クリムゾンサタン

和名:クリムゾンサタン

英名:Crimson Satan

1959年生

栗毛

父:スパイソング

母:パピラ

母父:リキエブロ

繁殖牝馬の父として活躍し大種牡馬ストームキャットやダイワ兄妹の祖母の父としても名を残すヒムヤー直系の米最優秀2歳牡馬

競走成績:2~5歳時に米で走り通算成績58戦18勝2着9回3着9回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州にあるクリムゾンキングファームの生産・所有馬である。クリムゾンキングファームは20世紀初頭に火事で建物を失ったが、そこから復興し、1950年代にデトロイトの自動車業者ピーター・W・サルメン卿により購入されていた。本馬はゴードン・R・ポッター調教師に預けられたが、あまり素直な馬ではなかったようで、騎手が鞭を入れると却って反抗したという。

馬名はクリムゾンキングファームの名前に由来するのではなく、モントリオール・ガゼット紙の記事によると、栗毛の本馬が走る姿を見たサルメン卿の息子が「まるで赤い悪魔が走っているようだ」と評した事に由来するそうである。

競走生活(2歳時)

2歳6月にキーンランド競馬場で行われたダート4ハロンの未勝利戦でデビューして、アイムフォーモアの3/4馬身差3着。その1週間後に出走した同コースの未勝利戦を、2着トムターキーに3/4馬身差で勝ち上がった。さらに8日後に出走したラファイエットS(D4F50Y)では、2着マイクジーに1馬身3/4差で勝利した。しかしワシントンパーク競馬場で行われたダート5.5ハロンの一般競走では、ライダンの8馬身差3着に敗退。シカゴのアーリントンパーク競馬場で行われたハイドパークS(D5.5F)では、ライダンの9馬身1/4差6着に敗れた。

その後はしばらくレースに出ず、前走から2か月半後の9月にシカゴのホーソーン競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走で復帰した。ここではロイルロイルの2馬身差2着に敗れた。9日後に出たホーソーン競馬場ダート6.5ハロンの一般競走では首差2着に惜敗。しかしさらに8日後に出たホーソーン競馬場ダート8.5ハロンの一般競走では、B・フェルプス騎手とコンビを組んで、2着ドージェオラに6馬身差をつけて圧勝した。さらに分割競走ホーソーンジュヴェナイルS(D8.5F)も、2着トレジャリーノートに6馬身差で圧勝した。その後はニューヨーク州に向かい、シャンペンS(D8F)に参戦。ここではドゥーナットキング、ジャイプール、後の大種牡馬サーゲイロードの3頭に屈して、ドゥーナットキングの2馬身差4着に敗れた。

しかし次走のガーデンステートトライアル(D8.5F)では、名手ウィリアム・シューメーカー騎手とコンビを組んで、2着ピンセッターに7馬身差で圧勝。続けて出走した当時世界最高賞金額30万ドルを誇るガーデンステートS(D8.5F)では、単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持された。そしてスローペースの中団追走から抜け出して、2着ドゥーナットキングに2馬身半差をつけて勝利した。鞍上のシューメーカー騎手は、2週間前に行われた牝馬限定戦としては世界最高賞金のガーデニアSもシケーダで勝利しており、両競走を同一年に制覇した史上初の騎手となった。さらにピムリコフューチュリティ(D8.5F)に出走して、2着グリーンチケットに5馬身差で圧勝。

2歳時の成績は13戦7勝で、フラッシュS・ホープフルS・カウディンSの勝ち馬ジャイプール、ベルモントフューチュリティSの勝ち馬シアン、シャンペンSの勝ち馬ドゥーナットキングなどを抑えて、米最優秀2歳牡馬に選出された。

競走生活(3歳時)

3歳時は1月にフロリダ州ハイアリアパーク競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走から始動したが、サーゲイロードの3/4馬身差2着に敗れた。次走のバハマズS(D7F)では、勝ったサーゲイロードから6馬身差、2着ライダンから3馬身1/4差の3着に敗退。次走のエヴァーグレーズS(D9F)では、サーゲイロード、ディサイデッドリー、ライダン、プレゴの4頭に屈して、勝ったサーゲイロードから16馬身差をつけられた5着と惨敗。次走のフラミンゴS(D9F)では、1位入線のサンライズカウンティ(進路妨害により3着に降着となり、プレゴが繰り上がって1着、ライダンが2着となっている)から15馬身差をつけられた7着と再び惨敗。ここでシューメーカー騎手は本馬の鞍上を去り、本馬は再びフェルプス騎手とコンビを組むことになった。

