シャーラスタニ

和名:シャーラスタニ

英名:Shahrastani

1983年生

栗毛

父:ニジンスキー

母:シャデマー

母父:サッチ

ダンシングブレーヴの豪脚を退けて英ダービーを勝ち、愛ダービーも8馬身差で圧勝してその実力を証明した実力馬

競走成績:2・3歳時に英愛仏で走り通算成績7戦4勝2着1回

誕生からデビュー前まで

アガ・カーンⅣ世殿下によって米国ケンタッキー州において生産・所有され、英国マイケル・スタウト調教師に預けられた。主戦はウォルター・スウィンバーン騎手で、本馬の全競走に騎乗した。この陣営構成は5歳年上のシャーガーとまったく同じであるが、本馬が誕生した1983年はシャーガーが誘拐されて行方不明になったまさにその年であった(誕生日は3月27日で、シャーガーが誘拐された1か月半後である)。

競走生活(3歳前半まで)

2歳9月にニューベリー競馬場で行われたヘインズヘンソン&クラーク条件S(T8F)でデビューし、マイトントンの頭差2着。英タイムフォーム社はこの時のレースぶりを「いずれ必ず強くなります。大変な素質馬です」と評している。陣営も同じように感じていたのか、2歳時は無理使いせずにこの1戦のみで終えた。

3歳時は英ダービーを目標として、5年前のシャーガーと同じく4月のサンダウンクラシックトライアルS(英GⅢ・T10F)から始動した。僅か4頭立てではあったが、ロイヤルロッジSを勝っていた無敗のボノミーが対戦相手となった。しかし単勝オッズ3倍の1番人気に支持された本馬が、ボノミーを4馬身差の2着に下して完勝。この印象的な勝利により、一躍注目馬となった。

その1か月後にはダンテS(英GⅡ・T10F85Y)に出走。ここには、チェスターヴァーズを勝ってきたウィリアムヒルフューチュリティS2着馬ノムルードが出走していたが、本馬が単勝オッズ1.91倍の1番人気に支持された。レースでは2番手追走から残り2ハロン地点で先頭に立つと、ノムルードとの競り合いを制して1馬身半差で勝利した。

そして迎えた本番の英ダービー(英GⅠ・T12F)では、単勝オッズ6.5倍の2番人気となった。単勝オッズ1.5倍という断然の1番人気に支持されていたのは、英2000ギニーを3馬身差で楽勝してきた4戦無敗のダンシングブレーヴだった。他の出走馬は、プレドミネートSなど3戦無敗のアレミロード、ホワイトローズS・リングフィールドダービートライアルSを勝ってきたマシュクール、愛2000ギニー・ベレスフォードS・テトラークSなど5連勝中のフラッシュオブスティール、2歳時にソラリオSを勝ち仏グランクリテリウムで2着して、3歳時に遠征先の米国で参戦したケンタッキーダービーでファーディナンドの2着と好走していたボールドアレンジメント、クレイヴンSではダンシングブレーヴの1馬身差2着だったディーSの勝ち馬ファラウェイダンサー、ノムルード、サンロマン賞・グレフュール賞を勝ちリュパン賞で2着してきた仏国調教馬アロカー、リングフィールドダービートライアルS2着馬ワイズカウンセラー、後に2歳にしてカルティエ賞年度代表馬に選ばれるアラジの伯父で日本の名繁殖牝馬ダンシングキイの従兄妹に当たるジャリアー、愛2000ギニー3着馬シャルード(ビワハヤヒデの父)、後にクリスタルマイル・ロッキンジS・クイーンアンSを勝つゼンアゲイン、サンダウンクラシックトライアルS・ダンテSでいずれも本馬の3着だったチェスターヴァーズ2着馬サークなどだった。

