ミスターブルックス

和名:ミスターブルックス

英名:Mr.Brooks

1987年生

鹿毛

父:ブレイジングサドルズ

母:ダブルフィネス

母父:ダブルジャンプ

短距離路線の裏街道で地道に走り5歳時にジュライC・アベイドロンシャン賞を勝って欧州短距離路線の頂点に立つもBCスプリントでその命を散らす

競走成績:2~5歳時に愛英独仏米で走り通算成績22戦8勝2着9回3着1回

誕生からデビュー前まで

J・R・ロスデイル夫人により生産された英国産馬で、愛国の調教師ケヴィン・コナリー氏(同名の米国映画俳優とは別人)により所有され、コナリー師が自身で調教を施した。

競走生活(2・3歳時)

2歳10月にレパーズタウン競馬場で行われた7ハロンの未勝利戦で、クリスティー・ロシェ騎手を鞍上にデビューした。そして単勝オッズ4倍の1番人気に応えて、2着グランドラピッズに6馬身差をつける圧勝劇を演じた。2歳戦はこの1戦のみで終えた。

3歳になった本馬は、馬主が英国の属領チャンネル諸島ジャージー島在住の公認会計士ポール・グリーン氏に変わったが、管理調教師は引き続きコナリー師だった。

まずは愛2000ギニーを目標として、4月のグラッドネスS(愛GⅢ・T7F)から始動した。このレースは古馬混合戦であり、リステッド競走を4勝していた5歳馬ミリュウが単勝オッズ2倍の1番人気に支持され、主戦となるパット・シャナハン騎手と初コンビを組んだ本馬は単勝オッズ3.25倍の2番人気だった。しかし結果は単勝オッズ11倍の4番人気だった4歳馬グレートレイクスが勝利を収め、本馬は頭差の2着に惜敗した。

本番の愛2000ギニー(愛GⅠ・T8F)では、英2000ギニー・ホーリスヒルS・クレイヴンSなど4連勝中のチロル、モルニ賞・サラマンドル賞の勝ち馬で英2000ギニー2着のマキャヴェリアン、テトラークSを勝ってきた後のBCマイル馬ロイヤルアカデミー、フェニックスパーク2000ギニートライアルを勝ってきたロータスプールなどが出走してきた。チロルが単勝オッズ2.25倍の1番人気に支持される一方で、本馬は単勝オッズ26倍の5番人気止まりだった。レースでは馬群の中団を進み、直線に入ってから追い上げてきた。しかし前がなかなか失速してくれず、結局勝ったチロルから2馬身差の5着までだった。

続いて英ダービー(英GⅠ・T12F)に挑戦した。この年の英ダービーは直前まで本命視されていたベルメッツが回避したために一転して混戦模様となっており、プレドミネートSなど3戦全勝のラジーン、仏2000ギニー・フォンテーヌブロー賞・ロシェット賞の勝ち馬リナミックス、仏2000ギニー2着馬で後のイスパーン賞・ワシントンDC国際Sの勝ち馬ゾーマン、チェスターヴァーズ2着馬クエストフォーフェイム、ディーSを勝ってきたブルースタッグ、プレドミネートSで2着してきた後のエクリプスS・愛チャンピオンSの勝ち馬エルマームル、サンダウンクラシックトライアルS3着・ダンテS2着のカリンガベイ、ロイヤルロッジSの勝ち馬ディグレッションなどが出走していたが、確固たる中心馬はいなかった。その中にあっても本馬の評価は低く、単勝オッズ67倍の13番人気だった。レースではスタートから加速して1ハロンほど進んだところで先頭を奪い、そのまましばらく馬群を牽引した。しかしタッテナムコーナーを回るところで馬群に飲み込まれ、直線では歩くように走り、勝ったクエストフォーフェイムから45馬身差をつけられた18着最下位に沈んだ。

次走は地元愛国のティペラリー競馬場で7月に行われたリステッド競走ティペラリースプリント(T5F)となった。ここでは単勝オッズ9倍の4番人気であり、勝った単勝オッズ7倍の3番人気馬ダンシングミュージックに首差まで迫る2着だった。次走は8月にフェニックスパーク競馬場で行われたリステッド競走サファイアS(T6F)だった。ここでは単勝オッズ3.25倍の2番人気の評価を受けたが、勝った単勝オッズ6.5倍の4番人気馬ノーザンゴッデスから2馬身差の3着に敗れた。3歳時はこれが最後のレースとなり、この年の成績は5戦未勝利となってしまった。

