フェリシテーション

和名:フェリシテーション

英名:Felicitation

1930年生

鹿毛

父:コロラド

母:フェリシタ

母父:カンティレバー

ハイペリオンに煮え湯を飲まされ続けたが5度目の対戦となったアスコット金杯を圧勝して一矢を報いた20世紀英国有数の名長距離馬

競走成績:2~5歳時に英仏で走り通算成績23戦8勝2着3回3着4回

誕生からデビュー前まで

アガ・カーンⅢ世殿下により生産・所有された英国産馬で、英国フランク・バターズ調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳夏頃に競走馬デビューしたが、最初の3戦はいずれも敗退。グッドウッド競馬場で出たレースで2着がある程度だった。ニューベリー競馬場で出た4戦目のオータムフォールプレートでようやく初勝利を挙げた。この程度の経歴でも、ミドルパークS(T6F)では単勝オッズ4倍で2番人気の評価を受けたというのは、かなり素質が見込まれていたからだろう。レースは、単勝オッズ1.91倍の1番人気に推されていたコヴェントリーS・ボスコーエンポストSの勝ち馬マニトバが先頭でゴールインし、M・ベアリー騎手が騎乗する本馬は3/4馬身差の2位入線。しかしレース後に本馬陣営がマニトバの斜行による進路妨害をアピール。これが認められてマニトバは失格となり、本馬が繰り上がって勝利馬となり、3位入線のスカーレットタイガーが2着、4位入線のチェシャムSの勝ち馬マナーリングが3着となった。

次走はデューハーストS(T7F)となった。しかしここではボスコーエンポストSでマニトバの3着に敗れていたニューS・プリンスオブウェールズSの勝ち馬ハイペリオンが勝利を収め、本馬は6頭立ての4着に敗れた。2歳時の成績は6戦2勝だった。

競走生活(3歳時)

3歳時はまず英2000ギニー(T8F)に出走した。ハイペリオンの姿は無かったために本馬に期待がかけられたが、ロドスト、後のコロネーションC・エクリプスSの勝ち馬キングサーモン、インペリアルプロデュースSの勝ち馬ジーノなどに屈して、ロドストの7着に敗れた。同月にニューマーケット競馬場で行われたフリーH(T10F)にも出走したが、後にハードウィックSを勝つ牝馬コトネアスターの着外に敗れた。翌月のニューマーケットS(T10F)でも調子は戻らず、ジムクラックSの勝ち馬ヤングラヴァー、英2000ギニー2着馬キングサーモン、仏国から遠征してきたフォレ賞・セーネワーズ賞の勝ち馬アシュリューなどに屈して、ヤングラヴァーの4着に敗れた。

それでも英ダービー(T12F)には出走した。鞍上には6年前の英ダービーをコールボーイで勝っていた名手エドワード・チャールズ・“チャーリー”・エリオット騎手を配した。しかしチェスターヴァーズを勝ってきたハイペリオンが2着キングサーモンに4馬身差をつけて圧勝した一方で、本馬は全く何の見せ場もなく16着に敗れ去った。次走のキングエドワードⅦ世S(T12F)では、翌月のグッドウッドCで名馬ブラウンジャックを2着に破って勝つ牝馬サンズペイネの4着に敗退。ニューベリー競馬場で出たロイヤルプレートも4着に終わった。

秋の英セントレジャー(T14F132Y)では、スタートから逃げを打ち、直線でも粘ったが、ハイペリオンに差されて3馬身差の2着に敗れた(本馬から首差の3着はスカーレットタイガーだった)。それでも仏ダービー馬トールには先着した。次走のジョッキークラブS(T14F)では、タイヤンの2着に敗退。秋シーズンは改善の兆しが見られたが、結局3歳時は8戦未勝利の成績に終わった。

競走生活(4歳時)

どうも本馬は集中力に欠ける傾向があったらしく、バターズ師は4歳になった本馬に試みにブリンカーを装着させてみることにした。4歳時は5月にニューマーケット競馬場で行われたマーチS(T10F)から始動した。このレースはハイペリオンの4歳初戦でもあった。結果は138ポンドを背負っていたハイペリオンが118ポンドのアンジェリコに首差で辛うじて勝利を収め、132ポンドの本馬は3着だった。しかしブリンカーの効き目があったと判断したバターズ師は、この後もそれを継続させた。