スタートが切られるとノムルードが逃げを打ち、本馬は4番手の好位を追走。一方のダンシングブレーヴは後方待機策を採った。そのままの位置取りでタッテナムコーナーを回って直線に突入。スローペースで逃げていたノムルードは直線に入ってもなかなか失速しなかったが、残り2ハロン地点で本馬が抜け出して先頭に立った。ゴール前で外側からダンシングブレーヴが鬼脚を使って追い込んできたが、半馬身差でその追撃を封じて優勝した。もっとも、このレースは勝った本馬よりも、ラスト1ハロンを10秒3で走破したダンシングブレーヴの末脚のほうが目立っており、ダンシングブレーヴ鞍上のグレヴィル・スターキー騎手が消極的なレース運びをしたからこういう結果になったと言われる事が多かった。

競走生活(3歳後半)

そうした声を封じるために、次走の愛ダービー(愛GⅠ・T12F)で本馬は強い勝ち方をする必要があった。ダンシングブレーヴは不在であり、本馬が単勝オッズ2倍の1番人気に支持されたが、英ダービーで本馬から3馬身後方の3着だったマシュクール、ダンシングブレーヴの同厩馬で前年の国際クラシフィケーションにおいて2歳馬トップの評価を得ていたウィリアムヒルフューチュリティSの勝ち馬でデューハーストS2着・仏ダービー3着のバカロフと並んでの1番人気であり、まだそれほど信用されていなかった。

レースはサンダウンクラシックトライアルSで本馬の2着に敗れた後にキングエドワードⅦ世Sを勝ってきたボノミーなど2頭の逃げ馬が先頭を引っ張り、本馬は3番手を追走。快調に飛ばす先頭の2頭を積極的に追いかけたため、4番手以下とはかなりの差が開いた。四角手前で逃げ馬1頭がばてて失速したため自動的に2番手に上がった状態で直線を向いた。後続馬の騎手達は四角手前から激しく手を動かして追い始めていたが、本馬鞍上スウィンバーン騎手の手は直線に入っても微動だにしていなかった。そして残り2ハロン地点でようやく追い始めると、ボノミーをかわして先頭に立った。そして後続をどんどん引き離し、最後は2着に粘ったボノミーに8馬身差をつけて圧勝し、1981年のシャーガー以来5年ぶり史上9頭目となる英ダービー・愛ダービーのダブル制覇を達成した。

シャーガーに次ぐ史上6頭目の“High Summer Treble”を目指して参戦した次走のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)では、英ダービー2着後にエクリプスSを勝ってきたダンシングブレーヴとの再戦となった。他にも、マルセルブサック賞・愛2000ギニーの勝ち馬で英オークス・コロネーションC・エクリプスS2着の4歳牝馬トリプティク、前年の同競走とプリンセスオブウェールズSを勝っていた4歳牡馬ペトスキ、カンバーランドロッジS・セントサイモンS・プリンセスオブウェールズSを勝っていた4歳牡馬シャーダリといった有力馬が参戦していた。本馬が単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持され、ダンシングブレーヴが単勝オッズ2.5倍の2番人気となった。

レースは2頭のペースメーカーが猛然と先頭を飛ばして後続を引き離し、大きく離れた3番手をシャーダリ、4番手を本馬が追走し、ダンシングブレーヴはここでも後方待機策を採った。三角手前で2頭のペースメーカーが一気に失速すると、入れ代わるようにシャーダリが仕掛けて先頭に立ち、本馬もそれを追って上がっていった。そして2番手で直線を向き、先頭のシャーダリを追いかけようとしたが、今ひとつ伸びを欠いた。そして残り1ハロン半地点で外側から追い上げてきたダンシングブレーヴにかわされるとそのまま失速。残り1ハロン地点過ぎでトリプティクにもかわされ、勝ったダンシングブレーヴから8馬身も離された4着に敗れてしまった。

