トーマンバイ

和名:トーマンバイ

英名:Thormanby

1857年生

栗毛

父:ウインドハウンド

母:アリスホーソン

母父:ムーリーモロク

尾花栗毛の英ダービー・アスコット金杯勝ち馬は優れたスピードと特徴的な黒い斑点をベンドアやザテトラークなどの子孫に伝える

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績24戦14勝2着4回3着4回(異説あり)

誕生からデビュー前まで

英国ヨークシャー州のカウストンロッジスタッドにおいてベンジャミン・プラマー氏により生産された。母が名牝アリスホーソンという血統の持ち主ではあったが、幼少期の評価はそれほど高くなかったようである。体格は細身であまり見るべきところは無く、脚はひょろ長かった。尾花栗毛の派手な毛色の馬体のところどころに黒い斑点があり、不思議な形の流星が目立つ馬だった。

1歳時のドンカスターセールに出品された本馬に目を付けたのは、後に英国有数の名伯楽として、数々の名馬やフレッド・アーチャー騎手を筆頭とする名騎手を育てることになるマシュー・ドーソン調教師だった。調教師だった父の元で下積み生活を送ったドーソン師は20歳になる前に独立して厩舎を構え、しばらくは芽が出なかったが、40歳を目前にしたこの時期にようやく頭角を現してきていた。本馬はドーソン師により350ポンドで購入され、ドーソン師の顧客の1人だったスコットランドの政治家ジェームズ・メリー氏の所有馬となった。しかしメリー氏は本馬をあまり評価しなかったようで、本馬の購入資金や預託金をしばらくドーソン師に支払わず、ドーソン師は数か月間自腹で本馬を飼育する事になった。

本馬は体格こそぱっとしなかったが、非常に身体が柔らかい馬で、気性は従順で、しかも頑丈だったために、厳しい訓練にもよく耐えた。

競走生活(2歳時)

メリー氏は2歳戦から所有馬をこき使う事で知られた人物で、本馬も2歳の春には競走馬としてデビューする事になった。まずはノーザンプトン競馬場で190ポンドパースに出走して、デビュー戦勝利を収めた。ヨーク競馬場で出走した次走のバイエニアルSでは、後に英オークスを勝ち3歳にしてアスコット金杯で2着するバタフライを下して勝利した。チェスター競馬場で出走したモスティンSでは、後に名種牡馬スターリングの父となるオックスフォードを首差の2着に抑えて勝利。エプソム競馬場で出走した2歳スウィープSでは3着だった。6月にはアスコットバイエニアルSに出走して、後に3歳にしてアスコット金杯を勝つ牝馬ルピーを3馬身差の2着に下して勝利した。しかしニューS(T5F)ではルピーに雪辱されて2着だった。翌7月にはグッドウッド競馬場でラヴァントSに出走して勝利。フィンドンSでは3着だった。

8月にはヨーク競馬場に向かい、コンビビアルSに出走して3着した後、エグリントンSを勝利。ジムクラックS(T6F)では、後のドンカスターC3着馬ヴァンクイッシャーを1馬身差の2着に、後にグッドウッドC・スチュワーズCを勝つスイートソースを3着に破って勝利した。秋にはニューマーケット競馬場に向かい、クリアウェルSに出走して3着。引き続き出走したプレンダーガストS(T5F)では、後の英オークス3着馬コンタディーナを2着に、英シャンペンSの勝ち馬キングオブダイヤモンズを3着に破って勝利を収めた。さらにデューハーストプレートもミドルパークプレートも無かったこの時代におけるニューマーケット秋季開催最大の2歳戦だったクリテリオンS(T6F)に出走して、2着サンダーボルトに1馬身差で勝利。2歳時は14戦9勝の成績を残した(15戦10勝とする資料もあるが、同資料中の具体的な出走履歴が14戦しか記載されていないため、別資料に従い14戦とした)。

競走生活(3歳時)

3歳シーズン序盤はレースに出走せず、ひたすら英ダービーに向けて調整が行われていた。本馬が不在の英2000ギニーを優勝したザウィザードが英ダービーの前売りオッズでも人気を集めていたが、ザウィザードについて聞かれたドーソン師は、本馬が調教で絶好調だった事もあり、「恐れるような相手ではありません」と答えた。彼が恐れていたのはザウィザード贔屓の人間が本馬に危害を加える事であり、本馬に調教で騎乗する騎手の服を切り替えて他者の眼を誤魔化すなど、様々な本馬保護の方策を打った。

