キングストン
和名:キングストン |
英名:Kingston |
1884年生 |
牡 |
黒鹿 |
父:スペンドスリフト |
母:カパンガ |
母父:ビクトリアス |
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とにかく頑健に走り138戦して89勝を挙げサラブレッドの北米最多勝利記録を樹立したのみならず種牡馬としても2度の北米首位種牡馬に輝く |
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競走成績:2~10歳時に米で走り通算成績138戦89勝2着33回3着12回 |
誕生からデビュー前まで
米国ケンタッキー州レキシントン郊外のキャッスルトンスタッドにおいてジェームズ・R・キーン氏により生産された。体高は15.75ハンドで、バランスが取れた馬体と優れた脚力を有していたようである。名馬産家だったキーン氏も当時は財政難に陥っており、彼は1歳になった本馬を売却に出した。そして調教師のエヴァート・スネデッカー師とJ・F・クッシュマン氏の両名により購入された。
競走生活(2・3歳時)
2歳時にデビューし、この年は6戦してカムデンS(D6F)・セレクトS(D6F)と2勝、負けたレースも全て2着という安定した走りを見せた。セレクトSではこの年のグレートイースタンH・ケンタッキーSの勝ち馬キングフォックスを2着に破っている。もっとも、同世代には2歳時13戦全勝のトレモント、ハノーヴァーという強豪馬がおり、本馬は彼等の陰に隠れた存在だった。サプリングS(D6F)ではハノーヴァーに敗れ、ジュニアチャンピオンS(D6F)ではトレモントにも土をつけられている。フラットブッシュS(D7F)では、キングフォックスにも借りを返されている。シーブライトS(D6F)では、レッドバンクSの勝ち馬ベルヴィデーレには先着するも、サプリングSで3着だった牝馬アウストリアーナの2着に敗れた。
3歳になった本馬は、トレモントとハノーヴァーの所有者だったフィル・ドワイヤー氏とマイク・ドワイヤー氏の兄弟により1万2500ドルで購入され、フランク・マッケイブ調教師の管理馬となった。これにより本馬とハノーヴァーは同僚になり(トレモントは故障のため3歳早々に引退している)、以降この2頭が直接対決する機会は殆ど無かった。3歳時のスウィフトSとタイダルSでハノーヴァーがいずれも本馬を2着に破って勝利した記録があるが、これは所有権移転前である可能性が高い。ドワイヤー兄弟が本馬を購入した理由は、ハノーヴァーを倒す可能性がある馬を味方に引き入れて使い分けるためでもあったと考えられているからである。
3歳以降の本馬は馬を酷使する事で有名だったドワイヤー兄弟の方針に基づき、黙々とレースに出走して勝ち星を積み重ねていく。なお、本馬はその出走レース数の多さに比べるとステークス競走に出走した回数が少なく、無名の一般競走やハンデ競走への出走が主体だったようである。ハノーヴァーが表舞台にいたから本馬が裏路線を進んだとも考えられるが、ハノーヴァーが競走馬を引退した後も本馬はやはり裏路線を進んでいるから、ドワイヤー兄弟は本馬の最大の長所である頑健さを最大限に活用するために質より量のレース選択をした可能性が高い。
3歳時の主な勝ち鞍は、新設競走ドルフィンS(D9F)とセプテンバーS(D14F)だった。ドルフィンSでは、この年のファンコートランドS・ウエストチェスターH・フォーダムH・ロングブランチH・デラウェアH・リーパーズSを勝つベルヴィデーレを2着に破っている。しかし、スウィフトS(D7F)・タイダルS(D8F)ではいずれも前述のとおりハノーヴァーの2着に敗れている。特にスウィフトSでは勝ったハノーヴァーに10馬身差をつけられてしまっている。この年のハノーヴァーの強さは神懸かっており、15馬身差とも30馬身差とも言われる着差でベルモントSを勝つなど27戦20勝の成績を挙げており、3歳時における本馬は前年同様にハノーヴァーには敵わなかった。ただし、このスウィフトSには同世代の名牝フィレンツェも出走して3着になっており、本馬はこれには先着している。3歳時の成績は18戦13勝2着2回3着2回だった。
競走生活(4・5歳時)
4歳時の主な勝ち鞍は、ベヴェウィクS(D10F60Y)・カリフォルニアS(D8F)・エクセルシオールS(D10F)だった。カリフォルニアSは名前からしてカリフォルニア州で行われたレースに見えるが、ニューヨーク州サラトガ競馬場で施行されたものである。このレースには2歳年上のアメリカンダービーの勝ち馬ヴォランテも出走していたが、本馬がそれを3着に破って勝っている。エクセルシオールSでは、セントルイスダービー・シェリダンS・ドレクセルSを勝っていた同世代馬テラコッタを2着に、この年のサバーバンHの勝ち馬エルクウッドを3着に破っている。米チャンピオンS(D12F)ではフィレンツェの2着に敗退。マーチャンズS(D13F)では、3着テラコッタには先着したものの、エルクウッドに敗れて2着だった。フィレンツェに加えて、1歳年上のプリークネスS・レッドバンクS・ディキシーS・ジェロームH・オムニバスS・セプテンバーS・スピンドリフトS・フリーホールドSなどの勝ち馬ザバードとの対戦となったオーシャンS(D9F)では、3着フィレンツェには先着したものの、ザバードに敗れて2着だった。ロングブランチH(D10F)では、この年はデラウェアHを勝っていたベルヴィデーレ、エルクウッドの2頭に屈して、ベルヴィデーレの3着だった。4歳時の成績は14戦10勝2着3回3着1回だった。
