジャーを勝つなど頑健に走り続けた、ロードクリフデンの牝馬の代表産駒 |
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競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績22戦16勝2着4回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
第6代ファルマス子爵エブリン・ボスコーエン卿により生産・所有された。牝馬としてはかなり筋肉質で力強い馬体の持ち主だったという。マシュー・ドーソン調教師に預けられ、ドーソン師の弟子で、本馬が2歳時に二十歳の若さで既に英国クラシック競走完全制覇を果たしていた天才フレッド・アーチャー騎手が主戦を務めた。
競走生活(2歳時)
2歳6月にアスコット競馬場で行われたトリエニアルSでデビューして勝ち上がった。翌7月にはグッドウッド競馬場に向かい、新設競走リッチモンドS(T6F)に出走。このレースには、後に多くの大競走で活躍する仏国調教馬アンシュレールという実力ある牡馬も出走してきた。しかし「誇張では無く本当に馬なりで」走った本馬が勝利を収め、アンシュレールは3着だった。その後にドンカスター競馬場で出走したウェントワースSは単走で勝利。ニューマーケット競馬場に場所を移して出走したバッケナムプロデュースSも単走で勝利した。さらにクラレットSではアンシュレールを4馬身差の2着に破って快勝。ブレットビーSでは3度目の単走で勝利した。
その後は当時の英国2歳戦では最重要競走の1つだったクリテリオンS(T6F)に出走した。単勝オッズ2倍の1番人気に支持された本馬だったが、ここでは苦戦を強いられた。英シャンペンSを勝っていた仏国調教の牝馬クレモンティーヌ、後にグランドデュークマイケルS・セレクトSを勝つ牡馬ロードクライヴとの接戦となった。しかし本馬が7ポンドのハンデを与えたクレモンティーヌを長い叩き合いの末に首差の2着に、ロードクライヴをさらに頭差の3着に抑えて勝利。このレースには翌年の英ダービー・シティ&サバーバンH・ニューマーケットセントレジャーを勝つセフトンも参戦していたが着外に終わっている。
2歳時の成績は7戦全勝で、翌年の英国牝馬クラシック競走の有力候補となったのは言うまでもないが、実はもう1頭、本馬に匹敵するほどの評価を受けていたクラシック候補がいた。それはデューハーストプレートでアンシュレールを2着に破って勝ち、ミドルパークプレートで3着していたピルグリメージュだった。
競走生活(3歳前半)
3歳時は英1000ギニー(T8F17Y)から始動した。このレースにはピルグリメージュも出走してきて、本馬との初対決となった。ただ、本馬とピルグリメージュの臨戦過程は全く違っていた。本馬はシーズン初戦だったが、ピルグリメージュは2日前の英2000ギニーで牡馬を蹴散らして勝ってきたばかりだった。このレースは別に本馬とピルグリメージュの2頭立てでは無く、前年のクリテリオンS2着後に仏1000ギニー・ナボブ賞(現ノアイユ賞)を勝ってきたクレモンティーヌなども出走してきた。ピルグリメージュが単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持され、クレモンティーヌが単勝オッズ6倍の2番人気となる一方で、本馬は何故か単勝オッズ36倍の人気薄だった。レースは早め先頭に立って押し切ろうとしたピルグリメージュに、クレモンティーヌとスタートで致命的な出遅れを仕出かした本馬が並びかけようとする展開となった。クレモンティーヌは先に脱落したために、逃げるピルグリメージュと追いつめる本馬の一騎打ちとなった。しかしピルグリメージュが押し切って勝利を収め、本馬は3/4馬身差の2着に敗退。スタートの出遅れさえなければとも思われたが、ピルグリメージュは英2000ギニーの2日後だったわけだからその疲労を考慮すると、このレースでは本馬よりピルグリメージュが一枚上手だったようである。
