マスケット

和名:マスケット

英名:Maskette

1906年生

黒鹿

父:ディスガイズ

母:ビトゥリカ

母父:ハンブルグ

牝馬限定戦では生涯無敗、牡馬相手でも互角に渡り合って米国競馬の殿堂入りも果たした20世紀初頭の米国の名牝

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績17戦12勝2着3回

誕生からデビュー前まで

米国の名馬産家ジェームズ・R・キーン氏によりケンタッキー州キャッスルトンファームで生産・所有された馬で、サー・ジェームズ・ロウ調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳夏にサラトガ競馬場で行われた未勝利戦でデビューして勝ち上がった。スピナウェイS(D5.5F)では、1分05秒8のコースレコードを計時して勝利した。ベルモントフューチュリティS(D6F)では、この年のグレートトライアルS・ナショナルスタリオンS・サラトガスペシャルS・グレートアメリカンSを勝利して米最優秀2歳牡馬に選ばれるサーマーチン、この年のシャンペンS・メイトロンS・ホープフルSの勝ち馬でダブルイベント2着のヘルメット、この年のトレモントS・ダブルイベントの勝ち馬でグレートアメリカンS2着のファイエットといった同世代トップクラスの牡馬勢との対戦となったが、本馬が2着サーマーチン以下に勝利を収めた。

次走のグレートフィリーS(D6F)では127ポンドを背負いながらも、スピナウェイSで本馬の2着だったウェディングベルズを再び2着に破って快勝。続くフラットブッシュS(D7F)では、3着ファイエットには先着するも、サーマーチンの2着に敗れた。しかし斤量はサーマーチンより本馬の方が重かった。僅か2頭立てとなったメイトロンS(D7F)では馬なりのまま走って、翌年にサラトガHを勝利するアフリクションを一蹴して勝利。2歳時の成績は6戦5勝2着1回で、後年になってこの年の米最優秀2歳牝馬に選ばれた。

競走生活(3歳時)

3歳時は5月にモリスパーク競馬場で行われたレディーズS(D8F)から始動して、ファッションSの勝ち馬でこの年のサラナクH・クリテリオンS・デラウェアHも勝つフィールドマウスを3着に沈めて、2着レディベッドフォードに5馬身差をつけて圧勝した。さらにガゼルH(D8.5F)に出走して勝利。次走のマーメイドS(D9F)でも、ガゼルHで3着だったレディベッドフォードを2着に、ガゼルHで2着だったペチコートを3着に破って勝利した。アラバマS(D9F)では、後にケンタッキーダービー馬ゼヴの母となるダッシュSの勝ち馬ミスカーニーを2着に、ペチコートを3着に破って勝利した。

ピエールポントH(D9F)では、オムニウムH・スピンドリフトSを勝っていた4歳牡馬のファイアストンに6ポンドのハンデを与えながら、ファイアストンを3馬身半切り捨ててみせた。次走のアケダクトH(D8.5F)でもファイアストンとの対戦となったが、今度は13ポンドのハンデを与える事となり、結果は鼻差敗れて2着だった。それでも、この年のラトニアダービー・サラトガCの勝ち馬でローレンスリアライゼーションS・ジェロームH2着の同世代の牡馬オランバラ(翌年にサバーバンH・サラトガH・ブライトンH・コモンウェルスHを勝ちブルックリンHで2着している)には先着した。シーズン最後のレースで敗れてしまった本馬だが、3歳時も前年と同じく6戦5勝2着1回の成績を残し、後年になってこの年の米最優秀3歳牝馬に選ばれた。

競走生活(4歳時)

4歳時も現役を続け、初戦となった短距離戦では、前年のサーフS・グレートトライアルS・ダブルイベントの勝ち馬でこの年はトラヴァーズS・ブルックリンダービー・ヨンカーズH・コニーアイランドジョッキークラブS・エンパイアシティS・イロコイS・シーゲートSを勝ってこの年の米最優秀3歳牡馬に選ばれるダルメシアンに17ポンドのハンデを与えながら勝利を収めた。

その8日後にはメトロポリタンH(D8F)に出走して、前年のメトロポリタンH・ブルックリンH・オムニウムH・オーシャンH・トロントカップH・スピードH・カリフォルニアH・バーンズH・イーストレイクHを勝っていた米最優秀ハンデ牡馬キングジェイムス、一昨年のメトロポリタンH・クイーンズカウンティH・カーターHと前年のフリートウイングH・リッチモンドH・フライトSなどを勝っていたジャックアトキンという、同競走を既に勝っていた強豪牡馬達と対戦した。しかし結果はファッションプレートという牡馬が勝利を収め、ジャックアトキンは3着、キングジェイムスは4着。そして6着に敗れた本馬は初の着外を喫してしまった。

しかしダート8.5ハロンのハンデ競走では2着馬に25ポンドのハンデを与えながらも勝利した。その2週間後にはシープズヘッドベイH(D8F)でキングジェイムスと再戦。本馬の斤量は123ポンドで、129ポンドのキングジェイムスよりは軽かったが、ラトニアダービー2着馬ツァーといった他の牡馬より13ポンド重かった。結果はキングジェイムスが勝利を収め、本馬は僅差の2着に敗れた。その後に出走したデラウェアH(D8F・現GⅠ競走であるデラウェアHとは同名の別競走)では、サージョンジョンソンの5着に敗退。このレースを最後に、4歳時5戦2勝の成績で競走馬を引退した。牝馬限定戦では結局一度も敗れる事は無かった。