競走生活(4歳時)

4歳時は3月にレパーズタウン競馬場で行われたデルマイン競走なる芝6ハロンのレースから始動した。ここでは単勝オッズ2.375倍の1番人気に支持されたが、単勝オッズ4.5倍の3番人気だったブファリーノに敗れて2馬身半差の2着。それでも3着ミリュウには8馬身差をつけていたし、本馬の斤量135ポンドはブファリーノより5ポンド軽かったから、徐々に本領を発揮し始めていたのが伺える。

4月のグラッドネスS(愛GⅢ・T7F)では、愛1000ギニー2着・英1000ギニー3着の実績があったアルドボーンが単勝オッズ2.25倍の1番人気に支持されており、アルドボーンより3ポンド重い135ポンドが課せられていた本馬は単勝オッズ6倍の3番人気だった。しかし本馬が2着アルドボーンに1馬身半差をつけて勝ち、グループ競走初勝利を挙げた。

5月のグリーンランズS(愛GⅢ・T6F)では、テトラークSで2着してきた3歳馬アーチウェイ(ドクターデヴィアスやシンコウキングの半兄)が単勝オッズ5倍の1番人気、愛フェニックスS・プリンセスマーガレットSの勝ち馬ファラオズディライトが単勝オッズ6倍の2番人気で、本馬は単勝オッズ7倍の4番人気だった。レースでは本馬より17ポンドも斤量が軽いアーチウェイが勝利を収め、135ポンドを背負っていた本馬は1馬身半差の2着に敗れた。

6月のバリーオーガンS(愛GⅢ・T5F)では、3歳牝馬タイトルロールが単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持され、タイトルロールより17ポンド重い134ポンドが課せられていた本馬は単勝オッズ4.5倍の2番人気だった。しかし本馬が8ポンドのハンデを与えた2着サンドハーストゴッデスに1馬身差で勝利を収め、タイトルロールは4着に終わった。

同月のコンコルドS(愛GⅢ・T7F)では、デリンズタウンスタッド1000ギニートライアルなど2戦2勝の3歳馬ルアドロが115ポンドの軽量も評価されて単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持され、GⅢ競走グレンカーンSで2着の実績があったプルーデントマナーが130ポンドの斤量で単勝オッズ3.5倍の2番人気。一方で他馬勢より7~22ポンドも重い137ポンドが課せられていた本馬は単勝オッズ6.5倍の3番人気だった。しかし既に本馬の能力は愛国の短距離路線では敵無し状態となっていた。スタートから先頭を伺うと、道中は3番手に控えて追走。そして残り2ハロン地点で仕掛けて残り1ハロン地点で先頭に立ち、2着アラニーに2馬身半差をつけて快勝したのだった。

次走は7月のジョンローティ記念国際(愛GⅢ・T8F)となった。本馬の斤量は135ポンドと相変わらず厳しく、単勝オッズ3.5倍の2番人気。ヴィンテージSの勝ち馬でレーシングポストトロフィー2着のムカダーマ(斤量119ポンド)が単勝オッズ3倍の1番人気だった。レースでは3番手を追走したものの、残り1ハロン地点から失速。勝ったムカダーマから9馬身半差の6着に敗れた。

この結果により、本馬は二度とマイル戦に参戦する事は無くなった。また、このレース後に本馬は愛国ジェームズ・ボルジャー厩舎に転厩した。

次走は9月にカラー競馬場で行われたリステッド競走テスティモニアルS(T6F)となった。本馬の斤量は131ポンドで、過去6戦に比べると若干ましであり、他馬との斤量差もかなり縮まっていたから、ここでは単勝オッズ4.5倍の1番人気に支持された。しかし4ポンドのハンデを与えた単勝オッズ5.5倍の2番人気馬アーチウェイに屈して1馬身差の2着に敗退。4歳時の成績は7戦3勝となった。

競走生活(5歳前半)

5歳時は5月に愛国ティペラリー競馬場で行われたリステッド競走トパーズスプリントS(T5F)から始動。鞍上は今まで主戦を務めていたシャナハン騎手から、デビュー戦以来となるロシェ騎手に代わっていた。本馬には139ポンドという極めて厳しい斤量が課せられたが、それでもGⅢ競走フライングファイブの勝ち馬フローリングや、前年のキングジョージSを勝っていたタイトルロールなどを抑えて、単勝オッズ2.375倍の1番人気に支持された。レースでは2着タイトルロールに4馬身差をつけて圧勝した。

