アフリートアレックス

和名:アフリートアレックス

英名:Afleet Alex

2002年生

鹿毛

父:ノーザンアフリート

母:マギーホーク

母父:ホークスター

癌に侵された少女と生産者の想いを乗せて走り続け、ケンタッキーダービーこそ負けるも落馬寸前だったプリークネスSとベルモントSを連続圧勝する

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績12戦8勝2着2回3着1回

誕生からデビュー前まで

米国フロリダ州の馬産家ジョン・マーティン・シルバーランド氏により生産された。本馬を産んで1日も経たないうちに、母マギーホークは体調を崩してしまった。マギーホーク自身が本馬に初乳を与える事が出来たのは出産後初日だけで、翌日からは本馬の世話をする事が出来なくなった。妊娠中に胎盤を通じて免疫機能を母から子に受け継がせる人間と異なり、馬(牛や豚も)は初乳を飲ませないと免疫機能を母から子に受け継がせることが出来ない。そのため、母親が子馬に初乳を与えられない場合は、乳母となる馬を準備する必要がある。しかしフロリダ州ではすぐに乳母を用意できなかったため、本馬が誕生した翌日から、ケンタッキー州から乳母が到着するまでの約10日間、シルバーランド氏の当時9歳の娘ローレン嬢が哺乳瓶を用いて本馬に授乳した。

生産者のシルバーランド氏は本馬を「醜いアヒルの子」と評しており、期待はしていなかったようである。シルバーランド氏はジョン・ディバース氏という人物とコイントスの勝負をして負けたため、本馬をディバース氏に譲渡した。さらにディバース氏は本馬を15万ドルという安値でジョセフ・アレン氏という人物に売却した。アレン氏の所有馬として競走馬となるために調教が開始された本馬だったが、本馬を購入するようアレン氏に助言した当の担当調教師が、今度は本馬を手放すよう彼に勧めたため、本馬は2歳時に再度転売される事になった。この時点では本馬がアンデルセン童話の「醜いアヒルの子」と同じく白鳥である事には誰も気付いていなかった。

米国最古のセリ会社ファシグ・ティプトン社がメリーランド州ティモニアムにおいて実施したセリに出品された本馬は、キャッシュイズキングステーブルにより7万5千ドルで購入された。キャッシュイズキングステーブルは、ペンシルヴァニア州フィラデルフィア市やその近隣に住んでいた、チャック・ザクネイ氏、ジョー・レロ氏、ジョセフ・ジャッジ氏、ボブ・ブリッティンガム氏、ジェン・リーヴス女史の5人が2万ドルずつを出し合って設立した新しい共同馬主団体で、メンバー中3人は馬を所持するのは初めてだった。他の4人を説得して団体設立に漕ぎ着けたザクネイ氏は、無名だったティム・リッチー調教師に新しい競走馬の購入とその調教を依頼しており、本馬に目を付けたのは、このリッチー師だった。ザクネイ氏の息子とブリッティンガム氏の娘の名前が共に“アレックス”だったため、キャッシュイズキングステーブルは、それに本馬の父ノーザンアフリートの馬名の一部を組み合わせて本馬を命名した。

競走生活(2歳時)

2歳6月にデラウェアパーク競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利戦でデビューした。鞍上のジェレミー・ローズ騎手はデビュー4年目の若手騎手で、デビュー年にエクリプス賞新人騎手賞を受賞していたが、大競走にはまだ縁が無かった。単勝オッズ2.7倍の2番人気に推された本馬は、逃げる単勝オッズ2.6倍の1番人気馬ビートリックの直後2~3番手を追走。四角でビートリックをかわして先頭に立つと、そのまま直線独走で、2着ビートリックに11馬身1/4差をつけて大圧勝した。

同コースで行われた次走の一般競走では、前走の勝ち方が評価されて単勝オッズ1.2倍という圧倒的な1番人気に支持された。前走と同様に2~3番手を追走すると、やはり四角で先頭に立って後続を突き放し、2着モンスターチェイサーに12馬身差をつけて大楽勝した。

