ナスルエルアラブ

和名:ナスルエルアラブ

英名:Nasr El Arab

1985年生

鹿毛

父:アルナスル

母:コーラルダンス

母父:グリーンダンサー

仏国から米国に転厩して開花し芝とダートを問わずにGⅠ競走で4勝を挙げるも期待された日本での種牡馬成績は不振に終わる

競走成績:3・4歳時に仏米で走り通算成績16戦6勝2着2回3着2回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州ブルーグラスファームの生産馬で、ドバイのシェイク・モハメド殿下に購買され、仏国のアンドレ・ファーブル調教師に預けられた。

競走生活(3歳時)

デビューは遅く、3歳4月にロンシャン競馬場で行われたフェリエーレ賞(T2000m)だった。名手キャッシュ・アスムッセン騎手を鞍上に迎えたが、後のダフニ賞の勝ち馬ブリカサールの2馬身差2着に敗れた。その13日後にはやはりアスムッセン騎手とコンビを組んで、グレフュール賞(仏GⅡ・T2100m)に出走した。しかしソフトマシーンの3/4馬身差3着と惜敗した。

仏2000ギニーには間に合わなかったが、使ったレースの距離からして元々目標は仏2000ギニーではなく仏ダービーだったようである。仏2000ギニー当日のオカール賞(仏GⅡ・T2400m)では、スティーブ・コーゼン騎手とコンビを組んだ。そして、ノアイユ賞を勝ってきたネリオ、後の凱旋門賞馬キャロルハウス、クリテリウムドサンクルー2着馬アワーズアフター、ソフトマシーンなどを相手に回して、2着ネリオに6馬身差をつけて圧勝して初勝利をマーク。

しっかりと仏ダービー(仏GⅠ・T2400m)には間に合わせてきた。対戦相手は、リュパン賞を勝ってきたイグザクトリーシャープ、ウィリアムヒルフューチュリティSの勝ち馬エムソン、クリテリウムドサンクルーの勝ち馬ワキリヴァー、後のジェフリーフリアSの勝ち馬トップクラス、前走7着のアワーズアフター、同8着のソフトマシーンなどだった。今回はアスムッセン騎手とコンビを組んだが、上位10頭までが2馬身半差以内にひしめきあう大乱戦の中で、勝ったアワーズアフターから僅か1馬身差の5着に敗退してしまった。

それから3週間後にはパリ大賞(仏GⅠ・T2000m)にマイケル・ロバーツ騎手と共に参戦した。仏ダービーの上位3頭は全て不在だったのだが、仏グランクリテリウムの勝ち馬でジャンプラ賞2着のフィジャータンゴの3馬身差5着に敗れてしまった。

夏場は休養に充て、秋はニエル賞(仏GⅡ・T2400m)から始動した。このレースには、アワーズアフター、フィジャータンゴ、仏ダービーで5着だったワキリヴァーのほかに、英ダービー・愛ダービーを制したカヤージ、ベレスフォードSの勝ち馬で愛ダービー2着のインサン、ユジェーヌアダム賞を勝ってきたサーフーブなどの姿もあった。レースではフィジャータンゴがカヤージを首差の2着に抑えて勝利する一方で、ドミニク・ブフ騎手が騎乗した本馬は直線の追い上げ及ばず、フィジャータンゴから2馬身半差の7着に敗れた(アワーズアフターは11着だった)。

凱旋門賞には出ず、裏街道のラクープドメゾンラフィット(仏GⅢ・T2000m)に出走。凱旋門賞の3日前だけにこれといった強敵の姿は無かった。このレースではE・ルグリ騎手とコンビを組み、後方から追い上げて残り100m地点で先頭に立ち、2着ミコノスに1馬身差で勝利を収めた。

その直後に本馬は米国に遠征して、サンタアニタパーク競馬場でオークツリー招待H(米GⅠ・T12F)に出走した。前走ラクープドメゾンラフィットから僅か10日後という慌しい日程だった。サンフアンカピストラーノ招待H・サンルイオビスポH・ゴールデンゲートH・サンマルコスHの勝ち馬でワシントンDC国際S・サンルイレイS2着のグレートコミュニケーター、仏国から米国に移籍して開花したハリウッド招待ターフH・カールトンFバークH・サンルイレイS・ゴールデンゲートHの勝ち馬リヴリア、サンセットH2着馬パッティングといった米国芝路線の実力馬が対戦相手となったが、名手ゲイリー・スティーヴンス騎手を鞍上に迎えた本馬が、2着グレートコミュニケーターに2馬身差をつけてGⅠ競走初勝利を挙げた。グレートコミュニケーターはその後にチャーチルダウンズ競馬場で行われたBCターフを制覇する事になる。