血統

Disguise Domino Himyar Alarm Eclipse
Maud
Hira Lexington
Hegira
Mannie Gray Enquirer Leamington
Lida
Lizzie G War Dance
Lecomte Mare 
Bonnie Gal Galopin Vedette Voltigeur
Mrs. Ridgway
Flying Duchess The Flying Dutchman
Merope
Bonnie Doon Rapid Rhone Young Melbourne
Lanercost Mare
Queen Mary Gladiator
Plenipotentiary Mare 
Biturica Hamburg Hanover Hindoo Virgil
Florence
Bourbon Belle Bonnie Scotland
Ella D
Lady Reel Fellowcraft Australian
Aerolite
Mannie Gray Enquirer
Lizzie G
Berriedale Donovan Galopin Vedette
Flying Duchess
Mowerina Scottish Chief
Stockings
Caithness Bend Or Doncaster
Rouge Rose
Atalanta Galopin
Feronia

父ディスガイズは、本馬と同じくキーン氏により生産・所有されたドミノ産駒の米国産馬だが、競走馬としては英国で走った。ジョッキークラブSを勝ち、英ダービーで英国三冠馬ダイヤモンドジュビリーの1馬身半差3着、エクリプスSでエプソムラッドの首差3着するなど、8戦3勝の成績を残した。ディスガイズの牝系は名門クイーンメアリー系で、甥には名種牡馬ブラックトニーがいる。

母ビトゥリカは競走馬としてのキャリアは不明だが、本馬の半妹ベリサリオ(父ヒッポドローム)を経由して牝系子孫をかなり発展させている。ベリサリオの孫にはバブリングオーバー【ケンタッキーダービー・シャンペンS】、玄孫世代以降には、ギロチン【ベルモントフューチュリティS・カーターH】、ネイティヴチャージャー【フラミンゴS・フロリダダービー】、ダマスカス【プリークネスS・ベルモントS・ウッドワードS・ウッドメモリアルS・ドワイヤーH・アメリカンダービー・トラヴァーズS・ジョッキークラブ金杯・サンフェルナンドS・ブルックリンH】、ミスグリス【伊1000ギニー(伊GⅠ)・伊オークス(伊GⅠ)】、バンシーブリーズ【CCAオークス(米GⅠ)・アラバマS(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)・アップルブロッサムH(米GⅠ)・ゴーフォーワンドH(米GⅠ)】、トゥワイスオーヴァー【英チャンピオンS(英GⅠ)2回・エクリプスS(英GⅠ)・英国際S(英GⅠ)】、日本で走ったレインボーダリア【エリザベス女王杯(GⅠ)】などがいる。

ベリサリオの半妹オフィールデール(父ベンホラデー)の牝系の発展ぶりもなかなかのもので、米国三冠馬ワーラウェイ【ケンタッキーダービー・プリークネスS・ベルモントS・サラトガスペシャルS・ホープフルS・ブリーダーズフューチュリティS・ドワイヤーS・トラヴァーズS・アメリカンダービー・ローレンスリアライゼーションS・クラークH・ブルックリンH・ジョッキークラブ金杯・ピムリコスペシャル】、ワールアバウト【テストS・ガゼルH・ダイアナH・サンタバーバラH】、ハネムーン【ハリウッドダービー・ハリウッドオークス・ヴァニティH・トップフライトH】、コンキスタドールシエロ【ベルモントS(米GⅠ)・メトロポリタンH(米GⅠ)】、ハーフブライドルド【BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・デルマーデビュータントS(米GⅠ)】、ウェルアームド【ドバイワールドC(首GⅠ)・グッドウッドS(米GⅠ)】、リチャーズキッド【パシフィッククラシックS(米GⅠ)2回・グッドウッドS(米GⅠ)】、シャンハイボビー【BCジュヴェナイル(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)】、日本で走ったシンボリクリスエス【天皇賞秋(GⅠ)2回・有馬記念(GⅠ)2回】などがいる。→牝系:F8号族③

母父ハンブルグは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のキャッスルトンファームで繁殖入りした。初子の牝馬を産んだ後の6歳時に米国有数の富豪ヴァンダービルト家の一員ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト氏により購入された。ヴァンダービルト氏は米国の鉄道王コーネリアス・ヴァンダービルト氏の孫で、彼の莫大な財産の一部を相続した大富豪だった。ヴァンダービルト一族の人には、ネイティヴダンサーの生産者アルフレッド・グウィン・ヴァンダービルトⅡ世氏やエクワポイズの所有者コーネリアス・ヴァンダービルト・ホイットニー氏など、競馬界に大きな功績を残した人も少なくないが、ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト氏もその一人で、仏国にケスネー牧場を設立して競走馬の生産を開始していた。そのため、本馬もまた仏国に移動して繁殖生活を続けた。仏国ではマスカラ(父ドリット)【フィユドレール賞・ジョンシェール賞・プティクヴェール賞】、マスクドジェスター(父ホリスター)【モーリスドギース賞】など4頭のステークスウイナーを産んだ。1930年に24歳で他界した。牝系子孫はあまり発展せず、これと言った著名馬は出ていない。1954年、ベルモントパーク競馬場で本馬の名を冠したマスケットSが創設された(1992年からゴーフォーワンドHと改名)。2001年に米国競馬の殿堂入りを果たした。

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