5歳時の主な勝ち鞍は、ファーストスペシャルS(D10F)・オリエンタルH(D10F)だった。ファーストスペシャルSでは、結果は名手アイザック・マーフィー騎手とコンビを組み、1歳年下のセントルイスフューチィリティ・アーリントンホテルS・キャピタルSの勝ち馬で後年になって前年の米最優秀2歳牡馬に選ばれるレースランドを2着に、2年後のブルックリンHを勝つテニーを3着に破り、グレーヴセンド競馬場ダート10ハロンのコースレコード2分06秒5(全米レコードでもあった)を計時して勝っている。オリエンタルHでは、スピナウェイS・タイロS・ケナーS・ラトニアダービー・ミラーS・モンマスオークス・フォックスホールSの勝ち馬でこの年のエクセルシオールS・米チャンピオンSも勝つ名牝ロサンゼルスを2着に破っている。5歳時の成績は15戦14勝2着1回で、後年になってザバードと並んでこの年の米最優秀ハンデ牡馬に選ばれている。同い年のハノーヴァーはこの年限りで競走馬を引退したが、本馬はその後も以前と同等かそれ以上のペースでレースに出走を続け、やはり勝ち星を積み重ねていった。
競走生活(6~10歳時)
6歳時の主な勝ち鞍は、ファーストスペシャルS(D10F)・カルバーS(D6F)だった。ファーストスペシャルSでは、この年のジェロームH・ローレンスリアライゼーションSの勝ち馬トーナメントを2着に、この年のセカンドスペシャルS・カリフォルニアS・ベヴェウィクSを勝つロサンゼルスを3着に破って勝利している。エクセルシオールSでは、前年の同競走でハノーヴァーを2着に破って勝っていたロサンゼルスに2連覇を許して2着に敗れたが、これがこの年における本馬の唯一の黒星だった。6歳時の成績は10戦9勝2着1回で、後年になってこの年も米最優秀ハンデ牡馬に選ばれている。この年はサルヴェイターとの同時選出だったが、2歳年下の名馬サルヴェイターと本馬が対戦したという記録は無い。なお、この年の途中に本馬は、生産者キーン氏のキャッスルトンスタッドとドワイヤー兄弟の共同所有馬になっているようである。ドワイヤー兄弟は所有馬をレースに出す事には熱狂的だったが、馬産にはまったく興味が無かった事でも知られていたから、これは本馬が引退して種牡馬入りする際の事を見据えたのではないかと思われる。管理調教師もハーディ・キャンベル・ジュニア師に代わっている。
7歳時の主な勝ち鞍はセントジェームズホテルS(D10F)のみで、キングトーマスという馬との2頭立てで勝っている。オーシャンS(D9F)では、この年のブルックリンHの勝ち馬テニーとの2頭立てで敗れた。ガーフィールドパークS(D9F)では、牝馬マリオンシーの2着に敗れた。上記以外には、シープスヘッドベイ競馬場ダート5.5ハロン53ヤードのハンデ競走で、139ポンドを背負いながらも1分08秒0の全米レコードを樹立している。7歳時の成績は21戦15勝2着5回3着1回だった。
8歳時以降はステークス競走に出ることは無くなったが、それでも本馬は黙々と走り続けて勝ち星を増やしていった。8歳時は20戦して13勝2着6回3着1回の成績を残した。9歳時は25戦して9勝2着8回3着5回の成績を残した。10歳時は9戦して4勝2着3回2着2回の成績を残した。そしてこの年限りでようやく長い長い競走生活に終止符を打った。
なお、ダート7ハロンの全米レコードも樹立しているようであるが、何歳時のどのレースでどんなタイムで勝ったのかは資料不足で不明である。本馬の挙げた89勝というのは北米におけるサラブレッド最多勝利記録であり、今後も破られる事は無いと思われる(世界記録はプエルトリコのガルゴジュニアが樹立した137勝)。また、本馬は4着以下に敗れた事は僅か4回であり、しかもうち3回は明らかに競走馬としての全盛期を過ぎていると思われる9歳時のものであり、その故障知らずの頑健ぶりと安定した走りは他に類を見ないと言っても過言ではないほどである。
さらに、本馬に騎乗した騎手(具体的な騎手名は資料に無い)は「(自分が騎乗した馬の中で)最も勇敢で、かつ、最も誠実だった」と評しており、その気性面や精神面における優秀さも見逃す事はできないようである。
スタミナも有していたが、どちらかと言えばスピードに勝った馬だったようで、ステークス競走への出走が少ないのはそれも一因ではないかと推察される(ステークス競走は比較的長距離戦が多く、下級競走は短距離戦が多い)。本馬の獲得賞金総額は14万195ドルに達し、同僚だったハノーヴァーが樹立していた北米賞金記録を更新している。
血統
Spendthrift | Australian | West Australian | Melbourne | Humphrey Clinker |
Cervantes Mare | ||||
Mowerina | Touchstone | |||
Emma | ||||
