フェアリーキング
和名:フェアリーキング |
英名:Fairy King |
1982年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ノーザンダンサー |
母:フェアリーブリッジ |
母父:ボールドリーズン |
||
未勝利馬ながら血統が評価されて種牡馬入りすると仏首位種牡馬に輝くなど期待を大きく上回る成功を収めたサドラーズウェルズの全弟 |
||||
競走成績:3歳時に愛で走り通算成績1戦未勝利 |
誕生から競走生活まで
英国の名馬主ロバート・エドモンド・サングスター氏により、彼が所有するスウェッテナムスタッドにおいて生産・所有された米国ケンタッキー州産馬で、愛国ヴィンセント・オブライエン調教師に預けられた。父が大種牡馬ノーザンダンサーであるばかりか、同じくオブライエン厩舎に所属していた1歳年上の全兄サドラーズウェルズが、愛2000ギニー・エクリプスS・愛チャンピオンSとGⅠ競走を3勝する活躍を見せた事から、本馬にも期待がかけられた。そして3歳時に愛国フェニックスパーク競馬場で行われた未勝利戦でデビューしたのだが、このレースで種子骨を骨折して着外に敗れてしまい、そのまま競走馬引退に追い込まれてしまった。
血統
Northern Dancer | Nearctic | Nearco | Pharos | Phalaris |
Scapa Flow | ||||
Nogara | Havresac | |||
Catnip | ||||
Lady Angela | Hyperion | Gainsborough | ||
Selene | ||||
Sister Sarah | Abbots Trace | |||
Sarita | ||||
Natalma | Native Dancer | Polynesian | Unbreakable | |
Black Polly | ||||
Geisha | Discovery | |||
Miyako | ||||
Almahmoud | Mahmoud | Blenheim | ||
Mah Mahal | ||||
Arbitrator | Peace Chance | |||
Mother Goose | ||||
Fairy Bridge | Bold Reason | Hail to Reason | Turn-to | Royal Charger |
Source Sucree | ||||
Nothirdchance | Blue Swords | |||
Galla Colors | ||||
Lalun | Djeddah | Djebel | ||
Djezima | ||||
Be Faithful | Bimelech | |||
Bloodroot | ||||
Special | Forli | Aristophanes | Hyperion | |
Commotion | ||||
Trevisa | Advocate | |||
Veneta | ||||
Thong | Nantallah | Nasrullah | ||
Shimmer | ||||
Rough Shod | Gold Bridge | |||
Dalmary |
父ノーザンダンサーは当馬の項を参照。
母フェアリーブリッジは現役成績2戦2勝。走ったレースはいずれも2歳時であり、1977年の愛最優秀2歳牝馬に選出されている。繁殖牝馬としても優秀で、本馬の全兄サドラーズウェルズ【愛2000ギニー(愛GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)・ベレスフォードS(愛GⅡ)・デリンズタウンスタッドダービートライアルS(愛GⅡ)】、全弟テートギャラリー【愛ナショナルS(愛GⅠ)】、全妹フェアリーゴールド【デビュータントS(愛GⅢ)】などを産んでいる。また、本馬の半妹フェアリーダンサー(父ニジンスキー)の曾孫には日本で走ったマイネルスケルツィ【ニュージーランドトロフィー3歳S(GⅡ)・京都金杯(GⅢ)】がいる。
フェアリーブリッジの半弟には大種牡馬ヌレイエフ(父ノーザンダンサー)【トーマブリョン賞(仏GⅢ)】、半妹にはナンバー(父ニジンスキー)【フィレンツェH(米GⅡ)・ヘンプステッドH(米GⅡ)・ファーストフライトH(米GⅢ)】がいる。また、フェアリーブリッジの半姉キラヴェア(父ハワイ)の孫にはビエナマド【ハリウッドターフカップS(米GⅠ)・サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)・チャールズウィッティンガムH(米GⅠ)】が、ナンバーの子にはジェイドロバリー【仏グランクリテリウム(仏GⅠ)】、曾孫にはコリンシアン【メトロポリタンH(米GⅠ)・BCダートマイル】が、フェアリーブリッジの半妹バウンド(父ニジンスキー)の子にはアーチペンコ【クイーンエリザベスⅡ世C(香GⅠ)】、孫にはブレイム【BCクラシック(米GⅠ)・スティーヴンフォスターH(米GⅠ)・ホイットニーH(米GⅠ)】、曾孫には日本で走ったエイジアンウインズ【ヴィクトリアマイル(GⅠ)・阪神牝馬S(GⅡ)】が、フェアリーブリッジの半妹デュラー(父ニジンスキー)の曾孫にはロウト【BCジュヴェナイルターフ(米GⅠ)】がいる。
