ベタールースンアップ

和名:ベタールースンアップ

英名:Better Loosen Up

1985年生

鹿毛

父:ルースンアップ

母:ベターファンタジー

母父:ベターボーイ

当初は下級競走を地道に走っていたが4歳時に開花して豪州最強馬の座に上り詰め、迫力満点の走りでジャパンCも制覇する

競走成績:2~7歳時に豪日で走り通算成績45戦17勝2着9回3着3回

豪州調教馬としてジャパンCを優勝した史上唯一の馬として日本でも知られており、豪州競馬史上においても有数の名馬の1頭である。しかし若い頃は芽が出ず、シドニーやメルボルンの競馬場でこつこつと走っていた苦労馬でもあった。

誕生からデビュー前まで

豪州馬産の中心地ニューサウスウェールズ州において、ハワード・マーティン氏とジャニス・マーティン女史により生産された。豪州の調教師レス・セオドア師に購入されて彼を始めとする複数の馬主の共同所有馬となり、セオドア師の管理馬となった。

競走生活(2・3歳時)

1987年の2歳11月に豪州ヴィクトリア州ホワイトヒルズにあるベンディゴ競馬場で行われた芝1000mの2歳ハンデ競走でデビューしたが、トレンディベイの6着に敗退。その後は5か月半後の休養を経て、翌1988年4月にベンディゴ競馬場で行われた芝1100mの2歳ハンデ競走で初勝利を挙げた。しかし翌5月に出走したベンディゴ競馬場芝1400mの2歳ハンデ競走は、後にGⅠ競走ウインフィールドSを勝つバーランディの5着に敗退。フレミントン競馬場に場所を移して出た芝1400mのハンデ競走では12着に惨敗。2歳時は4戦1勝の成績に終わった。

3歳になった本馬は、ジェームズ・バーソロミュー・“バート”・カミングス厩舎に転厩した(ただし所有者はセオドア師達のままである)。カミングス師の経歴に関する詳細はセイントリーの項に譲るが、メルボルンCで史上最多の12勝を挙げて“The Cups King(ザ・カップ・キング)”の異名を誇る豪州競馬史上有数の名伯楽である。しかしそんなカミングス師の手腕をもってしても、3歳当初の本馬はなかなか芽が出なかった。

3歳時の88/89シーズンは、10月にカンタベリー競馬場で行われた芝1250mのハンデ競走から始動して、ここでは勝利した。しかし翌月に出たローズヒル競馬場芝1200mのハンデ競走は、スターオブカリオイの7着に敗退。その後はバーク&ウィルズH(T1400m)で、ビッグラップスの2着。ライムリックジャンクションH(T1500m)では、後にGⅠ競走トゥーラックHやGⅢ競走フレデリッククリソルドH・ゴスフォールド金杯を勝つカムラッドの2着。アマウニスH(T1600m)でもリヴィストナレーンの2着と、3戦連続で勝ち切れないまま1988年は終わった。

翌年も休まず走り、1月のJVコマンスH(T1600m)を勝利。続いてトゥーイーズ2.2H(T1600m)にも勝利した。さらにトゥーイーズドラフトH(T1550m)も勝利して3連勝。

そろそろ能力が開花してきたと感じたカミングス師は、本馬をステークス競走に向かわせることにして、まずはシドニー近郊のゴスフォード競馬場で行われるゴスフォードギニー(T1600m)に参戦させた。ここではビッグラップスの3着だったが、カミングス師にとっては合格点だったらしく、次走はカンタベリーギニー(豪GⅠ・T1900m)となった。何度か本馬に騎乗経験があったG・ダフィー騎手鞍上の本馬は、MRC1000ギニーを勝っていた名牝リヴェリナチャームの2着に入る大健闘を見せた。

その勢いでローズヒルギニー(豪GⅠ・T2000m)に出走。しかしここではリヴェリナチャーム、新2000ギニー馬クロナなど6頭に屈して、リヴェリナチャームの7着に完敗してしまった。その後はモーフェットビル競馬場に向かい、芝1100mのハンデ競走に出たが、8着に敗退。3歳シーズンを12戦4勝の成績で終えた。