この直後に1400万ポンドの種牡馬シンジケートが組まれたため、このまま引退かと思われたが、すぐに引退はせずに秋の凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に直行した。このレースはシーバードが勝った1965年以来となる史上屈指の好メンバーが揃っていた。前哨戦のセレクトSを10馬身差で圧勝してきたダンシングブレーヴ、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2着後に英国際Sを勝っていたシャーダリ、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS3着後に英国際Sで2着していたトリプティクといった既対戦組の他に、驚異的なレコードタイムで制覇した仏ダービーを筆頭にノアイユ賞・オカール賞・ニエル賞など5連勝中のベーリング、独ダービー・アラルポカル2回・サンクルー大賞・ベルリン大賞・バーデン大賞など12連勝中の独国最強馬アカテナンゴ、ヴェルメイユ賞を勝ってきたダララ、コロネーションC・モーリスドニュイユ賞・アルクール賞の勝ち馬サンテステフ、ハードウィックS・セプテンバーSの勝ち馬ディヒスタン、ドラール賞・リス賞の勝ち馬イアデス、ドーヴィル大賞・エドヴィル賞の勝ち馬ベイビーターク、ブランドフォードS2連覇のネメイン、ロワイヤルオーク賞・ロワイヤリュー賞・フォワ賞の勝ち馬マージ、前走のフォワ賞でマージの首差2着してきた前年の東京優駿の勝ち馬シリウスシンボリ、チリのGⅠ競走ラスオークス・ナシオナルリカルドライオン賞の勝ち馬マリアフマタが参戦していた。ぶっつけ本番の本馬は、ダンシングブレーヴ、ベーリング、アカテナンゴといった前哨戦勝利組より評価が低く、4番人気止まりだった。1番人気に推されていたのは宿敵ダンシングブレーヴだった。

スタート直後にダララが先頭に立ち、やがてベイビータークが先頭に立ってレースを先導。本馬は馬群の外側7~8番手の好位を追走、ダンシングブレーヴがさらにその後方を追走した。過去には先行策で勝ってきた本馬だが、今回はフォルスストレートに入ってもまだ好位で我慢しており、直線に入るところでようやく追い出した。残り200m地点では、内側で粘るシャーダリとダララに並んで抜け出しかけたが、そこへ外側からベーリング、内側馬群の中からトリプティクがやって来て、本馬に並びかけてきた。この3頭の勝負になるかと思われた次の瞬間、突然大外から現れたダンシングブレーヴが並ぶ間もなく内側の馬達をかわしてゴールに突き刺さっていた。本馬は、ベーリング、トリプティクにも後れを取って、勝ったダンシングブレーヴから2馬身差の4着に敗退。このレースを最後に、3歳時6戦4勝の成績で競走馬を引退した。

本馬が語られる際には、必ずと言ってよいほどダンシングブレーヴとセットにされる。そのため、ダンシングブレーヴが主役で本馬は脇役という印象が強い。もっとも、本馬自身も3歳時に英タイムフォーム社のレーティングで135ポンド、国際クラシフィケーションで134ポンドという高評価を得た実力馬であり、ダンシングブレーヴが1980年代欧州最強馬と呼ばれる理由には、同時代に本馬がいたからという点も少なからずあるはずである。

血統

Nijinsky Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Flaming Page Bull Page Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Our Page Blue Larkspur
Occult
Flaring Top Menow Pharamond
Alcibiades
Flaming Top Omaha
Firetop
Shademah Thatch Forli Aristophanes Hyperion
Commotion
Trevisa Advocate
Veneta
Thong Nantallah Nasrullah
Shimmer
Rough Shod Gold Bridge
Dalmary
Shamim Le Haar Vieux Manoir Brantome
Vieille Maison
Mince Pie Teleferique
Cannelle
Diamond Drop Charlottesville Prince Chevalier
Noorani
Martine Palestine
Pale Ale