その後は英国に移動してデュークオブヨークS(英GⅢ・T6F)に出走。このレースから本馬の主戦は大ベテランのレスター・ピゴット騎手が務める事になった。ハンガーフォードSの勝ち馬でフォレ賞2着のノーリッチが単勝オッズ4.5倍の1番人気に支持され、本馬は単勝オッズ5倍の2番人気だった。レースでは先行して残り2ハロン地点で仕掛けたが、もうひとつ伸びが無く、ダイアデムSを勝っていた単勝オッズ7倍の4番人気馬シャルフォードから3馬身半差の2着に敗れた。

このレース後に本馬は英国リチャード・ハノン厩舎に転厩して、本格的に英国を本拠地とすることになった。まずはキングズスタンドS(英GⅡ・T5F)に出走。前年のナンソープS・BCスプリントを制してカルティエ賞最優秀短距離馬に選ばれていたシェイクアルバドゥ、パレスハウスS・グロシェーヌ賞を連勝してきたモンドブルー、前年のキングズスタンドS・テンプルS・パレスハウスSとこの年のサンジョルジュ賞を勝っていたエルビオ、フライングチルダースSの勝ち馬でナンソープS2着のパリスハウス、ヨーロピアンフリーHで3着してきた3歳馬ウルフハウンド、トパーズスプリントSで3着だったフローリングなどが主な対戦相手だった。シェイクアルバドゥとモンドブルーが並んで単勝オッズ4.5倍の1番人気に支持され、エルビオが単勝オッズ5.5倍の3番人気、パリスハウスが単勝オッズ7倍の4番人気、本馬は単勝オッズ8.5倍の5番人気だった。レースでは好位から残り1ハロン地点で先に抜け出したシェイクアルバドゥに必死で食い下がったが、半馬身及ばずに2着に敗れた。

競走生活(5歳後半)

次走はジュライC(英GⅠ・T6F)となった。シェイクアルバドゥ、前走で本馬から首差の3着だったエルビオ、さらに頭差の4着だったウルフハウンド、前走8着のパリスハウス、デュークオブヨークSの勝利後にコーク&オラリーSも勝ってきたシャルフォード、前走ジャージーSで2着してきた英2000ギニー3着馬パースートオブラヴなどが対戦相手となった。シェイクアルバドゥが単勝オッズ2.875倍の1番人気、シャルフォードが単勝オッズ3.25倍の2番人気、ウルフハウンドが単勝オッズ6倍の3番人気、パースートオブラヴが単勝オッズ7.5倍の4番人気、エルビオが単勝オッズ10倍の5番人気と続き、本馬は単勝オッズ17倍の6番人気だった。

スタートから好位を進んだ本馬は、残り1ハロン地点でスパート。先行していたパースートオブラヴ、残り1ハロン半地点で先頭に立って押し切ろうとしていたシェイクアルバドゥの2頭とゴール前で大接戦となった。そして本馬が僅かに前に出た瞬間がゴール。2着パースートオブラヴに頭差、3着シェイクアルバドゥにはさらに首差をつけて勝利を収め、GⅠ競走初勝利を挙げた。当時56歳だった鞍上のピゴット騎手にとっては、1980年にムーアスタイルで勝って以来12年ぶり10度目のジュライC制覇であった。

このまま英国に留まりナンソープSに向かうかと思われたが、何故か次走は独国に移動してのベルリン大賞(独GⅢ・T1400m)となった。ここでは先行して残り1ハロン地点で抜け出し、2着モンドブルーに半馬身差で勝利した。

そして英国にとんぼ返りしてナンソープS(英GⅠ・T5F)に出走した。対戦相手は、ジュライC4着だったエルビオ、同5着だったパリスハウス、クイーンメアリーSなど4戦無敗で臨んできた2歳牝馬リリックファンタジー、バリーオーガンS・キングジョージSなど3連勝中のフレディーロイドなどだった。同じハノン厩舎所属のリリックファンタジーが106ポンドの軽量も評価されて単勝オッズ1.73倍の1番人気に支持され、本馬は単勝オッズ4.5倍の2番人気となった。レースはリリックファンタジーが軽量を活かして序盤から積極的に進出し、本馬は馬群の好位につけた。そして残り2ハロン地点で仕掛けると、残り1ハロン地点でリリックファンタジーに並びかけて叩き合いに持ち込んだが、ゴール直前で僅かに遅れて、半馬身差の2着に敗れた。しかし本馬の斤量は132ポンドだったから、リリックファンタジーとの斤量差は実に26ポンドもあり、如何に2歳馬が相手でもこの斤量差でこの着差なら実力負けでは無いと思われる。