翌6月にはアスコット競馬場でチャーチルS(T16F)に出走。ここではスタートから先頭に立つと、そのまま後続を全く寄せ付けずに、2着ソーラーボーイに10馬身差をつけて圧勝を収め、ミドルパークS以来1年8か月ぶりの勝ち星を挙げた。3着馬は前走で先着を許したアンジェリコだったから、ブリンカー効果に加えて、距離が伸びた事により本領を発揮し始めた事になる。

そして迎えた翌日のアスコット金杯(T20F)では、ハイペリオン、前年の英セントレジャーでは着外に終わるも前月のカドラン賞を勝っていたトール、前年の伊2000ギニー・ミラノ大賞・伊セントレジャー・凱旋門賞を勝っていたクラポム、プリークネスS・アーリントンクラシックS・アメリカンダービーを勝っていた米国からの挑戦者メイトなどが主な対戦相手となった。単勝オッズ5.5倍で出走したゴードン・リチャーズ騎手騎乗の本馬はスタートから先頭に立った。そして巧みにレースを支配すると、直線で後続馬をちぎり捨て、2着トールに8馬身差、3着ハイペリオンにはさらに1馬身半差をつけて圧勝。5度目の対戦で遂にハイペリオンを破ると同時に、この翌月に引退するハイペリオンに代わる英国最強馬の地位をも手に入れた。

その後は8月にエアー競馬場で行われたエリントンプレートに出走して勝利。9月にはジョンポーターS(T13F)に出走。136ポンドの斤量が課せられたが、単勝オッズ2倍の1番人気に応えて、後にコロネーションC・グッドウッドC・クイーンアレクサンドラSを勝ちアスコット金杯でプリシピテイションの2着するセシルを2着に破って勝利した。

その後は仏国に遠征して凱旋門賞(T2400m)に参戦。このレースには、ロベールパパン賞・モルニ賞・仏グランクリテリウム・仏2000ギニー・リュパン賞・ロワイヤルオーク賞など8戦全勝の成績を誇っていたブラントーム、前年のニューマーケットSで本馬に先着する3着だった後にコンセイユミュニシパル賞・アルクール賞・仏共和国大統領賞を勝っていたアシュリュー、パリ大賞の勝ち馬で仏2000ギニー2着のアドミラルドレイク、仏ダービー馬デュプレ、オカール賞・グレフュール賞の勝ち馬でロワイヤルオーク賞3着のマラヴェディス、ユジェーヌアダム賞・プランスドランジュ賞の勝ち馬ネグンド、ドーヴィル大賞の勝ち馬モルヴィラル、ポモーヌ賞・ラクープドメゾンラフィットの勝ち馬で仏グランクリテリウム2着のサパラーデなどが出走していた。やはりここでも逃げ戦法を採った本馬だったが、本馬をマークするように走っていたブラントームとアシュリューの2頭に直線で差されて、勝ったブラントームから4馬身差、2着アシュリューから1馬身半差の3着に敗れた。

英国に戻った本馬はジョッキークラブC(T18F)に出走。単勝オッズ1.25倍の1番人気に応えて、2着アーマーブライトに10馬身差をつけて圧勝した。4歳時の成績は7戦5勝となった。

競走生活(5歳時)

当初は4歳限りで競走馬を引退して種牡馬入りする計画だったが、予定を変更して5歳時も現役を続けることになった。その理由はアガ・カーンⅢ世殿下が、アスコット金杯において、ブラントーム、それに1歳年下の英ダービー・英セントレジャーの勝ち馬ウインザーラッドの2頭を迎え撃とうという考えを抱いた事によるという。この計画が発表されると、英国の競馬関係者やファン達は大きく盛り上がった。

