リズンスター
和名:リズンスター |
英名:Risen Star |
1985年生 |
牡 |
黒鹿 |
父:セクレタリアト |
母:リボン |
母父:ヒズマジェスティ |
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ルイジアナ州のローカル馬から出世を果たし、プリークネスSを勝ちベルモントSを14馬身3/4差で圧勝した、種牡馬セクレタリアトの牡馬の最高傑作 |
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競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績11戦8勝2着2回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
米国の馬産家アーサー・ボイド・ハンコックⅢ世氏と、ニューヨークの不動産業者兼馬産家レオン・J・ピーターズ氏の両名により共同生産された。ケンタッキー州の名門牧場クレイボーンファームの創業者アーサー・ボイド・ハンコック氏の孫、クレイボーンファームを発展させたアーサー・“ブル”・ハンコック・ジュニア氏の長男だったハンコックⅢ世氏だが、1972年に父が死去した際の後継者争いにおいて弟のセス・ハンコック氏に敗れてクレイボーンファームを去ることになった。その後は長年懇意にしていたピーターズ氏とコンビを組み、ケンタッキー州ストーンファームにおいて馬産を継続。このコンビは既に1982年のケンタッキーダービー馬ガトデルソルを出すなど結果を残していた。
本馬は2歳時にフロリダ州コールダー競馬場で行われたトレーニングセールに出品され、ルイジアナ州の事業家ロニー・ラマルク氏とルイ・ラッセルⅢ世氏により購入されて両名の共同所有馬となった。ラッセルⅢ世氏は事業家や馬主であるだけでなく調教師でもあった。彼は咽頭癌を患って回復したばかりだったが、病み上がりの身体に鞭打って自ら本馬に調教を施した。ラッセルⅢ世師は敬虔なカトリック教徒であり、本馬が後に稼いだ賞金の1割を修道院に寄付することになる。ラマルク氏とラッセルⅢ世師はいずれもルイジアナ州出身だった事から、本馬の競走馬デビューもルイジアナ州だった。
競走生活(3歳初期まで)
2歳9月にルイジアナダウンズ競馬場で行われたミンストレルS(D6.5F)でデビューすると、2着ボールドチャドラに1馬身差で勝利した。翌月には、スポートオブキングスフューチュリティ(D7F)に出走。しかしこのレースには、ホープフルSで3着していたサクセスエクスプレスという馬が米国東海岸から西海岸へと移動する途中で行き掛けの駄賃とばかりに出走してきて、勝利を攫っていってしまった。本馬は2着に入ったが、勝ったサクセスエクスプレスからは実に15馬身差をつけられていた。もっとも、西海岸に到着したサクセスエクスプレスがBCジュヴェナイルを勝利したという事実も忘れてはならない。2歳3戦目はルイジアナ州フェアグラウンズ競馬場で12月に行われた芝7.5ハロンの一般競走で、ここでは2着クイックボブに4馬身差で勝利した。2歳時は3戦2勝の成績だった。
3歳時は1月にフェアグラウンズ競馬場で行われたダート8.5ハロンの一般競走から始動。2着ミスターバターカップに10馬身差をつけて圧勝したが、ミスターバターカップは生涯1度もステークス競走に出なかった馬であり、それに圧勝したからと言ってそれほど評価が上がるわけではない。ちなみに前走で4馬身差の2着に破ったクイックボブも本馬と対戦する前における成績は9戦1勝であり、これも強い相手とは言えなかった。
翌2月に出たルコントH(D8.5F)では、ブラックゴールドHで3着してきたパストゥーレルズの1馬身1/4差2着に敗退。しかし次走のルイジアナダービートライアルS(D8.5F)では、パストゥーレルズを1馬身差の2着に、アーリントンワシントンフューチュリティ2着馬ジムズオービットを3着に破って勝利した。
そして出走したルイジアナダービー(GⅢ・D8.5F)では、シェーン・ロメロ騎手を鞍上に、パストゥーレルズ、ジムズオービット達を再び破り、2着ワードパイレートに1馬身3/4差をつけて勝利を収めた。