次走のサンフォードS(GⅡ・D6F)では、1997年のフェイヴァリットトリックに次いで史上2頭目となるチャーチルダウンズ競馬場の春季2歳開催における3大主要競走スリーチムニーズジュヴェナイルS・ケンタッキーBCS・バッシュフォードマナーSを全て制したルナーパル、ケンタッキーBCS2着馬コンソリデーター、ヴィクトリアSを勝ってきたフラメンコなどが対戦相手となり、抜けた人気にはならなかったが、それでも単勝オッズ4倍の1番人気に支持された。ここではスタートしてしばらくは6番手辺りの好位を追走していたが、向こう正面で仕掛けて早くも先頭に立つと、直線で後続を引き離して2着フラメンコに5馬身1/4差をつけて完勝。勝ちタイム1分9秒32はレースレコードだった。

ここで話は前後するが、本馬がリッチー師の調教を受けてデビューを目指している頃、キャッシュイズキングステーブルのメンバー達は、偶然にも本馬と同じ“アレックス”の名を持つ一人の少女の話を耳にした。アレクサンドラ・フリン・“アレックス”・スコットという名前のその少女は、1996年1月18日に米国コネチカット州マンチェスター市で産まれた。しかし1歳の誕生日の2日前に神経芽細胞腫という小児癌である事が判明。その後は手術、放射線治療、化学療法が続く厳しい日々だったが、彼女は常に明るく振る舞っていた。4歳の時、彼女は両親に、自分で小児癌撲滅のための資金集めをしたい旨を伝えた。彼女はレモネードを売る事で寄付金を募り始めた。彼女の家族や友人達もそれに協力し、やがて活動は米国全土に広がっていた。

この話を聞いたキャッシュイズキングステーブルのメンバー達は大きな感銘を受けた。さらに本馬の生産者であるシルバーランド氏も結腸と肝臓に癌を患って闘病生活を続けている事も知ったため、自分達も癌治療の研究のために何かしたいと考え始めていた。

しかしアレックス嬢は2004年8月1日に8歳の若さで死去した。この日は本馬がサンフォードSを勝った3日後だった。アレックス嬢の死後も彼女の活動はアレックス・レモネード・スタンド基金として継続した。キャッシュイズキングステーブルのメンバー達は、本馬が獲得した賞金の一部をアレックス・レモネード・スタンド基金に寄付する事を決定した。サンフォードSの後、キャッシュイズキングステーブルに対して本馬を購入したいという申し出が続出し、最大で200万ドルもの提示があったらしいが、本馬を売る意思など無かったキャッシュイズキングステーブル側はそれらの申し出を全て断った。

さて、次走のホープフルS(GⅠ・D7F)では、クリテリウムS・ディアマレーSと2連勝中のデヴィルズディサイプル、サンフォードSで2着だったフラメンコ、サンフォードSで3着だったコンソリデーターとの対戦となったが、本馬が単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持された。ここでは馬群の中団につけると、向こう正面から徐々に位置取りを上げて、逃げるデヴィルズディサイプルに接近。そして直線に入るとデヴィルズディサイプルとの叩き合いとなり、首差で競り勝った。

続くシャンペンS(GⅠ・D8.5F)では、本馬と同様にデビュー戦と一般競走を圧勝してきた2戦無敗のプラウドアコレード、素質馬サンキングと顔を合わせた。本馬が単勝オッズ2.25倍の1番人気、プラウドアコレードが単勝オッズ3.4倍の2番人気、サンキングが単勝オッズ4.9倍の3番人気で、完全な3強対決となった。レースでは後にBCスプリント・メトロポリタンH・トムフールHに勝つ快速馬シルヴァートレインが逃げて、サンキングが2番手、プラウドアコレードがやや離れた4番手で、本馬がプラウドアコレードの直後につける展開となった。やがてシルヴァートレインが失速すると入れ代わりにプラウドアコレードがサンキングに並びかけ、さらに本馬もその直後まで押し上げてきた状態で直線を向いた。そして直線ではこの前評判どおりの3頭による三つ巴の勝負となった。しかし最後に突き抜けたのはプラウドアコレードで、それに半馬身屈した本馬は2着に敗れて連勝は止まった(サンキングは本馬から1馬身1/4差の3着だった)。

