エイトサーティ
和名:エイトサーティ |
英名:Eight Thirty |
1936年生 |
牡 |
栗毛 |
父:ピラト |
母:ディナータイム |
母父:ハイタイム |
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後脚の怪我と戦いながら走り1939年のサラトガ開催を制圧するも米国競馬の年度表彰では無冠に終わった名馬 |
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競走成績:2~5歳時に米で走り通算成績27戦16勝2着3回3着5回 |
文句無しにチャンピオン級の実力と実績を有するにも関わらず、タイミングが悪くてチャンピオンに相応しい栄冠を手に出来ない馬は時々いる。米国競馬界においては、ギャラントマン、エクセラー、ルアーなどが代表例とされているが、本馬もまた「無冠の王者」の代表格の1頭である。
誕生からデビュー前まで
米国ケンタッキー州エルデンハイムファーム(別名オールドケネーファーム。現在はスペンドスリフトファームの一部)において、同牧場の所有者ジョージ・D・ワイドナー・ジュニア氏により生産・所有され、バート・マルホランド調教師に預けられた。ワイドナー・ジュニア氏は、後の1960年から68年まで米国競馬名誉の殿堂博物館の館長を務めた人物で、「競馬界の模範となる人物」と評された5人の人物の一人である。ワイドナー・ジュニア氏の叔父ジョセフ・アーリー・ワイドナー氏は馬主業の傍ら、ベルモントパーク競馬場やエルメンドルフスタッドの所有者を務め、フロリダ州ハイアリアパーク競馬場を開業し、種牡馬シックルを北米に輸入し、オーガスト・ベルモント・ジュニア氏の死後に彼が所有していた晩年のフェアプレイを購入してエルメンドルフスタッドで余生を送らせた人物で、やはり「競馬界の模範となる人物」と評された人物であった。タイタニック号沈没事故で両親と兄を失ったワイドナー・ジュニア氏が競馬界に参入したのは、この叔父の影響を受けたためでもあった。本馬はデビュー前に後脚を負傷してしまい、この怪我と闘いながらの現役生活となった。
競走生活(2歳時)
2歳6月に、開業2年目のデラウェアパーク競馬場で行われたダート5ハロンの未勝利戦で、エディ・アーキャロ騎手を鞍上にデビューして勝利。引き続きデラウェアパーク競馬場で出走した新設競走クリスチーナS(D5.5F)も、後のアーリントンフューチュリティ3着馬ハンツを一蹴して勝利した。サラトガ競馬場に場所を移して出走したフラッシュS(D5.5F)では、ジュヴェナイルS・トレモントSの勝ち馬マエラインを2着に、後のアーカンソーダービーの勝ち馬アリエルトイを3着に、後のケンタッキーダービー・ベルモントSの勝ち馬ジョンズタウンを4着に破って、1分05秒2のレースレコードで勝利を収め、デビュー3連勝とした。
次走のユナイテッドステーツホテルS(D6F)では、ユースフルS・グレートアメリカンSの勝ち馬エルチコと対戦したが、結果はエルチコが2着インベーダーに8馬身差をつけて圧勝してしまい、本馬は3着に敗れた。その後のサラトガスペシャルS(D6F)でもエルチコと対戦したが、ここでも勝ったのはエルチコで、本馬は3馬身差の2着に敗れた。サラトガフューチュリティS(D6.5F)でも2着に敗退。アルバニーH(D6F)では1位入線しながらも進路妨害で失格となり、2歳時の成績は7戦3勝となった。ちなみにエルチコは他にもホープフルSなどを勝ち、7戦全勝の成績で米最優秀2歳牡馬に選ばれている。
競走生活(3歳時)
3歳前半は後脚の怪我が悪化したため調子が上がらず、ケンタッキーダービーを始めとする米国三冠競走には出走しなかった。6月にデラウェアパーク競馬場において出走したケントH(D8.5F)では、前走のプリークネスSを勝ってきたシャルドンと対戦した。しかし結果はサンラヴァーという馬が勝利を収め、本馬は2着、シャルドンは3着に敗れた。引き続きデラウェアパーク競馬場で出走したダイアモンドステートS(D9F)では、ルイジアナダービーの勝ち馬デイオフを鼻差の2着に、プリークネスS2着・ベルモントS3着馬ギルデッドナイトを3着に破って勝利。これを機会に復調していった。
