ハンブルグ

和名:ハンブルグ

英名:Hamburg

1895年生

鹿毛

父:ハノーヴァー

母:レディリール

母父:フェロークラフト

叔父ドミノよりも優れた2歳馬と評され、母系で近代競馬のバックボーンを支える19世紀末米国の歴史的名馬

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績21戦16勝2着3回3着2回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州においてエルデンハイムスタッドの経営者だったキットソン兄弟の一人ジェームズ・E・キットソン氏により生産された。産まれてすぐに母レディリールと一緒にJ・エンライト大佐に売却され、エンライト大佐がダニエル・スワイガート氏から購入したばかりのエルメンドルフファームで育った。

1歳時に馬主兼調教師のジョン・E・マッデン師により1200ドルで購入され、彼の所有・管理馬として走った。マッデン師は米国競馬の殿堂入りも果たしている名伯楽であるが、本馬はそのマッデン師をして「管理した中で最も調教が困難だった馬」と言わしめた気性の激しさを有していた。その気性は炎のようだと形容され、いつも暴れ回り、騎乗する人間を振り落とそうとした。しかし本馬と相性が良い少年の厩務員に出会ってからは真面目に調教をこなすようになった。いったんその気になった本馬は、その高い能力を調教でも存分に披露していた。また、有り余る元気を支えるために必要だったのか、非常に食欲が旺盛な馬でもあったという。馬名はマッデン師がケンタッキー州レキシントンに所有していたハンブルグスタッドに由来している。

競走生活(2歳時)

2歳時にデビューすると類稀なるスピード能力を武器に活躍し、まずは3戦して2勝をマーク。グレートトライアルS(D5.75F)では全くの馬なりのまま、2着となったこの年のユースフルS・グレートアメリカンSの勝ち馬プレビアスを4馬身差の2着に破って勝利した。その楽勝ぶりにその後の本馬は2歳馬としては異例の斤量を課されるようになった。しかしそれでも本馬は勝ち続けた。

129ポンドを背負ったダブルイベントセカンドパート(D5.75F)では、2着ウリエルに2馬身差で勝利した。同斤量のフラッシュS(D4F)でも、この年のトレモントSの勝ち馬で翌年のジェロームH・タイダルSを勝利するハンドボールを2着に破って勝利した。そして2歳馬としては史上最高の134ポンドを背負ったコングレスホールS(D5F)では、12ポンドのハンデを与えたグランドユニオンホテルSの勝ち馬アークデュークを頭差の2着に抑えて勝利した。さらに、127ポンドと本馬にしては斤量に恵まれたライジングジェネレーションS(D6F)では、2着セントラルトラストに3馬身差で勝利。132ポンドを背負ったエレクトリックS(D6F)では、再度ハンドボールを2着に破って勝利した。

その後の9月は特に本馬にとって厳しい日程で走っており、6戦をこなしている。そのうち最初の2戦であるフライトS(D7F)・フラットブッシュS(D7F)は敗れたが、129ポンドを背負ったオータムS、135ポンドを背負ったグレートイースタンS(D5.75F)、127ポンドを背負ったプロスペクトS(D6F)、エクセルシオールSと4連勝した。グレートイースタンSでは、翌年にカリフォルニアオークス・ファーストスペシャルS・ディキシアーナS・オーシャンH・サンティアゴHを勝って米最優秀3歳牝馬に選ばれるブライアースウィートを3着に破っている。プロスペクトSでは三度ハンドボールを2着に、アークデュークを3着に破っている。敗れた2戦も、5ポンドのハンデを与えた4歳馬リクァイタル(フラットブッシュS・ベルモントフューチュリティS・ローレンスリアライゼーションS・ツインシティHを勝って前年の米年度代表馬・最優秀3歳牡馬に選ばれている)の2着に敗れたフライトS(3着となった5歳馬ザフライングダッチマンは10馬身後方)、プレビアスに頭差で敗れたフラットブッシュSで、本馬の評価を貶めるものではなかった。2歳戦の終盤は本馬より4歳年上の叔父ドミノの主戦も務めたフレッド・タラル騎手が本馬の主戦を務めた。