ローンスターパーク競馬場で行われたBCジュヴェナイル(GⅠ・D8.5F)では、ベストパルS・ノーフォークSを勝っていたローマンルーラー、プラウドアコレード、サンキング、ブリーダーズフューチュリティを勝ってきたコンソリデーターなどとの対戦となった。ローマンルーラーが単勝オッズ3倍の1番人気で、プラウドアコレードが単勝オッズ3.6倍の2番人気、本馬が単勝オッズ4倍の3番人気となった。

スタートが切られると単勝オッズ34.2倍の最低人気馬トゥワイスアンブライドルドが単騎の逃げに持ち込み、コンソリデーターや単勝オッズ29.3倍の7番人気馬ウィルコなどがそれを追走。プラウドアコレードが好位の4番手につけ、本馬は後方2番手のローマンルーラーを見るように最後方を追走した。トゥワイスアンブライドルドの逃げは三角で終わり、代わりにコンソリデーターやサンキングが先頭に立とうとしたところへ、向こう正面で仕掛けてローマンルーラーやプラウドアコレードを置き去りにして伸びてきた本馬がやってきた。そして直線入り口でインコースを走っていたコンソリデーターとサンキングの2頭を競り落として先頭に立った。しかしその直後に、いったんは本馬に抜かれたウィルコが外側から猛然と追い上げてきた。そしてゴール前でかわされて3/4馬身差の2着に敗れた。

勝ったウィルコはデビュー当初は英国を主戦場としており、ヴィンテージSでシャマルダルの2着、スーパーレイティヴSでドバウィの3着するなど堅実に走った後、BCジュヴェナイルの数週間前に米国人実業家ジョン・ポール・リダム氏(2012年のケンタッキーダービー・プリークネスS勝ち馬アイルハヴアナザーの所有者にもなっている)に権利の4分の3を購入されたために米国に遠征してきた馬で、初ダートとなったこのレースで大金星を挙げることに成功した。後にドバイワールドCでエレクトロキューショニストの2着しているように、決して弱い馬というわけではなかったのだが、実績的には本馬より遥かに格下であり、まさに足元を掬われた形となった。

2歳時の成績は6戦4勝で、エクリプス賞最優秀2歳牡馬の座は、デルマーフューチュリティ・ハリウッドプレビューS・ハリウッドフューチュリティなど4戦無敗のデクランズムーンに奪われてしまった。

競走生活(3歳初期)

3歳時は米国三冠路線を目標とし、前年のケンタッキーダービー・プリークネスS勝ち馬スマーティジョーンズに倣って、アーカンソー州オークローンパーク競馬場で前哨戦を使う日程が組まれた。

そして3月にオークローンパーク競馬場で行われたマウンテンヴァレーS(D6F)から始動して、単勝オッズ1.3倍の断然人気に支持された。序盤は後方2番手に待機し、向こう正面から位置取りを上げて2番手で直線を向くと、前を行く単勝オッズ5.3倍の2番人気馬レーザーを難なくかわして、1分09秒52の好タイムで2馬身3/4差の勝利を収めた。

次走のレベルS(GⅢ・D8.5F)において、本馬陣営は大舞台の経験が無いローズ騎手に代わって、前年の北米首位騎手に輝いたジョン・ヴェラスケス騎手を本馬の鞍上に迎えた。ここでは、ナシュアS・レムセンS勝ち馬ロックポートハーバー、ケンタッキーカップジュヴェナイルS・ケンタッキージョッキークラブS勝ち馬グレーターグッドなどが対戦相手となったが、本馬が単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持された。スタートが切られるとロックポートハーバーが逃げを打ち、本馬が2番手、グレーターグッドがやや離れた3番手につけた。しかし本馬は三角で突如失速して後退。レースはグレーターグッドがゴール前でロックポートハーバーを半馬身かわして勝利する一方で、本馬はグレーターグッドから12馬身半差の6着最下位に沈んでしまった。

