海外競馬の基礎知識
1.レースの種別に関して
ステークス競走:出走登録料を支払わないと参戦できない競走で、集まった出走登録料は着順に応じて上位馬の所有者に分配される。上位に入る見込みが無い馬は出走してこない事が多いため、自ずと出走馬のレベルは高くなる。ステークス競走の勝ち馬をステークスウイナーと言い、特に種牡馬にとっては産駒のステークスウイナー数やステークスウイナー率が重視される事が多い。
グループ競走及びグレード競走:1949年に悪名高きジャージー規則(この内容に関してはブラックターキンの項を参照)が廃止されると、欧州と北米の間における馬の取引が盛んになった。しかし欧州競馬関係者には北米のステークス競走の格の上下が分からないし、北米競馬関係者には欧州のステークス競走の格の上下が分からない。だから〇〇というステークス競走を勝った馬の子だと言われても、それがどれだけの価値なのか分からない事態が生じ、ステークス競走の格を理解しやすくする必要が生じてきた。それをきっかけに設けられた制度に基づいて格付けされたステークス競走の事。欧州は1971年にグループ制度を、米国は1973年にグレード制度を制定して、それに基づいてレースの格付けを行った。後年に他の国や地域も追従。北米・日本・南アフリカはグレード制度で、他はグループ制度となっている。名称は異なるが、いずれもⅠ~Ⅲまでの3段階あってⅠが最も格上である事など共通点が多く、グループ競走とグレード競走はほぼ同じと考えて差し支えない。そのため、この名馬列伝集でも特に必要とされる場合を除いて区別はせずに、GⅠ・GⅡ・GⅢと表記する。もっとも、米国では頻繁に格上げや格下げがあるが、欧州ではそこまでではないなど細かな違いはある。なお、特定の地域で誕生した馬しか出走できないなど、性別や年齢以外の条件による出走制限があるレースはどんなにレベルが高くても格付けの対象外となっている。なお、日本では「重賞」と訳す事が多いが、重賞とは本来パターンレース(毎年同じ時期に同様の条件で繰り返し施行される競走のこと)の訳であり、グループ競走やグレード競走を重賞と訳すのはあまり正確ではない。しかも中にはステークス競走を重賞と訳す場合もあり(ハクチカラが1959年に米国でワシントンバースデイHを勝った際に、当時はグレード制度未施行にも関わらず、日本馬初の海外重賞制覇だと喧伝されたのがその典型例)、統一されていない。グループ及びグレード制度創設前と後を一貫して取り扱うこの名馬列伝集では「重賞」という表現を使用するのが困難なため、原則使用しない事にしている(日本のレースに関してはその限りでは無い)。
リステッド競走:一定以上のレベルがあるがGⅢ競走以上に格付けられるほどではないステークス競走、又は創設間もない等の理由でまだGⅢ競走以上に格付けられないステークス競走。これも性別や年齢以外の条件による出走制限があるレースは対象外である。リステッドの言葉の由来は、セリに上場される馬のリストの中において目立つように太字で競走名を載せる事が認められている事から。グループ競走やグレード競走も太字で競走名を載せられるため、グループ競走やグレード競走もリステッド競走に含まれると言える。なお、日本では「準重賞」と訳す事が多いが、「重賞」を使用しない以上、「準重賞」もこの名馬列伝集では使用しない事にしている。
一般競走:正式名称は「アロウワンス(Allowance)」で、主に北米に存在する(欧州や日本にもこれに類する競走はあるが、アロウワンスとは呼ばない)。ステークス競走ではない競走の中では比較的格上のレースである。性別や年齢等の条件によって出走馬の斤量が決められており、過去の実績はあまり斤量に影響しない事が多い。
