セントクレスピン
和名:セントクレスピン |
英名:Saint Crespin |
1956年生 |
牡 |
栗毛 |
父:オリオール |
母:ネオクラシー |
母父:ネアルコ |
||
日本で天皇賞馬を2頭輩出したスタミナ自慢の凱旋門賞・エクリプスSの勝ち馬 |
||||
競走成績:2・3歳時に英仏で走り通算成績6戦4勝2着1回 |
誕生からデビュー前まで
アガ・カーンⅢ世殿下の息子で遊び人として著名だったアリ・カーン氏が生産・所有した英国産馬で、仏国アレック・ヘッド調教師に預けられた。半兄に英ダービー・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・英セントレジャーを制したタルヤーがいるという良血馬で、激しい気性の持ち主ながらも、非常に均整の取れた好馬体を有していた。
競走生活(3歳前半まで)
仏国調教馬であるが、デビューしたのは2歳9月に英国のケンプトンパーク競走場で行われたインペリアルプロデュースS(T6F)だった。このレースでは、後のパークヒルSの勝ち馬コリーリアを3/4馬身差の2着に、後のオクトーバーSの勝ち馬チャンターをさらに4馬身差の3着に破って勝利を収めた。ステークス競走において初勝利を挙げてその素質を改めて証明してみせ、2歳時はこの1戦のみで休養入りした。
3歳時は4月にロンシャン競馬場で行われたギシュ賞(T1950m)から始動して、後のジャックルマロワ賞2着馬メリートップを1馬身差の2着に破って勝利。しかし続くジャンプラ賞(T2000m)では、後のユジェーヌアダム賞・リス賞の勝ち馬メモランダムの半馬身差2着に敗れた。
次走は仏ダービーではなく英ダービー(T12F)となった。主な対戦相手は、英1000ギニー・英セントレジャーを勝った名牝ヘリンボーンの甥に当たるシャンタン、サラマンドル賞を同着で勝っていたオカール賞2着馬プリンシオン、ホワイトローズS・ディーS・リングフィールドダービートライアルSと3連勝してきたデューハーストS3着馬パーシア、チェスターヴァーズを勝ってきた後の愛ダービー馬フィダルゴ、仏2000ギニー馬タイム、ボワ賞の勝ち馬でミドルパークS・仏ダービー2着のダンキューピッド(20世紀欧州最強馬シーバードの父)、トーマブリョン賞・ラグランジュ賞・アルクール賞を勝ってきたリージェントなどだった。シャンタンが1番人気、プリンシオンが2番人気で、タルヤーとの兄弟制覇が期待された本馬は単勝オッズ11倍ながらも3番人気に推されていた。スタートが切られると最低人気馬ルソーズドリームが先頭に立ち、本馬はパーシアやフィダルゴと共に先行集団につけた。しかし直線に入ると、パーシアとフィダルゴの2頭に徐々に差をつけられてしまい、ゴール前でシャンタンにも差された本馬は、勝ったパーシアから3馬身差の4着に終わった。
競走生活(3歳後半)
その後は引き続き英国に留まり、今度はエクリプスS(T10F)に出走した。ジョージ・ムーア騎手とコンビを組んだ本馬は単勝オッズ3.5倍の評価を受けた。そしてフォンテーヌブロー賞の勝ち馬でリュパン賞2着・イスパーン賞3着のジャヴロー(翌年のエクリプスSを勝っている)を首差の2着に抑えて優勝し、タルヤーとの兄弟制覇を果たした。
その後は地元仏国に戻って休養し、秋の凱旋門賞(T2400m)に直行した。グレフュール賞・オカール賞・仏ダービー・サンクルー大賞・プランスドランジュ賞を勝ち本馬が不在だった仏国3歳路線を席巻していたエルバジェ、オーモンドS・プリンセスオブウェールズSの勝ち馬で愛セントレジャー2着のプリメラ、ロワイヤルオーク賞を勝ってきたヴァムール、ロワイヤルオーク賞・ジャンプラ賞・アスコット金杯の勝ち馬でカドラン賞2着のワラビー、イタリア大賞・ミラノ大賞の勝ち馬エクサー、パリ大賞・オカール賞の勝ち馬サンロマン、ジャックルマロワ賞・ユジェーヌアダム賞・ポルトマイヨ賞の勝ち馬で一昨年の凱旋門賞とこの年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSで3着していたバルボ、ロワイヨモン賞・ヴェルメイユ賞を勝ってきたリュパン賞3着馬ミカリーナ、ケルゴルレイ賞の勝ち馬ヴューシャトー、クリテリウムドサンクルーの勝ち馬でパリ大賞・グレフュール賞・オカール賞2着のルルーガルー、バーデン大賞を勝ってきたマーレファイム、リュパン賞の勝ち馬で仏ダービー3着のミッドナイトサン、アルクール賞の勝ち馬タピオカ、パリ大賞3着馬アポロなど24頭が対戦相手となった。エルバジェが単勝オッズ1.7倍という断然の1番人気に支持される一方で、ムーア騎手騎乗の本馬は5番人気止まりであった。
レースは同競走史上稀に見る大乱戦となった。1番人気のエルバジェはスタートから後方に置かれてゴール前でようやく追い上げてきたために勝ち負けに絡む場面は無かったが、直線では、本馬、2番人気馬プリメラ、3番人気馬ヴァムール、5番人気馬エクサー、9番人気馬ミカリーナ、12番人気馬ルルーガルー、14番人気馬ミッドナイトサン、18番人気馬ジェサック、21番人気のファトラロといった上位人気から下位人気までの馬達が一団となる大混戦となった。この混戦の中から抜け出したのは本馬とミッドナイトサンの2頭で、殆ど並んで先頭でゴールインした。いったんは1着同着と発表されたが、後にミッドナイトサンが進路妨害で2着に降着になったため、本馬の単独優勝となった。3歳時の成績は5戦3勝だった。
その後も現役を続ける予定だったが、調教中に落ちてきた木の枝に当たって騎手が落馬し、制御を失った本馬は木にぶつかって負傷。これが原因で競走馬引退に追い込まれた。
血統
Aureole | Hyperion | Gainsborough | Bayardo | Bay Ronald |
Galicia | ||||
Rosedrop | St. Frusquin | |||
Rosaline | ||||
Selene | Chaucer | St. Simon | ||
Canterbury Pilgrim | ||||
Serenissima | Minoru | |||
Gondolette | ||||
Angelola | Donatello | Blenheim | Blandford | |
Malva | ||||
Delleana | Clarissimus | |||
Duccia di Buoninsegna | ||||
Feola | Friar Marcus | Cicero | ||
Prim Nun | ||||
Aloe | Son-in-Law | |||
Alope | ||||
Neocracy | Nearco | Pharos | Phalaris | Polymelus |
Bromus | ||||
Scapa Flow | Chaucer | |||
Anchora | ||||
Nogara | Havresac | Rabelais | ||
Hors Concours | ||||
Catnip | Spearmint | |||
Sibola | ||||
Harina | Blandford | Swynford | John o'Gaunt | |
Canterbury Pilgrim | ||||
Blanche | White Eagle | |||
Black Cherry | ||||
Athasi | Farasi | Desmond | ||
Molly Morgan | ||||
Athgreany | Galloping Simon | |||
Fairyland |
父オリオールは当馬の項を参照。