2歳時の成績は16戦12勝2着3回3着1回で、無敗というわけではなかったが、背負った斤量は2歳馬としては後にも先にも例が無いほど過酷なものであり、その内容から、ドミノの所有者であったジェームズ・R・キーン氏でさえも、ドミノよりも優れた2歳馬であると評価したほどだった。後にこの年の米最優秀2歳牡馬に選ばれている。本馬は2歳12月に、4万ドル(何故か4万1ドルとする資料もある)で銅の鉱山王マーカス・デイリー氏により購入され、管理調教師もマッデン師からドミノを手掛けたウィリアム・ビリー・レイクランド師に交代となった。

競走生活(3歳時)

調教師が交代したのが影響したのか、3歳時はあまり調整が順調にいかなかったようである(本馬は気性が激しかった事を思い出してほしい)。3歳シーズン初戦となったベルモントS(D11F)では馬体を絞りきれずに「まるでバターボールだ」と評されたほど太めの状態で出走する羽目になり、トレモントS2着馬ボーリングブロークとプレビアスの2頭に後れを取り、勝ったボーリングブロークから9馬身差をつけられて3着に敗れた。この敗因は、太め残りだった他にも、スタミナ不足とか早熟だったとか色々言われたが、本馬はその後のパフォーマンスで外野の声をシャットアウトする。

ベルモントSから数週間後のスプリングスペシャルS(D8.5F)では8馬身差で圧勝して、まずは早熟馬という声を封じた。その後のスウィフトS(D7F)でも126ポンドを背負いながら、2着ロイタラーに6馬身差で圧勝した。ローレンスリアライゼーションS(D13F)では雨が降りしきる中をスタートからゴールまで先頭を走り続けて、ケンタッキーダービー・シャンペンS・クラークSなどの勝ち馬プローディットを2馬身差の2着に下して勝利した。

さらにベルモントフューチュリティS・グレートイースタンHを勝っていた1歳年上の米最優秀2歳牡馬オグデンや、2歳年上のブルックリンHの勝ち馬ハワードマンといった強豪馬相手のレースとなったブライトンC(D18F)では、スタートから力強いストライドで一気にリードを奪うと、道中では後続に半ハロン(約100m)差をつけるという大逃げを打った。その後も先頭を爆走し続け、そのまま2着オグデンに公式記録100馬身差をつけて先頭でゴールインし、スタミナ不足という声も完全に封じた。このブライトンCは文句なしに本馬のベストレースとされている。ブライトンCを最後に競走馬を引退した。

結局3歳時は5戦4勝の成績で、後にこの年の米年度代表馬・米最優秀3歳牡馬に選ばれている。現役時代に4着以下になった事は一度も無く、本馬に先着できた馬は5頭だけだった。本馬は気性の激しさを有していたが、走る事自体は好きだったようで、スタート前は非常に集中しており、スタートが切られると他のどの馬よりも早く飛び出していった。そして後続を寄せ付けることなくそのまま先頭でゴールするのが常套手段だった。本馬が3歳時に主戦を務めたトッド・スローン騎手(英米で活躍した伝説的名騎手で、モンキー乗りの創設者としても有名)は「ハンブルグこそが私が乗った唯一の偉大な馬でした」と評した。

血統

Hanover Hindoo Virgil Vandal Glencoe
Tranby Mare
Hymenia Yorkshire
Little Peggy
Florence Lexington Boston
Alice Carneal
Weatherwitch Weatherbit
Birdcatcher Mare
Bourbon Belle Bonnie Scotland Iago Don John
Scandal
Queen Mary Gladiator
Plenipotentiary Mare 
Ella D Vandal Glencoe
Tranby Mare
Falcon Woodpecker
Ophelia 
Lady Reel Fellowcraft Australian West Australian Melbourne
Mowerina
Emilia Young Emilius
Persian
Aerolite Lexington Boston
Alice Carneal
Florine Glencoe
Melody
Mannie Gray Enquirer Leamington Faugh-a-Ballagh
Pantaloon Mare
Lida Lexington
Lize
Lizzie G War Dance Lexington
Reel
Lecomte Mare  Lecomte
Edith 

