スウォーンズサン

和名:スウォーンズサン

英名:Swoon's Son

1953年生

鹿毛

父:ザドージェ

母:スウォーン

母父:スウィープライク

米国三冠競走にも米国競馬の年度表彰にも無縁だったが黙々と走り続けて同時代の強豪馬達を次々と破り後に米国顕彰馬にも選ばれる

競走成績:2~5歳時に米で走り通算成績51戦30勝2着10回3着3回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州レキシントンのミネオラストックファームにおいて、同牧場の所有者で、米国サラブレッドクラブの創立委員でもあったE・ゲイ・ドレイク氏により生産・所有された。レックス・ウィルソン調教師に預けられ、主戦はデヴィッド・アーブ騎手が務めた。

競走生活(2歳時)

2歳2月にフロリダ州ハイアリアパーク競馬場で競走馬デビュー。分割競走ハイアリアジュヴェナイルS(D3F)で、牝馬クイーンマージーの2着に入った。4月に出走したガルフストリームパークジュヴェナイルSでも2着だった。5月にはケンタッキー州チャーチルダウンズ競馬場で分割競走バッシュフォードマナーS(D5F)に出走。泥だらけの不良馬場の中を先頭で走り抜け、ステークス競走初勝利を挙げた。

その後の7月にはイリノイ州シカゴに転戦。アーリントンフューチュリティ(D6F)を勝利した。翌月にはワシントンパーク競馬場でジョージウルフ記念S(D6F)に出走して勝利。同月に同コースで出走したプレイリーステートS(D6F)では、後にダート6ハロンの全米レコード1分09秒8を計時する快速馬フープバンドを2着に、後にケンタッキージョッキークラブSを勝ち日本で種牡馬入りするロイヤルスティングを3着に破って勝利した。翌月にやはり同コースで出走したワシントンパークフューチュリティ(D6F)では、サンフォードS2着馬で後のガーデンステートSの勝ち馬プリンスジョンとの顔合わせとなったが、本馬がプリンスジョンを2着に破って勝利した。

10月にはケンタッキー州に戻り、ブリーダーズフューチュリティS(D7F)に出走。しかしここではジョヴィアルジョーヴの鼻差2着に惜敗した。2歳時の成績は13戦7勝2着4回3着1回だった。

競走生活(3歳時)

3歳時はシーズン前半にこれといった戦績が無く、米国三冠競走にも参戦していない。理由は不明だが、故障か何かだったと思われる。再び本馬の名前がステークス競走で見られるようになったのは、5月末にワシントンパーク競馬場で行われたドミノSだった。このレースを勝利した本馬は、引き続き翌6月のシカゴアンS(D8F)に出走して勝利。同月末にアーリントンパーク競馬場で行われたウォーレンライト記念S(D7F)では、ドミノS2着・シカゴアンS3着といずれも本馬に敗れていたザウォリアーを2着に、前年のブリーダーズフューチュリティで不覚を取った相手であるジョヴィアルジョーヴを3着に破って勝利した。

そして翌7月にはアーリントンクラシックS(D8F)に出走。同世代のプリークネスS・ジャージーS・ダービートライアルSの勝ち馬でケンタッキーダービー2着・ベルモントS3着のファビウス、ナショナルスタリオンS・コリーンS・メイトロンS・アルキビアデスS・アッシュランドSの勝ち馬でケンタッキーオークス2着のダブルドッグデア(前年の米最優秀2歳牝馬で、この年も米最優秀3歳牝馬に選ばれる)といった同世代の牡牝のトップクラスが参戦してきた。しかし本馬が、ホーソーンジュヴェナイルHの勝ち馬ベンアジョーンズを2着に従えて勝利を収め、ダブルドッグデアは3着、ファビウスは着外だった。翌8月にはシェリダンH(D8F)に出走。ここでは前走で破ったベンアジョーンズの2着に敗れたが、4着ファビウスには再び先着した。

その2週間後にはアメリカンダービー(T9.5F)に出走。このレースには、ケンタッキーダービー・ベルモントS・サプリングS・ホープフルS・フラミンゴS・フロリダダービーを勝ちプリークネスSで2着していた同世代最強のニードルズが出走してきた。しかし明らかに不慣れなはずだった湿った芝をきっちりとこなした本馬が2着ザウォリアー以下に勝利を収め、ニードルズは5着に敗れた。

その後は9月にシカゴ近郊にあるホーソーン競馬場で、チャールズWビドウィル記念H(D9F)に出走した。しかしここでは5歳馬タッスルパッチの2着に敗れた。その後は再びケンタッキー州に向かい、11月にチャーチルダウンズ競馬場でクラークH(D9F)に出走して、単勝オッズ1.6倍の1番人気に応えて快勝。