そして迎えた英ダービー(T12F)では、ザウィザードが単勝オッズ4倍の1番人気で、本馬は単勝オッズ5倍の2番人気となっていた。他にも、モールコームS・ジュライSの勝ち馬で後にハンガリーの大種牡馬となるバッカニア、後のアスコットゴールドヴァーズの勝ち馬ホラー、後のエボアHの勝ち馬ライジングサン、後のグッドウッドSの勝ち馬ウォーレス、米国の大種牡馬レキシントンの競走馬時代の所有者として知られるリチャード・テン・ブロック氏が送り込んできた後にクイーンズスタンドプレートを勝つ米国産馬アンパイアなどが参戦していた。エプソム競馬場に詰めかけた48万人の観衆が見守る中でスタートが切られると、英ダービー初騎乗のハリー・カスタンス騎手が手綱を取る本馬は、逃げ馬を見る形で先行した。そして直線に入ってから外側に持ち出すと、残り1ハロン地点でザウィザードを抜き去った。最後は2着ザウィザードに1馬身半差、3着ホラーにはさらに4馬身差をつけて優勝した。ドーソン師にとっては20歳時に初めて管理馬を英ダービーに出走させてから20年目にしての英ダービー初制覇となった。このレースにおける本馬の仕上がりは素晴らしく、「栗毛の馬体が鏡のように光り輝いていた」「地に脚をつけて走っているように見えなかった」と評された。当初は本馬を評価していなかったメリー氏もこの時期には本馬の実力を高く評価するようになっており、本馬の単勝にしこたま賭けて、英ダービーの優勝賞金6050ポンドを大きく上回る7万ポンドとも8万5千ポンドとも言われる巨利を得たという。メリー氏はドーソン師に対して1000ポンド、カスタンス騎手に対して100ポンドの報奨金を与えたが、これが彼等の努力に見合う金額かどうかは微妙である。

英ダービーの後、本馬は英セントレジャーまで一度もレースに出なかった。この英セントレジャー(T14F132Y)で本馬は、英ダービー2着後にアスコットダービーを勝っていたザウィザード、グレートメトロポリタンH・チェスターC・ニューマーケットSの勝ち馬セントオールバンズといった面々を抑えて、単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持された。しかしレースでは3番手で直線を向くも失速して、勝ったセントオールバンズから4馬身差、3着ザウィザードから2馬身1/4差の5着に終わり、ドンカスター競馬場に詰め掛けた観衆に悲鳴を上げさせた。この2日後にはドンカスターC(T20F)に出走したが、7ポンドのハンデを与えた同世代の牡馬サブラーに直線で届かず、3馬身差をつけられて2着に敗れた。その後はニューマーケット競馬場に移動してグランドデュークマイケルSに出走したが、本馬と同斤量で勝ったザウィザードに2馬身差をつけられた2着に終わった。引き続きニューマーケット競馬場で出走したスウィープSでも2着に敗退。3歳時は5戦して勝ち星は英ダービーの1勝のみとなった。

競走生活(4歳時)

4歳時は4月にニューマーケット競馬場で行われたクラレットSから始動して、2着アンパイアに30馬身差をつける大圧勝劇を演じた。ニューマーケット競馬場ではその後2回レースに出たが、いずれも対戦相手が現れずに単走で勝利した。6月にはアスコット金杯(T20F)に挑戦。英セントレジャーで屈した相手であるセントオールバンズ、この年のグレートメトロポリタンHをトップハンデで勝っていたパルメザン、前年暮れのシザレウィッチHを勝っていた牝馬ダルシベラなどを抑えて、単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持された。レースでは序盤に行き脚が付かず、鞍上のカスタンス騎手を慌てさせた。しかし直線に入ると自らスパートして前を行くパルメザンを抜き去り、遅れて追い込んできた英1000ギニー2着・英オークス3着の3歳牝馬フェアウォーターを2馬身差の2着に、パルメザンをさらに2馬身差の3着に下して勝利した。その後はグッドウッドC(T21F)に出走したが、前述のブロック氏が送り込んできた米国産馬スタークの4着に終わり、首差2着に入ったザウィザードにも先着を許した。このレースを最後に4歳時5戦4勝の成績で競走馬を引退した。

本馬の競走馬引退後、英国の「ザ・フィールド」紙は本馬に対して「世界で最良の馬」という評価を与えた。本馬の競走馬引退から25年後の1886年6月に、英スポーティングタイムズ誌が競馬関係者100人に対してアンケートを行うことにより作成した19世紀の名馬ランキングにおいては、第17位にランクインした。

血統

Windhound Pantaloon Castrel Buzzard Woodpecker
Misfortune
Alexander Mare Alexander
Highflyer Mare
Idalia Peruvian Sir Peter Teazle
Boudrow Mare 
Musidora Meteor
Maid of All Work
Phryne Touchstone Camel Whalebone
Selim Mare
Banter Master Henry
Boadicea
Decoy Filho da Puta Haphazard
Mrs.Barnet
Finesse Peruvian
Violante
Alice Hawthorn Muley Moloch Muley Orville Beningbrough
Evelina
Eleanor Whiskey
Young Giantess
Nancy Dick Andrews Joe Andrews
Highflyer Mare
Spitfire Beningbrough
Milfield Mare
Rebecca Lottery Tramp Dick Andrews
Gohanna Mare
Mandane Pot-8-o's
Young Camilla
Cervantes Mare Cervantes Don Quixote
Evelina
Anticipation Beningbrough
Expectation