ハンデ競走:人間の陸上競技等ではまずあり得ないが、賭け事でもある競馬においてはしばしば行われるレース形態。事前にハンデキャッパーが出走予定馬の能力を測り、強い馬には重い斤量を、弱い馬には軽い斤量を設定する。ハンデキャッパーの予測が完全に実際のレースと合致すれば出走全馬が同時にゴールインする事になる。実際にそうなる事はまず無いが、接戦になる事は確かに多く、それがレースとしての面白さや馬券的妙味に繋がる。殆どの競馬主要国で盛んに行われているが、その位置づけは国により大きく異なる。欧州ではハンデ競走がグループ競走になる事は無い(障害競走において一部例外あり。ちなみに英国と愛国の障害競走が格付けされる場合はグループ制度ではなくグレード制度に基づいている。仏国はグループ制度)。日本ではハンデ競走がGⅡ競走になる事はあるが、GⅠ競走になる事は無い。米国では「他馬にハンデを与えて勝つのが真の強い馬」という意識が今も昔も根強いためか、ハンデ競走として施行されているGⅠ競走は数多い。豪州では最大の競走であるメルボルンCがハンデ競走である。
未勝利戦:正式名称は「メイドン(Maiden)」で、日本も含めて世界各国に存在する。しかし日本では原則として初出走馬のみが出走できる「新馬戦」と「未勝利戦」に分けられているが多くの他国では分けられていない、英国では未勝利戦でも形式上ステークス競走の形態を取っている(もっとも、この未勝利ステークスを勝っただけではステークスウイナーにはならない)など、国によって制度の違いはある。
クレーミング競走:出走する馬全てが売りに出されている競走のこと。売却額(譲渡要求額とも言う)はあらかじめ決められている。売買の成立はレース前であり、レース後に購入を要求する事は出来ない。売却額に応じてレースのレベルは異なるが、いずれにしても馬主にとって手放しても惜しくない程度の馬が出てくる事が多く、レースのレベルは一般的に低い。もっとも、中には手放すには少し惜しい馬をあえて出走させる場合もあり、こうなるとクレーミング競走に出走させること自体が馬主にとっての一種の賭け事である。北米では最も多い競走だが、欧州では少数派で、日本には存在しない。
オプショナルクレーミング競走:大雑把に書くと、一般競走とクレーミング競走の混合競走。クレーミング競走と異なり全ての出走馬が売りに出されているとは限らず、売却対象外の馬しか出走していないオプショナルクレーミング競走も珍しくない。
ヒート競走:一発勝負ではなく、同じ馬同士が同日に複数回競走をして、ある馬が2回(3回の場合もあったらしいが筆者の知識の中では大抵は2回)1着になるまで決着がつかないレース。もっとも、1戦目でもあまりにも大差をつけられて敗れた馬はその段階で敗者確定というルールが設けられた事もあった。ちなみに1着同着の場合は当該競走は無意味とされたため、これが英語で「同着・引き分け」を意味する「デッドヒート(Dead Heat)」という言葉の由来となっている(デッドヒートを激戦といった意味で使用するのは和製英語)。18世紀の欧州や19世紀の米国においては一般的なレース形態だったが、その後は廃れて現在の競馬主要国では行われていない。
分割競走:現在は行われていないようだが一昔前の米国では、1つの競走に定員を超える出走登録があった場合に、除外をせずに登録馬を2つの組に分けて当該競走を2回行う場合がしばしば見られた。これが分割競走で、当然出走馬の層は薄くなる。プリークネスSも1918年に分割競走となり、この年は優勝馬が2頭になっている。日本の中央競馬にも分割レースなる制度が存在するが、これは登録馬が少なくて1つのレースが不成立になった場合に、番組数を減らさないために、同日の別の成立するレースの登録馬を強引に2つの組に分けて2つのレースにしてしまうものであり、ここで言う分割競走とは趣旨が全く異なる。
ハードル競走:ハードルは要するに置き障害。人間の障害物競走のように、平地競走用のコース上に障害を配置して施行する障害競走の事(競馬場によってはハードル競走でも専用コースを使用する場合がある)。障害の高さが低いなどの理由で飛越難易度が低いので、飛越能力よりも平地の速度が物をいう場合が多い。
スティープルチェイス競走:スティープルチェイスは要するに固定障害。ハードル競走と異なり障害競走専用のコースで施行される。障害を移動させる必要が無いため、障害を高くしたり、障害の前後に水濠を作ったりなど、意地が悪い(?)工作を行う事が可能。当然ハードル競走より飛越難易度が高く、より正確な飛越能力が要求される。省略して「チェイス」と表現する事も多い。日本の中央競馬で施行されている障害競走は、世界的にはスティープルチェイス競走として認識されている。
