チャイナロック
和名:チャイナロック |
英名:China Rock |
1953年生 |
牡 |
栃栗 |
父:ロックフェラ |
母:メイウォン |
母父:ラスタムパシャ |
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競走馬としては冴えなかったが、日本で数々の名競走馬を輩出した頑健、パワフル、そして精力抜群の大種牡馬 |
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競走成績:3~6歳時に英仏で走り通算成績25戦7勝(入着回数は不明) |
競走生活
英国産馬で、競走馬としても英国を中心に走り、ときどき仏国でも走ったようである。2歳戦で走ったかどうかは定かではない。勝ち上がったレースがクランバー未勝利ステークスという距離11ハロンのレースだったところからして、短距離馬ではなく長距離馬だったようであり、競走馬としても12ハロン前後の中長距離戦を主に走った。4歳時にはニューベリー競馬場でジョンポーターS(T12F)に出走して、仏グランクリテリウム3着馬シカールを2着に、キングエドワードⅦ世S・オックスフォードシャーSの勝ち馬コートコマンドを3着に抑えて勝利している。翌5歳時にもジョンポーターS(T12F)に出走しているが、リングフィールドダービートライアルS・カンバーランドロッジS・ライムキルンSの勝ち馬でデューハーストSでは名馬クレペロの2着だった英国エリザベスⅡ世女王陛下の所有馬ドーテル、オックスフォードシャーS・ジョッキークラブSの勝ち馬で前年の英セントレジャーでは名馬バリモスの2着だったコートハーウェルの2頭に屈して、ドーテルの3着に終わっている。他にはアスコット競馬場で出走したパラダイスS(T14F)、ケンプトンパーク競馬場で出走したヴィクターワイルドS(T12F)を勝っている。他にはアスコット競馬場で出走したハードウィックS(T12F)で2着しているようである。しかしそれ以外の戦績ははっきりせず、競走馬としてはそれほど目立つ成績を残した馬ではない。
血統
Rockefella | Hyperion | Gainsborough | Bayardo | Bay Ronald |
Galicia | ||||
Rosedrop | St. Frusquin | |||
Rosaline | ||||
Selene | Chaucer | St. Simon | ||
Canterbury Pilgrim | ||||
Serenissima | Minoru | |||
Gondolette | ||||
Rockfel | Felstead | Spion Kop | Spearmint | |
Hammerkop | ||||
Felkington | Lemberg | |||
Comparison | ||||
Rockliffe | Santorb | Santoi | ||
Countess Torby | ||||
Sweet Rocket | Rock Flint | |||
Bustle | ||||
May Wong | Rustom Pasha | Son-in-Law | Dark Ronald | Bay Ronald |
Darkie | ||||
Mother in Law | Matchmaker | |||
Be Cannie | ||||
Cos | Flying Orb | Orby | ||
Stella | ||||
Renaissance | St. Serf | |||
Rinovata | ||||
Wezzan | Friar Marcus | Cicero | Cyllene | |
Gas | ||||
Prim Nun | Persimmon | |||
Nunsuch | ||||
Woodsprite | Stornoway | Desmond | ||
Sisterlike | ||||
Wood Daisy | Cyllene | |||
Mountain Daisy |