次走の英オークス(T12F29Y)でも、ピルグリメージュとの対戦となった。ピルグリメージュが単勝オッズ2倍の1番人気、本馬が単勝オッズ2.67倍の2番人気、英1000ギニーで本馬から2馬身差の3着だった後にいったん仏国に戻ってグランプールドプロデュイ(後のリュパン賞)を勝ってきたクレモンティーヌと、後のナッソーSの勝ち馬オードヴィーが並んで単勝オッズ13.5倍の3番人気で、他の出走馬4頭は全て単勝オッズ51倍以上の人気薄だった。レース当日朝に大雨が降ったが、その後は快晴となったために馬場状態が乾燥しかけた状態でレースが行われた。スタートが切られると、本馬の同厩馬プルサティーラがペースメーカー役となって逃げを打ち、アーチャー騎手が手綱を取る本馬は僚馬を見るように2番手を進んだ。一方のピルグリメージュは後方からレースを進めた。直線に入ると本馬がプルサティーラをかわして先頭に立ち、そのままエプソム競馬場の長い直線を押し切ろうとした。一方、対抗馬のピルグリメージュはエプソム競馬場の急な上り下りに苦戦していたが、直線に入ってコースが平坦になると猛然と追い上げてきた。そして逃げる本馬と追い詰めるピルグリメージュという、前走と逆の構図の一騎打ちとなり、後続馬は大きく離れた。そして今回は本馬が押し切って勝利を収め、ピルグリメージュは1馬身差の2着で、さらに6馬身離された3着にクレモンティーヌが入った。しかしピルグリメージュは3歳時にずっと脚の状態が悪く、このレースを最後に競走馬を引退。ピルグリメージュの脚が万全だったら本馬が勝てたかどうか分からないため、この勝利をもって本馬がピルグリメージュに並ぶ評価を得たとは言い難かった。そのために本馬はこの後も活躍して、ピルグリメージュとの差を縮めて逆転させなければらなかった。
競走生活(3歳後半)
手っ取り早く評価を上げる手段は、牡馬相手に勝つ事だった。そのために本馬の次走はアスコットダービー(T12F)となった。このレースには、仏ダービーを勝ちデューハーストプレート・英2000ギニー・英ダービー・パリ大賞で2着していたアンシュレールも出走していた。アンシュレールは前年に本馬と2回対戦していずれも負けていたのだが、ここでは意地を見せて勝利を収め、本馬は2着に敗退してしまった。すぐに本馬はアスコットバイエニアルS(T7F・現ジャージーS)に出走して、ここでは勝利を収めた。その後はヨーク競馬場に向かい、ヨークシャーオークス(T12F)に出走。対戦相手はストラスフリートという馬1頭だけであり、本馬が容易に勝利を収めた。
その後は英セントレジャー(T14F132Y)に向かった。対戦相手は、プリンスオブウェールズS2着・英ダービー3着のキルデリク、後にリヴァプールオータムC・シティ&サバーバンHを勝つマスターキルデアなど13頭だった。英ダービー馬セフトンは登録が無かったために不参戦だった事もあり、本馬が単勝オッズ3.5倍の1番人気に支持された。スタートが切られると本馬と同馬主同厩だったキルデリクが先頭に立ち、本馬はそれを追って先行した。そして直線に入ると速やかに後続を引き離し、2着に粘ったキルデリクに4馬身差、3着マスターキルデアにはさらに半馬身差をつけて優勝した。
この勝利から僅か2日後にはパークヒルS(T14F132Y)に参戦。英セントレジャーとパークヒルSの連覇は、距離や日程の厳しさから困難なのだが、本馬は単勝オッズ1.25倍の1番人気に応えてあっさりと勝利した。その後は英チャンピオンS(T10F)に向かった。このレースには、前年の英ダービー・英セントレジャー・アスコットダービーの勝ち馬で英チャンピオンS・アスコット金杯2着・英2000ギニー3着の4歳牡馬シルヴィオ、英2000ギニー・英セントレジャー・アスコット金杯・ミドルパークプレート・プリンスオブウェールズS・ロウス記念Sを勝っていた5歳牡馬ペトラークも出走してきて、3世代の英セントレジャー馬が一堂に会する事になった。他にも、リンカンシャーHの勝ち馬で英2000ギニー3着の5歳牡馬カレイドスコープなどの姿もあったが、本馬が単勝オッズ1.73倍の1番人気に支持された。シルヴィオもドーソン厩舎所属であり、アーチャー騎手はシルヴィオの主戦も務めていたのだが、ここで彼は本馬に騎乗した。スタートが切られるとシルヴィオが先頭に立ち、本馬はそれを見るように先行した。3番手以降は徐々に離されていき、最終的にはドーソン厩舎の2頭の一騎打ちで勝敗が決する事になった。しかし本馬の斤量115ポンドに対して、シルヴィオは130ポンド。さすがにこの差は大きく、本馬が競り勝って勝利を収め、シルヴィオは首差2着だった。シルヴィオとの勝敗に関しては斤量差とアーチャー騎手の剛腕に助けられた部分は確かにあったが、3着カレイドスコープは10馬身後方だったから、本馬の勝利が辱められるものではない。本馬は引き続きニューマーケットオークス(T14F)に出走して勝利。3歳時の成績は9戦7勝だった。
競走生活(4歳時)