芝競走・ダート競走・オールウェザー競走:芝競走は芝生、ダート競走は砂や土、オールウェザー競走は芝生より維持が容易で砂や土より水はけが良い人工素材を敷き詰めたコースで行う。欧州各国や日本(中央競馬)など大半の国では芝競走がメインだが、北米(及び日本の地方競馬)はダート競走がメインとなっている。芝が得意でもダートは不得意な馬、その逆の馬、両方こなす馬など様々なタイプがいる。オールウェザーは適性面では芝とダートの中間に位置すると言われる。このオールウェザーは21世紀に入ってから米国やドバイを中心に流行り、ダートコースをオールウェザーに転換する動きが一時期活発となったが、米国の競馬関係者の中にオールウェザーを嫌悪する人が多かった(競走馬の健康に悪影響を及ぼす懸念があったり、ダートで大活躍した名馬カーリンが初のオールウェザーで完敗したりしたのが理由)ため、数年前から逆にオールウェザーをダートに戻す動きが活発化して、オールウェザーで施行される大競走は現在ほぼ姿を消した。
2.タイトル等に関して
エクリプス賞:米国においては1936年から年度表彰として年度代表馬などを選出するようになったが、複数の団体が個別に選出していたため、同じ年に2頭の年度代表馬が出るといった事例が頻発した。そこで1971年に「エクリプス賞」というタイトルに一本化した。全米競馬記者協会・デイリーレーシングフォーム紙・全米サラブレッド競馬協会の3団体の構成員の投票結果により選出される。名称は18世紀英国の名馬エクリプスに由来する。競走馬に関しては「年度代表馬」「最優秀2歳牡馬」「最優秀2歳牝馬」「最優秀3歳牡馬」「最優秀3歳牝馬」「最優秀古馬牡馬」「最優秀古馬牝馬」「最優秀芝牡馬」「最優秀芝牝馬」「最優秀短距離牡馬」「最優秀短距離牝馬」「最優秀障害競走馬」の部門がある(騙馬は牡馬に含む)。競走馬だけが対象では無く、「最優秀調教師」、「最優秀騎手」、「最優秀馬主」などもある。
米最優秀ハンデ牡馬及びハンデ牝馬:エクリプス賞の創設前は「最優秀古馬牡馬」「最優秀古馬牝馬」というタイトルは無く、代わりに「最優秀ハンデ牡馬」「最優秀ハンデ牝馬」というタイトルが存在した。仮に古馬と同斤量を背負っても全ての古馬に勝てると判断された3歳馬がいた場合はその3歳馬が受賞した年もあり、「最優秀古馬牡馬」と「最優秀ハンデ牡馬」はイコールではない。エクリプス賞の創設に伴い消滅したが、イージーゴアの項に記載したようにそれを惜しむ意見もある。筆者も、3歳馬と古馬の斤量差を考慮しない現行のレーティング算出方式より、こちらの方式のほうを望む1人である。
ソヴリン賞:エクリプス賞のカナダ版で、創設は1975年。もっとも、それ以前にも年度表彰は存在していた。競走馬に関してはエクリプス賞と概ね部門は同じだが、大きく異なるのは「最優秀繁殖牝馬」という部門がある点である。米国には「ケンタッキー州最優秀繁殖牝馬」などはあるが、エクリプス賞には繁殖牝馬を表彰する部門は無い。
カルティエ賞:エクリプス賞の欧州版で、創設は1991年。欧州全体が対象なので、この年以降にも各国ごとの年度代表馬等のタイトルは存在している。レースごとに定められたポイントの総計40%、英国の競馬記者達による投票総計30%、レーシングポスト紙とデイリーテレグラフ紙の読者による投票総計30%の合計ポイントが最上位となった馬が選出される。名称は仏国の宝石・時計ブランドであるカルティエがスポンサーである事から。競走馬に関しては「年度代表馬」「最優秀2歳牡馬」「最優秀2歳牝馬」「最優秀3歳牡馬」「最優秀3歳牝馬」「最優秀古馬」「最優秀短距離馬」「最優秀長距離馬」の部門があるが、「最優秀古馬牡馬」「最優秀古馬牝馬」が「最優秀古馬」に一本化されているなど、エクリプス賞より部門数が少ない。あと、米国のブリーダーズカップが終了した直後に発表される(エクリプス賞は年明けに発表される)ため、その後に施行されるジャパンCや香港国際ミーティングの結果は無視されており、日本人の立場としては甚だ面白くない。