父ロックフェラは名馬ハイペリオンと、英1000ギニー・英オークス・英チャンピオンS・プリンセスエリザベスSの勝ち馬ロックフェルとの間に産まれた超良血馬。しかし気管に持病があったため、競走馬としては6戦してセフトンパークSなど3勝を挙げた程度に終わった。種牡馬としては成功し、多くの活躍馬を出した。後継種牡馬にも比較的恵まれており、日本にも本馬以外にゲイタイムやバウンティアスが種牡馬として輸入されて活躍した。
母メイウォンは現役時代20戦6勝、クリテリウムドメゾンラフィット・セーネワーズ賞・マロット賞・チェスターフォードSを勝ち、フォレ賞で3着した活躍馬だった。その産駒には、本馬の半兄サラヴァン(父レジェンドオブフランス)【ミドルパークS・サンパウロ大賞】、半姉チャイニーズクラッカー(父ダンテ)【リブルズデイルS】などがいる。チャイニーズクラッカーの牝系子孫にはジンダーズ【キャッスルメインS(豪GⅠ)】が出るなど、その牝系は21世紀も続いているがあまり繁栄していない。
メイウォンの母ウェザンの半姉ファーフェイデットの子にキャリーオン【オーストラリアンC】、孫にシェリーマリー【クラウンオークス】、トゥルーコース【VRCサイアーズプロデュースS・AJCサイアーズプロデュースS・豪シャンペンS・MRC1000ギニー・クラウンオークス・エイドリアンノックスS】が出たが、その後が続かずに現在ファーフェイデットの牝系はほぼ途絶している模様である。ウェザンの曾祖母マウンテンデイジーの半姉キャメオの子には、明治期に日本に輸入された日本競馬史上初のサラブレッドの大種牡馬インタグリオーがいる。マウンテンデイジーの母ライトオブアザーデイズの半妹スターの孫にはハリーオン【英セントレジャー】がおり、ライトオブアザーデイズの半姉イスクラの牝系子孫にはノーザンダンサーを筆頭に多くの活躍馬がいる。→牝系:F2号族①
母父ラスタムパシャはサンインロー産駒で、現役成績は14戦4勝。エクリプスS・英チャンピオンS・チェシャムSを勝った他に、セントジェームズパレスSで2着、英セントレジャーで3着している。引退後は仏国で種牡馬となったが、後に亜国へ輸出され、9年連続で種牡馬ランキング10位以内に入る活躍を見せた。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は7歳時の1960年から英国で種牡馬入りしたが、ほとんど繁殖牝馬は集まらなかったようである。同年末に日本に輸入され、翌1961年から北海道三石郡三石町(現・新ひだか町)にある本桐牧場で種牡馬生活を開始した。初年度の交配数は46頭だったが、産駒の出来が良かったようで、2年目は56頭、3年目は76頭、4年目の1964年は74頭と増加した。初年度産駒はこの1964年にデビュー。翌1965年にはアオバが金鯱賞・愛知盃を、ハツライオーが札幌記念を、シャチノオーザが東海菊花賞を勝つなど、3歳になった初年度産駒から中央芝・中央ダート・地方を問わず活躍馬が登場。そのために人気種牡馬となった。
その後も3年目産駒のヤシマナシヨナルが地方競馬で、4年目産駒のタケシバオーが中央競馬で猛威を振るい、それぞれが地方競馬史上最強馬、中央競馬史上最強馬候補に挙げられるほどの活躍を見せた。この2頭が全盛期を迎えた1969年には、5年目産駒のアカネテンリュウが夏を境に急上昇して菊花賞を優勝し、3年目産駒のメジロタイヨウも天皇賞秋を制覇した。
本馬の種牡馬としての頂点は、9年目産駒のハイセイコーの登場であり、ハイセイコーが皐月賞を勝った1973年には全日本首位種牡馬を獲得した。翌年にはテスコボーイにタイトルを奪われたために全日本首位種牡馬はこの1度きりだったが、その後も主に地方競馬を中心に活躍馬を送り出し、日本を代表する名種牡馬として長年に渡り君臨した。
交配数の推移は、5年目の1965年が92頭、6年目が66頭、7年目が99頭、タケシバオーが朝日杯三歳Sを勝った翌年に当たる8年目は遂に三桁の大台に乗る127頭、9年目が100頭、タケシバオーとメジロタイヨウが天皇賞を、アカネテンリュウが菊花賞を、ヤシマナシヨナルが東京大賞典を勝った翌年に当たる10年目は自身最多となる134頭、11年目は78頭、12年目は64頭、ハイセイコーが皐月賞を勝った13年目は81頭、14年目は55頭、15年目は47頭、16年目は38頭、17年目は23頭、18年目は19頭、19年目は20頭、20年目は24頭、21年目は4頭、22年目は1頭だった。
