シャーペンアップ
和名:シャーペンアップ |
英名:Sharpen Up |
1969年生 |
牡 |
栗毛 |
父:エタン |
母:ロチェッタ |
母父:ロックフェラ |
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米国の名馬ネイティヴダンサーの直系を欧州に広めたエタン系の実質的始祖となった仕上がり早い快速馬 |
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競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績8戦5勝2着2回 |
誕生からデビュー前まで
英国の女性馬産家であるレディ・マーガレット・フォーテスキューことミミ・ヴァン・カットセム夫人により生産・所有された英国産馬である。カットセム夫人の夫で、本馬が生まれた年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを勝ったパークトップなどを手掛けていた英国ニューマーケットのバーナード・ヴァン・カットセム調教師の管理馬となった。体高は16.1ハンドで、当時としては平均より少し上の馬格の持ち主だった。
競走生活(2歳時)
2歳6月にレスター競馬場で行われた芝5ハロンの未勝利ステークスでデビューして、4馬身差で圧勝。さらにドンカスター競馬場で出走したカントレープレート(T6F)も、2着フリーマンに1馬身差で勝利した。7月にはアスコット競馬場でハイペリオンS(T6F)に出走。スタートから馬なりのまま先頭を走り続け、2着ドーンレビューに3馬身差で勝利した。8月にはニューカッスル競馬場でシートンデラヴァルS(英GⅢ・T5F)に出走。ウィリー・カーソン騎手を鞍上に単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持された。今回は逃げずに馬群の中団を進んだが、残り2ハロン地点で抜け出して、8ポンドのハンデを与えた2着エイボンヴァレーに3馬身差をつけて楽勝した。
9月にはミドルパークS(英GⅠ・T6F)に出走した。今回もカーソン騎手とコンビを組んだ本馬は、コヴェントリーS・ロベールパパン賞の勝ち馬サンプリンス、ニューSの勝ち馬でジムクラックS2着のフィリップオブスペインなどを抑えて単勝オッズ1.83倍の1番人気に支持された。レースでは上記2頭とのゴール前の接戦を制して、2着フィリップオブスペインに頭差、3着サンプリンスにはさらに3/4馬身差をつけて勝利した。2歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は5戦全勝だった。
しかし如何せん本馬と同厩同世代馬には、デューハーストS・英シャンペンSを勝ち英最優秀2歳牡馬に選ばれたクラウンドプリンス(米国の歴史的名馬マジェスティックプリンスの3歳年下の全弟で、1歳時のキーンランドセールで51万ドルという当時世界最高額で取引された期待馬だった)や、オブザーヴァー金杯を勝利したハイトップといった本馬以上に評価が高い馬(いずれも本馬とは別馬主である)がおり、本馬は3番手扱いだった。その評価は例えば英タイムフォーム社のレーティングにも現れており、ジュライS・アランベール賞・プティクヴェール賞・コーンウォリスSを勝って同世代トップの評価を得たディープダイバーが134ポンド、ハイトップが131ポンド、クラウンドプリンスが128ポンドだったのに対して、本馬は127ポンドで同世代9位タイだった。この評価の差は、本馬はマイル戦でも長い典型的な短距離馬であり、英2000ギニーでは好勝負できそうにないと英タイムフォーム社が不当な評価を下したからだとする意見もあるが、英タイムフォーム社が短距離馬を見下している事はないから、多分それは違うだろう。
競走生活(3歳時)
3歳時は4月のグリーナムS(英GⅢ・T7F)から始動した。鞍上にはレスター・ピゴット騎手を迎えて必勝態勢を敷いたものの、4ポンドのハンデを与えたマーティンマスに3馬身差をつけられて2着に敗れた。この敗戦により短距離路線に向かうことが決定したようで、英2000ギニーに本馬は不参戦だった。なお、本馬不在の英2000ギニーは同厩馬ハイトップが、後の英ダービー馬ロベルトを半馬身差の2着に、サンプリンスをさらに6馬身差の3着に破って勝っている。
3か月間の休養を経て、7月のジュライC(英GⅠ・T6F)でカーソン騎手を鞍上に復帰した。しかしレース前から大量の発汗が見られるなど焦れ込んでいた影響が出たのか、コーク&オラリーSを勝ってきた3歳牝馬パーシモニーの首差2着と惜敗した。次走のナンソープS(英GⅡ・T5F)では、パーシモニーに加えて、やはり短距離路線に向かってきたディープダイバー、デュークオブヨークS・キングジョージSを勝ってきたスティルヴィといった同世代馬達との対戦となった。しかし結果はディープダイバーが勝利を収め、本馬は8馬身以上の差をつけられた6着最下位に惨敗。このレースを最後に3歳時3戦未勝利の成績で競走馬を引退した。
