ハンブルトニアン

和名:ハンブルトニアン

英名:Hambletonian

1792年生

鹿毛

父:キングファーガス

母:ハイフライヤーメア

母父:ハイフライヤー

逸走による失格以外は英セントレジャーなど生涯無敗を誇り18世紀末における英国最強馬と呼ばれたセントサイモンの直系先祖

競走成績:2~8歳時に英で走り通算成績18戦17勝(異説あり)

誕生からデビュー前まで

英国ノースヨークシャー州の馬産家兼馬主兼調教師で、父キングファーガスを種牡馬として所有していたジョン・ハッチンソン氏により生産・所有・管理された。父方の祖父は生涯無敗の伝説的名馬にして名種牡馬のエクリプスで、母父も同じく生涯無敗の伝説的名馬にして名種牡馬のハイフライヤーであり、18世紀最高の名馬2頭の孫に当たる本馬は当時における最高級の血統の持ち主だった。

馬名はノースヨークシャー州の地名で、18世紀初頭の英国アン女王の治世時代から歴史的に競馬が多く実施されてきたハンブルトン丘陵に由来している。ただし競走馬時代は地名そのままの“Hambleton(ハンブルトン)”という名前で走っていた。しかし本馬より1歳年上に同名の馬が存在していた(この馬は米国で走っているが産まれは英国だった)ため、混同を避けるために本馬は後に「ハンブルトニアン」という名で呼ばれるようになったという。

競走生活(2~4歳時)

2歳5月14日にハンブルトン丘陵で行われた距離2マイルの60ギニースウィープSでデビューして勝利。2歳時はこの1戦のみの出走であり、次走は3歳春にヨークで行われた20ギニーウィープSとなった。このレースを勝利した本馬は、続いて100ギニーウィープSに出走して勝利した。このヨーク滞在時期に、本馬は1歳年上の英セントレジャー・ドンカスターCの勝ち馬ベニングブロー、2歳年上のドンカスターCの勝ち馬オベロンの2頭(いずれも本馬と同じくキングファーガス産駒)と共に3000ギニーで、後に英国の政治家となる当時22歳の第2代准男爵チャールズ・ターナー卿により購入された。その後本馬はドンカスター競馬場に移動して、英セントレジャー(T16F)に出走。単勝オッズ1.67倍の1番人気に応えて優勝した。翌日にはドンカスターC(T18F)を勝利し、3歳時の成績は4戦全勝となった。なお、本馬と一緒に購入されたベニングブローもこの期間にドンカスターSなど複数のレースに勝利している。

4歳時はヨークで出走したレースで、同世代の英ダービー馬スプレッドイーグルとの対戦となった。ところが本馬はコースを区切る綱を飛び越して逸走してしまい失格。レースはスプレッドイーグルが勝利を収めた。しかし、ヨークサブスクリプションパース・レディーズプレートでは、いずれもスプレッドイーグルを下して勝利した。さらにドンカスターC(T18F)に出走して2連覇を果たし、引き続きニューマーケット金杯も勝利した。次走はニューマーケットで行われたパトリオットとの1000ギニーマッチレースとなった。本馬はこのレースも勝利を収め、4歳時の成績は6戦5勝となった。この年の暮れ、ターナー卿はテレサ・ニューコメン嬢と結婚したが、テレサ嬢の父親である初代准男爵ウィリアム・グリードウィー・ニューコメン卿から競馬を止める事が結婚の条件と言われたため、本馬は第2代准男爵ヘンリー・ヴェーン・テンペスト卿に売却された。余談だが、ターナー卿が1810年に37歳の若さで死去した後、テレサ未亡人は再婚したが、その再婚相手カーネル・バンシッタート氏はザフライングダッチマンを生産している。

競走生活(5~8歳時)

テンペスト卿の所有馬となった本馬は、5歳時はニューマーケットで行われたアニメーターとの300ギニーマッチレースから始動して勝利。その後はヨークに移動し、グレートサブスクリプションS(T32F)に出走して勝利。続けてサブスクリプションSに出走した。このレースでは本馬と同父で英セントレジャー・ドンカスターCを勝った点でも同じで、かつては本馬と同じくターナー卿の所有馬だったベニングブローとの対戦となったが、本馬がベニングブローを下して勝利した。さらにドンカスターS(T32F)に出走して勝ち、5歳時の成績は4戦全勝となった。