父ウインドハウンドは競走馬としての詳細な経歴は不明だが、あまり活躍しなかったようである。活躍馬が多数出ている優秀な牝系の出身で、その血統が評価されて種牡馬入りしたようである。種牡馬としては繋養先のカウストンロッジスタッドに当時メルボルンがいたため、目立たなかったが、メルボルンが高齢になると代わりの種牡馬として活用されるようになった。名牝アリスホーソンも当初メルボルンと交配されながらすぐにウインドハウンドと交配されたりしている。その結果誕生したのが本馬であり、本馬の父はメルボルンなのかウインドハウンドなのかは公式には確定できない。ウエストオーストラリアンを始めとするメルボルン産駒の大半が鹿毛(メルボルン自身は黒鹿毛)なのに対して、本馬は栗毛である事から、一般的には本馬の父は栗毛馬であるウインドハウンドだとされているようである。ただし、アリスホーソンは鹿毛だが、アリスホーソンの3代母などは栗毛である。鹿毛因子の方が栗毛因子よりも優勢であるため、鹿毛因子と栗毛因子を両方有する馬の毛色は鹿毛になる(鹿毛同士の両親から栗毛馬が産まれる事があったり、栗毛同士の両親からは栗毛馬しか産まれなかったりするのはそのため)事を考えると、アリスホーソンが栗毛因子を有していなかったという証拠は無く(メルボルンが栗毛因子を有していなかったのは、産駒の毛色の傾向からしてほぼ確実だろうがこれも断定は出来ない)、本馬が栗毛だから栗毛馬が父だとは言い切れないのが本当である。仮に本馬の父がメルボルンだとすると、ウインドハウンドはヘロド系だがメルボルンはマッチェム系であり、本馬の血を引くサラブレッドは星の数ほどいるため、サラブレッド血統表は大きく塗り替えられてしまう。もっとも、確率論的には本馬の父はメルボルンではなくウインドハウンドである可能性が高いのは事実なので、ここではこれ以上踏み込まないこととする。なお、本馬の姉でボナヴィスタなど数々の活躍馬の牝系先祖となったレディホーソンはウインドハウンド産駒で間違いないようである。

ウインドハウンドは本馬とレディホーソン以外には、アスコットダービー・セントジェームズパレスSを勝ったスタッグハウンドを出している。ウインドハウンドの父パンタルーンは現役成績7戦6勝、種牡馬としても成功している。さらに遡ると、キャストレル(セリムの1歳上の全兄)、バザード、ウッドペッカーを経てヘロドへと行きつく。

アリスホーソンと母父ムーリーモロクはアリスホーソンの項を参照。→牝系:F4号族③

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、ヘンリー・トンプソン氏とジョージ・トンプソン氏の父子がヨークシャー州に所有していたムーアランドスタッドで種牡馬入りした。トンプソン父子は、有名なブックメーカーのジョン・ジャクソン氏(本馬より4歳年下のブレアアソールに惚れ込んで種牡馬として購入する人物)の援助を受けて本馬を種牡馬として繋養する事に成功したようである。後にはダーラム州ダーリントン近郊にあるクロフトスタッド、ニューマーケットにあるパークパドックなどでも種牡馬生活を送った。本馬は1869年の英首位種牡馬に輝くなど種牡馬としても成功を収め、1875年に18歳で他界した。

本馬は英ダービーやアスコット金杯を勝ってはいるが、基本的にはスピード馬だったようで、産駒もマイル以下の距離における活躍が目立ち、マイルを越える距離では成績が良くなかった。本馬の直系は代表産駒の一頭アトランティックが仏国に輸出されてサイアーラインを伸ばし、末裔から稀代の快速馬ザテトラークが出現した。また、牝駒のローグローズがベンドアの母となるなど繁殖牝馬として大きく成功している(ローグローズは実はベンドアの母ではないかも知れないのだが、ローグローズの牝系子孫が大きく発展しているのは確実である)。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1867

Hester

英1000ギニー・ジムクラックS

1867

Normanby

オールエイジドS

1867

Sunshine

コロネーションS・ジュライS・英シャンペンS

1870

Albani

ナッソーS

1871

Atlantic

英2000ギニー・アスコットダービー

1871

Thuringian Prince

ロイヤルハントC

1875

Bonnie Scotland

セントジェームズパレスS

1876

Charibert

英2000ギニー・クイーンズスタンドプレート・ジュライC2回・英シャンペンS・オールエイジドS

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