ソーサラー

和名:ソーサラー

英名:Sorcerer

1796年生

青毛

父:トランペッター

母:ヤングジャイアンテス

母父:ダイオメド

マッチェムの直系を今日に伝える原動力となった19世紀初頭英国の名競走馬にして名種牡馬

競走成績:3~5歳時に英で走り通算成績21戦15勝2着5回3着1回

誕生からデビュー前まで

第1回英ダービーの勝ち馬で本馬の母父でもあるダイオメドの所有者で、英国ジョッキークラブの事務長も務めた第6代准男爵トマス・チャールズ・バンベリー卿により生産・所有された。成長すると体高16.25ハンドに達した当時としては非常に背が高い馬だった。また、健康面の問題も少なく、気性面も温厚で問題なかったという。

競走生活(3・4歳時)

3歳10月にニューマーケット競馬場で行われた距離20ハロンの200ギニースウィープSでデビューした。単勝オッズ3倍の1番人気に支持されたが、1795年の英ダービー馬スプレッドイーグルの弟だった無名馬(イーグルという名前で呼ばれている資料もある)の2着に敗れた。同月末にニューマーケット競馬場で出走した同父の牝馬ロイヤラとの距離5.5ハロンの100ギニーマッチレースで初勝利を挙げた。3歳時の成績は2戦1勝だった。

4歳時は4月にニューマーケット競馬場で行われた1歳年上のスケドーニとの200ギニーマッチレースから始動したが敗れた。その3日後には同じくニューマーケット競馬場で行われた同父の牡馬チッペンハムとの100ギニーマッチレースに出走。チッペンハムのほうが前評判は高く、単勝オッズ1.29倍の1番人気に支持されていたが、勝ったのは本馬のほうだった。翌5月には同じくニューマーケット競馬場で行われたスペキュレーターとの距離1マイルのマッチレースに出走して勝利。その後はイプスウィッチ競馬場に向かい、6月に距離2マイルのヒート競走キングズプレートに出走した。このレースには名馬ポテイトウズ産駒のスカイロケットという馬も出走していたが、本馬が1戦目と2戦目を連勝して勝利した。同月には再びニューマーケット競馬場に戻り、距離2マイルの50ポンドスウィープSに出走して、スカイロケット以下を蹴散らして勝利した。

その後はしばらくレースに出ず、10月にニューマーケット競馬場で行われた1歳年上の英セントレジャー馬シンメトリーとの500ギニーマッチレースに挑んだが、ここでは敗れてしまった。引き続いてニューマーケット競馬場で出走した距離4マイルの50ギニースウィープSでは6頭立てでハンバッグの3着に敗退。その2日後にニューマーケット競馬場で出走した距離4マイルのキングズプレートでは、前走で敗れたハンバッグには先着したものの、ポテイトウズ産駒のワーシーに敗れて2着だった。しかしその後にニューマーケット競馬場で出走したサプライズとの距離2マイルの200ギニーマッチレースでは勝利。さらにニューマーケット競馬場で出走したオートランドH(T8F)では、単勝オッズ3.2倍で9頭立ての1番人気に支持され、2着スクラブやハンバッグ達を蹴散らして勝利した。4歳時の成績は10戦6勝だった。

競走生活(5歳時)

5歳時は4月にニューマーケット競馬場で行われたクレイヴンS(T8F)から始動して勝利。続いてニューマーケット競馬場で出走した距離4マイルの50ポンドサブスクリプションプレートでは、1歳年上の英ダービー馬サーハリーを抑えて単勝オッズ2倍を切る1番人気に支持されると、サーハリーを2着に破って勝利した。次走はリッチモンドとのマッチレースの予定だったが、リッチモンド陣営が50ギニーの罰金を払って回避したためレースは行われなかった。引き続きニューマーケット競馬場で前年は勝てなかったキングズプレート(T30.5F)に出走した。前年の同競走で本馬を2着に破ったワーシーと1着同着となったが、決勝戦に本馬は出走しなかったため、前年と同じくワーシーの2着という結果に終わった。