レース後の検査で肺の感染症に罹っている事が判明し、米国三冠競走に向けて暗雲が漂った。ヴェラスケス騎手が本馬に乗り続ける事を拒んだため、ローズ騎手が改めて本馬の主戦として固定される事になった。

その1か月後のアーカンソーダービー(GⅡ・D9F)では、グレーターグッドに加えて、レーンズエンドSの勝ち馬フラワーアレイ(後にケンタッキーダービー・プリークネスS勝ち馬アイルハヴアナザーの父となる)が対戦相手となった。前走の大敗にも関わらず、本馬は単勝オッズ3.4倍の1番人気に支持された。そして馬群の中団追走から三角手前で仕掛けて一気に先頭を奪うと、そのまま直線では独走態勢に入り、2着フラワーアレイに8馬身差をつけて圧勝。感染症からの立て直しに見事成功した。

競走生活(米国三冠競走)

そして迎えたケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)では、ウッドメモリアルSを17馬身半差という記録的大差で圧勝してきたベラミーロード、5年前のケンタッキーダービー馬フサイチペガサスの初年度産駒でブルーグラスSを圧勝してきたバンディニ(鞍上は本馬を振ったヴェラスケス騎手)、ファウンテンオブユースS・フロリダダービーを連勝してきたハイフライ、フロリダダービー2着馬ノーブルコーズウェイ、タンパベイダービーを勝ってきたサンキング、イリノイダービー勝ち馬グリーリーズギャラクシー、サンタアニタダービーで僅差3着して復調気配のウィルコ、ルイジアナダービー勝ち馬ハイリミット、ダービートライアルS勝ち馬ドントゲットマッド、レキシントンS勝ち馬コインシルヴァー、フラワーアレイ、人気薄ながらサンタアニタダービーを勝ってきたブザーズベイ、ハリウッドフューチュリティ・サンフェリペSで共に2着のジャコモ、グレーターグッドなど19頭が対戦相手となった。ウッドメモリアルSの壮絶な勝ち方が評価されたベラミーロードが単勝オッズ3.6倍の1番人気に支持され、本馬が単勝オッズ5.5倍の2番人気、バンディニが単勝オッズ7.8倍の3番人気、ハイフライが単勝オッズ8.1倍の4番人気となった。

このレースも含めたこの年の米国三冠競走施行日には、全米の競馬場においてアレックス・レモネード・スタンド基金のPR活動が行われ、基金の集金に大きく寄与した。また、余命3か月と宣告されていた本馬の生産者シルバーランド氏は、自身の生産馬が初めてケンタッキーダービーに出走すると聞いて、毎週実施していた化学療法を中断し、キャロライン夫人が運転する車に乗ってローレン嬢と3人で本馬の応援に駆けつけていた。

スタートから馬群の中団につけた本馬は、最終コーナー手前で位置取りを上げてベラミーロードやフラワーアレイなどの先行馬を捕らえにかかった。直線では一緒に上がって来たクロージングアーギュメントとの叩き合いとなったが、これを制して先頭に立ち、勝ったかと思われた。しかしここで外側から強襲してきたジャコモに差されたばかりでなく、クロージングアーギュメントにまで差し返されてしまい、勝ったジャコモから1馬身差の3着に敗れた。ジャコモは単勝オッズ51.3倍の14番人気、クロージングアーギュメントは単勝オッズ72.6倍(複勝2着オッズは35倍)の20番人気であり、大波乱の結果となった。ケンタッキーダービー初騎乗だったローズ騎手は、ベルモントSが終わった後、「この馬は三冠馬になるべき馬でした。この敗戦の責任は自分にあるのです」とニューヨーク・タイムズ紙の記者に語った。

