レイチェルアレクサンドラ

和名:レイチェルアレクサンドラ

英名:Rachel Alexandra

2006年生

鹿毛

父:メダグリアドーロ

母:ロッタキム

母父:ローア

牝馬限定戦では圧勝の連続、牡馬相手のプリークネスS・ハスケル招待S・ウッドワードSも制して3歳牝馬として初めてエクリプス賞年度代表馬に輝く

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績19戦13勝2着5回

誕生からデビュー前まで

米国の馬産家ドルフス・C・モリスン氏によりケンタッキー州において生産・所有された。馬名はモリスン氏の孫娘の名前そのままである。父メダグリアドーロはトラヴァーズS・ホイットニーH・ドンHとGⅠ競走を3勝した名馬だが、BCクラシック2着2回・ドバイワールドC2着など、ここ一番では勝てなかった。そんなメダグリアドーロをモリスン氏が自分の所有馬であるロッタキムの交配相手として指名した理由は、メダグリアドーロの体格を非常に気に入っていたからであるらしい。

母ロッタキムはモリスン氏が後に「実に酷い気性の持ち主でした」と述懐するほど気性に問題があったらしいが、本馬は「母親とは正反対の気性」の持ち主だったらしく、モリスン氏はスターティングゲートに入る際を除いて本馬が興奮したのを見たことは無かったという。

成長すると体高16ハンドに達したが、幼少期は骨がごつごつしている上に少し薄汚れた見栄えが悪い馬だったという。そのためか自分の孫娘の名前をつけた馬でありながら、滅多に生産馬をセリに出すことをしないモリスン氏は本馬を当歳11月のキーンランドセールに出品しようとした。しかしX線検査により脚の発育が遅れている事が判明したために出品を断念。そして1歳8月にフロリダ州で行われたセリに出品しようとしたが、この頃には大跳びで走る本馬に素質を感じ取るようになっていたため、結局この出品も取り止めとなった。

代わりにモリスン氏は本馬の所有権の一部を知人のマイク・ローファー氏に売却。本馬は両氏の共同所有としてL&Mパートナーズ名義となり、ハル・ウィギンズ調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳5月にチャーチルダウンズ競馬場で行われたダート4.5ハロンの未勝利戦で、ブライアン・ヘルナンデス・ジュニア騎手を鞍上にデビューした。後に米国競馬史上に名を残す名牝となる本馬も、この段階では全くと言って良いほど評価されておらず、単勝オッズ27.6倍で9頭立ての8番人気だった。スタートが切られると真っ先に本馬がゲートを飛び出したが、他馬のスピードに付いていく事が出来ずに馬群の中団後方に置かれてしまった。そして直線に入ってもあまり伸びず、勝ったソングトレスから8馬身1/4差の6着に敗れた。

次走は翌月にチャーチルダウンズ競馬場で行われたダート5ハロンの未勝利戦となった。本馬の評価は前走より少しは上がったが、それでも単勝オッズ13.5倍で9頭立ての6番人気だった。ここでも好スタートを切った本馬は前走と異なりそのまま先頭を走った。直線に入ると殆どの他馬は本馬から遥か後方に置き去りにされており、唯一本馬に迫ってきたのは好位を追走してきた単勝オッズ2.2倍の1番人気馬ベストラスだった。しかし本馬がベストラスの追撃を完封して、1馬身1/4差をつけて勝利した。しかしベストラスはスタート直後に不利を受けており、それが無ければ本馬が勝ったかどうかは微妙だった。

次走は2週間後にチャーチルダウンズ競馬場で行われたデビュータントS(GⅢ・D6F)となった。前走のGⅢ競走ケンタッキーSで2着してきたガーデンディストリクトが単勝オッズ2.1倍の1番人気、未勝利戦を勝ち上がってきたばかりのシンプリファイが単勝オッズ4.2倍の2番人気、本馬が完敗したデビュー戦勝利から直行してきたソングトレスが単勝オッズ8倍の3番人気で、単勝オッズ9.7倍の本馬は10頭立ての4番人気だった。ここでは過去2戦ほどスタートが良くなかった本馬は先手を取れずに、道中は馬群の中団を追走した。そしてじわじわと位置取りを上げていき、先行したシンプリファイと一緒になって、直線で逃げるガーデンディストリクトを追撃した。しかしシンプリファイは頭差抑えたものの、ガーデンディストリクトには届かずに半馬身差の2着に敗れた。