3歳シーズン終了直後に本馬の所有者セオドア師は、本馬を豪州の世界的競走馬育成施設リンゼイパークに移動させる事を決定し、本馬はリンゼイパークの創設者コリン・ヘイズ調教師の管理馬となった。ヘイズ師は本馬を見たときに「きっとアデレードの有力馬になるでしょう」と感じたという。こう書くと高評価を与えられたように思うかもしれないが、本馬が3歳最後のレースを走ったモーフェットビル競馬場があるアデレードは南オーストラリア州の州都であるけれども、豪州競馬の中心地であるシドニーやメルボルンと比べると競馬のレベルは格段に低く、転厩直後における本馬の評価はその程度のものだったということになる。

しかしリンゼイパークに来た本馬はめきめきと頭角を現し、再びアデレードで走る事は現役最終戦まで無かった。なお、本馬は骨盤が弱かったらしく、しばしばそこを痛めていたため、あまり強い調教が出来なかったのだが、この時期から骨が強くなって健康な馬になったのも、頭角を現す要因となったようである。

競走生活(4歳時)

翌89/90シーズンは、10月にコーフィールド競馬場で行われたリチャードエリスプレート(T1400m)から始動。A・G・クラーク騎手を鞍上に、ヘヴンリービューの2着に入った。次走のホンダS(豪GⅠ・T1600m)では、主戦となるマイケル・A・クラーク騎手と初コンビを組んだ。ここでは51kgという軽量の恩恵も受けて、ローズヒルギニーで本馬に先着する3着だったクロナを2着に抑えて勝利を収め、ステークス競走初勝利をGⅠ競走で挙げた。

その後は豪州西部最大の都市パースにあるアスコット競馬場に遠征して、ウインフィールドS(豪GⅠ・T1800m)に出走。GⅢ競走ブルーリボンクオリティSの勝ち馬ハードアクトを2着に抑えて勝利を収め、前走の勝利がフロックでは無い事を示した。続いて出走したレイルウェイS(豪GⅠ・T1600m)も、一昨年のコーフィールドギニーと前年のレイルウェイSを勝っていたマーウォンを2着に破って勝利し、メルボルンに戻ってきた。

翌年2月のブレイミーS(豪GⅡ・T1600m)では、ウィリアムレイドS・豪フューチュリティS・ウインフィールドS・オーストラリアンC・ジョージメインSと既にGⅠ競走5勝を挙げていたヴォローグ、後に本馬と何度か顔を合わせることになるスーパーインポーズ(この段階ではGⅠ競走未勝利馬だったが、既にヴォローグと何度も好勝負を演じていた。後にGⅠ競走を8勝して豪州競馬の殿堂入りも果たす)という2頭の強敵と顔を合わせた。しかし本馬がスーパーインポーズを2着に、ヴォローグを3着に破って勝利した。

次走のオーストラリアンC(豪GⅠ・T2000m)でも、ヴォローグ、スーパーインポーズと顔を合わせた。ここではヴォローグが2連覇を達成し、本馬が2着、前年のこのレースで2着だったスーパーインポーズが3着だった。

続くセジェンホーS(豪GⅠ・T2000m)では、ヴォローグとスーパーインポーズに加えて、後に本馬最大の好敵手となるシデストン、さらには前年のマッキノンSと前走のドラフトクラシック、そして前年暮れのジャパンCを勝利していた現役オセアニア最強馬ホーリックスまで参戦してきて、豪州最強馬決定戦の様相を呈した。しかし本馬がシデストンを2着に、スーパーインポーズを3着に、ホーリックスを5着に破って優勝し、豪州最強馬の1頭としての地位を確立させた。

しかし次走のザBMW国際S(豪GⅠ・T2400m)では、重馬場に脚を取られてシデストンの6着に敗れた(ドゥーンベンCの勝ち馬ロードハイブロウが2着で、ホーリックスが3着だった)。続くクイーンエリザベスS(豪GⅠ・T2000m)でも、やはり重馬場に泣いて、シデストンの2着に敗れ、4歳シーズンを終えた。

それでもこのシーズンは8戦5勝2着2回、GⅠ競走で4勝を挙げ、飛躍のシーズンになった。このシーズン限りでコリン・ヘイズ師が調教師を引退したため、本馬の管理は息子であるデイヴィッド・ヘイズ調教師に受け継がれた。