性豪
21世紀となった今日においては年間100頭以上と交配する種牡馬は特に珍しくもないが、獣医学と種牡馬の体調管理術がそれほど発達していなかった当時と現在を単純比較してはいけない。1970年の年間交配数134頭、通算交配数1324頭、1962年から74年まで13年連続で50頭以上と交配した記録は、いずれもサラブレッド種牡馬としては当時の日本記録(アラブ種牡馬であればセイユウやタガミホマレがこれを遥かに上回る記録を残している)だった。これらが更新されたのは獣医学が進歩した後の話である。年間交配数は1995年にサンデーサイレンスが142頭、トニービンが138頭を、通算交配数は1994年にノーザンテーストが1352頭を、50頭以上連続交配記録は1981年にテスコボーイとパーソロンの2頭が14年連続を記録して、いずれも更新されている。
本馬がこれだけの記録を残した背景には、もちろん産駒の成績が優秀だった事が大きいが、本馬自身が非常に強い性欲の持ち主だった事もある。繁殖牝馬を発情させるのも当て馬に任せずに自分で行い、しかもそれが非常に上手だったという。人間であれば相当なプレイボーイになったこと間違いなしの馬(見かけも四白流星の栃栗毛という派手な馬だった)であり、「性豪」の異名を取ったのは有名な話である。
受精率もかなり晩年まで60~80%以上の高水準を保っており(最高は92頭と交配した1965年で、受精率85.9%だった)、受精率が初めて60%を割ったのは1979年、50%を割ったのは1980年で、既に本馬は27歳だった。その後の2年間は計5頭と交配して1頭も受胎せず、そして1982年12月に老衰のため29歳で他界。生涯現役種牡馬だった。
産駒の特徴
本馬の産駒の特徴を何点か挙げると、第一に頑健であったことが挙げられる。故障知らずで、連戦にも良く耐え、重い斤量を課せられても平気で走った。産駒の特徴の第二は馬力があった事である。それゆえにダートは得意で、芝の活躍馬であってもダートは確実に走った。また、この馬力により、重い斤量を課せられた場合でも平気で勝った。タケシバオーは60kgを背負ったダート1700mのオープン特別で1分41秒9という37年間破られなかった日本レコードを樹立し、65kgを背負ったジュライSも勝ち、62kgを背負ったスプリンターズS(この年のみ正式名称が「英国フェア開催記念」だった)もレコードタイムで勝っている。ヤシマナシヨナルは宇都宮競馬場で行われたA1特別競走で76kgを背負い、しかもスタートで出遅れながら6馬身差のレコードタイムで圧勝した(これは戦後のサラブレッド競馬における最高負担重量勝利記録である)。産駒の特徴の第三は距離適性が幅広かった事である。基本的には自身と同様の中長距離馬が多かったようだが、3200mの天皇賞春と1200mのスプリンターズSを同一年に勝ったタケシバオーを筆頭に、1200mの東京盃を勝った3か月後に3000mの東京大賞典を勝ったヤシマナシヨナル、現在では中距離馬との評価でほぼ確定しているが3000mの菊花賞で鼻差2着したハイセイコーなど、距離は万能であった(現在のように距離別路線が整備されていなかったせいもあるのだろうが)。
本馬の直系は、ハイセイコーとタケシバオーがいずれも後継種牡馬として一定の成績を収めたが、孫の代の種牡馬は全て失敗し、現在は途絶えている。現在、本馬が暮らしていた本桐牧場に「チャイナロック号記念像」が建てられている。なお、本馬は繁殖牝馬の父としても優秀で、1979~1983年までと、1985年の計6回、全日本母父首位種牡馬になっている。母父としての代表産駒は、ニホンピロウイナー、リーゼングロス、タケノベルベット、ロングハヤブサ、カツラギハイデンなど。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1962 |
アオバ |
金鯱賞・愛知盃・中日新聞盃・中京記念 |
1962 |
シャチノオーザ |
東海菊花賞(名古屋)・東海桜花賞 (名古屋) |
1962 |
シントー |
ダイオライト記念(船橋) |
1962 |
ハツライオー |
札幌記念・京都記念・阪急盃 |
1963 |
フシミカブト |
新春ジュニア(名古屋)・ダイオライト記念(船橋) |
1964 |