その後は3か月ほど休養して、10月にキーンランド競馬場で行われたオールウェザー6ハロンの一般競走で復帰した。本馬が単勝オッズ3.5倍の1番人気で、前月のGⅡ競走メイトロンSで3着してきたアーガイルピンクが単勝オッズ3.6倍の2番人気となった。スタートが切られるとほぼ同時にゲートを出た本馬とアーガイルピンクの2頭は、互いをマークし合うように3~4番手を進んだ。そして2頭がほぼ同時に仕掛けて直線に入ってきた。ここから本馬が着実にアーガイルピンクを引き離していき、最後は3馬身差をつけて快勝した。

次走は翌月にチャーチルダウンズ競馬場で行われたポカホンタスS(GⅢ・D8F)となった。GⅡ競走アディロンダックS3着馬プリティプロリフィックなどが対戦相手となったが、本馬が単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。スタートしてしばらくは出走各馬が固まって進んでいたが、やがて少し縦長になり、本馬は7頭立ての4~5番手の位置取りとなった。そして四角で仕掛けたが、本馬より後方を走っていた単勝オッズ4.9倍の3番人気馬サラルイーズがここでまくって先頭に踊り出た。3番手で直線に入った本馬だったが、サラルイーズに全く追いつけず、3馬身3/4差をつけられて2着に敗れた。

それから4週間後には同じチャーチルダウンズ競馬場でゴールデンロッドS(GⅡ・D8.5F)に出走した。前走で本馬を破ったサラルイーズに加えて、GⅠ競走アルキビアデスS勝ち馬でBCジュヴェナイルフィリーズ2着のドリームエンプレスも参戦してきた。ドリームエンプレスが単勝オッズ2.4倍の1番人気、サラルイーズが単勝オッズ2.6倍の2番人気で、本馬は単勝オッズ4.1倍の3番人気だった。

ここでは、過去5戦全てで手綱を取ったヘルナンデス・ジュニア騎手に代わり、前年のケンタッキーダービーをストリートセンスで制覇していたカルヴィン・ボレル騎手が騎乗した。本馬はスタートがあまり良くなかったが、ボレル騎手は本馬を加速させてすぐに先頭に立たせた。そして2番手のウォーエコー(フリゼットS4着馬)以下を引き連れて巧みに先頭を維持し続けた。そのまま直線に入ると二の脚を使って後続を引き離しにかかった。ドリームエンプレスは後方のまま伸びが無く、好位を追走してきたサラルイーズだけが辛うじて追ってきたが、これも本馬を捕らえるほどの勢いは無かった。直線で独り旅を満喫した本馬が2着サラルイーズに4馬身3/4差、3着ウォーエコーにはさらに7馬身1/4差をつけて、1分43秒08のレースレコードで圧勝した。

この勝利により本馬の主戦となったボレル騎手は後に「私が彼女に乗る際に心掛けた事は、最初の2ハロンを22秒、最初の半マイルを44秒という超ハイペースで彼女が走りたがった場合でも、彼女を抑えないことでした。私はこのゴールデンロッドSでそれを学習しました」と語っている。2歳時の成績は6戦3勝だった。

競走生活(3歳初期)

3歳時は2月にアーカンソー州オークローンパーク競馬場で行われたマーサワシントンS(D8F)から始動した。本馬が単勝オッズ1.4倍の1番人気、ディキシーベルSなど3戦無敗のハローアゲインが単勝オッズ7.2倍の2番人気、未勝利戦を4馬身差で快勝してきたアフリートディシートが単勝オッズ8.4倍の3番人気となった。スタートが切られると人気薄のアファームドトゥルースが先頭に立ち、本馬はそれを見るように2番手を追走した。そして直線入り口でアファームドトゥルースをかわして先頭に立つと、後は完全な独走状態となり、2着アフリートディシートに8馬身差をつけて、1分36秒4のコースレコードで圧勝。米国競馬史上に燦然と輝く本馬の3歳時のキャンペーンはこうして幕を開けた。

その後はルイジアナ州に向かい、3月のフェアグラウンズオークス(GⅡ・D8.5F)に出走した。GⅡ競走シルヴァービュレットデイSでウォーエコーの2着だったGⅢ競走デルタプリンセスS勝ち馬フォーギフツ、歴史的女傑ダリアの曾孫で未勝利戦・一般競走と連勝してきたアワダリアなどが出走してきたが、本馬が単勝オッズ1.3倍という圧倒的な1番人気に支持された。本馬にとっては初めて経験する不良馬場の中でスタートが切られるとフライングスパーという馬が先頭を伺ったが、本馬がそれをかわして先頭に立ち、そのまま逃げを打った。そのまま直線に入ってくると、追ってくるのはフライングスパーだけとなり、他馬は全て遥か彼方に消え去った。フライングスパーもよく頑張り、本馬との差を少しずつ詰めてきたが、最後まで本馬を捕まえることは叶わなかった。本馬が2着フライングスパーに1馬身3/4差、3着アワダリアにはさらに11馬身差をつけて完勝した。