続くスプリントC(英GⅠ・T6F)では、ナンソープSではなくサセックスSに出走して4着だったシェイクアルバドゥ、ジュライC6着から直行してきたウルフハウンド、同7着から直行してきたシャルフォードの3頭が主な対戦相手だった。本馬とシェイクアルバドゥが並んで単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持され、シャルフォードが単勝オッズ3.5倍の3番人気となった。本馬とシェイクアルバドゥの人気馬2頭はいずれも好位につけた。残り2ハロン地点で先に仕掛けたのは本馬のほうだったが、残り1ハロン地点で満を持して仕掛けたシェイクアルバドゥに瞬く間に抜き去られ、2馬身半差をつけられて2着に敗退した。

その後は仏国に移動してアベイドロンシャン賞(仏GⅠ・T1000m)に出走した。対戦相手は、ナンソープS4着後に独国のGⅡ競走ゴールデネパイチェを勝っていたエルビオ、キングズスタンドS6着後にフライングファイブの2連覇を果たしていたフローリング、前年のアベイドロンシャン賞でシェイクアルバドゥを2着に破って勝っていたキーンハンター、プリンセスマーガレットS・グラッドネスSの勝ち馬ベゼル、モイグレアスタッドS・モートリー賞の勝ち馬でゴールデネパイチェ2着のタワフェアジなどだった。本馬はこのレースでは小細工なしにスタートからどんどん加速。残り200m地点で単独先頭に立つと、残り150m地点で二段階加速を披露して、2着キーンハンターに2馬身差をつけて完勝した。

BCスプリント

その後は米国に遠征して、ガルフストリームパーク競馬場で行われたBCスプリント(米GⅠ・D6F)に参戦した。主な対戦相手は、NYRAマイルH・カーターH・ヴォスバーグS・トムフールS・フォアゴーHなどを勝ち、BCスプリントの結果を待たずしてこの年のエクリプス賞最優秀短距離馬の座を当確としていたルビアノ、スプリントC勝利後に一足先に渡米してヴォスバーグSで2着していた前年の覇者シェイクアルバドゥ、ホープフルS・カウディンS・キングズビショップS・フォールハイウェイトSの勝ち馬でヴォスバーグS3着のソルトレイク、カウントフリートスプリントH・エインシェントタイトルBCHの勝ち馬グレイスルーピー、コロンビアSの勝ち馬でテストS2着のメアファラ、フォールハイウェイトH・スポートページH2回・ブージャムHなどの勝ち馬セニョールスピーディ、フランクJドフランシス記念ダッシュS・リヴァリッジSの勝ち馬スーパーストライク、ビングクロスビーHの勝ち馬サーティスルーズなどだった。ルビアノが単勝オッズ3.1倍の1番人気、シェイクアルバドゥが単勝オッズ4倍の2番人気、ソルトレイクが単勝オッズ8倍の3番人気、本馬は単勝オッズ8.1倍の4番人気だった。

しかし本馬はレース前の返し馬の頃から覇気が無く、スターティングゲートに入るのも嫌がっていた。ピゴット騎手は友人のウォルター・スウィンバーン騎手に「どうも今日の彼はあまり調子が良くないようです」とレース前に語っていた。レースがスタートしても本馬はダートコースに脚を取られて後方からのレースとなり、遂に最終コーナーで前のめりになったかと思うと転倒して競走を中止した(勝ったのは単勝オッズ19.7倍の9番人気馬サーティスルーズ)。右前脚の大砲骨を複雑骨折した本馬は予後不良と診断され、その場で安楽死となってしまった。本馬の下敷きになったピゴット騎手は、スタンドから飛び降りてきた観客達によって救い出されてハリウッド記念病院に搬送された。彼は生命に別条はなかったが、鎖骨と肋骨の骨折と肺と脾臓の損傷で、全治3か月の重傷を負った。