その後はサラトガ競馬場に向かい、ウィルソンS(D8F)に出走。このレースには、3年前の米最優秀2歳牡馬ポンプーンの姿があった。ベルモントフューチュリティS・ジュニアチャンピオンS・ナショナルスタリオンS・ポーモノクH・サンカルロスH・ディキシーHを勝ち、ケンタッキーダービー・プリークネスSでは米国三冠馬ウォーアドミラルの2着に入っていたポンプーンは、好敵手ウォーアドミラルが既に競走馬を引退していたこの段階においても現役競走馬だった。しかし能力が右肩上がりの本馬と、既に競走馬としての全盛期を過ぎていたポンプーンでは勝負にならなかった。本馬が2着ポンプーンに4馬身差をつけて、1分37秒0のレースレコードで圧勝した。
それから3日後にはサラトガH(D10F)に出走。ここでも2着シックルティー以下を寄せ付けずに勝利した。引き続いてトラヴァーズS(D10F)に参戦。対戦相手は、加チャンピオンシップSの勝ち馬サーマールボロとサンラヴァーの2頭だけだった。この2頭では今の本馬の相手にはならず、本馬が2着サンラヴァーに5馬身差をつけて圧勝した。その4日後にはホイットニーS(D10F)に出走。前年のエイコーンS・アラバマS・デラウェアオークスを勝ち米最優秀3歳牝馬に選ばれていたハンドカフが挑戦してきたが、本馬がハンドカフを3着に破って勝利。これで本馬は僅か1か月の間にサラトガ競馬場で行われたステークス競走を4連勝した事になった。しかしホイットニーSの後に後脚の怪我が悪化して休養入りとなった。
3歳時は10戦7勝という好成績を残したが、同世代のトップホースだったケンタッキーダービー・ベルモントS・ウッドメモリアルS・ウィザーズS・ドワイヤーSの勝ち馬ジョンズタウン、プリークネスS・アーリントンクラシックS・ピムリコスペシャルSの勝ち馬シャルドンの両馬は共に、本馬が猛威を振るったサラトガ開催に参戦していなかったこともあり、米年度代表馬・米最優秀3歳牡馬のタイトルは獲得できなかった(両タイトル共に15戦9勝のシャルドンが獲得)。
競走生活(4歳時)
4歳時にはベルモントパーク競馬場で行われたトボガンH(D6F)に出走して、127ポンドを背負いながらも勝利した。128ポンドを課されたメトロポリタンH(D8F)では、サードディグリーの4着に敗れた。しかし127ポンドを背負って出走したサバーバンH(D10F)は、メトロポリタンHで2着だったキャントウェイトを2着に、サードディグリーを3着に破って勝利した。続くブルックリンH(D9F)では130ポンドが課せられてしまい、マンハッタンH・ギャラントフォックスH勝ち馬アイソレイターとキャントウェイトの2頭に後れを取って、アイソレイターの3着に敗れた。さらにその1週間後のバトラーH(D9.5F)もキャントウェイトの3着に敗れた。
サフォークダウンズ競馬場で行われたマサチューセッツH(D9F)では、シャルドンと2度目の顔合わせとなった。しかし本馬がローレンスリアライゼーションSの勝ち馬ハッシュを1馬身差の2着に、シャルドンをさらに1馬身半差の3着に破って、1937年にシービスケットが計時した1分49秒0のコースレコードと同タイムで快勝した。
次走のウィルソンS(D8F)では対戦相手は1頭しかいなかったが、その1頭はホイットニーS・エンパイアシティH・マーチャンツ&シチズンズH・ボウイーH・デラウェアH・サラトガH・ウィルソンS・バトラーH・ホーソーン金杯Hを勝ち、2年連続で米最優秀ハンデ牝馬に選ばれていたエスポサであり、特に全盛期を迎えつつあったシービスケットを2着に破ったボウイーHは名高かった。しかしながら既に8歳だったエスポサには衰えの色が隠せず、本馬が4馬身差で圧勝して2連覇を果たした。しかし次走のサラトガH(D10F)では、前年の同競走2着馬シックルティーとハッシュの2頭に後れを取り、シックルティーの3着に敗退。そしてこのレース後にまたしても後脚の怪我が悪化して休養入りとなった。
