アートフル

和名:アートフル

英名:Artful

1902年生

黒鹿

父:ハンブルグ

母:マートホール

母父:ダンディディンモンド

意図的に負けたと言われるレース以外は無敗を誇り名馬サイソンビーに生涯唯一の黒星をつけた20世紀初頭の米国の快速牝馬

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績8戦6勝2着2回

誕生からデビュー前まで

米国の事業家ウィリアム・コリンズ・ホイットニー氏が米国ニューヨーク州ロングアイランドに所有していたウェストベリーステーブルで生産された。ウィリアム氏は金属加工業で成功した他に、弁護士・政治家としても活躍し、スティーヴン・グロバー・クリーブランド第22・24代米国大統領の第1期政権期に海軍長官も務めた人物だった。1890年代から競馬に関わり始め、1898年頃に当時の名馬産家ジェームズ・R・キーン氏に対抗してウェストベリーステーブルを設立して馬産を開始していた。ウィリアム氏は1901年にヴォロディオフスキーで英ダービーを制覇、1903年に北米首位馬主になったが、その翌1904年2月、本馬が2歳の時に死去した。

彼の財産の大半は後に馬産の後継者となる息子ハリー・ペイン・ホイットニー氏へと受け継がれた。本馬も一時的に他者に貸し出された後、セリに出ていたところをハリー氏によって1万ドルで落札され、彼の所有馬として、父ウィリアム氏の所有馬の多くを管理していたジョン・E・ロジャース調教師に預けられた。

競走生活

2歳時にサラトガ競馬場で迎えたデビュー戦は同厩のドリーマーの2着。続くレースも同厩のプリンセスルパートの2着だったが、これが本馬の現役生活最後の敗戦となる。なおデビュー時のこの2度の敗戦については、実際は2戦ともトップゴールするだけの余力がありながら意図的に負けたという説が根強い。これは当時、勝ち馬申告制度(同じ厩舎に所属する競走馬が2頭以上同じ競走に出走した場合、厩舎側は競走前にどの馬が勝つと思われるかを申告しておく必要があったという制度)というものが存在したためであり、2戦とも本馬ではなく本馬に先着した2頭が勝つと事前に申告していたため、その申告を遵守するために抑えて走ったというものである。この説には確たる証拠は存在しないが、北米を代表する競馬新聞デイリーレーシングフォーム紙におけるフランク・ブリュネル氏の論評でもこの説が支持されており、本馬は「本物の一流馬」で両レース共に勝てる馬だったとしている。

デビュー3戦目のベルモントフューチュリティS(D6F)では、当時無敗だった後のアラバマS・ガゼルH勝ち馬トラディション、ホープフルS勝ち馬で後に20世紀唯一の牝馬のベルモントS勝ち馬となるターニャ、後のケンタッキーダービー馬アジル、後のシャンペンS勝ち馬オワソーなどの強豪馬達に加えて、デビューから無傷の4連勝中だった歴史的名馬サイソンビーが対戦相手となったが、サイソンビーを5馬身差の3着(2着はトラディション)に下し、初勝利をこの大一番で挙げた。通算成績15戦14勝のサイソンビーにとっては生涯唯一の黒星となった。

それから4日後に出走したグレートフィリーS(D6F)も勝利した。次走のホワイトプレインズH(D6F)では2歳牝馬ながら130ポンドを背負い、29ポンドのハンデを与えた牡馬ダンデライオン(この馬も最終的にトラヴァーズSなどステークス競走13勝を含む105戦27勝を挙げることになる強豪馬である)を一蹴し、1分08秒0というコースレコードを樹立した。このタイムは2歳馬による全米レコードでもあり、この2歳馬全米レコードは50年後にようやく破られたが、この時レコードを更新した馬は115ポンドの斤量で、しかも速いタイムが出易い直線コースにおけるレースだったという。本馬は2歳時を5戦3勝で終え、後年になってこの年の米最優秀2歳牝馬に選出された。

3歳になると距離6ハロンの短距離戦を2戦して、いずれもゴール前で馬を抑える余裕を見せて楽勝。3歳3戦目にして引退レースとなったブライトンH(D10F)では初の10ハロンという距離に加えて、当時の牝馬最強にして歴史的名牝のベルデイムや、前年のベルモントS勝ち馬デリー、前年のローレンスリアライゼーションS勝ち馬オートウェルズといった強豪馬が相手となったが、本馬は問題なく2着オートウェルズ以下に勝利し、一介の短距離馬ではないことを証明した。この年3戦無敗の成績で、後年になって米最優秀3歳牝馬に選ばれた。