競走生活(5歳前半)

翌90/91シーズンはメルボルンにあるサンダウンパーク競馬場で行われたJJリストンS(豪GⅡ・T1400m)から始動したが、3戦連続の重馬場となってしまい、シデストンの4着に敗れた。続くジョンFフィーハンS(豪GⅡ・T1600m)では、普通の良馬場になってくれた。前年のスプリングチャンピオンS・ヴィクトリアダービーの勝ち馬スタイリッシュセンチュリー、アンポルS・レイルウェイH・マニカトSとGⅠ競走3勝のアワウェストミンスターといった強敵が対戦相手となったが、スタイリッシュセンチュリーを2着に破って勝利した。次走のターンブルS(豪GⅡ・T2000m)も勝利。

そしてコックスプレート(豪GⅠ・T2040m)に駒を進めた。このレースではコーフィールドC・コーフィールドSを勝ってきた宿敵シデストンや、前年のコックスプレートで2着していたスタイリッシュセンチュリー、サイアーズプロデュースS・ゴールデンスリッパーSの勝ち馬キャニーラッド、そしてザBMW国際S3着後に新国のGⅠ競走TVニュージーランドSを勝って立て直していたホーリックスなどが相手となった。スタートが切られるとスタイリッシュセンチュリーが先頭に立ち、ホーリックスが2番手、本馬は後方からレースを進めた。スタイリッシュセンチュリーは快調に先頭を飛ばし、後続を最大10馬身以上は引き離す大逃げとなった。本馬はスタイリッシュセンチュリーから推定25~30馬身も離された後方を追走していた。直線に入る前にスタイリッシュセンチュリーの大逃げは終わり、好位を進んでいたキャニーラッドがスタイリッシュセンチュリーを捕らえ、さらに外側からシデストンが並びかけていった。一方の本馬は残り1000m地点から進出を開始していたが、直線入り口でもまだ4~5番手。ムーニーバレー競馬場の直線は173mしかなく、この段階で十分な脚色を残していたシデストンの管理調教師ボブ・ホイステッド師は勝ったと思ったそうだし、本馬を管理していたデイヴィッド・ヘイズ師は負けたと思ったという。ところが本馬は、先行馬勢を抜き去るシデストンが止まって見えるかのような豪脚を大外から繰り出して差し切り、シデストンを半馬身差の2着、キャニーラッドを3着、スタイリッシュセンチュリーを5着、ホーリックスを8着(このレースを最後に引退)に破って優勝。

勝ちタイムの2分01秒5は、コックスプレートが同距離で行われるようになった1986年以降では最速(それまでの最速記録である1987年の勝ち馬ルビトンのものより1秒4も速い)のコースレコードだった。2015年現在、コックスプレートを本馬より速いタイムで勝った馬は本馬以降に登場していない。なお、このレースにおいて本馬は両前脚を落鉄していたのだが、そんな事は全く感じさせない走りだった。この勝ち方により、本馬はキングストンタウン以来豪州最高の名馬と言われるようになった。

翌週のマッキノンS(豪GⅠ・T2000m)では、スタイリッシュセンチュリーを2着に退けて勝利。このマッキノンSが施行される日は、豪州競馬最大の祭典フレミントンスプリングカーニバルの初日であり、他にも多数のGⅠ競走が行われたのだが、デイヴィッド・ヘイズ師はマッキノンSを含めて計6勝を挙げ、これは調教師として同日にGⅠ競走を勝利した数の世界記録となっている。