オークローンパーク競馬場に戻ってきた本馬は4月のファンタジーS(GⅡ・D8.5F)に出走した。対戦相手は、GⅢ競走ハニービーSを勝ってきたシルヴァービュレットデイS3着馬ジャストジェンダ、マーサワシントンS2着後にハニービーSで2着してきたアフリートディシートなど4頭であり、本馬が単勝オッズ1.1倍という圧倒的な1番人気に支持された。スタートが切られると本馬が即座に先頭に立ち、後続に1~2馬身ほどの差をつけて逃げ続けた。他の出走馬達も向こう正面までは本馬を追いかけてきたが、三角から四角にかけて1頭ずつ脱落していった。直線入り口では既に勝負は決しており、直線を馬なりのまま駆け抜けた本馬が2着アフリートディシートに8馬身3/4差をつけて圧勝した。あまりにも本馬に人気が集中したために、このレースでオークローンパーク競馬場は赤字になってしまった。

その後はケンタッキーダービー挑戦も噂されたが、結局はケンタッキーオークス(GⅠ・D9F)のほうに出走した。このレースには、スターダムバウンドという馬も当初は参戦予定だった。スターダムバウンドは前年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬で、デルマーデビュータントS・オークリーフS・BCジュヴェナイルフィリーズ・ラスヴァージネスS・サンタアニタオークスとGⅠ競走を5連勝しており、やはりケンタッキーダービー挑戦も噂されていた(本馬と異なり実際に出走登録をしていた)有力馬だった。しかしGⅠ競走6連勝目を狙った前月のアッシュランドSで3着に負けてしまうと、この段階で既に前年のケンタッキーダービー馬ビッグブラウンと交配予約を済ませていたスターダムバウンドの所有者は無理を避けて秋まで休養入りさせる事を決定し、ケンタッキーオークスには不参戦となった。

これで当初は2強対決ムードだったケンタッキーオークスは本馬の1強独裁体制ムードとなった。それでもフェアグラウンズオークスから直行してきたフライングスパーや、前走サンランドパークオークスを13馬身差で圧勝してきたギャビーズゴールデンギャルなど6頭が挑戦してきた。本馬が単勝オッズ1.3倍の1番人気、フライングスパーが単勝オッズ6.3倍の2番人気、ギャビーズゴールデンギャルが単勝オッズ8.9倍の3番人気となった。

レースが始まるとギャビーズゴールデンギャルが好スタートから先頭に立ち、本馬は1馬身ほど後方の2番手を追走した。そして三角で仕掛けると瞬く間にギャビーズゴールデンギャルをかわして先頭に踊り出た。直線に入ると本馬がひたすら後続を引き離し続け、やがて他の出走馬6頭は影も形も見えなくなった。本馬が先頭でゴールインした後もしばらく他馬は来ず、3秒ほど経ってからようやく単勝オッズ26.3倍の最低人気馬ストーンレガシーを先頭とする後続馬がゴールラインを通過していった。本馬と2着ストーンレガシーの着差は同競走史上最大となる20馬身1/4差という記録的大差だった。本馬にとってもGⅠ競走初勝利だったが、管理するウィギンズ師にとっても、調教師生活40年目で初のGⅠ競走制覇となった。

ウィギンズ師にとっては非常に嬉しい勝利だったが、直後に悲しい思いをする事になった。本馬が手元を離れてしまうことになったのである。このケンタッキーオークスの圧勝ぶりに目をつけたカリフォルニア州のワイン業者ジェス・ストーンストリート・ジャクソン・ジュニア氏が、レース数日後に知人のハロルド・T・マコーミック氏と共同でモリソン氏とローファー氏の前に大金を積んだため、本馬はジャクソン・ジュニア氏の馬主団体ストーンストリートステーブルにトレードされたのだった。このときのトレード価格は公式には明らかにされていないので推測の域であるが、1000万ドル以上と言われている。

ジャクソン・ジュニア氏は本馬より2歳年上で米国競馬史上初の1000万ドルホースとなったカーリンの所有者だった。そして本馬も、カーリンを手掛けたスティーヴン・アスムッセン調教師のところに転厩となった。所有者や厩舎が変わっても、主戦は今までどおりボレル騎手が務める事になった。