フェアリーブリッジの母スペシャルの全弟にはサッチ【ジュライC(英GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)】、半弟にはキングペリノア【オークツリー招待H(米GⅠ)】がおり、スペシャルの全妹リサデル【コロネーションS(英GⅡ)】の曾孫にはエルコンドルパサーがいる。近親には他にも米国顕彰馬ゲイムリーなどもおり、牝系は世界的名牝系と言えるものである。→牝系:F5号族①
母父ボールドリーズンはヘイルトゥリーズンの直子。ボールドリーズンの母ラランはケンタッキーオークス馬で、名種牡馬ネヴァーベンドは半兄に当たるという良血馬だった。現役時代は米国三冠路線では全て惜敗したが、トラヴァーズS・ハリウッドダービー・アメリカンダービー・ベルモントレキシントンHなどを勝ち17戦7勝の成績を残した。3歳で引退し、最初はロビンズネストファームで種牡馬入りし、2年後にクレイボーンファームに移動した。産駒のステークスウイナーは21頭と並だったが、1984年にはサドラーズウェルズの活躍により英愛母父首位種牡馬に輝いた。その翌1985年にサマンサファームで他界している。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、1戦未勝利という競走成績ながらも、その血統の良さが買われて、4歳時から愛国バリーシーハンスタッドで種牡馬入りを果たした。同血統の兄サドラーズウェルズや叔父のヌレイエフが種牡馬として大活躍する中、彼等の影に隠れて地味な存在ではあったが、安価な種付け料が好かれて交配数が確保されていた。初年度産駒から愛フェニックスSを勝ったファラオズディライトが出て、いきなりGⅠ競走勝ち馬の父となった。1992年には兄サドラーズウェルズも繋養されていた愛国クールモアスタッドに移動した。同年には豪州アローフィールドスタッドにもシャトルされた。しかし2~4年目産駒からはこれといった活躍馬が出ず、豪州へのシャトルも1992年の1回限りでひとまず終了した。
そのまま忘れられそうになっていた矢先の1993年、5年目産駒のタートルアイランドが愛フェニックスSを勝利して2頭目のGⅠ競走勝ち馬となった。さらにタートルアイランドが翌1994年の愛2000ギニーを15馬身差で圧勝するに至って、本馬に対する注目度は上昇。そして本馬の種牡馬としての名声を不動のものとしたのが7年目産駒から出現した凱旋門賞馬エリシオである。エリシオがカルティエ賞年度代表馬に輝いた1996年には仏首位種牡馬を獲得。同年には中断されていた豪州アローフィールドスタッドへのシャトルも再開された(ただし豪州へのシャトルはこれが最後で、結局2回のみだった)。
この時期の本馬産駒は早熟傾向が強く、この1996年に日本で発行された加藤栄氏の著書「世界の種牡馬」における本馬の項目には「フェアリーキングの産駒が古馬になって活躍したなど聞いたことが無い」という旨が書かれた。しかしこういう事を書くと不思議なことにすぐに反例が登場するものであり、1997年には日本で走ったシンコウキングが六歳で高松宮記念を勝利したし、後にはファルブラヴが古馬になってGⅠ競走を8勝している。
1999年には英愛種牡馬ランキング2位(1位はサドラーズウェルズ)となり、兄弟で1位2位を占めた。しかし当の本馬はその前年1998年に受精率の低下を理由に種牡馬を引退していた。そして1999年6月5日に右前脚の蹄葉炎悪化のためクールモアスタッドにおいて17歳で安楽死の措置が執られた。息子オースが英ダービーを制覇したのはまさにこの日であった。
産駒のステークスウイナーは73頭に上る。重厚な産駒が多い兄サドラーズウェルズと比べると仕上がり早いスピードタイプが多く、1991・93・97年と3度の英愛2歳首位種牡馬になり、1997年には仏2歳首位種牡馬にもなっている。もっとも、古馬になって成長する産駒や長距離を克服する産駒もおり、産駒のタイプは幅広い。サドラーズウェルズ産駒が日本で好成績を残していないのと対照的に、本馬の産駒は日本の馬場に対する適性も優れており、シンコウキングやファルブラヴが大競走を制しており、エリシオもジャパンCで好走を見せた。
なお、本馬の全弟テートギャラリーは1990年に日本に種牡馬として輸入されたが、空輸中の事故で他界してしまった。テートギャラリーが欧州に残してきた代表産駒リリックファンタジーは2歳時に古馬相手のナンソープSを勝ってカルティエ賞最優秀2歳牝馬に選ばれており、テートギャラリーはサドラーズウェルズより本馬に近い雰囲気を感じる。そうなるとテートギャラリーの産駒も日本の馬場にも適合した可能性が十分にあり、日本で種牡馬入り出来なかったのは大変惜しまれるところである。