次走のプリークネスS(GⅠ・D9.5F)では、ケンタッキーダービーから向かってきた馬は、ジャコモ、クロージングアーギュメント、本馬の前走上位3頭以外には、前走10着のハイフライ、前走11着のグリーリーズギャラクシー、前走14着のノーブルコーズウェイ、前走15着のサンキング、前走最下位のハイリミットと振るわなかったメンバーばかりであり、新規参戦組もウィザーズSを勝ってきたスクラッピーティーくらいしか目立つ馬がいなかった。ジャコモとクロージングアーギュメントの2頭は前走が人気薄だっただけにファンの信用を得るには至らず、本馬が押し出されるように単勝オッズ4.3倍で1番人気の評価を受け、ハイフライが単勝オッズ6.1倍の2番人気、ジャコモが単勝オッズ7倍の3番人気、クロージングアーギュメントが単勝オッズ8.2倍の4番人気となった。

スタートから馬群の中団後方を追走していた本馬は、三角から四角にかけてインコースを突いて一気に前との差を縮めていき、最終コーナーで外側に持ち出した。ちょうどそのとき、本馬の前には3番手追走から先頭を奪ったスクラッピーティーがいた。本馬が外側に持ち出したところでスクラッピーティーも外側に膨らんだため、2頭は接触。進路を失った本馬は大きく体勢を崩した。本馬の鼻が地面すれすれになるほどの大きな不利であり、鞍上のローズ騎手は殆ど落馬寸前だった。しかし本馬は蹄を負傷しながらもすぐに体勢を立て直して直線に入り、前を行くスクラッピーティーを内側からかわすと、そのまま引き離して最後は2着スクラッピーティーに4馬身3/4差、3着ジャコモにはさらに5馬身差をつけて勝利を収め、レースを見ていた人達の度肝を抜いた。ラスト1ハロン半の走破タイムはプリークネスS史上でも最も速いものだったとされている。普通なら落馬必至だった接触事故において、ローズ騎手が落馬を免れたのは、天国の娘が手を貸したからではないかと、亡きアレックス嬢の母親は語った。

続くベルモントS(GⅠ・D12F)では、もうジャコモくらいしか目立つ対戦相手はおらず、本馬が単勝オッズ2.15倍の1番人気に支持され、ジャコモが単勝オッズ6.1倍の2番人気、ピーターパンSで2着してきたリバーバレイトが単勝オッズ12.8倍の3番人気、アーカンソーダービー3着馬アンドロメダズヒーローが単勝オッズ12.9倍の4番人気だった。

スタートから他馬を見るように馬群の後方を追走した本馬は、四角で外をまくって直線入り口では既に先頭だった。あとは後続を引き離すだけで、2着アンドロメダズヒーローに7馬身差の圧勝を果たした。ラスト2ハロンの走破タイム24秒4は1969年のアーツアンドレターズ以来の速さだった。

シルバーランド氏(この1年半後に61歳で死去)はケンタッキーダービー馬の生産者にこそなれなかったが、プリークネスS・ベルモントS勝ち馬の生産者になるという栄誉を手にすることが出来た。

その後は8月下旬のトラヴァーズSが目標とされたが、7月下旬に左前脚頸骨の亀裂骨折が判明したために回避となった。もっとも負傷の程度は軽く、しばらくして治癒したと思われたため、BCクラシックに向けた調整が開始された。ところがその後の検査で、本馬が無血管性骨壊死(骨に血液を送るための血管が血流障害を起こし骨組織が壊死する病気)である事が判明。その原因はプリークネスSで体勢を崩した際の負傷であり、夏場の亀裂骨折も骨壊死が原因であると推定された。これ以上のレース出走は致命的な骨折を引き起こす危険性があると判断され、結局ベルモントS以降はレースに出る事は無く、同年12月に現役引退が発表された。

3歳時の成績は6戦4勝で、この年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬のタイトルを獲得した。また、全米サラブレッド競馬協会選定による“Moment of the year”には本馬のプリークネスS勝利が選出された。さらに獲得賞金の一部をアレックス・レモネード・スタンド基金に寄付した社会的貢献が評価され、キャッシュイズキングステーブルもエクリプス賞で特別賞を受賞している。