4歳時の成績は8戦4勝で、米年度代表馬・米最優秀ハンデ牡馬のタイトルは共に、ハリウッド金杯・ホイットニーS・ピムリコスペシャルSの勝ちなど7戦5勝のシャルドンに譲る事になった。
競走生活(5歳時)
5歳時は前年と同じくトボガンH(D6F)から始動。あっさりと勝利して2連覇を果たした。続くメトロポリタンH(D8F)も132ポンドを背負いながら勝利した。この時の本馬のレースぶりは米ブラッドホース誌に「重い負担重量による痛みを堪えながらも、残り1ハロン地点で内側から先頭の馬をかわすと、余力を残しながら2馬身差をつけて勝利した」と記述されている。2着になったボールドアンドバッドの斤量は本馬より30ポンドも軽い102ポンドだった。
しかし本馬の後脚の脚首の状態はいよいよ深刻なものとなり、次走に予定していたサバーバンHを回避して、そのまま5歳時2戦2勝の成績で現役を引退した。
血統
Pilate | Friar Rock | Rock Sand | Sainfoin | Springfield |
Sanda | ||||
Roquebrune | St. Simon | |||
St. Marguerite | ||||
Fairy Gold | Bend Or | Doncaster | ||
Rouge Rose | ||||
Dame Masham | Galliard | |||
Pauline | ||||
Herodias | The Tetrarch | Roi Herode | Le Samaritain | |
Roxelane | ||||
Vahren | Bona Vista | |||
Castania | ||||
Honora | Gallinule | Isonomy | ||
Moorhen | ||||
Word of Honour | Saraband | |||
Geheimniss | ||||
Dinner Time | High Time | Ultimus | Commando | Domino |
Emma C. | ||||
Running Stream | Domino | |||
Dancing Water | ||||
Noonday | Domino | Himyar | ||
Mannie Gray | ||||
Sundown | Springfield | |||
Sunshine | ||||
Seaplane | Man o'War | Fair Play | Hastings | |
Fairy Gold | ||||
Mahubah | Rock Sand | |||
Merry Token | ||||
Bathing Girl | Spearmint | Carbine | ||
Maid of the Mint | ||||
Summer Girl | Sundridge | |||
Permission |
父ピラトは米国で走りポーモノクH・ベイショアH勝ちなど44戦24勝の成績を挙げた中級競走馬。栗毛馬だったが、母父ザテトラークから受け継いだベンドア班の持ち主だったという。種牡馬としては本馬の他にも、ベルモントS・ウッドメモリアルS・ドワイヤーS・ジョッキークラブ金杯を勝ち1947年の米最優秀3歳牡馬に選ばれたファランクスなどを輩出して優秀な成績を収めた。ピラトの父フライアーロックは英国三冠馬ロックサンド産駒で、現役成績は21戦9勝。3歳時にベルモントS・ブルックリンH・サバーバンH・サラトガCを勝って1916年の米年度代表馬・米最優秀3歳牡馬に選ばれている。