アントニック |
葵賞典(紀三井寺) |
1964 |
オーツキカゲ |
岩鷲賞典(盛岡) |
1964 |
トミマサ |
中日新聞盃・東京記念(大井) |
1964 |
メジロシンゲン |
京王盃スプリングH |
1964 |
メジロタイヨウ |
天皇賞秋・目黒記念・アルゼンチンジョッキークラブC |
1964 |
ヤシマナショナル |
東京大賞典(大井)・大井記念(大井)・東京盃(大井)・東京記念(大井)・地全協会長賞(高知)・組合設立記念(高知) |
1965 |
タケシバオー |
天皇賞春・朝日杯三歳S・東京四歳S・東京新聞盃・京都記念・毎日王冠・スプリンターズS |
1965 |
チャイナーキャップ |
ニューイヤーC(浦和)・羽田盃(大井)・NTV盃(船橋) |
1965 |
トーワヤスシ |
葵賞典(紀三井寺) |
1965 |
プロヒット |
中京盃(中京) |
1966 |
アカネテンリュウ |
菊花賞・セントライト記念・日本経済賞・アメリカジョッキークラブC・目黒記念・東京新聞杯 |
1966 |
ダイイチカルペール |
新潟グランプリ(新潟)・新潟グランプリ(三条) |
1966 |
ダイゴハマイサミ |
阪神障害S春 |
1966 |
チャイナスピード |
東京王冠賞(大井) |
1966 |
ニイガタホマレ |
三条記念(三条) |
1966 |
ヒダカスズラン |
京成杯三歳S・金盃(大井)・キヨフジ記念(川崎) |
1967 |
シルバスター |
北國王冠(金沢)・農林大臣賞典(金沢)・中日盃(金沢) |
1967 |
チャイナセブン |
関東オークス(川崎)・報知グランプリC(船橋) |
1967 |
ミツルオー |
NTV盃(船橋) |
1968 |
シナノホスター |
中日スポーツ杯春(名古屋)・東海優駿(名古屋) |
1968 |
ツキブエ |
草雲賞(足利) |
1968 |
バンライ |
ダイヤモンドS |
1968 |
ムツミバロン |
七夕賞 |
1968 |
ライトファスト |
NET盃(大井) |
1969 |
カヤヌマチャイナ |
日本海賞(益田) |
1969 |
クラフトケルン |
黒潮盃(大井)・東京記念(大井) |
1969 |
ツキサムホマレ |
函館記念2回・札幌記念 |
1969 |
フジチャイナ |
阪神障害S秋 |
1969 |
ワイエムチャイナ |
小倉記念 |
1969 |
ワイエムロック |
岐阜大賞(笠松) |
1970 |
カガノチャイナ |
中京盃(中京) |
1970 |
ゴールドロック |
ダイヤモンドS |
1970 |
チャイナホープ |
全日本三歳優駿(川崎) |
1970 |
ハイセイコー |
皐月賞・宝塚記念・青雲賞(大井)・弥生賞・スプリングS・NHK杯・中山記念・高松宮杯 |
1970 |
ホウシュウエイト |
毎日杯・日本経済新春杯 |
1971 |
サンチャイナ |
新春ジュニア(名古屋)・スプリングC (名古屋)・中日スポーツ杯春(名古屋)・東海優駿(名古屋)・阪神障害S春 |
1971 |
シナノピストン |
ダイヤモンド特別(名古屋)・東海桜花賞 (名古屋) |
1971 |
トウショウロック |
ステイヤーズS・ダイヤモンドS・北上川大賞(盛岡)・桐花賞(盛岡) |
1971 |
マルイチダイオー |
川崎記念(川崎)・ニューイヤーC(浦和)・金杯(浦和)・報知グランプリC(船橋)・ダイオライト記念(船橋)・金盃(大井)・大井記念(大井)・報知オールスターC(川崎) |
1972 |
カイキョウコマチ |
北國王冠(金沢) |
1973 |
ウエノスター |
中日スポーツ杯秋(中京) |
1973 |
トウショウソネラ |
三条記念(三条) |
1974 |
アポロチャイナ |
東北サラブレッド大賞典(新潟)・さつき賞(上山)2回 |
1974 |
カミノカチドキ |
北海道三歳優駿(札幌) |
1974 |
マツカゼロック |
ゴールドジュニア(笠松) |
1976 |
エイシンタロー |
京都四歳特別 |
1976 |
サンローレオー |
岐阜金賞(笠松)・東海金杯(笠松) |
1976 |
チャージャー |
開設記念(高崎) |
1979 |
コウチオウショウ |
北海道三歳S |