ジャパンC

そして本馬は日本中央競馬会から招待を受けて来日し、ジャパンC(日GⅠ・T2400m)に参戦した。このレースは前年にホーリックスが勝った時に引けを取らない豪華メンバーが揃っていた。キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・グレートヴォルティジュールS・チェスターヴァーズの勝ち馬で愛ダービー3着のベルメッツ、ターフクラシックS・リングフィールドダービートライアルS・キングエドワードⅦ世Sの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・英国際S2着・英ダービー3着のカコイーシーズ、イタリア大賞・オイロパ賞・ベルリン銀行大賞・愛セントレジャー・ドーヴィル大賞・モーリスドニュイユ賞・ジェフリーフリアSの勝ち馬で前走のBCクラシックで2着してきたイブンベイの英国調教馬勢。ロスマンズ国際S・モーリスドニュイユ賞・ラクープの勝ち馬フレンチグローリー、エヴリ大賞・コリーダ賞の勝ち馬でサンクルー大賞・バドワイザー国際S2着・マンノウォーS3着と牡馬相手の競走で好走を続けてきた牝馬オードの仏国調教馬勢。愛セントレジャー・ゴールデンゲートH・サンセットHの勝ち馬でイエローリボン招待S2着・愛オークス・ヨークシャーオークス3着の牝馬プティットイル、伊共和国大統領賞・ミラノ大賞・カールトンFバークHの勝ち馬でアラルポカル・ターフクラシックS2着・マンノウォーS3着のアルワウーシュ、マンハッタンH・デリンズタウンスタッドダービートライアルS・愛フューチュリティS・ルイジアナダウンズHの勝ち馬ファントムブリーズといった欧州からの米国移籍馬勢。本馬に対する雪辱を期するスタイリッシュセンチュリーも豪州から参戦していた。地元日本からも、有馬記念・マイルCS・安田記念・ペガサスS・毎日杯・京都四歳特別・ニュージーランドトロフィー四歳S・高松宮杯・毎日王冠2回・オールカマーと中央競馬で重賞11勝を挙げていた怪物オグリキャップ、皐月賞・天皇賞秋・京都新聞杯・鳴尾記念・産経大阪杯の勝ち馬ヤエノムテキ、宝塚記念・中日スポーツ賞四歳S・神戸新聞杯・京都金杯・中京記念の勝ち馬オサイチジョージといった古馬勢や、セントライト記念の勝ち馬で菊花賞2着・東京優駿3着の四歳馬代表ホワイトストーン、オールカマーで2着して参戦してきた地方代表馬ジョージモナークが出走してきた。

キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSの勝ち馬として史上初めてジャパンCに参戦してきたベルメッツが単勝オッズ5.8倍の1番人気、本馬が単勝オッズ6.2倍の2番人気、カコイーシーズが単勝オッズ7.3倍の3番人気、前走天皇賞秋で大敗していたオグリキャップがカコイーシーズと同じ単勝オッズ7.3倍の4番人気、ホワイトストーンが単勝オッズ7.9倍の5番人気、プティットイルが単勝オッズ8.4倍の6番人気と、人気はかなり割れていた。後述するように本馬の事前調教の動きは甚だ悪かったのだが、それでも2番人気に推されたのは、豪州国内における直近の走りが圧倒的だったことに加え、前年のホーリックスによる優勝によりオセアニア調教馬の評価が高まっていた事、そしてそのホーリックスを2回破った馬という名声も影響したようである。

スタートが切られるとオサイチジョージが先手を取り、スタイリッシュセンチュリー、プティットイル、カコイーシーズなども先行。ベルメッツ、ホワイトストーン、オードがその後方につけ、本馬は中団後方、オグリキャップは最後方からの競馬となった。そのままの態勢で直線に入ると、先行馬勢の中からカコイーシーズが抜け出し、その後方から本馬とホワイトストーン、さらに外側からオードも伸びてきた。ゴール前でホワイトストーンはやや伸びを欠き、内側のカコイーシーズ、真ん中の本馬、外側のオードの3頭が横一線となる大激戦となったが、本馬が僅かに突き抜けて、2着オードに頭差、3着カコイーシーズにさらに頭差をつけて優勝した。ラストの1600mは1分33秒2、上がり3ハロンは34秒8の走りであり、直線における迫力満点の豪脚は日本の競馬ファンにも強い印象を与え、このジャパンCにおける上位3頭の激戦は同レース史上でも有数の名勝負として日本でも語り継がれている。

このレースは地元豪州でも生中継されており、実況を担当したブライアン・マーティン氏は「ベタールースンアップがオーストラリアのために勝ちました!」と絶叫した。この勝利は豪州におけるトップニュースとして報じられ、豪州国内はお祭り騒ぎになった。この頃のジャパンCは豪州や新国の競馬関係者にとっての憧れの的だった。デイヴィッド・ヘイズ師はジャパンCの勝利を、オリンピックで金メダルを取った事にほぼ等しいと評しているし、本馬が豪州競馬の祭典メルボルンCを回避してまでジャパンCに参戦してきた事も、当時の豪州国内におけるジャパンCの地位の高さを如実に示している。そしてジャパンCをホーリックスと本馬が2年連続で制覇したことで、豪州や新国の競馬レベルが著しく進展したことが証明されたと言われている。