プリークネスS

以前の所有者2人は本馬を牡馬にぶつける事に関して否定的だったが、かつてカーリンがベルモントSで牝馬ラグストゥリッチズに敗れた場面を目の当たりにしていたジャクソン・ジュニア氏やアスムッセン師は牝馬の能力を過小評価していなかった。そして新陣営は10万ドルの追加登録料を支払ってでも、本馬を牡馬相手のプリークネスS(GⅠ・D9.5F)に差し向けることを決定したのだった。

対戦相手は、ケンタッキーダービーを単勝オッズ51.6倍の17番人気ながら6馬身3/4差で圧勝してきたマインザットバード、キャッシュコールフューチュリティ・ロバートBルイスS・サンフェリペS・サンタアニタダービーと4連勝して挑んだケンタッキーダービーで2着だったパイオニアオブザナイル(後に米国三冠馬アメリカンファラオの父となる)、タンパベイダービー・イリノイダービーを連勝して挑んだケンタッキーダービーで3着だったマスケットマン、アーカンソーダービーを勝って挑んだケンタッキーダービーで4着だったパパクレム、ブルーグラスSを勝って挑んだケンタッキーダービーで10着に終わっていたジェネラルクウォーターズ、ルコントS・リズンスターS・ルイジアナダービーを3連勝して挑んだケンタッキーダービーで18着に敗れていたフリーサンファイア、前走のGⅡ競走スウェイルSで1位入線するも2着降着となっていたビッグドラマ、シャムS2着馬テイクザポインツなど12頭であり、ケンタッキーダービー上位4頭は全て参戦していた。

マインザットバードがケンタッキーダービーを勝った際に鞍上に居たのはボレル騎手だったが、それが初騎乗だった事もあり、彼はこのレースで本馬に乗ることを選択。ボレル騎手の選択も影響したようで紅一点の本馬が単勝オッズ2.8倍の1番人気に支持され、パイオニアオブザナイルが単勝オッズ7.1倍の2番人気、マインザットバードが単勝オッズ7.6倍の3番人気、フリーサンファイアが単勝オッズ10倍の4番人気となった。

スタートが切られると、翌年にBCスプリントを制してエクリプス賞最優秀短距離牡馬に選ばれる事になるビッグドラマが快速を活かして先頭に立ったが、大外枠発走の本馬がそれに並びかけて、2頭が先頭を併走する形となった。パイオニアオブザナイルやフリーサンファイアが3~4番手につけ、マインザットバードは単独最後方からレースを進めた。本馬とビッグドラマの競り合いは三角まで続いたが、ここでビッグドラマが少し遅れ始め、本馬が単独で先頭に立って直線に入ってきた。そして直線で逃げ込みを図ったところに、馬群の中団で脚を溜めていたマスケットマン、そして直線入り口で馬群の中団まで上がってきていたマインザットバードの2頭が襲い掛かってきた。特にマインザットバードの末脚はさすがケンタッキーダービー馬であり、直線入り口ではかなりあった本馬との差はどんどん縮まっていった。しかし本馬が一足先にゴールラインを通過。2着マインザットバードに1馬身差、3着マスケットマンにさらに半馬身差をつけて勝った本馬が、1924年のネリーモス以来85年ぶり史上5頭目の牝馬のプリークネスS優勝馬となった。

レース後にアスムッセン師は「彼女がここで勝てたのは、以前に彼女を育てたウィギンズ師と彼のスタッフ達が素晴らしい仕事してくれていたからです」と、愛馬を奪われた前任調教師に対する配慮を見せた。

競走生活(3歳後半)

次走はベルモントSではなく、牝馬限定戦のマザーグースS(GⅠ・D9F)となった。ケンタッキーオークス6着後にエイコーンSを勝ったギャビーズゴールデンギャルを始めとする他馬陣営の多くが本馬に恐れをなして回避してしまい、GⅢ競走ナッソーカウンティSなど3連勝中のフラッシング、前走の一般競走を7馬身1/4差で勝ってきたマリブプレイヤーの2頭だけが果敢に挑んできた。実はフラッシングもマリブプレイヤーも後のGⅠ競走勝ち馬であり、決して平凡な馬ではなかったのだが、この段階では本馬との実力には天と地ほどの差があると判断されており、本馬がニューヨーク州の法令上可能な限度である単勝オッズ1.05倍という究極の1番人気に支持された。