不振続きの本馬だったが、それでもケンタッキーダービーを目指してケンタッキー州に向かった。まずはキーンランド競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走に出て、2着リータウンに5馬身差で勝利。しかし単勝オッズ3.5倍の2番人気に推されたブルーグラスS(D9F)では、勝ったライダンから8馬身半差の5着に終わった。本番のケンタッキーダービー(D10F)では、ブルーグラスSで2着だったディサイデッドリーがコースレコードで勝利を収め、ライダン(3着)、サンライズカウンティ(5着)などにも後れを取った本馬は、ディサイデッドリーから6馬身1/4差の6着に敗退。2週間後に出走したプリークネスS(D9.5F)では、勝ったグリークマニーから12馬身差の7着と大敗した。

その後はジャージーダービー(D9F)に出走し、プリークネスSで1番人気に推されながら10着と惨敗していたジャイプール、ケンタッキーダービーでは9着だったウッドメモリアルSの勝ち馬アドミラルズヴォヤージと対戦した。結果はジャイプールを抑えて1位入線したものの、3位入線したアドミラルズヴォヤージに対する進路妨害を取られて3着に降着となった。次走のベルモントS(D12F)では、前走で一応は先着した相手であるジャイプールとアドミラルズヴォヤージの2頭に屈して、ジャイプールの1馬身1/4差3着に敗れた。

その後は裏街道に進み、ベルモントSから2週間後にデラウェアパーク競馬場で行われたレオナルドリチャーズS(D9F)に出走して1位入線。しかしレース後に行われた薬物検査で引っ掛かって失格となった(2位入線のノーブルジェイが繰り上がって勝利馬となった)。この結果、ポッター師は当年度中の調教師資格を剥奪される事となった。

その後のドワイヤーH(D10F)では、レオナルドリチャーズSで3位入線2着繰り上がりとなったシアンがノーブルジェイ以下に勝利を収め、本馬は7馬身半差の4着に敗退。次走のチョイスS(D8.5F)では、またもジャイプールとシアンに屈して、勝ったジャイプールから5馬身1/4差の3着に終わった。その後はオハイオ州シッスルダウン競馬場でダート8.5ハロンのハンデ競走に出走して、首差で辛うじて勝利。その1週間後に同じシッスルダウン競馬場で出走したバックアイH(D9F)では、ガッシングウインドの6馬身1/4差3着に敗れた。その後はアーリントンパーク競馬場に向かい、ローレンスアームールH(T8.5F)に出走して、2着タンブルタービーに2馬身半差で勝利。次走のアーリントンH(T9.5F)では、エルバンディットの1馬身差2着だった。

この時期、ポッター師に代わる新たな調教師として、本馬はチャールズ・カー調教師が管理することになった。そして主戦となるハーブ・ヒノホサ騎手と初コンビを組んだ11月のクラークH(D9F)を、2着タンブルタービーに1馬身1/4差で勝利。3歳時の成績は18戦4勝となった。

競走生活(4歳時)

4歳時は米国西海岸から始動した。西海岸ではカー師の助手だったJ・W・キング調教師が本馬を管理した。まずは1月にサンタアニタパーク競馬場で行われたサンカルロスH(D7F)から始動したが、1歳年上のケンタッキーダービー2着馬クロジール、マリブS・サンアントニオH・サンフアンカピストラーノ招待Hの勝ち馬オールデンタイムズ、前年暮れのマリブSを勝って頭角を現し始めたネイティヴダイヴァーの3頭に屈して、勝ったクロジールから6馬身差の4着と敗退。しかし次走のサンフェルナンドS(D9F)では、かつての相棒シューメーカー騎手鞍上のネイティヴダイヴァーを首差2着に退けて勝利した。続くチャールズHストラブS(D10F)では、2着パイレートコーヴに5馬身3/4差をつけて圧勝。次走のサンアントニオH(D9F)では127ポンドを課されて、前年のサンタアニタH優勝馬フィジシアンの1馬身差2着に敗れた。

それでも本番のサンタアニタH(D10F)では堂々の1番人気に支持された。しかし結果は勝ったクロジールに5馬身半をつけられて、ゲームと2着同着。4着ディサイデッドリーには先着したが、勝つことは出来なかった。次走のサンフアンカピストラーノH(T14F)では、英国から移籍してきたパーダオの17馬身差12着と大敗し、西海岸を後にした。