Emilia | Young Emilius | Emilius | ||
Shoveler | ||||
Persian | Whisker | |||
Variety | ||||
Aerolite | Lexington | Boston | Timoleon | |
Sister to Tuckahoe | ||||
Alice Carneal | Sarpedon | |||
Rowena | ||||
Florine | Glencoe | Sultan | ||
Trampoline | ||||
Melody | Medoc | |||
Haxall's Moses Mare | ||||
Kapanga | Victorious | Newminster | Touchstone | Camel |
Banter | ||||
Beeswing | Doctor Syntax | |||
Ardrossan Mare | ||||
Jeremy Diddler Mare | Jeremy Diddler | Jerry | ||
Marpessa | ||||
Voltaire Mare | Voltaire | |||
Blucher Mare | ||||
Kapunda | Stockwell | The Baron | Birdcatcher | |
Echidna | ||||
Pocahontas | Glencoe | |||
Marpessa | ||||
Adelaide | Melbourne | Humphrey Clinker | ||
Cervantes Mare | ||||
Brutandorf Mare | Brutandorf | |||
Esmeralda |
父スペンドスリフトは当馬の項を参照。
母カパンガは英国産馬で、米国に輸入されているが競走馬としてのキャリアは不明である。本馬の全妹クイーンストンの曾孫にピロリー【プリークネスS・ベルモントS】が、本馬の半姉カルラ(父キングアルフォンソ)の牝系子孫には、シックルズイメージ【ハリウッドラッシーS・アッシュランドS・アーリントンメイトロンH】、ハウスバスター【ジェロームH(米GⅠ)・カーターH(米GⅠ)・ヴォスバーグS(米GⅠ)】、ファーストサムライ【ホープフルS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)】、ジェラニモ【シューメーカーマイルS(米GⅠ)・エディリードS(米GⅠ)】などがいる。→牝系:F13号族②
母父ビクトリアスはニューミンスター産駒の英国産馬で、2歳時に古馬とも互角の戦いを見せて8戦6勝2着1回3着1回の好成績を残したが、故障で早々に引退した。種牡馬としてはそれなりに活躍しているが、成功したとは言い難い。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬はキャッスルトンスタッドで種牡馬入りした。現役時代に酷使された馬は繁殖としては成功し難いという説が当時の米国競馬界では根強かったようで、本馬に関しても種牡馬として成功するかどうか疑問視されていたようである(筆者の意見では、酷使されたから繁殖として成功しないというのは科学的根拠に欠けており、繁殖として成功を期待できないような血統の悪い馬が酷使される傾向が強く、実際に血統の悪い馬はただそれだけの理由で繁殖として成功する機会を奪われやすいから結果的にそう見えるのだと思っている)。しかし本馬はそういった説の反例であると言える。本馬は優秀な産駒を多く出し、3年目産駒がデビューした1900年には、ベルモントSの勝ち馬イルドリムやベルモントフューチュリティSの勝ち馬バリーフーベイなどの活躍により北米首位種牡馬に輝いたのである。その後も現役時代の酷使の影響など感じさせずに息長く種牡馬生活を続け、1910年には同年の米最優秀2歳牡馬ノベルティーなどの活躍により2度目の北米首位種牡馬を獲得した。その前年の1909年に25歳で種牡馬を引退し、その3年後の1912年12月にキャッスルトンスタッドにおいて28歳で他界した。1955年に米国競馬の初代殿堂入りを果たした。
本馬の直系子孫は米国ではすぐに廃れてしまい、ノベルティーがブラジルで成功してしばらく南米では生き残っていたが、残念ながら現在は残っていない。本馬の血を引く馬としては、レッドゴッドが挙げられる(レッドゴッドの4代母スイーパウェイの父が本馬の息子ワイルドミント)。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1897 |
Ildrim |
ベルモントS |
1897 |
King's Courier |
ドンカスターC・ジョッキークラブC |
1898 |
Ballyhoo Bey |
ベルモントフューチュリティS |
1900 |
Hurst Park |
トボガンH |
1900 |
Stolen Moments |
ガゼルH |
1901 |
Aristocracy |
サラトガスペシャルS |
1908 |
Novelty |
サラトガスペシャルS・ベルモントフューチュリティS・ホープフルS |