デビューからここまでルイジアナ州から出たことがない本馬だったが、次走はケンタッキー州キーンランド競馬場で行われたレキシントンS(GⅡ・D8.5F)となった。今まで本馬が戦ってきた相手の中で一線級と言える馬は、スポートオブキングスフューチュリティで15馬身差をつけられたBCジュヴェナイルの勝ち馬サクセスエクスプレスのみだったが、ここで2頭目の一線級と相対することになった。それは、ベルモントフューチュリティS・シャンペンS・サンフォードS・ブリーダーズフューチュリティ・ファウンテンオブユースSなどを勝ちフロリダダービーで2着していた前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬フォーティナイナーだった。サクセスエクスプレスとフォーティナイナーの直接対決は1度も無かったため単純比較は困難だが、サプリングS・アーリントンワシントンフューチュリティ・カウディンS・ハリウッドフューチュリティを勝った2歳馬トップクラスのテハノが、フォーティナイナーが勝ったシャンペンSとサクセスエクスプレスが勝ったBCジュヴェナイルで連続3着していたから、サクセスエクスプレスとフォーティナイナーの2歳時における実力には決定的な差は無いと思われた。そのためサクセスエクスプレスに15馬身差をつけられた本馬がフォーティナイナーを負かすのは困難であるはずだった。
レースでは1番人気に支持されたフォーティナイナーが2番手を走り、ファシント・ヴァスケス騎手騎乗の本馬は5頭立ての最後方を追走した。もっとも、各馬の差はそれほど大きくなく、三角手前では全馬が一団となった。その中からフォーティナイナーが抜け出して四角途中で先頭に立つのとほぼ同時に本馬も動き、直線入り口で外側からフォーティナイナーに並びかけて叩き合いに持ち込んだ。フォーティナイナーも必死に粘ったが、ゴール前で本馬が僅かに前に出て頭差で勝利。3着に入ったブラッドベリーSの勝ち馬で前走ジムビームS2着のスタルウォーズはさらに10馬身後方だった。これでルイジアナ州のローカル馬だった本馬は、3週間後に迫ったケンタッキーダービーの有力候補としてようやく名乗りを挙げる事になった。
ケンタッキーダービー
そして迎えたケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)では、サンタアニタオークスとサンタアニタダービーを連続圧勝してきた牝馬ウイニングカラーズ、ウッドメモリアル招待S・ゴーサムS・フェデリコテシオSなど7戦無敗のプライヴェートタームズ、フォーティナイナー、フロリダダービーでフォーティナイナーを2着に破って勝っていたブライアンズタイム、アーカンソーダービーを勝ってきたプロパーリアリティ、ブルーグラスSを勝ってきたグラナカス、ウッドメモリアル招待Sでプライヴェートタームズの2着していたスウェイルSの勝ち馬シーキングザゴールド、タンパベイダービーの勝ち馬セフィス、ジムビームSの勝ち馬キングポスト、サンタカタリナSの勝ち馬でサンタアニタダービー2着のライブリーワン、サマーS・グレイSを勝ちBCジュヴェナイルで2着していた加国調教馬リーガルクラシック、ルイジアナダービー4着後にダービートライアルSを勝ってきたジムズオービットなど16頭が本馬以外に出走してきて、BCジュヴェナイル勝利後に6連敗して回避したサクセスエクスプレスを除く同世代の有力馬は軒並み姿を見せていた。ウイニングカラーズとプライヴェートタームズが並んで1番人気に支持され、フォーティナイナーが3番人気、エディ・デラフーセイ騎手と初コンビを組んだ本馬は4番人気だった。
スタートが切られるとウイニングカラーズが先頭に立ち、同じく逃げ馬のフォーティナイナーは無理に競りかけず2番手に控えた。そして本馬は馬群の中団やや後方につけていた。ウイニングカラーズ以外の馬に乗っていた騎手達は誰もが、ウイニングカラーズは道中でスタミナが切れると判断していたらしく、無理に追いかけなかった。しかしかなり速いペースながらも単騎で逃げたウイニングカラーズの脚色はなかなか衰えず、三角から四角を回って直線に突入しても大きなリードを保っていた。慌てた後続馬の騎手達が一団となって追いかけ始めたため、後方外側を走っていた本馬は三角から四角にかけて大外を走らされ、大きなコースロスを蒙った。結局フォーティナイナーの追い上げを首差で抑えたウイニングカラーズが史上3頭目の牝馬のケンタッキーダービー馬となり、直線入り口8番手から外側を追い上げた本馬はフォーティナイナーからさらに3馬身差の3着に敗れた。
プリークネスS
次走のプリークネスS(GⅠ・D9.5F)では、ウイニングカラーズ、フォーティナイナー、前走5着のリーガルクラシック、同6着のブライアンズタイム、同8着のセフィス、同9着のプライヴェートタームズ、エヴァーグレーズSの勝ち馬でフラミンゴS2着のソーリーアバウトザット、ダンシングカウントS・ハーシュジェイコブスSの勝ち馬ファインダーズチョイスの計8頭が対戦相手となった。出走馬の数は前走から半減したが、質は前走と比べて遜色なかった。人気は、ウイニングカラーズ、フォーティナイナー、プライヴェートタームズ、本馬の順番で、本馬は単勝オッズ7.8倍の4番人気だった。
