コモン

和名:コモン

英名:Common

1888年生

黒鹿

父:アイソノミー

母:シスル

母父:スコッティシュチーフ

3歳時に英国の著名レースのみ走り僅か5戦で引退した史上5頭目の英国三冠馬は種牡馬としては振るわず

競走成績:3歳時に英で走り通算成績5戦4勝3着1回

誕生からデビュー前まで

史上5頭目の英国三冠馬で、歴代英国三冠馬の中では最も簡潔な競走経歴の持ち主である。英国の保守党所属の政治家だった初代アリントン男爵ヘンリー・ジェラルド・スタート卿により生産された英国産馬で、同じく保守党所属の政治家だった第8代准男爵フレデリック・ジョン・ウィリアム・ジョンストン卿とスタート卿の共同所有馬となった。この2名は以前にもセントブレイズを共同所有して英ダービーを優勝した事があった。

成長すると体高16ハンドに達した大柄な馬で筋肉もよく付いておりパワーもあったが、一見した体格は細身でひょろ長い印象の馬だったという。本馬は1歳時からジョン・ポーター調教師に預けられたが、成長が遅かったため、ポーター師は2歳戦に本馬を出走させる事をしなかった。2歳から3歳にかけての冬場に本馬は非常に成長した。主戦はジョージ・バレット騎手で、本馬の全レースに騎乗した。

競走生活(3歳前半)

デビューは3歳4月の英2000ギニー(T8F)となった。しかしデビュー前から本馬の存在は競馬マスコミに取り上げられており、評判になっていた。調教でも同厩同世代の期待馬オリオン(ミドルパークプレート3着馬で、後に英チャンピオンSを勝っている)などを相手にしていなかった。この年の英2000ギニーは9頭立てで行われ、本馬はミドルパークプレート・クリテリオンS・ロウス記念Sを勝っていた仏国調教馬ガバヌーア、ポートランドS2着馬ピーターフラワーと並んで単勝オッズ10倍の人気だったが、レース直前に評価が上昇して単勝オッズ8倍になった。レースでは9頭が一列になって進み、そのうちピーターフラワーが抜け出したが、本馬が馬なりのまま追いついて抜き去ると、2着に入ったニューS・ポートランドSの勝ち馬オルビエトに3馬身差、3着ピーターフラワーにはさらに3/4馬身差をつけて楽勝し、デビュー戦で英国クラシック競走制覇という快挙を達成した。

次走は英ダービー(T12F29Y)となった。レース当日の本馬はそれほど馬体が良く見えなかったそうで、本馬の名前が英語で「普通の、ありふれた、並の」を意味することから、名前どおりの見栄えであると酷評した人物もいたようである。それでも単勝オッズ1.91倍で、11頭立ての1番人気に支持されていた。当日は雹(ひょう)が混じるほどの暴風雨となり、レースは「ポテトの苗を植えられる」と評されたほどの超不良馬場で行われた。出走全馬とその騎手達は全員びしょ濡れになり、水分のため斤量は全馬3ポンド程度重くなったほどの状況だった。あまりの雨と霧のために視界不良であり、観客席からはレースの様子が今ひとつ良く分からなかったが、道中はガバヌーアが先頭を引っ張り、本馬は5番手辺りを追走していたようだった。直線ではガバヌーアがそのまま逃げ込みを図るところを、直線を4番手で向いた本馬が追撃。あっという間にガバヌーアを抜き去ると、最後は馬なりのまま2着ガバヌーアに2馬身差をつけて優勝した。

競走生活(3歳後半)

続いてセントジェームズパレスS(T8F)に出走。僅か2頭立てのレースとなり、本馬が唯一の対戦相手だったアスコットダービー2着馬バルバテッロを一蹴して勝利した。さらにエクリプスS(T10F)に出走して古馬と対戦。英オークス・英セントレジャー・ナッソーSを勝ち英1000ギニー・英チャンピオンSで2着だった1歳年上の名牝メモワールや、1歳年上の英2000ギニー・プリンスオブウェールズSの勝ち馬シュアフット、それにガバヌーアなどを抑えて、単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持された。レースでは本馬とガバヌーアがスタートから先頭争いを続けたが、ゴール寸前で単勝オッズ13.5倍の伏兵扱いだったシュアフットに2頭とも差されてしまい、本馬はガバヌーアとの競り合いにも短頭差で遅れて、勝ったシュアフットから1馬身差の3着に敗れた。

秋は英セントレジャー(T14F132Y)に直行した。このレースには英1000ギニーと英オークスを共に勝利した牝馬ミミも参戦してきて、本馬が英国三冠馬になるか、ミミが英国牝馬三冠馬になるかの戦いになった。しかし単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持されたのは本馬であり、ミミは単勝オッズ6倍の2番人気、仏グランクリテリウムやグレフュール賞を勝っていた仏国調教馬レヴァレンドが単勝オッズ6.5倍の3番人気となっていた。レースではレヴァレンドが先手を奪い、スタミナに任せて後続に脚を使わせるべくハイペースで飛ばしていった。本馬とアスコットダービーの勝ち馬セントサイモンオブザロックがそれを追い、直線ではこの3頭の叩き合いになった。本馬は一瞬負けるかと思われた場面もあったが、最後には抜け出して、2着レヴァレンドに1馬身差、3着セントサイモンオブザロックにはさらに首差をつけて優勝し、1886年のオーモンド以来5年ぶり史上5頭目の英国三冠馬の栄誉を手にした。このレースは英セントレジャー史上における名勝負として名高い。