6歳時はレースに出ず、7歳時は3月25日にニューマーケット4マイルのコースで行われたダイアモンドとの3000ギニーマッチレースに出走した。名手フランク・バックル騎手を鞍上に迎えた本馬は、最後の一完歩(本馬のストライドは21フィート、約6m40cmだったと言われる)で前に出て首差で勝利した。このレースは事前から地元ヨークシャーの人々から大きな注目を集めており、勝ち戻ってきた本馬とバックル騎手には「嵐のような」拍手が送られたという。英セントレジャーなどを勝っているにも関わらず、これが本馬の出走レースとしては最も有名なものとなっている。この勝利を評価したテンペスト卿(本馬の勝利に3千ギニーを賭けていたらしい)は、馬の絵を描かせたら当代随一と言われた当時75歳の画家ジョージ・スタッブス氏に、ダイアモンドと戦う本馬の絵を描いてもらった。ただし、あまりの激戦だったため、2頭の馬は鞭と拍車で傷だらけになっており、スタッブス氏はその傷を描かなかったと言われている。この絵は現在でも残っているが、現存する絵は後世に描かれた偽作の方であるという説もある。また、テンペスト卿はバックル騎手に対して「私の幸運の半分を君に与える」と言ったという。7歳時はこの1戦のみだったという説もあるが、この年にドンカスターS(T32F)に出走して勝利したという説もあり、はっきりとしない。

8歳時に出走したレースはグレートサブスクリプションS(T32F)の1戦のみ。このレースを勝って競走馬を引退した。

本馬の競走成績については、昔の馬らしく不明瞭な部分もあり、17戦16勝、19戦18勝説などもある。

血統

King Fergus Eclipse Marske Squirt Bartlet's Childers
Snake Mare
Hutton's Blacklegs Mare Hutton's Blacklegs
Bay Bolton Mare 
Spilletta Regulus Godolphin Arabian
Grey Robinson
Mother Western Easby Snake 
Old Montagu Mare
Creeping Polly Portmore's Othello Crab Alcock Arabian 
Sister to Soreheels
Miss Slamerkin Young True Blue
Dun Arabian Mare
Fanny Tartar Croft's Partner
Meliora
Starling Mare Bolton Starling
Childers Mare
Grey Highflyer Highflyer Herod Tartar Croft's Partner
Meliora
Cypron Blaze
Salome
Rachel Blank Godolphin Arabian
Amorett
Regulus Mare Regulus
Soreheels Mare
Monimia Matchem Cade Godolphin Arabian
Roxana
Partner Mare Croft's Partner
Brown Farewell
Alcides Mare Alcides Babraham
Starling Mare
Crab Mare Crab
Sister to Slipby

キングファーガスは当馬の項を参照。

母ハイフライヤーメア(グレイハイフライヤーとも言う)の競走馬としての経歴は不明。本馬以外に活躍馬を産んではおらず、牝系子孫も伸びておらず、近親に大競走を勝った馬も皆無である。グレイハイフライヤーの曾祖母クラブメアの半兄には英首位種牡馬4回のスナップが、クラブメアの半妹スターリングメアの曾孫には名種牡馬メッセンジャーがいる。クラブメアの曾祖母ニューカッスルタークメアの姉妹ダーレーアラビアンメアは所謂ファミリーナンバー1号族の実質的始祖であり、ファミリーナンバー1号族から登場した活躍馬のうち本馬や上述の馬を除く全ての馬はダーレーアラビアンメアの牝系子孫から登場している。→牝系:F1号族①

母父ハイフライヤーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、テンペスト卿所有のもと、ウエストヨークシャー州リーズの近郊にあるシークロフトホールスタッドで種牡馬入りした。1802年にはノースヨークシャー州ミドルソープホールにあるホーンジーズステーブルに移動して1808年までこの地で過ごした。1809年には、テンペスト卿が所有するダラム州ストックトン=オン=ティーズにあるウィニヤードスタッドに移動。1810・11年は再びホーンジーズステーブルで過ごし、1812年にはウィニヤードスタッドに戻ってきた。1814年にはノースヨークシャー州カテリックに牧場に移り住み、その後は死没までこの地で過ごした。種付け料は最初10ギニーに設定され、一時的に20ギニー、さらには25ギニーまで上昇したが、種牡馬としては今ひとつ成功せず、晩年の種付け料は15ギニーだった。1818年3月に26歳で他界し、遺体はウィニヤードスタッドに埋葬された。

後世に与えた影響

本馬の種牡馬成績は振るわなかったが、競走馬としては目立たなかったホワイトロックが後継種牡馬としてブラックロックを出し、ヴォルテアーヴォルティジュールヴェデットガロピンセントサイモンへと続くサイアーラインを構築している。ところで、19世紀中旬以降に活躍したスタンダードブレッド最大の根幹種牡馬の名前も本馬と同じ「ハンブルトニアン」であり、本馬と区別するために「ハンブルトニアン10」と呼称されているが、この「ハンブルトニアン10」には本馬の血は入っておらず、全くの無関係である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1803

Camillus

ドンカスターC

1808

Camerton

グッドウッドC

1812

Anticipation

アスコット金杯2回

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