このレース後にBCスプリントは“demolition derby(競走馬の破壊ダービー)”の異名で知られるという記事が、ボルチモアサン紙に掲載された。1984年の勝ち馬エイロがレース4週間後に他界したり、1989年にミスターニッカーソンとシェイカーニットがいずれも予後不良となったり、1991年に優勝確実とみられていたハウスバスターがレース中の故障で惨敗したりといった件がその理由として挙げられていた。しかしエイロの死因は疝痛、ミスターニッカーソンの死因は心臓麻痺、シェイカーニットは競走を中止したミスターニッカーソンに衝突して致命傷を負ったもの、ハウスバスターはスターティングゲートに脚をぶつけて負傷したものであり、不幸が相次いだのは単なる偶然に過ぎないと思われ、BCスプリントというレースを云々言うのは感傷的な言い掛かりだと筆者は考える。ただ、ブリーダーズカップの主催者側は気にしたようで、本馬の事故の後に、出走馬の状態チェックをより厳格化する事になったという。5歳時の成績は9戦4勝で、この年のカルティエ賞最優秀古馬及び最優秀短距離馬に選出されたのが、本馬にとってせめてもの慰めである。

馬名に関して

馬名は米国のコメディ映画界の巨匠メル・ブルックス氏に由来している。本馬の父ブレイジングサドルズの名前は1974年公開の映画名であり、その監督を務めたのがブルックス氏だった事からの連想である。ちなみに、本馬の所有者グリーン氏とブルックス氏は友人だったらしい。なお、2007年公開の米国映画に本馬と同名のサスペンス映画があるが、本馬とは関係ない。

血統

Blazing Saddles Todman Star Kingdom Stardust Hyperion
Sister Stella
Impromptu Concerto
Thoughtless
Oceana Colombo Manna
Lady Nairne
Orama Diophon
Cantelupe
Lady Simone Wilkes Court Martial Fair Trial
Instantaneous
Sans Tares Sind
Tara
Day Tripper バーボンプリンス Princequillo
Lyceum
Sway Lucky Bag
Swing High
Double Finesse Double Jump Rustam Persian Gulf Bahram
Double Life
Samovar Caerleon
Carolina
Fair Bid My Babu Djebel
Perfume
Market Fair Fair Trial
Mrs. Pumpkin
Horus Blue Golden Horus Tudor Melody Tudor Minstrel
Matelda
Persian Union Persian Gulf
Reconcile
Real Blue Borealis Brumeux
Aurora
Blue Mark Blue Train
Pecked

父ブレイジングサドルズは豪州産馬で、現役時代は豪州で走りブルーダイヤモンドS・マリバーノンプレート・ブラックオパールS・マーソンクーパーS・デビュータントS勝ちなど14戦8勝の成績を挙げた。引退後は豪州で種牡馬入りしていたが、豪州でもそれほど成功したわけではなかった。なお、豪州繋養種牡馬であったブレイジングサドルズの息子である本馬が英国で誕生した経緯はよく分からない。ブレイジングサドルズの父トドマンは豪州の大種牡馬スターキングダム産駒で、豪シャンペンS・ゴールデンスリッパー・カンタベリーギニー・ライトニングS・豪フューチュリティS勝ちなど12戦10勝。レコード勝ちが8回もあるという快速馬で、種牡馬としても成功している。

母ダブルフィネスは英国産馬で、現役成績7戦1勝。本馬の半姉ヴァリカ(父ヴァリヤー)の息子ファーストトランプは、ミドルパークS(英GⅠ)・リッチモンドS(英GⅡ)・ジュライS(英GⅢ)を制して1993年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬に選ばれている。ヴァリカの曾孫にはミシーア【チェリーヒントンS(英GⅡ)】が、本馬の半妹クリムゾンロゼラ(父ポーラーファルコン)の孫にはブルックス【アランベール賞(仏GⅢ)】がいる。ヴァリカの曾祖母リアルブルーの半妹にはラリベラ【チェヴァリーパークS】がいるが、近親の活躍馬は少ない。名馬グランディは同じ牝系だが、近親とは言えない。→牝系:F8号族②

母父ダブルジャンプは2歳戦で活躍し、ロベールパパン賞・ジムクラックS・愛ナショナルS勝ちなど6戦5勝の成績を残した。遡ると、英シャンペンSやナショナルブリーダーズプロデュースSを勝ったラスタム、コロネーションCの勝ち馬パーシャンガルフへと行きつく。

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