ニジンスキーは当馬の項を参照。

母シャデマーもアガ・カーンⅣ世殿下の生産・所有馬で、愛国で走り8戦3勝2着3回の成績を残した後、米国で繁殖入りしていた。本馬以外に活躍馬を産んではいないが、本馬の半妹シャレナラ(父ヴェイグリーノーブル)の曾孫にシャリーン【デニーコーデルラヴァラックフィリーズS(愛GⅢ)】、シャレスタン【ブリガディアジェラードS(英GⅢ)】が、本馬の半妹シャラタ(父ダルシャーン)の子にクリムゾンタイド【デュッセルドルフ大賞(独GⅡ)・リボー賞(伊GⅡ)・セプテンバーS(英GⅢ)】、ファラッタ【ガーデンシティBCH(米GⅡ)・サンドランガン賞(仏GⅢ)】、タマリンド【ギブサンクスS(愛GⅢ)】がおり、牝系は維持されている。

シャデマーの母シャミムは優れた繁殖牝馬で、シャデマーの半兄シャカプール(父カラムーン)【サンクルー大賞(仏GⅠ)・ギシュ賞(仏GⅢ)】、半弟シャランプール(父バステッド)【ボーリンググリーンH(米GⅠ)・レッドスミスH(米GⅡ)】を産んだ。また、シャデマーの半妹シャシュナ(父ブレイクニー)の子にシェマカ【仏オークス(仏GⅠ)・ノネット賞(仏GⅢ)・コンデ賞(仏GⅢ)】、孫にシェミマ【リューテス賞(仏GⅢ)・アレフランス賞(仏GⅢ)】がいる。シャミムの半弟にはカマラーン【コンセイユドパリ賞(仏GⅡ)2回】、カマリダーン【エクスビュリ賞(仏GⅢ)】がいる。シャミムの母ダイヤモンドドロップの半姉にはオパライン【チェヴァリーパークS】がいる。母系は1905年の英1000ギニー・英オークスを制したチェリーラスの1歳年上の半姉ジーンズフォリーからの流れである。→牝系:F3号族②

母父サッチはフォルリ産駒で、現役成績11戦8勝、サセックスS(英GⅠ)・ジュライC(英GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅡ)などを制した名短距離馬。その全姉スペシャルの子孫にヌレイエフサドラーズウェルズがいる世界的名牝系の出身である。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国ケンタッキー州スリーチムニーズファームで種牡馬入りした。1992年には愛国バリメニースタッドに移動した。そして1994年には日本に導入され、同年からアロースタッドで種牡馬生活を開始した。日本では馴染みがあるニジンスキー産駒ということや、先に日本に来ていたダンシングブレーヴを破った英ダービー馬ということが評価され、初年度は102頭の繁殖牝馬を集めた。しかしすぐに厭きられて、2年目は43頭、3年目は16頭、4年目は19頭、5年目の1998年は3頭と交配数は減少。この1998年の繁殖シーズン終了後に日本を去り、愛国クラッシュモアスタッドに移り住んだ。

本馬の種牡馬成績はどの国でも不振であり、産駒のステークスウイナーは16頭に留まった。代表産駒はスペインのGⅠ競走マドリード大賞を勝ち、カドラン賞で3着したダリヨーンである。日本ではオープン特別の菩提樹Sで2着したヴィエントシチーが出世頭だった。晩年には障害用種牡馬として供用されており、マタラン記念4歳ノービスハードル(英GⅠ)を勝ったザバディを出している。繁殖牝馬の父としては、愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを勝った名馬アラムシャーを送り出した。2011年に種牡馬を引退し、同年12月に加齢による衰弱がひどくなったため、繋養先の愛国ウォルトンフィールズスタッドにおいて28歳で安楽死の措置が執られた。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1988

Blue Daisy

バグッタ賞(伊GⅢ)

1990

Kazabaiyn

エクスプローシヴビッドH(米GⅢ)

1990

Marastani

スターズ&ストライプスH(米GⅢ)

1991

Cajarian

レパーズダウンS(愛GⅢ)・メルドS(愛GⅢ)

1992

Rifapour

オカール賞(仏GⅡ)

1993

St. Mawes

ゴードンS(英GⅢ)

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