この直後、オーストリア政府から1万4千ギニーで本馬を購入したいという申し出があったが、スタート卿とジョンストン卿はこの申し出を拒んだ。それと前後して、家具業界で成功していた英国の大物実業家だった初代准男爵ジョン・ブランデル・メイプル卿から1万5千ギニーで本馬を購入したいという申し出があり、スタート卿とジョンストン卿は、オーストリア政府の申し出を蹴った2日後にこちらのほうを承諾。本馬はメイプル卿の所有馬となった。オーストリア政府は諦めずに2万ギニーで本馬を購入したいとメイプル卿に申し出たが、メイプル卿は首を縦に振らなかった。メイプル卿は、ドンカスターCの勝ち馬クイーンズバースデー陣営に対して、本馬との2マイルマッチレースを提案したが、クイーンズバースデー陣営はこれを拒否した。さらにポーター師もメイプル卿のために本馬を調教する事を拒んだため、結局本馬は英セントレジャーを最後に現役を引退する事になり、僅か半年足らずの競走生活に幕を下した。ポーター師は「現役を続ければ近年最も偉大なカップホース(長距離のカップレースを勝てる馬の意味)になっていたでしょう」と本馬を評した。

血統

Isonomy Sterling Oxford Birdcatcher Sir Hercules
Guiccioli
Honey Dear Plenipotentiary
My Dear
Whisper Flatcatcher Touchstone
Decoy
Silence Melbourne
Secret
Isola Bella Stockwell The Baron Birdcatcher
Echidna
Pocahontas Glencoe
Marpessa
Isoline Ethelbert Faugh-a-Ballagh
Espoir
Bassishaw The Prime Warden
Miss Whinney
Thistle Scottish Chief Lord of the Isles Touchstone Camel
Banter
Fair Helen Pantaloon
Rebecca
Miss Ann The Little Known Muley
Lacerta
Bay Missy  Bay Middleton
Camilla
The Flower Safety Wild Dayrell Ion Cain
Margaret
Ellen Middleton Bay Middleton
Myrrha
Nettle Sweetmeat Gladiator
Lollypop
Wasp Muley Moloch
Excitements Sis

アイソノミーは当馬の項を参照。本馬の後にもアイシングラスを出し、英国三冠馬2頭の父となっている。

母シスルは現役時代フィンドンSなど4勝を挙げている。繁殖牝馬としても優秀で、本馬の半弟ゴールドフィンチ(父オーモンド)【ニューS】、産まれつきの視力障害を抱えながら活躍した半妹スロッスル(父ペトラーク)【英セントレジャー・コロネーションS・ナッソーS】なども産んでいる。本馬の半姉シスルフィールド(父スプリングフィールド)の牝系子孫からは、ラヴインアイドルネス【英オークス・ヨークシャーオークス】、ゴールデンコーン【ミドルパークS・ジュライC】、アザカー【サンタアニタH】、ブルーグラス【ケンタッキーオークス】、それに日本で走ったスマイルトゥモロー【優駿牝馬(GⅠ)】が出ており、今世紀にも残っている。また、本馬の半姉タッチミーノット(父マンカスター)の曾孫にはウィッチエルム【英1000ギニー・チェヴァリーパークS】が出て、その後もしばらくは牝系が続いたが、現在では途絶している模様である。スロッスルの牝系子孫もしばらく残っていたが、これまた現在では途絶している模様である。→牝系:F4号族②

母父スコッティシュチーフは3歳でアスコット金杯を勝った馬で、英ダービーではブレアアソールの3着だった。スコッティシュチーフの父ロードオブジアイルズはタッチストン産駒で、英2000ギニー優勝馬。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、メイプル卿が所有する英国ハートフォードシャー州チャイルドウィックベリースタッドで種牡馬入りした。当初の種付け料は200ギニーに設定された。しかし本馬の種牡馬成績は不振で、1898年の英1000ギニー優勝馬ナンナイサーなど何頭かの活躍馬を出した程度に留まった。1903年にメイプル卿が死去すると本馬はボイス・バーロウ夫人に購入され、エセックス州チェルムズフォードスタッドで種牡馬生活を続けたが、種付け料は19ギニーまで下がっていた。1912年12月に本馬はチェルムズフォードスタッドにおいて24歳で他界した。なお、ナンナイサーの牝系子孫は日本において伸び、東京優駿勝ち馬タニノハローモアが出るなどして、本馬の血を僅かながらも21世紀に伝えている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1895

Fairmile

ヨークシャーオークス

1895

Nun Nicer

英1000ギニー

1895

Osbech

ジョッキークラブC

1902

Commune

コロネーションS

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