ハノーヴァーは当馬の項を参照。

母レディリールは現役時代ビーコンSなど6勝を挙げている。本馬を産んだ数年後に英国に移動してセントサイモンと交配されたりもしたが、本馬以外には特筆できる産駒を産む事は無かった。しかし牝系は後世に伸びている。

本馬の半妹レナウン(父セントサイモン)の牝系子孫にはコンプライアンス【モンマスオークス・アラバマS】、アウタースペース【マザーグースS・ベルデイムH】、アヴィゲイション【ラカナダS(米GⅠ)・サンタバーバラH(米GⅠ)・サンタアナH(米GⅠ)】、メンデス【ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)】、ビッグドラマ【BCスプリント(米GⅠ)】、シェアードラマ【デラウェアH(米GⅠ)・パーソナルエンスンS(米GⅠ)】などがいる。

本馬の半妹レディファーン(父ヒッポドローム)の牝系子孫にはルークン【デルマーフューチュリティ・サンタアニタダービー】などがいる。

レディリールの半姉にはバンダラ(父キングバン)【レディーズS・マーメイドS】、半妹にはコレクション(父ヒムヤー)【ドボガンH】、そして半弟には稀代の快速馬ドミノ(父ヒムヤー)【ベルモントフューチュリティS・メイトロンS・ウィザーズS】がいる。同じ牝系からは多くの活躍馬が出ているが、その詳細はドミノの項や別ページの牝系図を参照してほしい。→牝系:F23号族②

母父フェロークラフトは、オーストラリアン、史上初の英国三冠馬ウエストオーストラリアンへと遡るマッチェム系で、現役時代は米国で走ったが、ベルモントS着外など競走馬として一流とは言い難い。しかし全弟がベルモントS勝ち馬にして名種牡馬のスペンドスリフトであり、血統的なバックボーンはあった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はデイリー氏がモンタナ州に所有していたビタールートスタッドで種牡馬入りした。それから間もなくの1900年、本馬が5歳の時に所有者のデイリー氏が死去したため、売りに出された本馬は6万ドルでウィリアム・コリンズ・ホイットニー氏に購入され、ケンタッキー州ラベールスタッドで種牡馬生活を続けた。ホイットニー氏が1904年に死去すると再度売りに出され、今度は7万ドルで息子のハリー・ペイン・ホイットニー氏に購入された。その翌年の1905年には北米首位種牡馬を獲得。産駒のステークスウイナーは少なくとも27頭で、これは当時としては多い頭数である。後にホイットニー氏がニュージャージー州に所有していたブルックデールスタッドに移動し、1915年9月にブルックデールスタッドにおいて20歳で他界した。1986年に米国競馬の殿堂入りを果たした。

種牡馬として成功した本馬だが、直系子孫はあまり繁栄しなかった。しかし母系に入って非常に優秀な成績を収めた。本馬の血を後世に最も伝えたのは仏国で繁殖入りした牝駒フリゼットで、その牝系子孫からはトウルビヨンミスタープロスペクターシアトルスルーなど数々の優駿が登場しており、本馬は現代競馬を陰で支える一頭となっている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1901

Hamburg Belle

ベルモントフューチュリティS

1902

Artful

ベルモントフューチュリティS

1902

Dandelion

トラヴァーズS

1903

Burgomaster

ベルモントS・メイトロンS

1904

Baby Wolf

マンハッタンH

1905

Frizette

1906

Hillside

オールエイジドS

1907

Greenvale

メイトロンS

1908

Borrow

ミドルパークS・ブルックリンH・チャレンジS

1910

Buskin

プリークネスS・メトロポリタンH

1910

Prince Eugene

ベルモントS

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