スタートが切られると、前走でウイニングカラーズを楽に逃がした反省からフォーティナイナーが猛然と先頭に立ち、ウイニングカラーズと競り合いながら飛ばしていった。本馬鞍上のデラフーセイ騎手も、前走で追い込んで届かなかった反省からか、今回は逃げる2頭を見るように3番手の好位を追走。前走では外側を走らされたが、今回は内側をロス無く進んでいた。そして三角に入ったところで内側から前の2頭をかわして先頭に立った。フォーティナイナーは馬群に沈んでいき、ウイニングカラーズにも本馬を差し返すほどの勢いは無く、直線で本馬に迫ってきたのは後方待機策から4番手で直線に入ってきたブライアンズタイムだった。しかしブライアンズタイムも本馬をかわすことは出来ず、本馬が2着ブライアンズタイムに1馬身1/4差、3着ウイニングカラーズにもさらに1馬身1/4差をつけて勝利した。
ベルモントS
その後はベルモントSに向かう計画だったが、プリークネスSから1週間後の調教中に右前脚の繋靭帯を痛めてしまった。しかしラッセルⅢ世師はそれでも本馬のベルモントS(米GⅠ・D12F)参戦を決定した。ここでは、前走4着のプライヴェートタームズ、同6着のリーガルクラシック、同7着のフォーティナイナーが回避し、対戦相手は、ブライアンズタイム、ウイニングカラーズ、前走5着のセフィス、ケンタッキーダービー11着から直行してきたグラナカス、ケンタッキーダービー14着後にピーターパンS4着を挟んできたキングポストの5頭だけだった。本馬とブライアンズタイムが並んで単勝オッズ3.1倍の1番人気、ウイニングカラーズが3番人気となった。
スタートが切られるとウイニングカラーズが先頭に立ち、本馬は3馬身ほど離れた2番手を追走した。向こう正面でウイニングカラーズのペースが落ちると、本馬が代わって先頭に立ち、そのまま三角と四角を回ってきた。三角途中で後方からキングポストがやってきたが、本馬との差は縮まらず、四角途中からは逆に差が開き始めた。直線では後続を引き離す一方の独走となり、最後は2着キングポストに14馬身3/4差という圧倒的な差をつけて優勝した。この14馬身3/4差という2着馬との着差は、当時だけでなく2015年現在でもベルモントS史上5位という大差だった。ちなみに1位は1973年に父セクレタリアトがつけた31馬身差、2位は1943年カウントフリートの25馬身差、3位は1920年マンノウォーの20馬身差、4位は1887年ハノーヴァーの15馬身差(推定30馬身差とする説もある)である。また、本馬の勝ちタイム2分26秒4は、父セクレタリアトが1973年に計時した伝説の2分24秒0に次ぐ(距離12ハロンの)ベルモントS史上当時2番目に速いタイムで、2015年現在も、セクレタリアト、1989年イージーゴアの2分26秒0、1992年エーピーインディの2分26秒13に次ぐ史上4位となっている好タイムだった。ゴール直後に実況は「まるでセクレタリアトのような勝ち方でリズンスターがベルモントSを勝ちました!」と叫んだ。
しかしベルモントSの直後、レース前から痛めていた右前脚の繋靭帯が大きなダメージを受けている事が判明。ベルモントSからしばらくして総額1400万ドル(当時の為替レートで約22億4千万円)という巨額の種牡馬シンジケートが組まれたため、この後はレースに出る事なく競走馬を引退した。ニューヨーク・タイムズ紙は7月5日付けの記事で「リズンスターは翌年まで時間がかかっても怪我を治して他世代馬と対戦するべきであり、この引退は競馬ファン達を裏切るものです」という論調を張り、高騰する当時の種牡馬ビジネスに対する不満を表明した。
それでも3歳時8戦6勝の成績で、この年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬に選出されている。ちなみに本馬の父セクレタリアトは1973年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬に、その父ボールドルーラーはエクリプス賞創設前である1957年の米最優秀3歳牡馬にそれぞれ選出されているが、父子3世代に渡って米最優秀3歳牡馬を獲得した例はこれが史上初であった(後にシアトルスルー、エーピーインディ、バーナーディニが2例目となっている)。
血統