スタートが切られるとマリブプレイヤーが先頭に立ち、フラッシングがそれを追って2番手、本馬は前2頭の争いを観戦するかのように最後方を追走した。マリブプレイヤーもフラッシングも共に逃げ馬だったから、本馬の後方から行ったら勝ち目が無いと判断しての戦法だったようだが、最初の2ハロンが22秒57、半マイル通過が44秒66という非常なハイペースになってしまった。このペースにまず耐え切れなくなったフラッシングが四角で失速し、続いてマリブプレイヤーも直線入り口手前で失速。その結果として本馬が何の苦労も無く2頭の間をすり抜けて四角で先頭に立ち、後は直線を走りきるだけとなった。直線でボレル騎手は幾度も後方を振り返っており、真面目に本馬を追っているようには全く見えなかったが、それでも最後は2着マリブプレイヤーに19馬身1/4差という同競走史上最大着差、3着フラッシングにはさらに12馬身1/4差をつけて圧勝。完全に馬なりだったにも関わらず、勝ちタイム1分46秒33は、1994年にレイクウェイが計時した1分46秒58を更新するレースレコードだった。

フラッシングはこの年にテストS・ガゼルSとGⅠ競走を2勝する馬、マリブプレイヤーは翌年にGⅠ競走ラフィアン招待Hを勝つ馬なのだが、やはり本馬との実力差は天と地ほどの違いがあった。そしてあまりにも本馬に人気が集中したために、ベルモントパーク競馬場もこのレースで赤字となってしまった。

その後は再び牡馬路線に向かい、ハスケル招待S(GⅠ・D9F)に参戦した。対戦相手は、前走ベルモントSでマインザットバードを3馬身差3着に破って勝ってきたサマーバード、ウッディスティーヴンスS・トムフールHを連勝してきたミュニングス、プリークネスSで6着だったパパクレム、アイオワダービーを5馬身差で圧勝してきたデュークオブミスチーフ、ロングブランチSを4馬身3/4差で勝ってきたアトミックレインなど6頭の牡馬だった。マインザットバードとの着差を物差しにすれば本馬よりサマーバードのほうが上位という考え方もあっただろうが、やはり人気を集めたのは本馬であり、単勝オッズ1.5倍の1番人気。サマーバードが単勝オッズ5.3倍の2番人気で、ミュニングスが単勝オッズ6.5倍の3番人気となった。ちなみにこのハスケル招待Sは米国三冠競走勝ち馬のみ斤量4ポンド増で、牝馬が斤量5ポンド減だったから、本馬の斤量はサマーバード以外の牡馬とは1ポンドしか違わなかった事は付記しておく。

泥だらけの不良馬場の中でスタートが切られると本馬がすぐに先頭に立とうとしたが、ミュニングスが強引に加速してハナを奪った。そして1馬身ほど後方の2番手に本馬とサマーバードが並び、他の出走馬も概ね離されずに付いてくる展開となった。不良馬場にも関わらず最初の2ハロン通過が22秒99というかなり速いペースとなった。三角入り口で本馬とサマーバードの2頭がミュニングスに並びかけ、3頭が団子状態となって三角を回ってきた。しかしここから外側の本馬が抜け出して四角で他2頭を一気に引き離した。直線ではサマーバードとミュニングスの2頭が叩き合いながら本馬を追撃しようとしたが全く差は縮まらなかった。ボレル騎手がガッツポーズをしながらゴールした本馬が2着サマーバードに6馬身差、3着ミュニングスにはさらに1馬身差をつけて優勝。ハスケル招待Sを牝馬が優勝したのはハンデ競走時代だった1995年のセレナズソング以来14年ぶり史上2頭目だった。

ケンタッキーダービー馬に続いてベルモントS勝ち馬も撃破した事から、この年の米国3歳路線では牡馬を含めても本馬が最強である事がこれで確定的となった。

こうなると次に本馬が挑むべき相手は古馬だった。当時の米国古馬牝馬路線にはゼニヤッタという超名牝がおり、デビューから無傷で連勝街道を邁進していた。それに挑むという選択肢もあったが、ゼニヤッタが主戦場としていたのはカリフォルニア州であり、本馬がゼニヤッタと戦うためには西海岸まで遠征する必要があった。カリフォルニア州の競馬場は同州の方針によりダートコースをオールウェザーコースに転換していたのだが、本馬陣営は競走馬の健康に悪影響を及ぼすという理由でオールウェザーに対して嫌悪感を示しており、この年にカリフォルニア州サンタアニタパーク競馬場で行われる事になっていたブリーダーズカップについても早々に回避を表明していた。