血統
エタン | Native Dancer | Polynesian | Unbreakable | Sickle |
Blue Glass | ||||
Black Polly | Polymelian | |||
Black Queen | ||||
Geisha | Discovery | Display | ||
Ariadne | ||||
Miyako | John P. Grier | |||
La Chica | ||||
Mixed Marriage | Tudor Minstrel | Owen Tudor | Hyperion | |
Mary Tudor | ||||
Sansonnet | Sansovino | |||
Lady Juror | ||||
Persian Maid | Tehran | Bois Roussel | ||
Stafaralla | ||||
Aroma | Fairway | |||
Aloe | ||||
Rocchetta | Rockefella | Hyperion | Gainsborough | Bayardo |
Rosedrop | ||||
Selene | Chaucer | |||
Serenissima | ||||
Rockfel | Felstead | Spion Kop | ||
Felkington | ||||
Rockliffe | Santorb | |||
Sweet Rocket | ||||
Chambiges | Majano | Deiri | Aethelstan | |
Desra | ||||
Madgi Moto | Ksar | |||
Groseille a Maquereau | ||||
Chanterelle | Gris Perle | Brabant | ||
Mauve | ||||
Shah Bibi | Pharos | |||
Hajibibi |
父エタンは米の歴史的名馬ネイティヴダンサーの直子で、米国アケダクト競馬場で出走したデビュー戦を6馬身差で圧勝したものの、このレース中に故障を発生してしまい、僅か1戦のキャリアで競走馬引退に追い込まれた。エタンの牝系は名馬アルサイドや英ダービー馬パーシアと同じであり、それも評価されたのか競走馬引退後は米国で種牡馬入りした。米国で2年間種牡馬生活を送った後に、愛国キルデア郡にあるグランジウィリアムスタッドに輸出された。しかし愛国における種牡馬生活も僅か2年で終わり、今度は日本に輸出された。なお、本馬は父が2年だけ暮らした愛国時代の産駒である。日本に来たエタンは、シンザン記念・毎日杯の勝ち馬ヒロノワカコマ、阪急杯の勝ち馬バンブトンハーレーなどの重賞勝ち馬を出したが、それほど成功を収めることは出来ず、1986年に25歳で他界した。
母ロチェッタは14戦したが未勝利。しかしロチェッタの全姉アウトクロップはヨークシャーオークス・パークヒルSを勝った活躍馬だった。アウトクロップの牝系子孫にはマンフロムウィックロウ【ガルフストリームパークBCターフS(米GⅠ)】が、ロチェッタの全妹リッチーズの孫にはエルゲイ【伊ダービー(伊GⅠ)】、牝系子孫にはミラクルズオブライフ【ブルーダイヤモンドS(豪GⅠ)・ウイリアムヒルクラシック(豪GⅠ)】、ポンダローザミス【イースターH(新GⅠ)】が、ロチェッタの半妹マッチモ(父マッチ)の曾孫にはファーストワルツ【モルニ賞(仏GⅠ)】がいる。ロチェッタの5代母バユダは英オークス・チェヴァリーパークSを勝った名牝だが、活躍馬がどんどん出るような優れた牝系ではない。→牝系:F5号族③
母父ロックフェラは名馬ハイペリオンと英1000ギニー・英オークスを勝ったロックフェルとの間に産まれた超良血馬だが、競走馬としては振るわなかった。しかし種牡馬としては成功。特にチャイナロック、ゲイタイム、バウンティアスといった直子が日本で種牡馬として活躍し一世を風靡した。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、15万ポンド(3750ポンド×40株)のシンジケートが組まれて、英国ニューマーケットのサイドヒルスタッドで種牡馬入りした。種牡馬シンジケートが組まれたと聞くと評価されたように思われるかもしれないが、別にそんなことは無く、初年度に集まった繁殖牝馬は34頭程度だった。その後の評価もなかなか上がらず、種付け料は500ポンド程度という時期もあった。