レーティング:レースで発揮したパフォーマンスに基づいて競走馬の能力を数値化したもの。前身はフリーハンデと言い、これは英国に存在したフリーハンデキャップというレースに当該馬が出走した場合にどの程度の斤量を課すかを示したものである。強い馬ほど重い斤量が設定されるため、言い換えればこの数値が高いほど強い事になる。そのため、フリーハンデの系譜を受け継ぐレーティングも重さの単位であるポンドで表記される。レーティングは基本的にレースごとに測定され、他馬との着差が大きいほど数値の差が大きくなる。しかし、以下のような問題点があるため、レーティングだけで競走馬の能力を全て測れるとは思わない方が良い。①接戦を制するタイプの競走馬は高い数値になりにくい。鼻差でも10馬身差でも勝ちは勝ちのはずなのだが。②レースごとに測定するため、ある1つのGⅠ競走に狙いを定めて圧勝した馬のほうが、接戦を制しながら次々にGⅠ競走を勝った馬より数値が高くなる。人間のテニス競技等における世界ランキングとは正反対である。③3歳馬と古馬の斤量差が反映されない。軽斤量の3歳馬と重斤量の古馬が1着同着になった場合、古馬のほうが高い数値となって然るべきだが、実際には同じ数値がつく。「斤量差を反映させた数値になっている」と主張する人もいるようだが、斤量56kgの3歳馬モンジューが斤量59.5kgの4歳馬エルコンドルパサーを半馬身差の2着に抑えて勝った1999年の凱旋門賞において、モンジューのほうがエルコンドルパサーより1ポンド(約0.45kg)数値が高くなったのを見れば、上記主張が現実と違うのは明白である。そのため3歳馬の130ポンドと古馬の130ポンドでは後者のほうが価値が高くなるべきであり、同列視するのは妥当ではない。④レーティングの高低が競走馬引退後の種牡馬としての評価に影響するため、3歳で高いレーティングを獲得した馬は古馬になって走らずにさっさと引退したり、既に勝負が決まったレースなのにレーティングを高くする目的で最後まで全力疾走させた結果その馬が故障したりなどの事例が起きる。とすれば、レーティングの存在は競馬ファンにとってむしろ有害であるとも言える。
ワールド・サラブレッド・レースホース・ランキング:旧称は国際クラシフィケーション。1977年に英国・愛国・仏国の3か国が合同で公式レーティングを決定する事にしたのが始まりで、その後の段階を経て現在は世界全体が対象になっている。国によって競馬のシーズンが異なるため、年2回発表される(上位50頭のみは年5回発表)。最高値は140ポンドで、130ポンド以上あれば超一流、135ポンド以上あれば歴史的名馬と言える。凱旋門賞を勝っても120ポンド代前半しかつかない事もあり、普通に勝つだけでは130ポンド以上はなかなか出ない。なお、昔の馬と近年の馬の評価基準は異なっていたらしく、昔の馬のほうが甘い評価だとしばしば批判される事があったため、2013年1月に、1991年以前の評価について、1977年は全馬一律7ポンド減、1978年は全馬一律6ポンド減というように、年によって1~7ポンドの引き下げが実施されている。以前の過ちを正す姿勢は賞賛されてよいかもしれないが、「当時は正しいとされていた昔の評価が誤っていた」ということはすなわち「今は正しいとされている評価も将来的に誤りとされる可能性がある」という事を暴露した結果ともなった。あと、グループ競走及びグレード競走の解説では触れなかったが、これらの競走の格付けには出走して上位に入った馬の公式レーティングが影響しており、上位馬の平均レーティングが高い期間が続けば格上げ、逆に低い期間が続けば格下げになる可能性がある。新設されたばかりのステークス競走は原則としてグループ及びグレード競走に格付けられず、最低2年間の上位馬の平均レーティングに基づいて格付けが実施される。よってこの公式レーティングは世界競馬界においてかなり重要な存在となっており、レーティングの解説で述べたような様々な問題点があるのは困りものである。