そこで陣営は古馬牡馬に対して挑戦状を叩きつける事とし、次走はウッドワードS(GⅠ・D9F)となった。対戦相手は、スティーヴンフォスターH・ジムダンディS・ニューオーリンズH勝ち馬で前年のプリークネスSと前走のホイットニーHで2着のマッチョアゲイン、UAE2000ギニー・UAEダービー・マクトゥームチャレンジR3の勝ち馬で前年のドバイワールドCではカーリンの2着していたアジアティックボーイ、スペンドアバックH・ローンスターパークHを勝っていたイッツアバード、ホイットニーHを単勝オッズ19.8倍の最低人気で勝ってきたブルズベイ、前年のベルモントSを単勝オッズ39.5倍の最低人気で勝っていたダタラ、ファウンテンオブユースS勝ち馬クールコールマン、前年のウッドワードS2着馬パストザポイントの7頭だった。対戦相手は全て年上の牡馬・騙馬だったが、完全に本馬の1強独裁ムードだった。過去に牝馬がウッドワードSを勝った事例は1度も無いという事実にも関わらず本馬が単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持され、マッチョアゲインが単勝オッズ9.1倍の2番人気、スティーヴンフォスターH・サバーバンHと連続2着してきたアジアティックボーイが単勝オッズ12.1倍の3番人気となった。

スタートが切られると本馬が先頭を伺ったが、ベルモントS勝利後に8連敗中だったダタラがスタミナ勝負に持ち込むべく並びかけてきた。しかし本馬も負けずに加速して先頭を譲らず、2頭が激しく争う展開となった。最初の2ハロン通過が22秒85という速いペースになり、それに耐えられなくなったダタラは三角手前で大失速してそのままギブアップ。前2頭を追って先行してきたパストザポイントやクールコールマンも直線に入ると失速。レースは逃げる本馬と、後方で脚を溜めていた馬達との勝負になった。後方待機馬勢の中で最も脚色が良かったのは大きく離された最後方でマイペースの走りをしていたマッチョアゲインであり、3番手で直線に入ると、道中6番手から直線入り口2番手まで追い上げていたブルズベイと一緒になって本馬を追撃してきた。さすがの本馬も前半のハイペースが祟ったのか脚が上がっており、ゴール前では本馬とマッチョアゲインの差がみるみる縮まった。しかし本馬が一瞬早くゴールラインを通過。2着マッチョアゲインに頭差、3着ブルズベイにさらに1馬身半差をつけて勝ち、1954年に創設されたウッドワードS史上初の牝馬優勝を果たした。また、ニューヨーク州競馬において3歳牝馬が古馬牡馬相手のダート大競走を勝利したのは、1887年のマンハッタンHを勝ったレディプリムローズ以来122年ぶりの快挙だった。

このレース後に陣営は、ウッドワードSを最後に、本馬を年内休養させる事を発表。前述のとおりブリーダーズカップには不参戦となり、この年におけるゼニヤッタとの対戦は実現しなかった。

3歳時は全て異なる競馬場で勝ったグレード競走7勝(うちGⅠ競走5勝)を含む8戦全勝の完璧な成績を残し、エクリプス賞では232票中全ての票を獲得して最優秀3歳牝馬を受賞したほか、BCクラシックを制したゼニヤッタとの年度代表馬争いでも130票を獲得して、99票のゼニヤッタを抑えて受賞した(詳細に記載すると、全米競馬記者協会は本馬に71票、ゼニヤッタに51票を、デイリーレーシングフォーム紙は本馬に31票、ゼニヤッタに23票を、全米サラブレッド競馬協会は本馬に28票、ゼニヤッタに25票を投じており、3団体とも本馬を上位としている)。ゼニヤッタがBCクラシックを優勝した際に、海外競馬評論家の合田直弘氏はこれでこの年のエクリプス賞年度代表馬はゼニヤッタでほぼ確実だと言い切ったが、筆者はおそらく本馬が優勢だろうと予測しており、それが的中した結果になった(それがどうしたと言われると困るが)。牝馬がエクリプス賞年度代表馬に選ばれたのは2002年のアゼリ以来7年ぶり史上4頭目だが、3歳牝馬の受賞は史上初だった(エクリプス賞創設以前にはベルデイムリグレットトワイライトティアーブッシャーと4例がある)。

競走生活(4歳時)

翌年、いったん現役引退を表明していたゼニヤッタが現役続行となったため、これを受けてオークローンパーク競馬場は自場で4月に開催するダートのGⅠ競走アップルブロッサムHを定量戦のアップルブロッサム招待Sとして、本馬とゼニヤッタの両頭が参戦した場合には賞金総額を10倍の500万ドルにすると表明。両陣営がこの招待を受諾したため、2頭の対決が大きく期待されることになった。