競走生活(5歳後半から6歳時まで)

帰国した本馬の凱旋出走は、翌年2月のブレイミーS(豪GⅡ・T1600m)となった。ここには好敵手の1頭ヴォローグに加えて、前年のメルボルンCを勝っていたキングストンルールも出走してきた。しかし本馬がヴォローグを2着に、キングストンルールを3着に破って2連覇を飾った。

次走のオーストラリアンC(豪GⅠ・T2000m)では、ヴォローグを5馬身半差の2着に葬り去るという、本馬にしては珍しい圧勝劇を決めた。しかし直後の調教中に脚の腱を負傷してしまい休養入りした。そのためこのシーズンの出走はオーストラリアンCが最後になったが、8戦7勝の好成績で、90/91シーズンの豪州年度代表馬に選出された。

しかし本馬の休養は長引き、復帰したのは前走から11か月後の6歳2月だった。復帰初戦のチェスターマニフォールドS(T1400m)は、後のサウスオーストラリアンダービー馬シーヴァズリベンジの3着に敗退。続くブレイミーS(豪GⅡ・T1600m)では、シーヴァズリベンジ、チッピングノートンS・AJCダービー・ザBMW・アンダーウッドSの勝ち馬ドクターグレイスなど対戦相手4頭全てに先着されて5着最下位に終わり、同競走の3連覇は成らなかった。

一間隔を空けて出走したジョージライダーS(豪GⅠ・T1500m)も、前年のスプリングチャンピオンSの勝ち馬キンジテ、キャッスルメインSの勝ち馬プリンスサリエリなど3頭に屈してキンジテの4着に敗れ、91/92シーズンは3戦未勝利で終わってしまった。

競走生活(7歳時)

翌92/93シーズンは8月のJJリストンS(豪GⅡ・T1400m)から始動したが、ジムズメイトの8着に大敗。

次走のヒルS(豪GⅡ・T1900m)では、しばらく本馬と顔を合わせない間に、ドンカスターマイル2回・エプソムH2回・チッピングノートンS2回・ランヴェットSとGⅠ競走を7勝していたスーパーインポーズ(本馬が勝ったジャパンCにも招待されていたのだが、直前に鼻出血を発症していたために不参加だった)と久々の対戦となった。しかし勝ったのはミュアフィールドビレッジで、前年のこのレースを勝っていたスーパーインポーズが2着に入り、本馬は3着に敗れた。

ジョージメインS(豪GⅠ・T1600m)では、コロネーションデイ、キンジテ、クイーンズランドダービー・ストラドブロークH2回・ドゥーンベンC2回・キャプテンクックS・クイーンエリザベスS・オールエイジドSとGⅠ競走8勝を挙げていたラフハビット(前年のジャパンCに豪州代表として出走して、ゴールデンフェザントの5着していた)などに屈して、コロネーションデイの7着に敗れた。もっとも、この3戦は全て重馬場で行われており、明らかに重馬場が不得手だった本馬にとって辛いレースではあった。

この頃、前年のマッキノンSとメルボルンCを僅か3日の間にダブル制覇、他にもコーフィールドCやオーストラリアンCなどを勝って前シーズンの豪州年度代表馬に選ばれていた牝馬レッツイロープと本馬のマッチレースが取り沙汰されており、実際にジョージメインSから18日後にはコーフィールド競馬場芝2000mにおいて本馬とレッツイロープのマッチレースが実施された。レースでは直線半ばまで本馬とレッツイロープの鍔迫り合いが続いたが、ゴール前でレッツイロープが抜け出して勝ち、本馬は2馬身差で敗れた。外見上は名勝負だが、レッツイロープの勝ちタイム2分08秒5は芝の良馬場2000mのものとしてはかなり遅く、内容的には名勝負からは程遠いものだった。本馬もレッツイロープも後方からレースを進めるタイプの馬であり、そんな馬同士をマッチレースで戦わせた事自体が企画倒れに近く、このマッチレースが地元豪州で深く取り上げられる事は現在では殆ど無いようである。

