ミルハウス

和名:ミルハウス

英名:Mill House

1957年生

鹿毛

父:キングハル

母:ナスナリオー

母父:カリフ

英愛の障害競走ナショナルハント史上屈指の実力馬でありながら同世代馬アークルの引き立て役になってしまった「障害競走史上最も偉大なナンバー2」

競走成績:4~11歳時に英で走り通算成績34戦16勝2着6回3着2回

英愛の障害競走ナショナルハント史上において十指に入る強豪馬であるとされるが、同世代に史上最強の名障害競走馬アークルがいたために、好敵手の引き立て役になってしまった面が強い「障害競走の偉大なるナンバー2」。ナンバー1のアークルに関しては基礎資料・参考資料共に豊富だが、ナンバー2の本馬はそれとは比較にならないほど資料が少なく、詳しい紹介は出来ない。

誕生からデビュー前まで

愛国ダブリン郊外のバリーマコルスタッドにおいてメアリー・アリソン・ベイカー夫人により生産された。この牧場名と生産者名はアークルと同じであり、アークルと本馬が同世代である事を鑑みると、2頭は幼少期に一緒に遊んだ仲である可能性もある。しかし本馬の生誕地と生産者名に関しては異説があり、愛国キルデア郡パンチェスタウンにおいて、ブリジット・ローラー夫人により生産されたとする資料もある。いずれが正しいのかは筆者には判断不能である。いずれにしてもウィリアム・H・ゴーリングス氏という人物の所有馬となり、英国フルーク・トーマス・ティンダル・ウォールウィン調教師に預けられた。生産者がアークルと同じかどうかは定かではないが、所有者と調教師は確実に別である。

ウォールウィン師は元々アマチュアの騎手で、1936年の英グランドナショナルでは前年優勝馬レイノルズタウンに騎乗して、見事にレイノルズタウンを2連覇に導いていた。後にプロ騎手に転向したが、間もなく落馬事故で頭蓋骨骨折の重傷を負い、一命は取り留めたが騎手引退を余儀なくされた。その後は英国ウエストバークシャー州ランボーンに厩舎を購入して障害調教師に転身。すぐさま頭角を現し、5度の英愛障害首位調教師に輝くなど、全時代を通じて最も成功した障害調教師とまで呼ばれるようになった。そんな彼に預けられたわけであるから、本馬は最初から障害競走馬になる事が運命づけられており、最初からナショナルハントの競走しか走らなかったそうである。

本馬は成長するとなんと体高18ハンドに達したとんでもなく背が高い巨漢馬だった。そのために斤量には強かったが、自分の体重を脚で支えきれずにしばしば脚部不安を発症していたという。

競走生活(62/63・63/64シーズン)

好敵手のアークルは最初にハードル分野を走ってからスティープルチェイスに転向したが、本馬はハードルにおいては特にこれといった勝ち鞍が無い上に、アークルがチェイスに参入した時点で既にチェイス界の最強馬として名を馳せていた事から、最初からチェイスを走っていた可能性もある。筆者が確認できた範囲内において本馬の名前が最初に現れるレースは、1963年のチェルトナム金杯(26F130Y)である。しかしもちろん定量戦としては英国最大のチェイス競走であるチェルトナム金杯にいきなり参戦したわけはなく、その前に着実に実績を積み重ねているはずである。このレースには、チャンピオンチェイス2回・愛グランドナショナルを勝っていたフォートリアという強敵が出走していた。しかしレースは本馬の独壇場。主戦のウィリー・ロビンソン騎手を鞍上に、後続馬に10馬身程度の差をつけて先頭で直線に入ってくると、直線途中にある最終障害も難なく飛越し、2着フォートリアに12馬身差をつけて圧勝した。

翌1963/64シーズンの11月にニューベリー競馬場で出走したヘネシー金杯(26F82Y)では、ブロードウェイノービスチェイスを20馬身差で圧勝していたアークルと初めて顔を合わせた。斤量は本馬がアークルより5ポンド重かったが、蓋を開けてみれば本馬がアークルを8馬身ちぎる圧勝だった。アークルが敗れた一報を耳にしたアークルの地元愛国の競馬ファンは、ミルハウスという馬は一体どれだけ強いのかと驚いたという。

引き続きケンプトンパーク競馬場でキングジョージⅥ世チェイス(24F)に出走した。本馬を恐れたのか対戦相手は僅か2頭で、アークルも不参戦だった。結果は本馬が2着ブルードルフィンに20馬身差をつけて大圧勝した。年明けにサンダウンパーク競馬場で出走したゲインズボローチェイス(26.5F)も勝利した。

そしてチェルトナム金杯(26F130Y)に2連覇を目指して出走した。対戦相手は、アークル、4年前の同競走の勝ち馬パスールなど3頭だけだった。レースは本馬が快調に先頭を飛ばし、アークルがそれを追ってくる展開となった。しかし最終障害でアークルが本馬に並び、そして飛越後に突き抜けていった。本馬はアークルに5馬身差をつけられて2着に敗れてしまった。

競走生活(64/65~67/68シーズン)

翌64/65シーズンにもヘネシー金杯(26F)に出走。アークルも前年と同じく出走してきた。結果はアークルが圧勝し、本馬は28馬身差をつけられた4着と完敗した。その後はゲインズボローチェイス(26.5F)を勝利。

そして2年ぶりの勝利を目指してチェルトナム金杯(26F87Y)に出走した。アークルも2連覇を目指して参戦してきた。レースは最後から2番目の障害まで本馬とアークルが並走していたが、ここからアークルがどんどん本馬を引き離していった。最後は20馬身差をつけられて2着に敗退してしまった。