東海岸に戻って出走したジョンBキャンベルH(D8.5F)では、ジョッキークラブ金杯3回・ウッドワードS2回・メトロポリタンH・サバーバンH・ブルックリンH・ジェロームH・ホイットニーH・ガルフストリームパークHなどを勝っていた現役米国最強馬ケルソに食い下がり、3/4馬身差の2着と好走。その後のグレイラグH(D9F)では、サンライズカウンティの1馬身1/4差2着(ディサイデッドリーが3着)。メトロポリタンH(D8F)では、シラノの4馬身差4着だった。マサチューセッツH(D10F)では、2着アドミラルズヴォヤージや3着サンライズカウンティ以下に2馬身半差で快勝。続くミシガンマイル&ワンエイスH(D8.5F)では128ポンドを課されながらも、デトロイト競馬場のコースレコード1分40秒6を樹立して、2着ディサイデッドリーに5馬身半差をつけて圧勝した。

その後は再び西海岸に向かい、ハリウッド金杯(D10F)に出走。単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持されたが、勝ったカディスから16馬身差をつけられた10着最下位に敗れた(ネイティヴダイヴァーが4着だった)。その後はアーリントンパーク競馬場に向かい、ワシントンパークH(D9F)を2着パイパーズサンに2馬身差で勝利。続くアケダクトS(D9F)では、ジョンBキャンベルH勝利後にナッソーカウンティS・サバーバンH・ホイットニーSと連勝街道を突き進んでいたケルソに5馬身半差をつけられて2着に敗れた。

その後は疲労が出たのか調子を崩し、ユナイテッドネーションズH(T9.5F)では、前年の同競走勝ち馬モンゴ、ベルモントフューチュリティS・シャンペンS・カウディンS・フラミンゴSの勝ち馬でケンタッキーダービー2着のネヴァーベンド、1歳年上のケンタッキーダービー・プリークネスS・カウディンS・フロリダダービー・ジェロームH・メトロポリタンH・ホイットニーHの勝ち馬キャリーバックなどに屈して、モンゴの7馬身差8着に敗退。ウッドワードS(D10F)では、勝ったケルソから5馬身差、2着ネヴァーベンドから1馬身半差の3着に終わった(キャリーバックは4着だった)。このレース後に本馬はマーティン・L・ファロン・ジュニア厩舎に転厩した。しかしホーソーン金杯(D10F)では、アドミラルヴィック、ドゥーナットキングなどに屈して、アドミラルヴィックの7馬身差6着に敗退。次走のトレントンH(D10F)では、2着モンゴに2馬身半差をつけて引退の花道を飾ったキャリーバックから13馬身後方の5着に終わった。結局4歳時の成績は18戦5勝だった。

競走生活(5歳時)

5歳時も現役を続け、前年に引き続き西海岸のレースから始動するが、既に往年の力は無かった。初戦のサンカルロスH(D7F)では、アドミラルズヴォヤージ、シラノ、ネイティヴダイヴァーなどに敵わず、勝ったアドミラルズヴォヤージから11馬身差をつけられた8着最下位。続くサンタアニタパーク競馬場ダート8.5ハロンの一般競走は、2着パイレートコーヴに2馬身差で勝利した。しかしサンパスカルH(D8.5F)では、ネイティヴダイヴァー(6着)には先着したものの、前年の同競走を勝っていたオールデンタイムズやドゥーナットキングなどに屈して、オールデンタイムズの5馬身差5着に敗れた。サンタアニタHには出走せずに西海岸を去り、その後は4月にデトロイト競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走に出走したが、ミスマルの4馬身半差3着に敗退。

その後はしばらくレースに出ず、9月にデトロイト競馬場で行われたダート6ハロンのハンデ競走で復帰して、2着ユールックキュートに2馬身半差で勝利した。しかし次走のデトロイト競馬場ダート8.5ハロンのハンデ競走は競走中止。前年は勝利したミシガンマイル&ワンエイスH(D8.5F)では、ゴーイングアブロードとティバルドの同着勝利から22馬身差の11着と大敗した。さらにファイエットH(D8.5F)でスウォーネンの21馬身差8着、ホーソーン金杯(D10F)もゴーイングアブロードの13馬身差8着と見せ場なく敗れ、5歳時9戦2勝の成績で現役生活を終えた。

血統

Spy Song Balladier Black Toney Peter Pan Commando
Cinderella
Belgravia Ben Brush
Bonnie Gal
Blue Warbler North Star Sunstar
Angelic
May Bird Thrush
May Bruce
Mata Hari Peter Hastings Peter Pan Commando
Cinderella
Nettie Hastings Hastings
Princess Nettie
War Woman Man o'War Fair Play
Mahubah
Topaz Uncle
Ruby Nethersole
Papila Requiebro Re-Echo Neil Gow Marco
Chelandry
Corrie Rae Cyllene
Lady Raeburn
Trepadora Tracery Rock Sand
Topiary
Vis a Vis Val d'Or
Kyleakin 
Papalona Papanatas Pippermint St. Mirin
Mostaza
Kouba Flying Fox
Grasse
Tarumba Val d'Or Flying Fox
Wandora
Eglantine The Whirlpool
Indecise