3歳時の敗戦はチャールズWビドウィル記念HとシェリダンHの2着のみで、この年12戦10勝2着2回の見事な成績を残した。米最優秀3歳牡馬にはニードルズが選ばれたが、本馬がそれに引けを取らない実力を有する事は明らかだった。

競走生活(4歳時)

古馬になった本馬は、米国競馬における強豪馬の宿命である重い斤量を課せられるようになった。頻繁に130ポンド以上を背負って出走したが、それでも勝ち星を積み重ねていった。まずは5月にチャーチルダウンズH(D7F)に出走して勝利。同月にはシカゴに飛び、ワシントンパーク競馬場でラサールH(D9F)に出走して勝利。翌週に出走した新設競走サイテーションH(D7F)では、チャーチルダウンズHで2着だったシーオエリンを再び2着に破って勝利。翌月にはバルモラルターフH(T8.5F)に出走したが、ここでは3着に敗れた。

翌7月にはウォーレンライト記念H(D7F)に出走。ここではファビウスを2着に破り、1分21秒6のコースレコードを計時して2連覇を飾った。さらに9日後にはエクワポイズマイルH(D8F)に出走。本馬には132ポンドが課せられていたが、ファビウスを3着に破って勝利した。それから10日後にはアーリントンH(T9.5F)に出走して、ワシントンバースデイH2回・サンフアンカピストラーノ招待H・ディキシーH・サンガブリエルHを勝っていた一昨年の米最優秀芝馬セントヴィンセントと対決。ここではスターズ&ストライプスHの勝ち馬マナサスが勝利を収め、本馬は2着に敗れたが、3着セントヴィンセントには先着した。

その後は一間隔を空けて、9月のワシントンパークH(D8F)に出走した。しかしここでは、ベルデイムH・アーリントンメイトロンHなども勝ってこの年の米最優秀ハンデ牝馬に選ばれるパッカーアップ、グレイラグH・オハイオダービー・サンカルロスH・エクセルシオールH2回・クイーンズカウンティH・ニューオーリンズH・イングルウッドH・アメリカンH・サンセットHを勝っていたファインドという2頭の強敵に屈して、パッカーアップの3着に敗れた。しかしすぐにホーソーン競馬場に移動して出走したミッドウエストH(D6.5F)では、スチュワーズC・ダイアデムSを勝った後に英国から移籍してきたキングブルースを2着に破って勝利。2週間後のチャールズWビドウィル記念H(D9F)では1分48秒8のコースレコードで勝利を収め、前年2着の雪辱を果たした。

それからさらに2週間後に出走したホーソーン金杯(D10F)では、ファインドに加えて、ブリーダーズフューチュリティ・ブルーグラスS・ウィルロジャーズS・シネマH・ハリウッド金杯・ウェスターナーS・アメリカンダービー・ユナイテッドネーションズHを勝っていた目下9連勝中の3歳馬ラウンドテーブルも出走してきた。結果はラウンドテーブルがコースレコードで勝利を収め、本馬は2着に敗れた。

4歳時の成績は15戦8勝2着2回3着2回と優れたものだったが、米最優秀ハンデ牡馬の座は、ウッドワードS・モンマスH・ジョンBキャンベルHを勝ち、ボウイーH・カーターH・メトロポリタンH・ナッソーカウンティHで2着、サバーバンH3着など12戦4勝2着4回3着1回の成績だったデディケート(3歳馬ボールドルーラーとともに米年度代表馬も受賞)に取られてしまった。

競走生活(5歳時)

5歳時は5月にワシントンパーク競馬場で出走したクラングH(D7F)を勝利。7月に同じくワシントンパーク競馬場で出走したマートルウッドH(D6F)も勝利した。同月にはミシガン州デトロイト競馬場にも赴き、デトロイトHを勝利。

そして8月に出走したエクワポイズマイルH(D8F)で、この年のサンフェルナンドS・サンタアニタマチュリティS・サンアントニオH・サンタアニタH・ガルフストリームパークH・アーゴノートHなどを勝っていたラウンドテーブルと2度目の対決。斤量は本馬が129ポンド、ラウンドテーブルが131ポンドに設定された。このレースには他にも、一昨年の同競走の勝ち馬でもあったトレントンH・ワイドナーH・アップルトンH・ガルフストリームパークHの勝ち馬バーズタウン、前年のウィザーズS・アーリントンクラシックSの勝ち馬でサラトガスペシャルS・ジャージーS・トボガンH・サバーバンH2着のクレムといった強豪が出走していた。しかし本馬が2着バーズタウン以下に見事に勝利を収めて、1942・43年の勝ち馬ベストセラー以来15年ぶり史上2頭目となる同競走の2連覇を達成。この年の米年度代表馬に選ばれるラウンドテーブルは5着だった。