なお、アレックス・レモネード・スタンド基金の活動は現在も続いており、実に6000万ドル以上の寄付金を集め、全米300以上の小児癌研究に資金提供されている。

血統

Northern Afleet アフリート Mr. Prospector Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
Polite Lady Venetian Jester Tom Fool
Venice
Friendly Ways Green Ticket
Ways to Learn
Nuryette Nureyev Northern Dancer Nearctic
Natalma
Special Forli
Thong
Stellarette Tentam Intentionally
Tamerett
Square Angel Quadrangle
Nangela
Maggy Hawk ホークスター Silver Hawk Roberto Hail to Reason
Bramalea
Gris Vitesse Amerigo
Matchiche
Strait Lane Chieftain Bold Ruler
Pocahontas
Level Sands Mahmoud
Crawfish
Qualique Hawaii Utrillo Toulouse Lautrec
Urbinella
Ethane Mehrali
Ethyl
Dorothy Gaylord Sensitivo Sideral
Ternura
Gaylord's Touch Sir Gaylord
Noble Touch

父ノーザンアフリートは本邦輸入種牡馬であるアフリートが米国に残してきた産駒の1頭で、現役成績は21戦5勝。GⅠ競走勝ちこそ無かった(GⅠ競走ではマリブSとメトロポリタンHの3着が最高)が、サンフェルナンドBCS(米GⅡ)・サンカルロスH(米GⅡ)・サンディエゴH(米GⅢ)に勝利した中堅マイラーであった。種牡馬としては本馬の他にも活躍馬を出して成功している。

母マギーホークは現役成績4戦1勝。本馬の2歳年上の全兄アンフォゲッタブルマックス【シェッキーグリーンS】も産んでいる。マギーホークの母クアリークは現役時代11戦して僅か2勝だったが、うち1勝がデモワゼルS(米GⅠ)だった。クアリークの曾祖母ノーブルタッチの半姉には、マルゼンスキーの祖母である1958年の米最優秀2歳牝馬クイル【メイトロンS・エイコーンS・マザーグースS・デラウェアH】がいる。→牝系:F5号族①

母父ホークスターはグラスワンダーの父として知られるシルヴァーホークの産駒。現役成績は22戦6勝で、ノーフォークS(米GⅠ)・セクレタリアトS(米GⅠ)・オークツリー招待H(米GⅠ)・デルマーダービー(米GⅡ)を勝っている。オークツリー招待Hでは芝12ハロンの世界レコード2分22秒8を樹立し、その後ホーリックスが勝ったジャパンCにも参戦して5着している。1997年に日本に種牡馬として輸入されたが成功せず2003年に他界している。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はケンタッキー州ゲインズウェイファームに購入されて種牡馬入りした。初年度の種付け料は1万5千ドルに設定され、産駒の活躍を受けて2万5千ドルに値上げされている。2009年の新種牡馬ランキングと2010年の2年目種牡馬ランキングでいずれもトップ10入りを果たし、複数のGⅠ競走勝ち馬を送り出すなど好調な種牡馬成績を挙げている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

2007

Afleet Again

BCマラソン(米GⅡ)・ウィザーズS(米GⅢ)

2007

Afleet Express

トラヴァーズS(米GⅠ)・ペガサスS(米GⅢ)

2007

Afleeting Lady

フォールズシティH(米GⅡ)・ターンバックジアラームS(米GⅢ)

2007

Dublin

ホープフルS(米GⅠ)

2007

Harissa

バーバラフリッチーH(米GⅡ)

2007

La Gran Bailadora

ケンタッキーCディスタフS(米GⅢ)

2007

ビタースウィート

東京シンデレラマイル(SⅢ)

2008

Bizzy Caroline

リグレットS(米GⅢ)・ミントジュレップH(米GⅢ)

2009

Called to Serve

ディスカヴァリーH(米GⅢ)

2010

Dancing Afleet

デラウェアオークス(米GⅡ)

2010

Iotapa

ヴァニティS(米GⅠ)・クレメントLハーシュS(米GⅠ)・サンタマリアS(米GⅡ)

2012

Materiality

フロリダダービー(米GⅠ)

2012

Sharla Rae

デルマーオークス(米GⅠ)

2012

Texas Red

BCジュヴェナイル(米GⅠ)・ジムダンディS(米GⅡ)

TOP