一方の本馬はファーブル厩舎からチャールズ・ウィッティンガム厩舎に転厩して、そのまま米国を主戦場とすることになった。そしてBCターフの2日後に行われたカールトンFバークH(米GⅠ・T10F)に出走した。引き続きスティーヴンス騎手を鞍上に迎えると、2着ノーザンプロバイダーを鼻差退けてGⅠ競走を連勝した。

暮れのハリウッドターフC(米GⅠ・T12F)では、西海岸に戻ってきたグレートコミュニケーターと2度目の対戦となった。しかしここではグレートコミュニケーターだけでなく、オークツリー招待H・カールトンFバークHのいずれも本馬の着外に終わっていたパッティングにも後れを取り、勝ったグレートコミュニケーターから3馬身差の3着に敗退。3歳時の成績は10戦4勝となった。

競走生活(4歳時)

4歳時も前年に引き続き米国西海岸で走り、まずは2月のチャールズHストラブS(米GⅠ・D10F)から始動した。初のダート競走にも関わらず、パトリック・ヴァレンズエラ騎手を鞍上に、ハリウッドダービー・デルマーダービーの勝ち馬シルヴァーサーカスなどを一蹴。2着パーセーブアロガンスに4馬身差をつけて圧勝した。続いてサンタアニタH(米GⅠ・D10F)に出走したが、ここでは単勝オッズ52倍の伏兵マーシャルローの8馬身1/4差8着と惨敗した。

芝路線に戻ると、4月のサンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ・T14F)に参戦した。ここでは前走サンルイレイSを勝ってきたフランクリーパーフェクトに加えて、サンルイオビスポHを勝ちサンルイレイSで2着してきたグレートコミュニケーターも参戦してきて、本馬と3度目の対戦となった。結果はヴァレンズエラ騎手騎乗の本馬が、2着となった後のサンルイレイS・アーリントンHの勝ち馬プレザントバラエティに3/4馬身差で勝利を収め、フランクリーパーフェクトは4着、グレートコミュニケーターは6着だった。

次走のハリウッドターフH(米GⅠ・T10F)でも、グレートコミュニケーターとの対戦となった。ここではグレートコミュニケーターの鼻差2着に敗れたが、ユナイテッドネーションズH・サラナクS・レッドスミスH・カナディアンターフH2回などの勝ち馬で前年のアーリントンミリオンでは2着していたエクワライズ(3着)には先着した。

その後は6月のハリウッド金杯(米GⅠ・D10F)で再度ダート競走に挑戦したが、結果は6馬身1/4差の5着と完敗。勝ったのは本馬が初勝利を挙げたオカール賞と同日に行われた仏2000ギニーの勝ち馬で、やはり米国に転厩していたブラッシングジョン(この年のエクリプス賞最優秀古馬牡馬に選ばれる)だった。

夏場は休養に充て、9月のアーリントンミリオン(米GⅠ・T10F)に参戦した。グレートコミュニケーター、バーナードバルークH・イングルウッドH2回・プレミアH・サラトガバドワイザーBCH・ダリルズジョイHなどの勝ち馬で前年のBCマイル2着のステインレン、仏オークス馬レディインシルヴァー、ユナイテッドネーションズH・ローレルターフカップS・アップルトンH・エルクホーンS・キングエドワード金杯・オーシャンポートS・ETターフクラシックSの勝ち馬ヤンキーアフェアー、英国際S・ロジャーズ金杯などの勝ち馬でデューハーストS・エクリプスS2着のシェイディハイツ、ハイアリアターフカップH・ボーリンググリーンH・ソードダンサーHの勝ち馬エルセニョール、本馬と同じく米国に移籍してきたフィジャータンゴ、前年のジャパンCを勝っていたペイザバトラーなどが対戦相手となった。この好メンバーの中で好走して実力を証明したいところだったが、終始後方のまま何の見せ場も無く、勝ったステインレンから17馬身差という決定的な差をつけられて10着と惨敗。8着に終わったグレートコミュニケーターとの対戦成績は、本馬の2勝3敗だった。このレースを最後に、4歳時6戦2勝の成績で競走馬生活を終えることになった。