大物競走馬の大半が種牡馬として不成功に終わったため、後継種牡馬にはあまり恵まれていないが、唯一エンコスタデラゴが2007/08・08/09シーズンの豪首位種牡馬に輝くなど気を吐いている。牡馬の多くが去勢される豪州競馬だけにエンコスタデラゴの後継種牡馬が登場するか不安だったが、エンコスタデラゴの息子ノーザンミーティアが種牡馬として活躍を開始しており、当面は安泰であろう。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1987 |
Pharaoh's Delight |
愛フェニックスS(愛GⅠ)・プリンセスマーガレットS(英GⅢ) |
1991 |
Fairy Heights |
フィリーズマイル(英GⅠ) |
1991 |
愛フェニックスS(愛GⅠ)・愛2000ギニー(愛GⅠ)・ジムクラックS(英GⅡ)・ノーフォークS(英GⅢ)・グリーナムS(英GⅢ) |
|
1991 |
Ya Malak |
ナンソープS(英GⅠ) |
1991 |
シンコウキング |
高松宮記念(GⅠ) |
1992 |
Burden of Proof |
愛国際S(愛GⅡ)・ベレスフォードS(愛GⅢ)・グリーンランズS(愛GⅢ)・ミンストレスS(愛GⅢ) |
1992 |
Ghostly |
オマール賞(仏GⅢ) |
1992 |
Petit Poucet |
サンフランシスコH(米GⅢ) |
1992 |
Prince Arthur |
伊2000ギニー(伊GⅠ) |
1993 |
Almushtarak |
サンダウンマイル(英GⅡ)・キヴトンパークS(英GⅢ) |
1993 |
Encosta de Lago |
ヴィクヘルスC(豪GⅠ)・VRCアスコットヴェイルS(豪GⅡ)・ビルスタットS(豪GⅡ) |
1993 |
凱旋門賞(仏GⅠ)・リュパン賞(仏GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)2回・ガネー賞(仏GⅠ)・ノアイユ賞(仏GⅡ)・ニエル賞(仏GⅡ) |
|
1993 |
Regal Archive |
ダフニ賞(仏GⅢ) |
1994 |
Donkey Engine |
ポルトマイヨ賞(仏GⅢ) |
1994 |
Kingsinger |
プリミパッシ賞(伊GⅢ) |
1994 |
Kool Kat Katie |
EPテイラーS(加GⅡ) |
1994 |
Revoque |
サラマンドル賞(仏GⅠ)・仏グランクリテリウム(仏GⅠ) |
1995 |
Caribbean Monarch |
ロイヤルハントC |
1995 |
Kincara Palace |
キラヴーランS(愛GⅢ) |
1995 |
Pharatta |
ガーデンシティBCH(米GⅡ)・サンドランガン賞(仏GⅢ) |
1995 |
Princely Heir |
愛フェニックスS(愛GⅠ) |
1995 |
Roi Gironde |
クリテリウムドメゾンラフィット(仏GⅡ) |
1995 |
Second Empire |
仏グランクリテリウム(仏GⅠ)・シェーヌ賞(仏GⅢ)・デズモンドS(愛GⅢ) |
1995 |
Tadwiga |
愛メイトロンS(愛GⅢ) |
1995 |
Two-Twenty-Two |
テトラークS(愛GⅢ)・コンコルドS(愛GⅢ)・グラッドネスS(愛GⅢ) |
1995 |
Victory Note |
仏2000ギニー(仏GⅠ)・グリーナムS(英GⅢ) |
1996 |
Fairy Queen |
リブルスデールS(英GⅡ)・ロワイヤリュー賞(仏GⅡ) |
1996 |
英ダービー(英GⅠ) |
|
1996 |
Seltitude |
セーネワーズ賞(仏GⅢ) |
1997 |
Hymn |
ホーソーンダービー(米GⅢ) |
1997 |
Kalypso Katie |
ムシドラS(英GⅢ) |
1997 |
Montecastillo |
コンコルドS(愛GⅢ) |
1997 |
Royal Kingdom |
ロイヤルロッジS(英GⅡ) |
1997 |
Xua |
伊1000ギニー(伊GⅡ) |
1998 |
Beckett |
愛ナショナルS(愛GⅠ) |
1998 |
ジャパンC(日GⅠ)・伊共和国大統領賞(伊GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)・英国際S(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)・香港C(香GⅠ) |
|
1998 |
King of Tara |
ユジェーヌアダム賞(仏GⅡ) |