本馬はそれに向けて、3月にフェアグラウンズ競馬場で行われたニューオーリンズレディーズS(D8.5F)から始動した。ペレテリSなど3連勝中のクリアーセーリング、バヤコアH勝ち馬ザルダナなどが出走してきたが、とても本馬に敵いそうな馬はおらず、ハンデ競走でも無かった(別定重量戦)ため、本馬が2度目となる単勝オッズ1.05倍の1番人気に支持された。スタートが切られると最低人気馬ファイターウイングが先頭に立ち、本馬は1馬身ほど後方の2番手を進んだ。そして三角で先頭に並びかけて突き抜けたのだが、そこへ3番手を追走していたザルダナが本馬に襲い掛かり、直線では2頭による激しい叩き合いが展開された。そして3着以下を11馬身以上も引き離すこの一騎打ちを制したのはザルダナであり、3/4馬身差の2着に敗れた本馬の連勝は9で止まった。

この敗戦を受けて本馬陣営は4週間後のアップルブロッサム招待Sの回避を表明。本馬が不参戦となったために定量戦ではなくハンデ競走として施行されたアップルブロッサム招待Hはゼニヤッタが圧勝した。そして結局ゼニヤッタと本馬の対戦が実現する事は無かった。

本馬の次走はアップルブロッサム招待Hから3週間後にチャーチルダウンズ競馬場で行われたラトロワンヌS(GⅡ・D8.5F)となった。ここには前走で本馬を破ったザルダナ、ランパートS勝ち馬でガゼルS2着のアンライヴァルドベルなどが出走してきた。本馬が単勝オッズ1.2倍の1番人気、ザルダナが単勝オッズ6.1倍の2番人気となった。スタートが切られると、本馬と最低人気馬ビーフェアの2頭が先頭に立った。しかし2頭が競り合うような雰囲気ではなく、実際にペースはかなり遅かった。本馬にとっては楽に走った事になるが、それは後続馬にも楽をさせる事に繋がった。直線に入ると本馬が抜け出そうとしたが、そこへ3番手を走っていたアンライヴァルドベルが並びかけてきて叩き合いとなった。前走も同様だが、叩き合いになると例え別定重量戦程度の斤量差でも斤量が重いほうが不利であり、本馬は頭差競り負けて2着に敗れてしまった。

次走は6月にチャーチルダウンズ競馬場で行われたフルールドリスH(GⅡ・D9F)となった。本馬以外に取り立てて目立つ馬はおらず、あえて挙げれば前走のGⅢ競走シックスティセイルズHで2着してきたジェシカイズバックがいる程度だった。むしろ問題はこのレースがハンデ競走だった事で、別定重量戦だった全2戦よりも他馬との斤量差が大きくなると予想されることだった。しかし本馬の斤量は124ポンドで、他馬より7~9ポンド重かったが、それほど無茶な斤量設定ではなかった。そのため本馬が単勝オッズ1.1倍の1番人気に支持され、116ポンドのジェシカイズバックが単勝オッズ6.9倍の2番人気となった。

スタートが切られると本馬とジェシカイズバックの2頭がほぼ同時にゲートを飛び出し、2頭が競り合いながら先頭を飛ばした。2頭の争いは三角まで続いたが、四角に入るとジェシカイズバックは脱落。他に追ってくる馬もおらず、久々に直線で独り旅を満喫した本馬が、2着ディスティンクティヴディキシーに10馬身半差をつけて圧勝した。ここで本馬から12馬身半差の3着に終わったジェシカイズバックが翌月のGⅠ競走プリンセスルーニーHを勝った事で、本馬の実力が再確認されることになった。

一方の本馬はモンマスパーク競馬場に向かい、レディーズシークレットS(D9F)に出走した。このレースは、ゼニヤッタが2連覇(後に3連覇を達成)して後にゼニヤッタSと改称される事になる、サンタアニタパーク競馬場で行われる同名のGⅠ競走とは別競走であり、別定重量のリステッド競走だった。そのため前走以上にこれといった馬は出走しておらず、本馬が単勝オッズ1.1倍の1番人気に支持された。スタートが切られると単勝オッズ9.1倍の2番人気馬クイーンマーサが先頭に立ち、本馬は珍しく3番手につけた。しばらくして2番手に上がると、粘るクイーンマーサを直線入り口でかわし、そのまま3馬身差をつけて勝利した。

次走は8月のパーソナルエンスンS(GⅠ・D10F)となった。ここには、GⅠ競走オグデンフィップスHを筆頭にデラウェアH・シックスティセイルズHなど6連勝中の上がり馬ライフアットテンも参戦してきて、本馬にとっては久々の強敵出現となった。本馬が単勝オッズ1.45倍の1番人気、ライフアットテンが単勝オッズ2.85倍の2番人気で、一騎打ちムードとなった。

