ボナヴィスタ
和名:ボナヴィスタ |
英名:Bona Vista |
1889年生 |
牡 |
栗毛 |
父:ベンドア |
母:ヴィスタ |
母父:マカロニ |
||
英2000ギニー馬でありながら競走馬としても種牡馬としても評価されなかったが、サイリーンの父となって後世に絶大な影響を残す |
||||
競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績7戦3勝3着2回 |
誕生からデビュー前まで
英国の著名な大邸宅メントモアタワーズにおいて生産された。メントモアタワーズは元々ロスチャイルド一族のマイヤー・ド・ロートシルト男爵の実家で、彼は馬産に興味を抱き、英国牝馬三冠馬ハンナを筆頭とする複数の英国クラシック競走の勝ち馬を生産していた。ロートシルト男爵が1874年に死去した時、ハンナの名の由来となったロートシルト男爵の唯一の子であるハンナ嬢がメントモアタワーズなど父の莫大な財産を受け継ぎ、翌1875年に種牡馬マカロニを7100ギニーで購入して馬産を継続した。
1878年にハンナ嬢は、後に英国首相も務める第5代ローズベリー伯爵アーチボルド・フィリップ・プリムローズ卿と結婚した。プリムローズ卿は既に馬産を行っており、結婚後もメントモアタワーズにおける馬産に携わった。彼は1879年に牝馬ヴィスタを生産した。ヴィスタは現役時代、2歳戦のプリンスオブウェールズSや、グレートメトロポリタンHを勝つなど活躍した。競走馬を引退したヴィスタは繁殖入りしたが、当初はあまり活躍馬を出せなかった。そのため、ヴィスタが1889年にベンドアとの間に産んだ本馬も1歳時にニューマーケットで行われたプリムローズ卿主催のセリに出された。本馬は加国出身の英国の実業家兼政治家だった初代准男爵チャールズ・デイ・ローズ卿により1250ギニーで購入され、ウィリアム・ジャーヴィス調教師に預けられた。
競走生活(2歳時)
2歳5月にエプソム競馬場で行われたウッドコートS(T6F)で、ジミー・ウッドバーン騎手を鞍上にデビューした。このレースには、英2000ギニー・英1000ギニー・デューハーストプレートを制した名牝ピルグリメージュとアイソノミーの間に産まれた良血馬ピルグリムスプログレス、後にロウザーSを勝ちミドルパークプレート・デューハーストプレートでいずれもオームの2着するエルディアブロなども出走していたのだが、本馬が単勝オッズ2倍の1番人気に支持された。レースでは残り2ハロン地点でリオターという馬が先頭に立ったのだが、本馬がすぐに並びかけて競り落とした。最後は追い上げてきたピルグリムスプログレスを1馬身差(半馬身差とする資料もある)の2着に抑えて勝利した。
6月にはアスコット競馬場で行われたニューS(T5.5F)に、ジョン・ワッツ騎手を鞍上に出走した。ここでも単勝オッズ2倍の1番人気に支持されたが、勝ったゴールドフィンチから5馬身差、2着ピルグリムスプログレスからも4馬身差をつけられて3着に敗れた。ただし斤量は他2頭より本馬のほうが7ポンド重かった。
7月にニューマーケット競馬場で出走したチェスターフィールドS(T5F)では、これがデビュー戦だった後の英国牝馬三冠馬ラフレッチェに1番人気の座を譲り、2番人気での出走となった。レースはラフレッチェが逃げて、本馬が2番手を追走する展開となったが、本馬より7ポンド斤量が軽かったラフレッチェが徐々に本馬を引き離していった。ゴール前では、後にコロネーションSを勝ち英オークスで3着するレディハーミットに差されて、勝ったラフレッチェから2馬身3/4差、2着レディハーミットから3/4馬身差の3着に敗退。2歳時を3戦1勝の成績で終えた。
競走生活(3歳時)
3歳時は英2000ギニーを目指して、4月にニューマーケット競馬場で行われたバイエニアルS(T8F)から始動した。本馬には131ポンドが課せられたが、単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。スタートが切られるとクレイヴンS2着馬キュリオが先頭に立ち、プラトーンという馬がそれに絡んで先頭争いを展開。本馬は少し離れた3番手を追走すると、レース中盤から徐々に前との差を詰めて、本馬と一緒に上がってきたタンズマイスターという馬を含めて4頭が団子状態となった。その中から本馬が僅かに抜け出して、2着タンズマイスターに首差で勝利した。
本番の英2000ギニー(T8F11Y)では、前走の辛勝に加えて、過去3戦で騎乗したワッツ騎手からW・T・ロビンソン騎手に乗り代わっていた影響もあったのか、単勝オッズ11倍の伏兵扱いだった。スタートが切られると、後にセントジェームズパレスSを勝つセントアンジェロが先頭に立ち、ブリティッシュドミニオン2歳S・ケンプトンパーク2歳Sの勝ち馬ガレオプシスなどを引き連れて、直線コースの左側を走った。一方の本馬は、直線コースの真ん中を、単勝オッズ5.5倍の1番人気に支持されていたエルディアブロ、ゴールドフィンチ、サーヒューゴ達を引き連れて先行した。そして残り1ハロン地点でセントアンジェロを抜き去って先頭に立つと、2着セントアンジェロに1馬身半差、3着キュリオにさらに半馬身差をつけて優勝した。
その後は英ダービー(T12F29Y)に出走した。このレースでは、チェスターフィールドS・ラヴァントS・モールコームS・英シャンペンS・英1000ギニーと5戦無敗のラフレッチェが単勝オッズ2.1倍の1番人気で、仏グランクリテリウムの勝ち馬で後にパリ大賞を勝つリュエイユが単勝オッズ12.11倍の2番人気、前走に続いてロビンソン騎手が騎乗する本馬が単勝オッズ13.5倍の3番人気で、ラフレッチェの一強独裁状態となっていた。スタートが切られると、仏国から参戦してきたブチェンタウロが先頭に立ち、本馬は馬群の中団、大本命のラフレッチェは最後方につけた。しかし本馬は中団から一度も抜け出ることが出来ず、勝ち馬から大差をつけられて、12頭立ての11着と惨敗。早め先頭から押し切ってラフレッチェを3/4馬身差の2着に抑えて勝ったのは、英2000ギニーで着外だった単勝オッズ41倍の伏兵サーヒューゴだった。