英タイムフォーム社のレーティング:タイムフォーム社は、競走馬の能力をレーティングとして数値化して競馬ファンに情報提供する事を目的として1948年に設立された民間の出版社。公式評価であるワールド・サラブレッド・レースホース・ランキング(以下WRと略す)と異なり、あくまでも民間の非公式評価であるが、WRより歴史が古いこともあり、こちらのほうを信用する人も多い。評価基準はWRと少々異なるようで、全体的にWRより5ポンド程度高い数値が出る。WRと異なり昔の馬の評価の見直しは行っていないが、筆者が見た限りでは少なくとも2歳馬に関しては昔の馬と近年の馬の評価基準が違ってきているとしか思えない。なお、英タイムフォーム社の記者だったトニー・モリス氏とジョン・ランドール氏が1999年に出した書籍“A Century of Champions”の中で設定されているレーティングは両氏が独自に決定されたもので、英タイムフォーム社の公式レーティングとは異なる。混同している人が多いようなので、念のため。
米国三冠競走:ケンタッキーダービー・プリークネスS・ベルモントSの3競走の総称。この3競走を全て勝った馬は米国三冠馬という大変な名誉を手にすることになる。日本の中央競馬三冠競走と最も異なるのは、5月の第1土曜日に開催されるケンタッキーダービー→2週間後のプリークネスS→さらに3週間後のベルモントSという過密日程である。ケンタッキーダービーとプリークネスSの距離はあまり違わないがベルモントSだけ距離が長い上に、ケンタッキーダービーで負けた馬がプリークネスSを回避して万全の体調でベルモントSに参戦してくることも多いため、最初の2競走を勝った馬がベルモントSで負けてしまう事例が多数あり、1978年にアファームドが史上11頭目の米国三冠馬になってから、2015年にアメリカンファラオが史上12頭目の米国三冠馬になるまでの37年間に12頭がその憂き目に遭っている。日本では3競走のうち2競走だけ勝った馬を「米国二冠馬」と呼称するが、米国ではそんな表現はしない。なお、3競走が創設されたのはいずれも19世紀だが、米国三冠競走なる路線が確立されたのは20世紀前半の話である(その辺の経緯はギャラントフォックスの項を参照)。
ニューヨーク牝馬三冠競走:エイコーンS・CCAオークス・アラバマSの3競走の総称。この3競走を全て勝った馬はニューヨーク牝馬三冠馬という名誉を手にすることになる。米国三冠競走と異なり対象レースに変遷があったり、ニューヨーク牝馬三冠競走とは別に米国牝馬三冠競走なる路線があったりするが、その辺の詳細はダヴォナデイルの項を参照してほしい。
英国クラシック競走:英1000ギニー・英2000ギニー・英オークス・英ダービー・英セントレジャーの5競走。この中で一番創設が新しい英1000ギニーでも1814年創設と、どれもが伝統ある古典的競走であるためにクラシック競走と呼称する。なお、日本の中央競馬のクラシック競走は英国クラシック競走をモデルとしており、英1000ギニーが桜花賞、英2000ギニーが皐月賞、英セントレジャーが菊花賞に相当する。これらのレースに出走するためには事前登録が必要で、一昔前まではクラシック競走を勝てるだけの実力がありながら登録が無いばかりに出走できなかった事例が英国でも日本でもしばしば見られた(英国ではセントサイモン、日本ではオグリキャップが有名である)。現在は英国でも日本でも事前登録が無くても追加登録料を支払えば出走可能となっているが、当然事前登録料より高額である。
英国三冠競走:英2000ギニー・英ダービー・英セントレジャーの3競走の総称。この3競走を全て勝った馬は英国三冠馬という大変な名誉を手にすることになる・・・のは過去の話。マイル戦の英2000ギニー、12ハロン戦の英ダービー、長距離戦の英セントレジャーを全て勝つのは、スピードとスタミナを兼備する馬こそが名馬という20世紀前半までの発想では大変な名誉だったかもしれないが、競走馬の距離適性なるものが明確化された近年においてはそれほどの名誉ではない。特に長距離戦の権威が失墜するに伴い英セントレジャーの権威も失墜し、英国三冠馬の価値は暴落し、狙う馬は極めて少数となってしまった。1935年にバーラムが史上14頭目の英国三冠馬になってから、1970年にニジンスキーが史上15頭目の英国三冠馬となるまでに35年もの間隔があり、そしてニジンスキーを最後に英国三冠馬は誕生していない。それでも完全に無価値となったわけではないようで、2012年にキャメロットが英2000ギニー・英ダービーを両方勝った馬としてはニジンスキー以来42年ぶりに英セントレジャーに参戦して英国三冠馬のタイトルを獲りにいっている(結果は惜しくも2着)。