5歳時は5月にニューマーケット競馬場で行われたチッペナムS(T12F)から始動した。しかしタイヤン、ニューマーケットセントレジャーの勝ち馬でデューハーストS・英セントレジャー2着のティベリウスの2頭に屈して、タイヤンの3着に終わった。次走のヨークシャーC(T16F)では勝利を収めたが、このレース中に脚を負傷してしまい、アスコット金杯には出ずに、5歳時2戦1勝の成績で引退となった。ウインザーラッドもアスコット金杯を回避してしまい、体調不良だったブラントームは英国の競馬ファンを失望させたくないと判断した所有者エドワール・アルフォンス・ド・ロートシルト男爵の決断により出走に踏み切ったが、5着に敗れて初黒星を喫した。このアスコット金杯を勝ったのは結局ティベリウスだった。バターズ師は本馬を「かつて手掛けた最良の長距離馬」と評している。

血統

Colorado Phalaris Polymelus Cyllene Bona Vista
Arcadia
Maid Marian Hampton
Quiver
Bromus Sainfoin Springfield
Sanda
Cheery St. Simon
Sunrise
Canyon Chaucer St. Simon Galopin
St. Angela
Canterbury Pilgrim Tristan
Pilgrimage
Glasalt Isinglass Isonomy
Dead Lock
Broad Corrie Hampton
Corrie Roy
Felicita Cantilever Bridge of Canny Love Wisely Wisdom
Lovelorn
Santa Brigida St. Simon
Bridget
Lighthead Zealot Hermit
Zelle
Whitelock Wenlock
White Heather
Best Wishes Neil Gow Marco Barcaldine
Novitiate
Chelandry Goldfinch
Illuminata
Simonath St. Simon Galopin
St. Angela
Philomath Philammon
Chrysalis

コロラドは当馬の項を参照。

母フェリシタは競走馬としては2勝を挙げている。繁殖牝馬としては本馬の半弟フォルーグ【キングエドワードⅦ世S】も産んだ。フェリシタの母ベストウィッシーズの半弟には独首位種牡馬フラムボヤント【ドンカスターC・グッドウッドC】がいる。また、ベストウィッシーズの半妹ミスマティの子にはパパイラス【英ダービー・チェスターヴァーズ】、ボールドアーチャー【ジムクラックS】が、曾孫には豪州顕彰馬にも選ばれている豪州史上最強障害競走馬クリスプ【チャンピオンチェイス】が、ベストウィッシーズの半妹ブラケット(父カンティレバー)の子にはパレンセシス【コロネーションC】がいる。

ベストウィッシーズの母シモナスの全姉ルスキニアの牝系子孫は地道に伸び、21世紀になって日本競馬史上に燦然とその名を残す名牝ジェンティルドンナ【桜花賞(GⅠ)・優駿牝馬(GⅠ)・秋華賞(GⅠ)・ジャパンC(GⅠ)2回・ドバイシーマクラシック(首GⅠ)・有馬記念(GⅠ)】が出現している。→牝系:F16号族③

母父カンティレバーは現役成績16戦5勝、ジョッキークラブS・ドンカスターS・ケンブリッジシャーHを勝っている。その父ブリッジオブキャニーはジョッキークラブS・ケンブリッジシャーH・グレートヨークシャーS勝ちなど33戦15勝。さらに遡ると、アスコット金杯・ジョッキークラブSの勝ち馬ラヴワイズリー、名種牡馬ウィズダム、ジムクラックS・ゴールドヴァーズの勝ち馬ブリンクフーリー、ドンカスターC・ゴールドヴァーズの勝ち馬ラタプランを経て、ザバロンへと至る血統。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国ハイクレアスタッドで種牡馬入りした。しかし種牡馬としては1941年の英2000ギニーと英ダービーで2着したモロゴロを出した程度と、期待に応えられなかった。1945年にブラジルに売却された。ブラジルでは同国のダービーに相当するクルゼイロドスル大賞の勝ち馬を2頭出すなど成功した。没年は不明だが、1949年産まれの産駒が複数いるにも関わらず1950年産馬はいないことから、1948年頃に18歳で他界したと思われる。本馬の血を引く馬には、母の父としての代表産駒である本邦輸入種牡馬ゲイタイム、それにジャパンCの勝ち馬ペイザバトラー(4代母の父が本馬)などがいる。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1939

Ended

サンディエゴH

1943

No Orchids

ヨークシャーC

1946

Martini

クルゼイロドスル大賞

1947

Honolulu

クルゼイロドスル大賞

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