スタートが切られると本馬が先頭に立ったが、ライフアットテンもすぐさま競り掛けてきて、この2頭が後続を大きく引き離していった。道中では前の2頭と後続の差は実に15馬身まで広がった。向こう正面で後続馬の中から単勝オッズ22.5倍の伏兵パーシステントリーが上がってきて、前の2頭の争いに加わってきた。三角に入ったところで本馬が仕掛けてライフアットテンを引き離していった。ライフアットテンはここで力尽きて後退していったが、パーシステントリーはしぶとく本馬を追いかけてきた。そして直線に入ると本馬は失速してしまい、ゴール前でパーシステントリーに差されて1馬身差の2着に敗退。斤量は本馬よりパーシステントリーが6ポンド軽かったし、3着ライフアットテンには10馬身1/4差をつけていたから、一概に凡走したとは言い切れないが、いずれにしても既に3歳時の輝きが本馬から失われているのは確実だった。

そしてこのレースのちょうど1か月後である9月28日に現役引退が発表され、4歳時の成績は5戦2勝となった。

血統

Medaglia d'Oro El Prado Sadler's Wells Northern Dancer Nearctic
Natalma
Fairy Bridge Bold Reason
Special
Lady Capulet Sir Ivor Sir Gaylord
Attica
Cap and Bells Tom Fool
Ghazni
Cappucino Bay Bailjumper Damascus Sword Dancer
Kerala
Court Circuit Royal Vale
Cycle
Dubbed In Silent Screen Prince John
Prayer Bell
Society Singer Restless Wind
Social Position
Lotta Kim Roar フォーティナイナー Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
File Tom Rolfe
Continue
Wild Applause Northern Dancer Nearctic
Natalma
Glowing Tribute Graustark
Admiring
Kim's Blues Cure the Blues Stop the Music Hail to Reason
Bebopper
Quick Cure Dr. Fager
Speedwell
Early Decision Lord Gaylord Sir Gaylord
Miss Glamour Gal
Biscayne Missy Chieftain
Native Go Go

メダグリアドーロは当馬の項を参照。

母ロッタキムは本馬の生産者モリスン氏の所有馬として走り、現役成績は4戦2勝。ティファニーラスSを勝ったが、調教中の故障により2歳戦のみで早々に引退した。本馬の活躍後にモリスン氏のところには、ロッタキムを売って欲しいという申し出が相次いだが、モリスン氏はそれを全て断ったという。しかし本馬以外にこれといった活躍馬を産んでいない。また、近親にもこれといった活躍馬がおらず、牝系としてはかなり貧弱な部類に入る。→牝系:F1号族③

母父ローアはフォーティナイナー産駒で、現役成績12戦4勝。ジムビームS(米GⅡ)・スウェイルS(米GⅢ)に勝ち、レキシントンS(米GⅡ)・ウィザーズS(米GⅡ)で3着した中堅競走馬だった。種牡馬としては最初米国で供用され、後に亜国に移動して、2004/05シーズンの亜首位種牡馬になっている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はケンタッキー州で繁殖入りして、初年度は同じくジャクソン・ジュニア氏の所有馬だったカーリンと交配されて受胎した。しかしその直後の4月にジャクソン・ジュニア氏は本馬の産駒を見ることなく皮膚癌のため81歳で死去。しかし本馬はそのまま彼の馬主団体ストーンストリートステーブルの所有馬となっている。

翌年に誕生した本馬の初子である牡駒に関して、ストーンストリートステーブルは民間に名前を募集。6521件に及ぶ応募の結果、その牡駒はジェス・ジャクソン・ジュニア氏の夢という意味でジェスズドリーム(Jess's Dream)と命名された。このジェスズドリームは米国競馬史上でも稀である両親共にエクリプス賞年度代表馬という良血馬であるが、現在のところは不出走である。

ジェスズドリームを産んだ本馬は、今度はバーナーディニと交配されて牝駒レイチェルズヴァレンティナを産んだ。しかしそれからしばらくして本馬は子宮と直腸に腫瘍を患ってしまい、摘出手術が行われた。手術は成功して現在はストーンストリートステーブルで体調回復に努めており、繁殖生活はいったん中断している。2番子のレイチェルズヴァレンティナは2015年に競走馬デビューして、スピナウェイS(米GⅠ)を勝ち、BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)で2着する活躍を見せており、本馬は繁殖牝馬としても優秀である事が既に証明されている。早く体調を回復させて繁殖生活に復帰してもらいたいものである。追記:2016年にゼニヤッタと共に米国競馬の殿堂入りを果たした。

TOP