4歳時も現役を続け、まずはアスコット金杯(T20F)から始動した。ケンブリッジシャーH・アスコットゴールドヴァーズの勝ち馬でニューマーケットH2着のアイソノミー、前年のアスコットダービーで本馬を破った後にクラレットSを勝ちサセックスS・ジョッキークラブC・ニューマーケットセントレジャーで2着していたアンシュレール、リンカンシャーHの勝ち馬でシティ&サバーバンH・ケンブリッジシャーH・リヴァプールオータムC2着のタチェットなど5頭が対戦相手となった。本馬は単勝オッズ6倍の3番人気だった。結果は上記3頭全てに先着されて、アイソノミーの4着に敗れた。引き続き出走したアスコットトリエニアルSでは、前年の英オークス着外後にナッソーSを勝っていたオードヴィーを2着に退けて勝利した。8月にはヨーク競馬場でヨークCに出走したが、ロックハンプトン、アスコット金杯で3着だったタチェットの2頭に敗れて、ロックハンプトンの3着に終わった。この時期には、本馬の前年の活躍は単に対戦相手が弱かったからだと言われるようになっていたそうである。
9月にドンカスター競馬場で出走したクイーンズプレートも、1歳年上の牝馬ライルストンの首差2着に敗退。それから2日後に出走したドンカスターC(T18F)では、アスコット金杯勝利後にグッドウッドC・エボアHも勝って完全に現役最強馬の地位を手に入れていたアイソノミーとの対戦となった。レースは先行して残り1ハロン地点で先頭に立った本馬と、並びかけてきたアイソノミーの壮絶な一騎打ちとなった末に、アイソノミーが勝利を収め、本馬は頭差の2着に敗れた。これだけの書き方であれば本馬は健闘したと思われるかも知れないが、アイソノミーの項に書いたとおりに、本馬鞍上のアーチャー騎手は自身が装着していた拍車でおそらく意図的にアイソノミーの身体を抉って負傷させるというラフプレイをしており、それで負けたわけだから健闘以前の問題で本馬は失格になって然るべきだった。よってこのレースで本馬の名声が回復するようなことは無かった。
本馬の名声を本当に回復させたのは、1か月後のジョッキークラブC(T18F)だった。このレースには、アスコット金杯2着後にクイーンアレクサンドラプレートを勝っていた長年の好敵手アンシュレール、タチェットの2頭に加えて、パリ大賞・クレイヴンSの勝ち馬シューリオといった強豪牡馬勢が出走していた。しかし本馬が、この年のケンブリッジシャーHで首差3着と健闘していた3歳牝馬アウトオブバウンズを半馬身差の2着に抑えて勝利。アンシュレールとタチェットの2頭をいずれも着外に沈め、4歳時における汚名をある程度払拭した。このレースを最後に競走馬を引退。4歳時の成績は6戦2勝だった。
本馬の競走能力に関しては、レース内容や対戦相手の状況等を考慮すると、ピルグリメージュよりはおそらく一枚落ちであり、19世紀屈指の名馬と言われるアイソノミーとは比較の対象外である。しかし故障知らずの馬で、現役時代を通じて常に健康であり続けたと言われており、その点においてはピルグリメージュより本馬のほうが名馬であったと言える。
血統
Lord Clifden | Newminster | Touchstone | Camel | Whalebone |
Selim Mare | ||||
Banter | Master Henry | |||
Boadicea | ||||
Beeswing | Doctor Syntax | Paynator | ||
Beningbrough Mare | ||||
Ardrossan Mare | Ardrossan | |||
Lady Eliza | ||||
The Slave | Melbourne | Humphrey Clinker | Comus | |
Clinkerina | ||||
Cervantes Mare | Cervantes | |||
Golumpus Mare | ||||
Volley | Voltaire | Blacklock | ||
Phantom Mare | ||||
Martha Lynn | Mulatto | |||
Leda | ||||
Chevisaunce | Stockwell | The Baron | Birdcatcher | Sir Hercules |
Guiccioli | ||||
Echidna | Economist | |||
Miss Pratt | ||||
Pocahontas | Glencoe | Sultan | ||
Trampoline | ||||