馬名を直訳すると「アラブの勝利」又は「アラブの飛躍」という意味である。

血統

Al Nasr Lyphard Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Goofed Court Martial Fair Trial
Instantaneous
Barra Formor
La Favorite
Caretta Caro フォルティノ Grey Sovereign
Ranavalo
Chambord Chamossaire
Life Hill
Klainia Klairon Clarion
Kalmia
Kalitka Tourment
Princesse d'Amour
Coral Dance Green Dancer Nijinsky Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
Green Valley Val de Loir Vieux Manoir
Vali
Sly Pola Spy Song
Ampola
Carvinia ダイアトム Sicambre Prince Bio
Sif
Dictaway Honeyway
Nymphe Dicte
Coraline Fine Top Fine Art
Toupie
Copelina Loliondo
Casserole

父アルナスルはリファール直子で、本馬と同様にファーブル師の管理馬だった。現役成績は12戦7勝で、イスパーン賞(仏GⅠ)・フォルス賞(仏GⅡ)・ドラール賞(仏GⅡ)・コートノルマンディ賞(仏GⅢ)・エクスビュリ賞(仏GⅢ)に勝利している。このイスパーン賞勝利は、ファーブル師にとって初めてのGI競走勝利でもあった。

母コーラルダンスは現役成績13戦3勝、マルセルブサック賞(仏GⅠ)で2着の実績がある。繁殖牝馬としては大変優秀で、本馬の半弟ペニカンプ(父ベーリング)【英2000ギニー(英GⅠ)・サラマンドル賞(仏GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)】、半弟ブラックミナルーシュ(父ストームキャット)【愛2000ギニー(愛GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅠ)】も産んでいる。また、本馬の半妹ギフトオブダンス(父トランポリノ)の子にはラウンドポンド【BCディスタフ(米GⅠ)・エイコーンS(米GⅠ)・ファンタジーS(米GⅡ)・アゼリBCS(米GⅢ)】がいる。コーラルダンスの母カルヴィニアの半兄には、英オークス・仏オークス・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを制した名牝ポーニーズの父となったカルヴァン【クリテリウムドサンクルー・ヴィシー大賞】が、カルヴィニアの母コララインの半弟にはクリオロール【伊グランクリテリウム】がいる。しかし活躍馬が続出しているような名門牝系と言うわけではない。→牝系:F20号族①

母父グリーンダンサーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、優駿スタリオンステーションや協和牧場が中心となって10億円のシンジケートが組まれ、1990年から日本で種牡馬生活を開始した。初年度は、桜花賞馬アラホウトク、地方競馬最強牝馬と呼ばれたロジータ、この年に地方競馬で猛威を振るった名牝マックスフリートの母ヒカリホマレなど55頭、2年目は米国から日本に輸入された名牝グッバイヘイローなど57頭、3年目はグッバイヘイローなど56頭、4年目の1993年はグッバイヘイロー、ロジータの母メロウマダングなど58頭の繁殖牝馬を集めた。ロジータやグッバイヘイローといった名牝の交配相手に指名された点に関して、ノーザンダンサーの3×4という俗に言う「奇跡の血量」を有していた本馬に対する期待度が大きかったからだとする見解を耳にしたことがある。実際の馬産に携わる人々が当時既にこんな迷信を当てにしていたとも思えないのだが、交配相手の顔ぶれからしてもかなり期待の種牡馬だったのは間違いないようである。

初年度産駒は1993年にデビューした。そのうちの1頭でロジータの初子であるシスターソノがデビュー2連勝して阪神三歳牝馬Sで1番人気に支持された(結果は11着)が、全体的に種牡馬成績は不振で、新種牡馬ランキングでは13位に留まった。それでも5年目の1994年は52頭の繁殖牝馬を集めたが、6年目は31頭、7年目は20頭、8年目は6頭、9年目は5頭、10年目は6頭、11年目の2000年は3頭まで減少。全日本種牡馬ランキングは1995年の80位が最高では、繁殖牝馬が集まる余地は無かった。しかもなお悪いことに、グッバイヘイローやロジータが別の種牡馬との間にGⅠ競走の勝ち馬を出した事で、ますます本馬の影は薄くなり、2001年以降は交配数0頭が続き、2004年に正式に種牡馬を引退した。その後の消息は不明である。後年に残した影響と言えば、シスターソノが、ダービーグランプリ・川崎記念・JBCクラシックと地方交流GⅠ競走3勝のレギュラーメンバーの母となった程度である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1994

サンライズアトラス

京成杯オータムH(GⅢ)

1994

ロイヤルアラブ

上杉まつり賞(上山)・ラフランス賞(上山)

1995

マツノアマゾン

サラブレッド系三歳優駿(荒尾)

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