その2日後には改めて行われたリッチモンドとの距離2マイルの100ギニーマッチレースに出走して、本馬が勝利した。さらにその後の7月には再びリッチモンドとの距離4マイルの200ギニーマッチレースが組まれたが、今回も本馬が勝利した。その翌日には50ポンドパースを単走で勝利。さらに2週間後にはオックスフォード競馬場でコードバンとの距離3マイルのヒート競走50ポンドマッチレースに出走して、1戦目と2戦目を連勝して勝利した。さらに7月末にはバーフォード競馬場でキングズプレートを単走で勝利。8月にルイス競馬場で行われた距離4マイルの10ギニーサブスクリプションパースを2着レベル以下に制したところで、競走馬生活に終止符を打った。5歳時の成績は9戦8勝だった。競走馬としては当時の最強馬という評価を得ていたわけではなかったようだが、優秀な競走馬であった事は間違いない。

血統

Trumpator Conductor Matchem Cade Godolphin Arabian
Roxana
Partner Mare Croft's Partner
Brown Farewell
Snap Mare Snap Snip
Sister to Slipby
Diana Cullen Arabian 
Grisewood's Lady Thigh
Brunette Squirrel Traveller Croft's Partner
Sister to Spinner 
Grey Bloody Buttocks Bloody Buttocks 
Greyhound Mare
Dove Matchless Godolphin Arabian
Soreheels Mare
Starling Ancaster Mare Ancaster Starling
Young Look at Me Lads
Young Giantess Diomed Florizel Herod Tartar
Cypron
Cygnet Mare Cygnet
Young Cartouch Mare
Sister to Juno Spectator Crab
Partner Mare
Horatia Blank
Sister One to Steady
Giantess Matchem Cade Godolphin Arabian
Roxana
Partner Mare Croft's Partner
Brown Farewell
Molly Long Legs Babraham Godolphin Arabian
Sachrissa 
Foxhunter Mare Coles Foxhunter 
Partner Mare 

父トランペッターは、英国王室や仏国王室とも親しかった愛国の大物政治家にして英国ジョッキークラブの創設メンバーの1人でもあった初代クレルモン伯爵ウィリアム・ヘンリー・フォーテスキュー卿の生産・所有馬。体高は15.2ハンドと、本馬と異なりあまり大きい馬ではなかったが、やはり優れたスピードを有していた。現役時代はプリンスズS・クレルモンS・クラレットSを勝ち、他にも主にニューマーケット競馬場を中心に多くのマッチレースを制している。種牡馬としても1803年の英首位種牡馬になるなど活躍し、牝駒を通じて後世に与えた影響も大きい。トランペッターの父コンダクターはマッチェム産駒で、競走馬としては10勝を挙げているようである。

母ヤングジャイアンテスは本馬と同じくバンベリー卿の生産・所有馬だったが、競走馬としては3歳時に2戦だけして未勝利に終わった。しかし繁殖牝馬としての成績は優秀で、初子である本馬が活躍したのみならず、本馬の2歳年下の半妹エレノア(父ウィスキー)は英ダービーと英オークスを連勝し、エレノアの1歳年下の妹ジュリア(父ウィスキー)はジュライSを勝ち翌年の英オークスで2着している。妹達の活躍は本馬が5歳の時であり、翌年から種牡馬入りした本馬の種牡馬人気にも少なからず影響を与えたと思われる。なお、ヤングジャイアンテスとは「若い大女」の意味であるが、ヤングジャイアンテスの母の名前はジャイアンテスであり、本馬の大柄な馬体やこれらの名前から察するに、ヤングジャイアンテスやジャイアンテスはかなり大きな馬だったと思われるが、資料には明記されていない。なお、ジャイアンテスがハイフライヤーとの間に産んだ無名の牝馬(ヤングジャイアンテスの半姉に当たる)は母として、英オークス馬カエリア、現在でも正式な名前が付けられていないことで知られる無名の英ダービー馬(アンネームド、又はフィジェット産駒の牡馬という意味のコルトバイフィジェットと書かれる事もある)を産んでいる。また、本馬の半妹である前述のジュリアは、母として英ダービー馬ファントムを産んだ。やはり本馬の半妹であるクレシダ(父ウィスキー)は、英2000ギニー馬アンター、英ダービー・クレイヴンS・グッドウッドC2回を制しただけでなく史上初めて英米両国で首位種牡馬になった名馬プライアムを産んだ。さらにはやはり本馬の半妹に当たるウォルトン産駒の無名馬も、英2000ギニー馬ニコロや種牡馬ランガー(オーランドの母父)を産んでおり、本馬の牝系は当時の英国における最上級と言えるものである。