しかし3年目産駒クリスや4年目産駒シャーポなどが活躍。1978年の英愛2歳首位種牡馬、1979年の英国繋養種牡馬ランキング第1位に輝くなどして評価が急上昇。1981年には種牡馬シンジケートが再結成されて、米国ケンタッキー州ゲインズウェイファームに移動した。その後も英国に残してきた産駒からダイイシス、ペブルスが登場。米国で出した産駒からもトランポリノ、セルカーク、サングラモアなどが出た。1982年にはダイイシスの活躍により2度目の英愛2歳首位種牡馬になっている。最盛期の種付け料は5万ドル以上に達した。最終的なステークスウイナー数は72頭で、ステークスウイナー率は17.4%、勝ち上がり率は約70%に達した。1992年3月に23歳で他界した。
また、クリス、ダイイシス、セルカークなど後継種牡馬にも恵まれている。祖父ネイティヴダンサーの直系はレイズアネイティヴを経由するものが大半を占めているが、本馬はレイズアネイティヴを経由しないネイティヴダンサーの直系を繁栄させた功労馬である。
繁殖牝馬の父としても優秀で、1989年の欧州短距離王カドゥージェネルー、1994年の英2000ギニー馬ミスターベイリーズ、2009年の英愛首位種牡馬デインヒルダンサーなどを出した。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1974 |
Dublin Taxi |
ウンブリア賞(伊GⅢ)・メルトン賞(伊GⅢ) |
1975 |
Smarten Up |
テンプルS(英GⅢ) |
1976 |
サセックスS(英GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅡ)・クリスタルマイル(英GⅡ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅡ)・ロッキンジS(英GⅡ)・ホーリスヒルS(英GⅢ)・グリーナムS(英GⅢ)・チャレンジS(英GⅢ) |
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1977 |
Epsiba |
アスタルテ賞(仏GⅢ) |
1977 |
Sharpo |
ジュライC(英GⅠ)・アベイドロンシャン賞(仏GⅠ)・スプリントCS(英GⅡ)3回・テンプルS(英GⅢ)・サンジョルジュ賞(仏GⅢ) |
1977 |
Sovereign Rose |
ダイアデムS(英GⅢ) |
1978 |
Pushy |
クイーンメアリーS(英GⅢ)・ジョエルS(英GⅢ) |
1978 |
Sharp End |
バーデナーマイレ(独GⅢ) |
1980 |
ミドルパークS(英GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ) |
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1981 |
BCターフ(米GⅠ)・英1000ギニー(英GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)・英チャンピオンS(英GⅠ)・トラストハウスフォルテマイル(英GⅡ)・ネルグウィンS(英GⅢ) |
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1981 |
Prickle |
ロウザーS(英GⅡ) |
1981 |
Scythe |
イエルバブエナH(米GⅢ) |
1982 |
Sharp Ascent |
ハネムーンH(米GⅢ) |
1984 |
Neshad |
エッティンゲンレネン(独GⅢ) |
1984 |
凱旋門賞(仏GⅠ)・ニエル賞(仏GⅡ) |
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1985 |
Exactly Sharp |
リュパン賞(仏GⅠ)・シュタイゲンベルガーホテル大賞(独GⅢ) |
1985 |
Harp Islet |
ジャイプールH(米GⅢ) |
1985 |
In Extremis |
ギシュ賞(仏GⅢ)・ロンポワン賞(仏GⅢ) |
1986 |
Bequest |
サンタバーバラH(米GⅠ) |
1986 |
Dream Deal |
モンマスオークス(米GⅠ) |
1987 |
Sanglamore |
仏ダービー(仏GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)・ダンテS(英GⅡ) |
1987 |
Sure Sharp |
アールオブセフトンS(英GⅢ) |
1988 |
Conveyor |
メドウランズCH(米GⅠ)・グレイラグBCH(米GⅢ) |
1988 |
クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)・ロッキンジS(英GⅡ)・セレブレーションマイル(英GⅡ)・チャレンジS(英GⅡ) |