その後は6月のプリンスオブウェールズS(T13F)に出走した。レースはウォータークレスという馬が先頭を引っ張り、ワッツ騎手が騎乗した本馬は馬群の中団を進んだ。しかし本馬には全く伸びが無く、逃げ切って勝ったウォータークレスの7着に終わった。その後は秋の英セントレジャーを目指す予定だったが、靭帯を損傷したために、プリンスオブウェールズS以後はレースに出ることは無く、3歳時4戦2勝の成績で競走馬を引退した。本馬の同世代にはラフレッチェやオームといった有力馬がおり、英2000ギニーにはこの2頭が出走していなかったため、本馬は英国クラシック競走の勝ち馬でありながら競走馬としての評価は低いものだった。
血統
Bend Or | Doncaster | Stockwell | The Baron | Birdcatcher |
Echidna | ||||
Pocahontas | Glencoe | |||
Marpessa | ||||
Marigold | Teddington | Orlando | ||
Miss Twickenham | ||||
Ratan Mare | Ratan | |||
Melbourne Mare | ||||
Rouge Rose | Thormanby | Windhound | Pantaloon | |
Phryne | ||||
Alice Hawthorn | Muley Moloch | |||
Rebecca | ||||
Ellen Horne | Redshank | Sandbeck | ||
Johanna | ||||
Delhi | Plenipotentiary | |||
Pawn Junior | ||||
Vista | Macaroni | Sweetmeat | Gladiator | Partisan |
Pauline | ||||
Lollypop | Voltaire | |||
Belinda | ||||
Jocose | Pantaloon | Castrel | ||
Idalia | ||||
Banter | Master Henry | |||
Boadicea | ||||
Verdure | King Tom | Harkaway | Economist | |
Fanny Dawson | ||||
Pocahontas | Glencoe | |||
Marpessa | ||||
May Bloom | Newminster | Touchstone | ||
Beeswing | ||||
Lady Hawthorn | Windhound | |||
Alice Hawthorn |
父ベンドアは当馬の項を参照。
母ヴィスタについては前述のとおりだが、本馬を産んだ後に、本馬の半弟サーヴィスト(父バーカルディン)【英ダービー・英セントレジャー】、半弟ヴェラスケス(父ドノヴァン)【英チャンピオンS2回・エクリプスS・プリンセスオブウェールズS・シャンペンS・ジュライS・ニューS】を産んでおり、産駒が英国における牡馬出走可能な主要競走の大半を制覇するという名繁殖牝馬となった。なお、本馬を他馬に売ってしまったプリムローズ卿は、弟の2頭はしっかりと自身の所有馬にしている。ヴィスタの母ベルデュールはニューマーケットオークスの勝ち馬。ベルデュールの祖母レディホーソンは、20世紀前半の英国競馬を代表する名牝にして名繁殖牝馬であるアリスホーソンの6番子である。レディホーソンの牝系子孫からは数々の有力馬が登場しているのだが、その詳細はアリスホーソンの項を参照してほしい。→牝系:F4号族②
母父マカロニは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、英国バークシャー州ハードウィックスタッドで種牡馬入りした。初年度の種付け料は僅か25ギニーで、やはり評価は低かった。初年度産駒からサイリーンが登場したが、サイリーンは英国クラシック登録をされなかった。それはサイリーンの母アルカディアの当初の繁殖成績が悪かった事や、サイリーン自身が幼少期は小柄で期待できそうな馬ではなかった事に加えて、父の評価も低かった影響もあると思われる。
本馬はサイリーンが2歳時の1897年、1万5千ギニーでハンガリーのルイ・エステルハージ王子に購入されてハンガリーに輸入され、キシュベルスタッドで種牡馬供用された。本馬はハンガリーにおいては人気種牡馬となり、1902~05年と1908年の5回首位種牡馬に輝いた。現役時代は1マイルを超える距離における実績も古馬になっての実績も無かった本馬だが、アスコット金杯を勝ったサイリーンを筆頭に、ハンガリーにおける長距離クラシック馬も何頭も輩出しており、単なる早熟短距離種牡馬では無い事を証明している。本馬は1909年にハンガリーにおいて20歳で他界した。しかし本馬の血はサイリーンからポリメラス、そしてファラリスを経由して全世界に広がり、現在世界中で走っているサラブレッドの大半は本馬の直系子孫となっている。また、本馬は母父としてもザテトラークを出しており、ここからの影響力も絶大である。母父として他には米国顕彰馬ローマーを出している。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1895 |
アスコット金杯・ジョッキークラブS |
|
1897 |
Bonarosa |
セントジェームズパレスS |
1900 |
Bono Modo |
独ダービー |
1902 |
Patience |
独ダービー |
1907 |
Orient |
独ダービー |