母ネオクラシーは現役成績5戦2勝、プリンセスエリザベスSの勝ち馬。その産駒には、本馬の半兄タルヤー(父テヘラン)【英ダービー・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・英セントレジャー・オーモンドS・リングフィールドダービートライアルS】、半兄コベット(父ミゴリ)【プリンセスオブウェールズS・ラクープドメゾンラフィット】、半弟クリプトン(父プリンスビオ)【メシドール賞】がいるという名繁殖牝馬。本馬の半姉アンドロメダ(父スターダスト)の子にはアンティクリア【伊1000ギニー・伊オークス】が、孫には日本で走ったハクホオショウ【カブトヤマ記念・安田記念・札幌記念・オールカマー】が、玄孫世代以降にはアワパラゴン【阪神障害S秋・東京障害特別秋・京都大障害秋】、イブキファイブワン【北九州記念(GⅢ)】、マイティーフォース【京成杯(GⅢ)】、ゴールドアグリ【新潟2歳S(GⅢ)】などがいる。また、ネオクラシーの半姉キュアノス(父ブルーピーター)の子にはディーモン【チェスターヴァーズ・カンバーランドロッジS】、玄孫にはタイムチャーター【英オークス(英GⅠ)・英チャンピオンS(英GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)】がいる。
ネオクラシーの母ハリナは現役成績7戦1勝であるが、インペリアルプロデュースSを勝ち、ナッソーSで2着した活躍馬。ハリナはかなりの良血馬であり、その全兄にはハリネロ【愛ダービー・愛セントレジャー】、トリゴ【英ダービー・英セントレジャー・愛セントレジャー】、アスフォード【ドンカスターC】、プリメロ【愛ダービー・愛セントレジャー】がいる。アスフォードとプリメロは共に本邦輸入種牡馬であり、特にプリメロは第二次世界大戦後の日本競馬界をリードした大種牡馬である。また、ハリナの全姉チョクロの玄孫にはサクラショウリ【東京優駿・宝塚記念】がいるし、ハリナの全妹アヴェナの孫にはナガミ【伊ジョッキークラブ大賞・コロネーションC】、ヤングエンプレス【プリティポリーS】、曾孫にはモンテヴェルディ【デューハーストS(英GⅠ)】、玄孫世代以降にはジェイドハンター【ドンH(米GⅠ)・ガルフストリームパークH(米GⅠ)】、日本で走ったシンボリクリエンス【中山大障害春・中山大障害秋】、ビートブラック【天皇賞春(GⅠ)】などがいる。→牝系:F22号族①
母父ネアルコは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、愛国で種牡馬入りして、英1000ギニー・英オークス・愛オークスを制したアルテッスロワイヤル(ミホノブルボンの父マグニテュードの母)やヴェルメイユ賞の勝ち馬カスクグリーズなど牝馬の活躍馬を輩出した。アルテッスロワイヤルが活躍した1971年には、既に15歳になっていたにも関わらず日本に輸入された。
ところが、来日した本馬は勃起不全、つまりインポテンツに陥っている事が判明した。愛国では普通に種牡馬生活を送っていただけに、その原因は分からなかった。獣医師が治療を試みても効果が無く、このままでは種付けができずに種牡馬失格になってしまうとして、関係者一同が頭を抱える状況となった。そこに、たまたま北海道に来ていた中央競馬の矢野幸夫調教師が、凱旋門賞馬がいると聞いて興味半分に見物に来た。矢野師は天皇賞馬ミツハタ、安田記念や毎日王冠などを勝った初代ヒシマサル、朝日盃三歳Sの勝ち馬モンタサンなどを管理した人物である。この5年前ほど前から整体治療に興味を抱き、誤って農薬の混じった飼料を食べて中毒を起こしたモンタサンをマッサージ治療で回復させ、その後に長生医学を学んでカイロプラクティックの技術を取得していた。関係者から事情を聞いた矢野師は、試みに本馬の身体を調べてみる事にした。矢野師が本馬の身体に触れていくと、その指先が背骨の並びに僅かなズレを発見した。矢野師がそのズレを木槌で叩いて整復し、さらに針を打って治療を施すと、数日後に本馬の勃起不全は嘘の様に治り、種付けが可能になった。これにより晴れて種牡馬生活を開始できた本馬は、初年度の1971年は53頭と交配することが出来た。なお、矢野師の成果はレポートにまとめられ、日本国外からも注目された。後に矢野師は調教師から馬の整体師に転職して活躍した。