英国牝馬三冠競走:英1000ギニー・英オークス・英セントレジャーの3競走の総称。この3競走を全て勝った馬は英国牝馬三冠馬という名誉を手にすることになる。英セントレジャーは英国三冠競走の最終戦でもあるため、20世紀前半までは、英国三冠馬を懸けた牡馬と英国牝馬三冠馬を懸けた牝馬が直接対決する場面が時々見られた。英セントレジャーの権威失墜に伴い、英国牝馬三冠馬の名誉も低下しているが、その低下の程度は英国三冠馬より小さいようである。
3.イベント
ブリーダーズカップ(Breeders' Cup World Thoroughbred Championships):10月下旬から11月上旬の時期に北米で実施されるグレード競走の集中開催のこと。1980年代に入ってやや低下傾向にあった競馬人気の回復のために1984年に創設された。「ブリーダー」とは英語で生産者の意味で、種牡馬の所有者に資金を拠出させて、当該種牡馬の産駒のみに出走資格が与えられる事からこの名がついている。資格が無い種牡馬の産駒でも追加登録料を支払えば出走可能だが、この追加登録料が極めて高額であるため、それを嫌って回避する一流馬がしばしば出た(そのために近年は拠出資金を減額したり条件を満たせば登録料がかなり減額される措置が執られたりしている)。しかし資金が潤沢であるだけに施行される競走はどれも賞金が非常に高く、特に最も賞金が多いBCクラシックはドバイワールドCに次ぐ世界で2番目の高額賞金競走となっている。1984年の創設当初はBCジュヴェナイル・BCジュヴェナイルフィリーズ・BCスプリント・BCマイル・BCディスタフ・BCターフ・BCクラシックのGⅠ競走7つであり、それを1日で実施していた。21世紀になって施行競走が増えると2日間に分けて実施されるようになった。現在は13のGⅠ競走が行われており、北米のみならず世界最大の競馬の祭典となっており、毎年のように欧州から有力馬が参戦してくる。ブリーダーズカップの成功を見た他国も真似をして大競走の集中開催が世界各国で行われるようになっており、本項で紹介する他のイベントはブリーダーズカップあってこそ誕生したとも言える(日本でも地方競馬は真似をしているが、日本中央競馬会は真似をする気はないようである)。施行される競馬場は持ち回りであり基本的に毎年異なる(最大で3年連続同じ競馬場で施行された例はある)。
ドバイミーティング(Dubai Meeting):3月最終週にアラブ首長国連邦のドバイにあるメイダン競馬場において実施される国際招待競走の集中開催のこと。ドバイワールドC・アルクォズスプリント・ドバイゴールデンシャヒーン・ドバイデューティーフリー・ドバイシーマクラシックの5つのGⅠ競走と3つのGⅡ競走が1日だけで行われ、世界最大の競馬の祭典の1つとなっている。賭け事が禁止されているイスラム圏のイベントなので形式的には馬券の発売は無いが、クジ形式のものはある。また、海外のブックメーカーが自国でオッズを設定して馬券を販売する事は可能となっている。1996年に世界最高賞金競走としてドバイワールドCが創設され、それをメイン競走として新規競走を次々に追加して現在のドバイミーティングが成立した。