続くコックスプレート(豪GⅠ・T2040m)では、レッツイロープ、スーパーインポーズ、シデストン、ラフハビット、この年のローズヒルギニー・AJCダービーを勝っていた新星ナチュラリズム(1か月後のジャパンCでトウカイテイオーの2着している)、エプソムHでGⅠ競走3勝目を挙げてきたキンジテ、キャッスルメインS・フライトSの勝ち馬スライトチャンス、コーフィールドギニーを勝ってきたパレスレインなどが対戦相手となった。出走馬14頭中本馬を含む10頭がGⅠ競走勝ち馬という超ハイレベルの争いだった。

しかしこのレースは波乱含みの展開となった。残り800m地点で馬群の中間にいたパレスレインが落鉄した弾みで転倒。馬群が密集していたために、1番人気のナチュラリズムやラフハビット、シデストンの3頭も巻き添えとなって落馬してしまった(4頭とも大事には至らなかった)。逃げていたキンジテやスライトチャンスを始めとする先行馬勢、後方外側を走っていた本馬、レッツイロープ、スーパーインポーズなどの計10頭はそのまま競走を続行し、これらの馬達が一団となって直線に入ってきた。直線に入るとレッツイロープが内側で粘るキンジテとスライトチャンスの2頭をかわして抜け出そうとしたが、そこへ内側から本馬、外側からスーパーインポーズが伸びてきた。ところがレッツイロープが内側に斜行したために不利を受けた本馬は最後の一伸びが出来ずに5位入線。レースは大外一気の豪脚を見せたスーパーインポーズが1位入線で、レッツイロープが2位入線、キンジテが3位入線、スライトチャンスが4位入線だった。審議の結果レッツイロープは本馬の進路を妨害した咎で5着に降着となったが、他の上位3頭は審議対象ではなく、本馬はスーパーインポーズの4着に敗れた。勝ったスーパーインポーズとの着差は僅か1馬身であり、不利がなければと悔やまれるレースだった。

翌週のマッキノンS(豪GⅠ・T2000m)では、新国からやってきたヴィアンダークロス(新2000ギニー・ベイヤークラシック・カンタベリーギニーと既にGⅠ競走を3勝。最終的にはGⅠ競走8勝)、ラフハビットなどに叩きのめされ、ヴィアンダークロスの11着と惨敗。その僅か3日後にはメルボルンC(豪GⅠ・T3200m)に初出走したが、明らかに全盛期を過ぎていた本馬にとって、この過密日程と59kgの斤量では厳しく、単勝オッズ81倍で21頭立ての17番人気で、アデレードCとサウスオーストラリアンダービーを勝ってきたサブゼロの12着に敗れ去った。なお、スーパーインポーズも15着と惨敗している。また、レッツイロープはこのレースを回避してジャパンCに向かったが、トウカイテイオーの7着に終わっている。次走のビートダイアビーティス2S(豪GⅠ・T1800m:本馬が3年前に勝ったウインフィールドSが名前を変えた同一競走)ではレッドジャベリンの4着とまずまずの走りを見せた。

年明け2月には、4年ぶりにアデレードのモーフェットビル競馬場に姿を現し、RNアーウィンS(豪GⅢ・T1100m)に出走したが、ホットアークの2着に敗退。このレースの直後に腱の故障が再発したために、7歳時9戦未勝利の成績で現役引退となった。結局故障による長期休養後は1勝も挙げる事が出来なかった。好敵手スーパーインポーズも本馬と同時期に引退している。

競走馬としての特徴

本馬のレースぶりは典型的な追い込みであり、特に最後の直線で繰り出す稲妻のような豪脚は見る者全てを魅了した。ジャパンCを含めるとグループ競走では12勝を挙げている(本馬が勝った年のジャパンCはまだ国際グレード競走では無かったのだが、海外の資料でもそんな事は全く気にされていないので、ここでも気にしないことにする)が、そのうち8勝は2着馬との着差が首差以下であり、接戦に非常に強い馬でもあった。