翌1972年は本馬と同時期に日本に持ち込み馬として輸入されたタイテエムが牡馬クラシック戦線で活躍し、この年は43頭の繁殖牝馬を集めた。翌1973年はタイテエムが天皇賞春を勝利し、この年は45頭の繁殖牝馬を集めた。翌1974年に日本における初年度産駒がデビュー。この中から良くも悪くも本馬の代表産駒と言えるエリモジョージが登場した。この4年目は46頭、5年目は40頭、6年目は40頭、7年目は42頭、8年目の1978年は37頭の繁殖牝馬を集めた。しかし9年目の1979年は4頭の交配数に留まった。前年にエリモジョージが宝塚記念などを、ヤマニンゴローが高松宮杯を勝つなど活躍していたにも関わらず交配数が減少したのは、この年に既に23歳と高齢だったからだと思われる。翌1980年の交配数は0頭で、翌1981年に種牡馬を引退。その後の末路は屠殺場送りだった。これほどの名馬・名種牡馬でも、このような末路を辿らせたのは、日本ならではである。本馬は馬肉食が一般的な仏国調教馬だったためか、この一件が問題になる事は無かったが、逆にそれがいけなかったのか、日本競馬界の風習は改められることは無く、後にエクリプス賞年度代表馬ファーディナンド屠殺事件を引き起こしてしまい、世界中から大きな非難を浴び、数多くの本邦輸入種牡馬が日本を去る原因となった。現在、米国から日本に種牡馬を輸出するに際しては買い戻し協定が締結されることがしばしばあり、要するに日本馬産界は世界からの信用を失っているわけである。
全日本種牡馬ランキングは1978年の12位が最高で、エリモジョージが天皇賞春などを勝った1976年には18位に入っている。本馬の後継種牡馬としては、エリモジョージは失敗に終わったが、タイテエムがなかなかの成功を収め、本馬の直系は20世紀末頃まで残っていたが、現在は完全に途絶えている。ただしスペシャルウィークの祖母の父が本馬であるため、現在も血の影響力は健在となっている。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1961 |
Excel |
グリーナムS |
1964 |
Casaque Grise |
ヴェルメイユ賞・ヴァントー賞・ロワイヨモン賞 |
1964 |
Dolina |
伊1000ギニー・伊オークス・ドルメロ賞 |
1964 |
Royal Saint |
フレッドダーリンS |
1964 |
Signa Infesta |
グラッドネスS |
1964 |
The Nun |
ランカシャーオークス |
1966 |
Mige |
チェヴァリーパークS |
1966 |
Shoemaker |
ロイヤルS・アンリデラマール賞・ジャンドショードネイ賞・ゴントービロン賞 |
1968 |
Altesse Royale |
英1000ギニー(英GⅠ)・英オークス(英GⅠ)・愛オークス(愛GⅠ) |
1968 |
Karoon |
エヴリ大賞(仏GⅡ) |
1969 |
Crespinall |
ナッソーS(英GⅡ) |
1969 |
タイテエム |
天皇賞春・スプリングS・神戸新聞杯・京都新聞杯・マイラーズC |
1970 |
Saint Paul |
ナポリ市大賞(伊GⅢ) |
1971 |
Shebeen |
カンバーランドロッジS(英GⅢ)・プリンセスロイヤルS(英GⅢ)2回・ジョッキークラブS(英GⅢ) |
1972 |
エリモジョージ |
天皇賞春・宝塚記念・京都記念2回・鳴尾記念・シンザン記念・函館記念 |
1974 |
アイノクレスピン |
神戸新聞杯 |
1974 |
ヤマニンゴロー |
高松宮杯 |
1978 |
スーパーファスト |
クイーンS |