同じく連覇を狙ったチャールズWビドウィル記念H(D9F)では、デルマーダービーの勝ち馬バウンティベイの2着に敗退。ホーソーン金杯H(D10F)では、前年と同じくラウンドテーブルの2着だった。この5歳時を最後に競走馬を引退。この年の成績は11戦5勝2着2回だった。

本馬は2歳から5歳まで毎年コンスタントに20万ドル以上を稼いでおり、獲得賞金総額97万605ドルは100万ドルに少し届かなかったが、当時全米競馬史上4位の高額だった。しかしいずれも獲得してもおかしくは無かった、米年度代表馬、米最優秀3歳牡馬、米最優秀ハンデ牡馬、米最優秀短距離馬、米最優秀芝馬などのタイトルには無縁だった。1歳年下のギャラントマンと同様、本馬もまた「無冠の帝王」である。

血統

The Doge Bull Dog Teddy Ajax Flying Fox
Amie
Rondeau Bay Ronald
Doremi
Plucky Liege Spearmint Carbine
Maid of the Mint
Concertina St. Simon
Comic Song
My Auntie Busy American North Star Sunstar
Angelic
Breathing Spell Dark Ronald
Romagne
Babe K. Leonardo Sweep
Ethel Pace
Cri de Coeur Fair Play
Toggery
Swoon Sweep Like Sweep Ben Brush Bramble
Roseville
Pink Domino Domino
Belle Rose
Lady Braxted Braxted Forfarshire
Sillabub
Frummenty Buckwheat
Frusquinglass
Sadie Greenock Greenock The Porter Sweep
Ballet Girl
Starella Star Shoot
Pamela
Silk Lady Ormondale Ormonde
Santa Bella
Silk Maid Esher
Kate Pelletier

父ザドージェはブルリーの父ブルドッグ産駒で、現役成績91戦25勝、サンフォードS・エンデュランスH・キャピトルH・カムデンH・サスケハナH・ローレルS・バレーフォージH・クエーカーシティHなどを勝っている。息子と同様に優秀なスピードを武器に芝ダートを問わずに6ハロンから8.5ハロンまで勝ち星を挙げた。

母スウォーンは現役成績23戦5勝。母としては、やはり芝ダートを問わず何度もコースレコードを樹立し74戦28勝の成績を挙げた本馬の1歳年上の全兄ドグーン【ホーソーンジュヴェナイルH・ジョージウルフ記念S・ガヴァナーズS・ラッズアンドラッシーズS・シカゴH2回】も産んでいる。ドグーンと本馬の活躍により、1956年にスウォーンはケンタッキー州最優秀繁殖牝馬に選ばれている。近親に活躍馬は乏しいが、本馬の半姉ドッティーディアー(父アンフィシアター)の牝系子孫にはグリッターウーマン【アッシュランドS(米GⅠ)】、アンブライドルドエレイン【BCディスタフ(米GⅠ)】、ポリティカルフォース【サバーバンH(米GⅠ)】などが、本馬の全妹ドゲットの曾孫には日本で走ったイナドコトブキ【京都大賞典】が、本馬の全妹スウォーニングの曾孫にはエイロ【BCスプリント(米GⅠ)】、玄孫世代以降にはフラットフリートフィート【トップフライトH(米GⅠ)】、ガイジスター【キングズビショップS(米GⅠ)】、日本で走ったワイルドワンダー【アンタレスS(GⅢ)・プロキオンS(GⅢ)・根岸S(GⅢ)】などがおり、スウォーンの牝系子孫は現在も残っている。→牝系:F12号族①

母父スウィープライクはスウィープ産駒で、現役成績54戦17勝、キャンポーH・ホテルシントンHなどの勝ち馬。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のミネオラストックファームで種牡馬入りした。種牡馬としてはそれほど成功したわけではないが、代表産駒のクリスエヴァートは史上3頭目のニューヨーク牝馬三冠馬に輝き、1988年に米国競馬の殿堂入りを果たしている。本馬は1977年に24歳で他界し、遺体はミネオラストックファームに埋葬された。後の2007年、本馬は娘のクリスエヴァートから遅れる事19年目にして米国競馬の殿堂入りを果たした。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1961

Swoonaway

サルヴェイターマイルH

1967

Swoon's Flower

オーキッドH・ブラックヘレンH

1970

Kinsman Hope

レムセンS・トムフールH

1971

Chris Evert

エイコーンS(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)・ゴールデンロッドS(米GⅢ)・デモワゼルS(米GⅢ)・ラカナダS

1974

Swoon Swept

レキシントンH(米GⅡ)

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