Secretariat | Bold Ruler | Nasrullah | Nearco | Pharos |
Nogara | ||||
Mumtaz Begum | Blenheim | |||
Mumtaz Mahal | ||||
Miss Disco | Discovery | Display | ||
Ariadne | ||||
Outdone | Pompey | |||
Sweep Out | ||||
Somethingroyal | Princequillo | Prince Rose | Rose Prince | |
Indolence | ||||
Cosquilla | Papyrus | |||
Quick Thought | ||||
Imperatrice | Caruso | Polymelian | ||
Sweet Music | ||||
Cinquepace | Brown Bud | |||
Assignation | ||||
Ribbon | His Majesty | Ribot | Tenerani | Bellini |
Tofanella | ||||
Romanella | El Greco | |||
Barbara Burrini | ||||
Flower Bowl | Alibhai | Hyperion | ||
Teresina | ||||
Flower Bed | Beau Pere | |||
Boudoir | ||||
Break Through | Hail to Reason | Turn-to | Royal Charger | |
Source Sucree | ||||
Nothirdchance | Blue Swords | |||
Galla Colors | ||||
Quaheri | Olympia | Heliopolis | ||
Miss Dolphin | ||||
Bibibeg | Bahram | |||
Mumtaz Begum |
父セクレタリアトは当馬の項を参照。
母リボンは現役成績27戦9勝。パッカーアップS(米GⅢ)・アーリントンオークス・ゴールデンハーヴェストHなどを勝ち、ケンタッキーオークス(米GⅠ)では4着だった。リボンの曾祖母ビビベッグはナスルーラの1歳年下の半妹であるから、本馬の牝系は名門ムムタズマハル系という事になる。しかしリボンの近親には活躍馬が乏しく、GⅡ~GⅢ競走クラスの馬が片手で数えられるほどいる程度で、GⅠ競走を勝った大物競走馬は本馬のみである。少し離れると、リボンの祖母クワヘリの半姉ビビトゥーリの曾孫にローズデュバリー【ノーフォークS(英GⅠ)】、玄孫にコースタルブラフ【ナンソープS(英GⅠ)】、グレープツリーロード【パリ大賞(仏GⅠ)】と3頭のGⅠ競走の勝ち馬がいるが、近親と言えるかどうかは微妙な位置である。その点においては、いくらムムタズマハルの牝系と言っても優秀な母系であるとは言い難い。→牝系:F9号族③
母父ヒズマジェスティは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は1400万ドルの種牡馬権利のうち半分を購入した米国ケンタッキー州ウォルマック国際ファームで種牡馬入りした。種牡馬としては成功したが期待ほどではなかった父セクレタリアトの後継種牡馬として大いに期待されたが、セクレタリアトが期待外れと言われるなら本馬の立場が無くなるほど種牡馬成績は振るわなかった。1998年3月に腸捻転に伴う疝痛のため13歳で他界し、ウォルマック国際ファームに埋葬された。本馬の牡駒唯一の国際GⅠ競走勝ち馬スタースタンダードは現役中に蹄葉炎で他界してしまい、他に後継種牡馬になれるような成績を残した牡駒はおらず、セクレタリアトや本馬の直系は残念ながら途絶えてしまった。本馬の血を受け継ぐ繁殖牝馬は残っている。母父としてはスターバレリーナの子であるグランパドドゥ、アンドゥオール姉弟などを出している。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1990 |
スターバレリーナ |
ローズS(GⅡ) |
1991 |
Risen Raven |
独オークス(独GⅡ)・デュッセルドルフ大賞(独GⅡ)・ノイス牝馬賞(独GⅢ) |
1992 |
Michael's Star |
ディスカヴァリーH(米GⅢ) |
1992 |
Star Standard |
ピムリコスペシャルH(米GⅠ)・レキシントンS(米GⅡ) |