そのため海外の資料でも本馬の闘争心は賞賛されているのだが、その反面で本馬の事を一番よく知っているデイヴィッド・ヘイズ師は「とんでもない怠け者でした」と本馬を評している。基本的に調教では走らず、ジャパンC直前の最終調教においては最悪の走りを見せたらしい。それでも本番であの走りを披露したわけであるから、怠け者というよりも、全力で走るべき時が分かっている利口な馬だったと評したほうが正確かも知れない。海外の資料においても「彼は調教で走らない馬でしたが、それは無駄な事に労力を費やさない賢い馬だったからです。レースでも序盤は半分寝ているような状態でしたが、勝負どころでは目覚めて凄まじいまでの情熱を見せました」と論評されている。

馬名は両親の名前を足して割ったものであると思われる。父のルースンアップとは英語で「楽にしてください」という意味なので、本馬は「もっと楽にしてください」という意味になるのだろうか。

血統

Loosen Up Never Bend Nasrullah Nearco Pharos
Nogara
Mumtaz Begum Blenheim
Mumtaz Mahal
Lalun Djeddah Djebel
Djezima
Be Faithful Bimelech
Bloodroot
Dancing Hostess Sword Dancer Sunglow Sun Again
Rosern 
Highland Fling By Jimminy
Swing Time
Your Hostess Alibhai Hyperion
Teresina
Boudoir Mahmoud
Kampala
Better Fantasy Better Boy My Babu Djebel Tourbillon
Loika
Perfume Badruddin
Lavendula
Better So Mieuxce Massine
L'Olivete
Soga Solario
Mrs. Rustom
Pure Fantasy ニクサー Le Haar Vieux Manoir
Mince Pie
Niskampe Shikampur
Nise
Alecon Dalray Balloch
Broiveine
Boot Maid Probation
Hannah

父ルースンアップはネヴァーベンドの直子である米国産馬。仏国で競走馬生活を送ったが、ラブル賞というレースに勝ったのみの15戦1勝に終わった。それでも、従兄弟にケンタッキーダービー・プリークネスSを制した名馬マジェスティックプリンスなどがいる良血が評価されて豪州で種牡馬入りした。しかし本馬以外にはこれといった活躍馬を出せないまま終わった。

母ベターファンタジーは豪州で走り5勝を挙げている。母としては本馬を含めて13頭の子を産んだが、その中でステークスウイナーとなったのは本馬のみである。本馬の半妹キタサンカラデル(父フーラチーフ)は、歌手の北島三郎氏により購入されて外国産馬として日本で走ったが、5戦未勝利に終わっている。本馬の両親はいずれも競走成績・繁殖成績共に振るわない馬であり、本馬は半ば突然変異的に出現した超大物であると言える。ベターファンタジーの曾祖母ブートメイドの全姉にはレディハンナ【クイーンズランドオークス】がおり、ブートメイドの曾祖母ウィンサムクイーンの全兄にはアーティラリーマン【メルボルンC・AJCダービー・コーフィールドギニー・ローソンS】がいるなど、離れて俯瞰してみると牝系からは豪州の活躍馬が何頭も出ているのだが、いずれも本馬の近親と呼ぶには少々遠い。→牝系:F7号族②

母父ベターボーイはマイバブー直子で、英国でデビューしたが芽が出ず豪州に移籍した。現役成績は33戦8勝で、主な勝ち鞍はホーサムH程度に終わったが、そのまま豪州で種牡馬入りすると大活躍。35頭のステークスウイナーを出して、1965/66、70/71、71/72、76/77シーズンと4度の豪州首位種牡馬、1978/79シーズンの豪州母父首位種牡馬に輝く成功を収めた。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、メルボルン郊外のウッドランズヒストリックパークにある功労馬繋養施設リヴィングレジェンドファームで余生を送っている。2004年に豪州競馬の殿堂入りを果たした際には、メルボルンのクラウンパラジウムで実施された記念式典に招待され、既に18歳とは思えない見事な馬体を披露して、満場の観客から拍手喝采で迎えられた。余談だが、本馬と対戦経験がある馬のうち、2007年に他界したスーパーインポーズも死の直後に殿堂入りしており、レッツイロープも2012年に殿堂入りしている。本馬は2015年時点で30歳と既にかなりの高齢だが、ファンやかつての関係者達に囲まれながら現在も元気にしているようである。

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