翌65/66シーズンは、11月のギャラハー金杯(24F)で、アークルと5度目の対戦となった。アークルの斤量は175ポンドで、本馬は159ポンドだった。しかしそれでも結果はアークルが圧勝し、本馬は24馬身差をつけられて完敗を喫した。その後は脚部不安のために長期休養入りし、年明けのチェルトナム金杯には参加しなかった。本馬不在のチェルトナム金杯はアークルが勝って3連覇を達成した。

翌66/67シーズンの後半に復帰したが、アークルはこのシーズンの前半に出走したキングジョージⅥ世チェイスで故障して長期休養入り(結局復帰できずにそのまま引退)していたため、本馬と対戦する機会は二度と無かった。復帰した本馬はまずゲインズボローチェイス(26.5F)を勝利。そして4年ぶりの勝利を目指してチェルトナム金杯(26F76Y)に参戦した。アークルがいないため絶好の機会のはずだったが、道中で飛越に失敗して競走中止(勝ち馬ウッドランドヴェンチャー)となってしまった。翌4月にはサンダウンパーク競馬場でウィットブレッド金杯(29F110Y)に出走。このレースでは逃げ切って1馬身3/4差で勝利を収めた。

翌67/68シーズンも現役を続けたが、脚部不安がさらに悪化しており、飛越に失敗する事が増えていた。チェルトナム金杯(26F76Y)では、2年連続で競走中止(勝ち馬フォートレニー)。ウィットブレッド金杯(29F110Y)でも競走中止(勝ち馬ラーボウン)となり、このシーズン限りで競走馬を引退した。

競走馬としての評価と特徴

本馬はアークルの陰に隠れた存在ではあるが、欧州のスティープルチェイス分野においては歴代屈指の実力馬として評価されている。英タイムフォーム社のチェイス分野において本馬に与えられたレーティングは191ポンドで、212ポンドのアークル、210ポンドのフライングボルトに次いで、20世紀中では3位の評価だった。21世紀に入って2009年にコートスターが191ポンドを獲得したが本馬を上回ることは出来ず、2013年にスプリンターサクレが192ポンドを獲得したために、ようやく本馬の順位は変動して2015年現在は第4位タイとなっている。コートスターほど怪物じみた馬でも更新には至らなかったわけであり、今後も本馬の評価を上回る馬は滅多に出てきそうにはない。この本馬の評価の高さが、アークルの飛び抜けた評価に繋がっているのも事実である。

本馬はそのあまりの巨体から、“The Big Horse(でかい馬)”という身も蓋も無い愛称で呼ばれていた。飛越自体はアークルより本馬のほうが断然上手だった(当時のレース映像を見ても明確である)ようだが、平地の脚で後れを取っていた。また、その巨体が災いして脚部不安を抱えており、それが現役生活終盤の飛越能力低下に直結していたようである。勝ったウィットブレッド金杯にしても、障害飛越時に体勢を崩す場面がしばしば見られ、かつてチェルトナム金杯を勝った時や同競走でアークルと戦った時とは別馬のようになっていた。

血統

King Hal Windsor Lad Blandford Swynford John O'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Blanche White Eagle
Black Cherry
Resplendent By George Lally
Queen's Holiday
Sunbridge Bridge Of Earn
Sunshot
Mary Tudor Pharos Phalaris Polymelus
Bromus
Scapa Flow Chaucer
Anchora
Anna Bolena Teddy Ajax
Rondeau
Queen Elizabeth Wargrave
New Guinea
Nas Na Riogh Cariff Achtoi Santoi Queen's Birthday
Merry Wife
Achray Martini-Henry
Acme
Carnlough Cygnus Sunstar
Mangalmi
Carnmoney Sir Edgar
Glenavy
Breviary His Reverence Duncan Grey Pommern
Sibyl Grey
Reverentia Grand Parade
Reverence
Short Step Hurry On Marcovil
Tout Suite
Naine Bachelor's Double
Queen Of The Earth

父キングハルはウインザーラッド産駒で、現役成績は7戦1勝。競走馬としては至って平凡だったが、母が仏1000ギニー・ヴェルメイユ賞を勝った名牝メアリーテューダーである上に、1歳年下の半弟が英ダービー・アスコット金杯を勝ったオーエンテューダーという血統背景が評価されて種牡馬入りしたようである。しかし平地競走馬としての父としては成功しなかった。

母ナスナリオーの競走馬としての経歴は不明。近親の活躍馬には乏しく、ナスナリオーの5代母まで遡って1885年の英オークス馬ロンリーの名前が出てくる。ロンリーの牝系子孫出身馬で、日本で最も著名なのはタマモクロスとミヤマポピーの兄妹で、他には、米国の名種牡馬インリアリティ、グラスワンダーの父シルヴァーホーク、米国三冠馬アメリカンファラオの父パイオニアオブザナイル、中山大障害の勝ち馬ファンドリナイロなどもいる。→牝系:F21号族①

母父カリフは1934年の愛2000ギニー馬で、他に愛ナショナルSを勝ち、愛セントレジャーで2着している。カリフの父アクトイはディーS・ニューマーケットセントレジャーの勝ち馬で、愛ダービーで2着、英セントレジャーで英国三冠馬ポマーンの3着している。さらに遡ると、アスコット金杯の勝ち馬サントイ、ドンカスターCの勝ち馬クイーンズバースデー、ストックトンHの勝ち馬ハギオスコープ、グッドウッドCの勝ち馬で1878年の英首位種牡馬スペキュラムを経て、ヴェデットに行きつく。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬のその後に関しては、1975年に18歳で他界したという事しか伝わっていない。アークルが競走馬引退後に関してもその動向が明確であるのとは対照的である。やはりこれはナンバー2の宿命なのだろうか。

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