ロイヤルアスコットミーティング(Royal Ascot Race Meeting):6月第3週に英国アスコット競馬場において実施されるグループ競走の集中開催のこと。アスコット競馬場を所有する英王室が主催するイベントであるため、「ロイヤル」が名称についている。クイーンアンS・キングズスタンドS・セントジェームズパレスS・プリンスオブウェールズS・アスコット金杯・コモンウェルスC・コロネーションS・ダイヤモンドジュビリーSの8つのGⅠ競走を含む18のグループ競走が5日間で行われる。英王室主催のイベントだけに競馬の枠を飛び越えた世界的祭典となっている。エリザベスⅡ世女王陛下は全競走を観戦され、勝利馬の関係者には自らトロフィーを贈与なされている。
アークウィークエンド(Arc Weekend):10月第1日曜日とその前日の2日間に仏国ロンシャン競馬場において実施されるグループ競走の集中開催のこと。凱旋門賞・カドラン賞・アベイドロンシャン賞・マルセルブサック賞・ジャンリュックラガルデール賞・オペラ賞・フォレ賞の7つのGⅠ競走と4つのGⅡ競走がこの2日間で行われ、仏国最大の競馬の祭典となっている。名称はメイン競走である凱旋門賞の通称「アーク」に由来する。GⅡ競走は全て初日の土曜日に行われ、GⅠ競走は全て2日目の日曜日に行われる。最初にこのイベントが企画されたのは1988年で、1984年に創設された米国のブリーダーズカップに対抗する目的で考案されたらしい。
英チャンピオンズデイ(British Champions Day):10月第3週に英国アスコット競馬場において実施されるグループ競走の集中開催のこと。同じくアスコット競馬場で開催されるロイヤルアスコットミーティングと異なり英王室が主催するイベントというわけではない。歴史は新しく創設は2011年。英国における短距離・マイル・10ハロン・長距離・牝馬の5つの路線に関して年間チャンピオンを決定する意図で考案された。英チャンピオンズスプリントS・クイーンエリザベスⅡ世S・英チャンピオンS・英チャンピオンズ長距離C・英チャンピオンズフィリーズ&メアズSの5競走が1日で行われる。英チャンピオンSは元々ニューマーケット競馬場で施行される競走だったのだが、英チャンピオンズデイの創設に伴いアスコット競馬場に移されている。その代わりにニューマーケット競馬場においても「フューチャーチャンピオンズデイ」なるイベントが考案され、従来は施行時期が離れていた主要2歳戦を集中開催しようとしているようだが、こちらのほうは現時点では確立されておらず試行錯誤の段階である。
メルボルンカップカーニバル(Melbourne Cup Carnival):11月上旬に豪州メルボルンにあるフレミントン競馬場において実施されるグループ競走の連続開催のこと。11月第1火曜日に実施される豪州最大の競走メルボルンCがメインである事からこの名称となっている。この11月第1火曜日はメルボルン地区の祝日に指定されており、競馬の枠を飛び越えた豪州有数の祭典として大きく賑わう。メルボルン地区にある他の競馬場においても近い時期に同様の祭典が行われており、これらを総称して「メルボルンスプリングレーシングカーニバル」と呼ぶ。
香港国際ミーティング(香港國際賽事):12月第2週に香港の沙田(シャティン)競馬場において実施される国際招待競走の集中開催のこと。香港スプリント・香港ヴァーズ・香港マイル・香港カップの4つのGⅠ競走が1日で行われる。地理的に近い日本からも毎年のように出走する馬がおり、既に4競走全てで日本馬が勝利している。特に当時はまだGⅠ競走では無かった香港スプリントを除く3競走全てを日本馬が勝利した2001年の香港国際ミーティングは現在でも語り草となっている。しかし時期が近いジャパンCや有馬記念がこれに出走馬を奪われる事も多く、日本中央競馬会にとってはおそらく邪魔なイベントである。しかしこのイベントは元々は香港ジョッキークラブが1981年創設のジャパンCの成功を意識したところが出発点になっている。香港ジョッキークラブはジャパンCに倣って1988年に香港招待C(現香港カップ)を創設し、その後に競走数を増やしたりそれらを国際競走化したりして、現在の香港国際ミーティングを成立させた。