エレノアの牝系子孫からはマルガレーテ【独オークス】、スプリングボック【ベルモントS・サラトガC2回】が出たが、それ以上の発展はしなかった。ジュリアやクレシダの牝系子孫も発展しなかったが、前述のウォルトン牝駒のみは牝系を発展させ、この一族で唯一21世紀まで残っている。主だったところを挙げると、ソレラ【英1000ギニー】、帝室御賞典の勝ち馬を史上最多の23頭輩出した日本競馬黎明期の大種牡馬イボア、サーコスモ【ジュライC】、パーソナルフラッグ【ワイドナーH(米GⅠ)・サバーバンH(米GⅠ)】、パーソナルエンスン【BCディスタフ(米GⅠ)・フリゼットS(米GⅠ)・ベルデイムS(米GⅠ)2回・シュヴィーH(米GⅠ)・ヘンプステッドH(米GⅠ)・ホイットニーH(米GⅠ)・マスケットS(米GⅠ)】、ディフェレント【エストレージャス大賞ジュヴェナイルフィリーズ(亜GⅠ)・コパデプラタ大賞(亜GⅠ)・ビヴァリーヒルズH(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)】、マイフラッグ【BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・アッシュランドS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)・ガゼルH(米GⅠ)】、ストームフラッグフライング【BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・メイトロンS(米GⅠ)・フリゼットS(米GⅠ)・パーソナルエンスンH(米GⅠ)】、日本で走ったウメノチカラ【朝日杯三歳S】、ハナキオー【羽田盃・東京王冠賞・東京ダービー】、ネーハイシーザー【天皇賞秋(GⅠ)】、ライブリマウント【帝王賞・マイルCS南部杯】、メイセイオペラ【フェブラリーS(GⅠ)・マイルCS南部杯(GⅠ)・帝王賞(GⅠ)】、トーシンブリザード【羽田盃・東京王冠賞・東京ダービー・ジャパンダートダービー(GⅠ)】、ツルマルボーイ【安田記念(GⅠ)】、テスタマッタ【ジャパンダートダービー(GⅠ)・フェブラリーS(GⅠ)】といったところである。→牝系:F6号族①

母父ダイオメドは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はバンベリー卿の元で種牡馬入りした。初年度の種付け料は10ギニーに設定された。本馬は同時代の種牡馬としては最上級に類する活躍を見せ、7頭の英国クラシック競走の勝ち馬を送り出し、1811・12・13年と3年連続で英首位種牡馬になった。本馬の産駒は父に似て体格は大きく、骨格が頑丈で健康面の不安が少なく、しかも優れたスピードを有する馬が多かった。本馬自身が「魔術師」を意味する名前を有していたため、本馬の産駒にも魔法に関係する名前を持つ馬が多かった。本馬は1821年に25歳で他界した。

本馬の後継種牡馬として成功したのは、スモレンスコ、スースセイヤー、そして現役時代は大レース勝ちが無かったコーマスである。そして本馬の直系を後世に伸ばしたのもコーマスで、その直系子孫からは史上初の英国三冠馬ウエストオーストラリアンを経て、米国史上最高の名馬マンノウォーや欧州の巨漢馬ハリーオンが登場し、本馬の直系、ひいてはゴドルフィンアラビアンやマッチェムの直系は21世紀まで続く事となったのである。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1805

Morel

英オークス

1806

Loiterer

アスコット金杯

1806

Maid of Orleans

英オークス

1806

Wizard

英2000ギニー

1808

Soothsayer

英セントレジャー

1808

Sorcery

英オークス

1808

Trophonius

英2000ギニー・ドンカスターC

1810

Smolensko

英2000ギニー・英ダービー

1811

Vittoria

ジュライS

1819

The Stag

ジュライS

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