Marpessa | Muley | |||
Clare | ||||
Paradigm | Paragone | Touchstone | Camel | |
Banter | ||||
Hoyden | Tomboy | |||
Rocbana | ||||
Ellen Horne | Redshank | Sandbeck | ||
Johanna | ||||
Delhi | Plenipotentiary | |||
Pawn Junior |
父ロードクリフデンは当馬の項を参照。
母シェヴィソーンスの競走馬としての経歴は不明。本馬の半妹にはマリエル(父パルメザン)【ナッソーS】がいる他、本馬の半姉プリテンス(父グラディアトゥール)の子にアンバサドレス【アスコットゴールドヴァーズ】、牝系子孫にクラポム【凱旋門賞・伊2000ギニー・ミラノ大賞】、ピラデ【伊ダービー・イタリア大賞・伊共和国大統領賞・伊ジョッキークラブ大賞】などが、本馬の半妹トゥーリア(父ペトラーク)の孫にラカラビーヌ【AJCプレート2回・オーストラリアンC・シドニーC】、曾孫にモエ【クラウンオークス】、ミスジョイ【スカイラヴィルS】、玄孫世代以降に日本で走ったフジノオー【中山大障害秋2回・中山大障害春2回】、ルピナス【優駿牝馬】などがいる。
シェヴィソーンスの母パラダイムは超一級の繁殖牝馬で、シェヴィソーンスの半兄ブルーマントル(父キングストン)【ニューS】、半姉ガーデヴィシュア(父ヴェデット)【ウッドコートS】、全兄である英国三冠馬ロードリオン【英2000ギニー・英ダービー・英セントレジャー】、全姉アチーヴメント【英1000ギニー・英セントレジャー・ニューS・ジュライS・英シャンペンS・コロネーションS・ドンカスターC】と活躍馬を続出させた。パラダイムの牝系子孫からは数々の活躍馬が出ているが、シェヴィソーンスを経由しない馬達に関してはロードリオンの項を参照してほしい。→牝系:F1号族④
母父ストックウェルは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬はボスコーエン卿の所有のもとで繁殖入りした。主に現役時代の因縁の相手であるアイソノミーと交配された。競走馬として大きな名声を得たアイソノミーだが、種牡馬入り当初の人気は低く、産駒成績も不振だった(アイソノミーの産駒成績が上昇に転じたのは晩年になってから)。それでも本馬が当初からアイソノミーと交配されることが多かったのは、これは筆者の憶測だが、件のドンカスターCにおけるラフプレイの謝罪の意味があったのかもしれない。本馬の子は確認できるだけで8頭いるが、アイソノミーが他界した翌々年以降に産んだ2頭を除いた6頭のうち5頭がアイソノミー産駒である。この5頭の中で最も競走馬として活躍したのは3番子の牡駒ジャニサリーで、セントジェームズパレスSを勝利した。しかしそれ以外の4頭の競走成績はぱっとせず、6番子の牝駒ジャネッタがヨークシャーオークスで3着したのが目立つ程度である。アイソノミー以外の種牡馬との間にもうけた産駒3頭の競走成績も振るわなかった。本馬は1905年に30歳という高齢で他界した。
本馬の代表産駒と言えるジャニサリーは種牡馬として、1898年の英ダービーを単勝オッズ101倍で制して世間を驚愕させたジェダーを出した。ジェダーの母は本馬の現役時代の好敵手ピルグリメージュだったという面白い事実もある。しかしジェダーの英ダービー制覇はフロック視されて種牡馬としては不成功に終わり、ジャニサリーも他にこれといった産駒を出さなかったから、こちら方面から本馬の血が拡散することは無かった。
本馬の血を後世に残したのは、前述のジャネッタと、7番子の牝駒ジェニファー(父セントサーフ)の2頭である。ジャネッタの牝系子孫からは、ロウスート【愛セントレジャー】、日本で走ったシネマゴースト【札幌記念】、ヤマニンファルコン【デイリー杯三歳S(GⅡ)】、ヤマニンアーデン【シンザン記念(GⅢ)】、ヤマニンアラバスタ【新潟記念(GⅢ)・府中牝馬S(GⅢ)】などが出た。ジェニファーの牝系子孫からは、チックオン【ホープフルS】、ステージハンド【サンタアニタH・サンタアニタダービー】、ビーブリーフ【加CSS】、ビルクハーン【独ダービー】、日本で走ったグロリアスノア【根岸S(GⅢ)・武蔵野S(GⅢ)】などが出た。いずれの牝系も今世紀まで続いているが、あまり繁栄はしていない。むしろ、独国の名種牡馬として活躍したビルクハーンが最も本馬の血を拡散させているかもしれない。