チェルトナムフェスティバル(Cheltenham Festival):3月第2週に英国チェルトナム競馬場において実施される障害競走の集中開催のこと。英チャンピオンハードル・クイーンマザーチャンピオンチェイス・ワールドハードル・チェルトナム金杯の4競走を中心に20の障害グレード競走が4日間で行われ、グランドナショナルミーティングと並ぶ英愛の障害競走ナショナルハントにおける最大の祭典となっている。
グランドナショナルミーティング(Grand National Meeting):4月第2週に英国エイントリー競馬場において実施される障害競走の集中開催のこと。英グランドナショナルを筆頭に16の障害グレード競走が3日間で行われ、チェルトナムフェスティバルと並ぶ英愛の障害競走ナショナルハントにおける最大の祭典となっている。
4.その他
競馬のシーズン:欧州・北米・日本等では1月から12月までが1つのシーズン。しかしオセアニア・ドバイ・香港・南米・南アフリカ等では7月から翌年6月、又は8月から翌年7月まで(国によって差異がある)が1つのシーズンとなっている。その理由はサラブレッドが誕生する時期と密接に関係している。サラブレッドの繁殖期は春だが、北半球の春と南半球の春は半年ずれているため、主に北半球産馬が走る国と、主に南半球産馬が走る国では競馬のシーズンも半年ずれるわけである。なお、サラブレッドの年齢が加算される時期も北半球産馬と南半球産馬では約半年ずれており、前者は毎年1月1日、後者は7月1日又は8月1日に1歳年を取る。あと、障害競走の本場である英国と愛国では、障害競走のシーズンは10月から翌年4月までとなっている。これはおそらく平地競走のメイン時期と重ならないようにするためである。
入着と着外:米国の資料などを読むと、4着以下でも賞金が出るレースであっても、1~3着が入着(place)、4着以下が着外(out of money)と表記されているため、この名馬列伝集でもそれに従う。海外の資料で競走馬の競走成績を表記する場合はほぼ間違いなく「レース数(Starts)」「1着回数(First)」「2着回数(Second)」「3着回数(Third)」まで記載されている。ところで日本では2着以内に入る事を「連対」と言い、それを海外馬にも当てはめて紹介している場合があるが、筆者は海外の資料で「連対」に相当する用語を見たことは無い。日本で「連対」が重視されるのは1・2着馬の組み合わせを当てる連勝式馬券がメインだからで、1着馬を当てる単勝及び3着以内に入る馬を当てる複勝式馬券がメインの海外では「連対」ではなく「入着」が重視される(仏国では連勝式馬券の人気が高いようだが)。そのため、この名馬列伝集では(日本馬を除いて)「連対」という言葉は使用しない事にしている。
単走:当該レースに出走馬が1頭しかいない場合、日本ではレース不成立(海外馬が参戦しているなどごく一部の例外を除いて最低4頭は必要)となるが、海外ではその1頭だけで走る。もっとも、2頭立てや3頭立ては現在でも海外ではざらだが、1頭しか出走しないというのは競走馬の数が増えた現在ではさすがに珍しい。筆者が知る限りGⅠ競走において単走となった唯一の事例は1980年のウッドワードSで、当時無敵の強さを誇っていたスペクタキュラービッドを恐れた他馬陣営が全て回避してしまい、スペクタキュラービッドが1頭だけで悠々と競馬場を一周して勝利している。
カップリング:主に米国と仏国に存在するシステム。馬券の発売に際して、馬主が同じ2頭以上の競走馬をまとめる事。例えば、エルコンドルパサーが2着した1999年の凱旋門賞において、勝ったモンジューとモンジュー陣営が参加させたペースメーカー役のジンギスカンという馬の2頭がカップリングされて単勝オッズ2.5倍の1番人気となっている。ここでモンジューが勝つと思ってモンジューの単勝馬券を買った場合でも、まかり間違ってジンギスカンが勝てばそれは的中というわけである(実際にはジンギスカンは最下位だったが、ペースメーカー役だったはずの馬がそのまま勝ってしまったGⅠ競走も現に存在する)。なお、一昔前の米国では、機械システムの都合上、上位人気12頭程度までしかオッズを表示する事が出来なかったため、下位人気の馬はたとえ馬主が違っても自動的にカップリングにされていた時期があった。