母ディナータイムは現役成績12戦未勝利だが、スカイラヴィルS・スピナウェイSで2着しており、凡庸な未勝利馬ではなかった。本馬が産まれる前年の1935年に6千ドルでワイドナー・ジュニア氏に購入されていた。本馬以外に特筆できる産駒はいないが、牝系子孫からは活躍馬が何頭か出ている。まず、本馬の半姉エイトオクロック(父ポンペイ)の子にはディナーアワー【マイアミビーチH】、牝系子孫には、ウェキヴァスプリングズ【ガルフストリームパークH(米GⅠ)・サバーバンH(米GⅠ)】がいる。また、本馬の半妹レッツダイン(父ジャックハイ)の子には1943年の米最優秀2歳牡馬プラッター【ピムリコフューチュリティ・ウォルデンS】がいる。また、本馬の半妹タイムトゥダイン(父ジェームスタウン)の子にはセブンサーティー【ブラックヘレンH・ベッドオローゼズH・デラウェアH】、孫にはボールドアワー【ホープフルS・ベルモントフューチュリティS・サラナクH・ディスカヴァリーH・グレイラグH・エイモリーLハスケルH】がいる。ディナータイムの従兄妹にはウォーグローリー【ドワイヤーS・ローレンスリアライゼーションS・サラナクH・メリーランドH・ウォルデンH・ケナーS】がいる他、ウォーグローリーの半姉ブラッシュアップの子には米国三冠馬ウォーアドミラル【ケンタッキーダービー・プリークネスS・ベルモントS・ピムリコスペシャルS・ワイドナーH・ホイットニーS・ジョッキークラブ金杯】がいる。→牝系:F11号族①
母父ハイタイムはサラゼンの項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のオールドケネーファーム(後にスペンドスリフトファーム)で種牡馬入りした。種牡馬としても活躍し、44頭(45頭とする資料もある)のステークスウイナーを出した。北米種牡馬ランキングでは1949・50年の4位が最高だった。繁殖牝馬の父としても優れており、ベルモントS・トラヴァーズS・ホープフルSなどを制したジャイプールなど活躍馬を何頭も出した。1958年に種牡馬を引退した後もスペンドスリフトファームで余生を送り、1965年4月に老衰のため29歳で他界。遺体はスペンドスリフトファームの功労馬が眠るライオンズサークル墓地内にあった母ディナータイムの墓地の隣に埋葬された。現役時代は年度代表馬などのタイトルには縁がなかった本馬だが、1994年に米国競馬の殿堂入りを果たし、本馬より先に殿堂入りしていた同世代のジョンズタウンやシャルドンと肩を並べることとなった。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第78位。ロイヤルコイナージが後継種牡馬としてケンタッキーダービー馬ヴェネチアンウェイを出すなど成功したが、その後本馬の直系は途絶えている。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1943 |
Twenty Thirty |
ファウンテンオブユースH |
1945 |
Dinner Gong |
サンアントニオH・ラホヤH |
1945 |
First Nighter |
ランプライターH・マサチューセッツH |
1945 |
Slumber Song |
フリゼットS |
1945 |
Task |
サプリングS |
1945 |
Watermill |
エイコーンS |
1946 |
Bolero |
デルマーダービー・サンカルロスH |
1946 |
Reveille |
エヴァーグレイズS |
1947 |
Honey's Gal |
テストS |
1947 |
Lights Up |
トラヴァーズS・ピーターパンS・ランプライターH・ゴールデンゲートH・サンセットH |
1947 |
Sunday Evening |
スピナウェイS |
1948 |
Big Stretch |
サンフォードS・ピムリコフューチュリティ・ブリーダーズフューチュリティS |
1948 |
Discreet |
ブラックアイドスーザンS |
1948 |
Sunny Dale |
スワニーリヴァーH |
1949 |
Place Card |
アスタリタS |
1952 |
Royal Coinage |
サプリングS・サラトガスペシャルS |
1952 |
Sailor |
トボガンH・ローマーH・ピムリコスペシャル・ガルフストリームパークH・ジョンBキャンベルH |
1953 |
Gay Life |
フィレンツェH |
1953 |
Head Man |
サンフォードS・ウッドメモリアルS |