父スパイソングは現役成績36戦15勝、アーリントンフューチュリティ・ホーソーンスプリントH・シカゴH・マートルウッドH・クラングH・ホーソーンスピードHの勝ち馬。短距離戦で2度のコースレコードを樹立しており、基本的に短距離馬だったようだが、ケンタッキーダービーで米国三冠馬アソールトの2着に入った実績もある。種牡馬としては、28頭のステークスウイナーを出して成功した。スパイソングの父バラディアはブラックトニー産駒で、現役成績5戦3勝。ユナイテッドステーツホテルS・シャンペンSでいずれも後の米国三冠馬オマハを破って勝ち、1934年の米最優秀2歳牡馬に選ばれている。

母パピラはサルメン卿所有の亜国産馬で、競走馬としては3歳時にはチリで走りラスオークス(チリオークス)で2着、4・5歳時には米国で走って3勝を上乗せした。引退後は米国で繁殖入りして、7頭の産駒全てが勝ち上がり、本馬の半兄カーディナルシン(父パパレッドバード)【ルイビルH・グレートレイクS・ランドールパークH・レイクエリーH】もステークスウイナーとなるという優れた成績を収めた。また、パピラはなかなかの名牝系の祖ともなっており、本馬の半姉ブルーカナリー(父バイアンドセル)の牝系子孫からは、ティズナウ【BCクラシック(米GⅠ)2回・サンタアニタH(米GⅠ)・スーパーダービー(米GⅠ)】を筆頭に、スウィングティルドーン【チャールズHストラブS(米GⅠ)・ワイドナーH(米GⅠ)】、ライブリーワン【スワップスS(米GⅠ)】、ディアレストトリックスキー【ラブレアS(米GⅠ)】、ペインター【ハスケル招待S(米GⅠ)】、オクスボウ【プリークネスS(米GⅠ)】などのGⅠ競走勝ち馬が登場している。また、本馬の半妹シスターサタン(父ハイバンディット)の牝系子孫からも、GⅠ競走勝ち馬こそ出ていないものの、多くのグレード競走勝ち馬が出ている。→牝系:F26号族

母父リキエブロは南米で走り、亜国の大レースであるナシオナル大賞を勝利している。リキエブロの父リエコーは亜国の名種牡馬であり、その父は英2000ギニー・エクリプスSを制した名馬ネイルゴー。さらに遡ると、マルコを経てバーカルディンに辿りつく血統。本馬は父がヒムヤー系、母父がマッチェム系という貴重な血統の持ち主である。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のクリムゾンキングファームで種牡馬入りした。種牡馬としてもまずまずの成績を収めた。1982年に23歳で他界して、遺体はクリムゾンキングファームに埋葬された。

牡馬の活躍馬が少なく直系は既に途絶えたが、繁殖牝馬の父としては、名種牡馬マウントリヴァーモア、BCマイルの勝ち馬ロイヤルアカデミーを出している。また、ロイヤルアカデミーの母でもある牝駒のクリムゾンセイントは大種牡馬ストームキャットの祖母ともなった。また、牝駒のスカーレットインクは繁殖牝馬として日本に輸入され、桜花賞トライアル四歳牝馬特別勝ち馬スカーレットリボンと重賞4勝のスカーレットブーケ(ダイワルージュ、ダイワメジャー、ダイワスカーレットの母)の母、スカーレットレディ(サカラート、ヴァーミリアン、キングスエンブレム、ソリタリーキング4兄弟の母)の祖母、トーセンジョウオー、クォークスター、ダイワファルコンといった重賞勝ち馬達の曾祖母となり、日本競馬界に大きな足跡を残している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1966

Oil Power

ホーソーンダービー・ローレンスリアライゼーションS

1966

Towzie Tyke

ナッソーカウンティH

1969

Krislin

デラウェアH(米GⅠ)・ヴェイグランシーH(米GⅢ)・ディスタフH(米GⅢ)

1971

Relent

フォールハイウェイトH(米GⅡ)

1972

Flama Ardiente

フォールズシティH(米GⅢ)

1980

Burst of Colors

スワニーリヴァーH(米GⅢ)

TOP