数々の優駿を送り出した名馬産家ウィリアム・コリンズ・ホイットニー氏が育てた26頭のステークスウイナーの中でも、本馬は最高傑作だといわれている。

血統

Hamburg Hanover Hindoo Virgil Vandal
Hymenia
Florence Lexington
Weatherwitch
Bourbon Belle Bonnie Scotland Iago
Queen Mary
Ella D Vandal
Falcon
Lady Reel Fellowcraft Australian West Australian
Emilia
Aerolite Lexington
Florine
Mannie Gray Enquirer Leamington
Lida
Lizzie G War Dance
Lecomte Mare 
Martha Dandie Dinmont Silvio Blair Athol Stockwell
Blink Bonny
Silverhair Kingston
England's Beauty
Meg Merrilies Macgregor Macaroni
Necklace
Meteor Thunderbolt
Duty
Louise T Rayon d'Or Flageolet Plutus
La Favorite
Araucaria Ambrose
Pocahontas
Spark Leamington Faugh-a-Ballagh
Pantaloon Mare
Mary Clark Lexington
Eagless

ハンブルグは当馬の項を参照。

母マーサは現役時代ラトニアオークス3着などの実績がある。本馬の全妹アートレスの牝系子孫は大きく発展しており、ビッグエフォート【エイコーンS・デラウェアオークス・トップフライトH】、ブライアンズタイム【フロリダダービー(米GⅠ)・ペガサスH(米GⅠ)】、サンシャインフォーエヴァー【マンノウォーS(米GⅠ)・ターフクラシックS(米GⅠ)・ワシントンDC国際S(米GⅠ)】、ライアファン【マルセルブサック賞(仏GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世CCS(米GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)・メイトリアークS(米GⅠ)】、モナーコス【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)】、ゼニヤッタ【BCクラシック(米GⅠ)・BCレディーズクラシック(米GⅠ)・アップルブロッサムH(米GⅠ)2回・ヴァニティH(米GⅠ)3回・レディーズシークレットS(米GⅠ)3回・クレメントLハーシュS(米GⅠ)2回・サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)】、ムーチョマッチョマン【BCクラシック(米GⅠ)・オーサムアゲインS(米GⅠ)】、日本で走ったタカハタ【朝日杯三歳S】、エアシャカール【皐月賞(GⅠ)・菊花賞(GⅠ)】、イングランディーレ【天皇賞春(GⅠ)】エアメサイア【秋華賞(GⅠ)】、コイウタ【ヴィクトリアマイル(GⅠ)】、クィーンスプマンテ【エリザベス女王杯(GⅠ)】、ゴスホークケン【朝日杯フューチュリティS(GⅠ)】、レッツゴードンキ【桜花賞(GⅠ)】、サウンドスカイ【全日本2歳優駿(GⅠ)】などが出ている。→牝系:F4号族⑤

母父ダンディディンモンドは英国産馬で、競走馬としてのキャリアはよく分からないが、米国に輸入されて種牡馬入りしていた。遡ると、英ダービー・英セントレジャー勝ち馬シルヴィオを経てブレアアソールに辿りつく血統。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はホイットニー家の牧場で繁殖入りした。しかし産駒からステークスウイナーを出す事はなく、勝ち上がり馬を出すに留まった。1927年に25歳で他界し、1956年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第94位。ワシントンパーク競馬場において本馬の名を冠したGⅢ競走アートフルHが創設されている。

本馬は繁殖牝馬としては成功しなかったが、牝系子孫からは、スペシファイ【ハリウッドダービー・サンフェリペS・イングルウッドH・サンカルロスH・アーゴノートH】、エデュケーション【ブリーダーズフューチュリティS】、ビーフリート【ワシントンバースデイH・サンフアンカピストラーノ招待H・アーゴノートH・サンパスカルH】、ラナウェイグルーム【トラヴァーズS・プリンスオブウェールズS・ブリーダーズS】などの活躍馬が出ており、それなりに発展した。しかし今世紀も活躍馬が次々に出ている全妹アートレスの牝系子孫と異なり、今世紀にはほぼ見かけなくなっている。

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