フィフィネラ

和名:フィフィネラ

英名:Fifinella

1913年生

栗毛

父:ポリメラス

母:シルヴァーフォウル

母父:ワイルドファウラー

第一次世界大戦による代替開催ながら英ダービー・英オークスをダブル制覇した、20世紀最後の牝馬の英ダービー優勝馬

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績8戦4勝2着2回3着1回

誕生からデビュー前まで

英国の新聞業界の大物だった初代准男爵エドワード・ハルトン卿により生産・所有された英国産馬で、当時ハルトン卿の専属調教師だったリチャード・ドーソン調教師(後にムムタズマハルを手掛けることになる)に預けられた。身体は茶色の栗毛に覆われ、顔に流星が走り、両後脚にストッキングを履いた気品のある馬だったが、あまり気性が素直な馬ではなかったようで、ドーソン師は調教に苦労する事になった。後にドーソン師は本馬に関して「猫のように気難しかった」と書き残している。

本馬の現役時代は第一次世界大戦の最中で、英国の競馬場の大半は軍部に接収されるなどして使用できず、ニューマーケット競馬場のみ開催されていた。そのため、本馬が現役時代に出走したレースは全てニューマーケット競馬場で行われたものである。

競走生活(3歳初期まで)

2歳時にフルボーンSでスティーブ・ドノヒュー騎手を鞍上にデビューして、時の英国王ジョージⅤ世の持ち馬マルコーニを易々と破って初勝利を挙げた。次走のバイブリークラブSでは、10ポンドのハンデを与えたテレフォンガールに頭差で敗れて2着だった。しかし、テレフォンガールがこの年の2歳牡馬で最強と目されていたアルゴス(ミドルパークプレートの勝ち馬)相手に楽勝していた事もあり、むしろ本馬の評価は上がる事となった。

そして2歳3戦目となったチェヴァリーパークS(T6F)では2着シーマブに8馬身差をつけて圧勝し、その評価が誤りではない事を証明してみせた。2歳時の出走はこの3戦のみだったが、2歳馬フリーハンデでは、牡馬も含めて最高となる126ポンドの評価を得た。

3歳になると、本馬の主戦はジョー・チャイルズ騎手が務めるようになった。3歳初戦は英1000ギニー(T8F)となった。本馬の実力を持ってすれば優勝確実と言われており、単勝オッズ2倍の1番人気に支持された。ところが本馬はレース前から非常に焦れ込んでいた(これは筆者の推測に過ぎないが、発情していたのではないだろうか)。レースではチャイルズ騎手が必死になって鞭を使って本馬に檄を飛ばしたが、やはり本馬の反応は非常に悪く、単勝オッズ3.25倍の2番人気に推されていたデューハーストプレート2着馬キャニオン(後に名馬コロラドの母となる)に3/4馬身差で敗れて2着に終わった(3着馬サラマンドラには3馬身差をつけていた)。

競走生活(3歳中期以降)

次走は英ダービーの代替レースであるニューダービー(T12F)となった。元々本馬は英ダービーには事前登録が無かったのだが、第一次世界大戦の勃発でエプソム競馬場でなくニューマーケット競馬場で代替レースが行われる事が決定した際に、事前登録の有無は無関係という事になり、出走可能となったのである。大戦中という事もあり、観衆はまばらで、出走馬も僅か9頭だった。牡馬相手の競走という事もあって本馬の評価は英1000ギニーより下がっており、単勝オッズは6.5倍だった。しかしゴール前で内埒沿いを突いて素晴らしい伸びを見せ、2着となった英2000ギニー2着馬グァンスに首差、3着となった英2000ギニー3着馬ナッソヴィアンにさらに頭差をつけて優勝。牝馬が英ダービーを勝ったのは1912年のタガリー以来4年ぶり史上6頭目だった。タガリーの4年前には牝馬シニョリネッタも英ダービーを勝っており、この時期には牝馬の英ダービー優勝は散見される出来事だったが、本馬以降に牝馬が英ダービーを勝った事例は90年以上無い。

ニューダービーの2日後には、英オークスの代替競走であるニューオークス(T12F)が施行され、本馬もそれに参戦した。今回は単勝オッズ1.62倍の1番人気に支持された。レースでは馬なりのまま走り、2着サラマンドラに5馬身差、3着マーケットガールにさらに半馬身差をつけて圧勝した。馬なりのまま走ったにも関わらず、走破タイム2分35秒0は、ニューダービーの勝ち時計2分36秒6より1秒6も早かった。英ダービーと英オークスをダブル制覇したのは1908年のシニョリネッタ以来8年ぶり史上4頭目で、勿論本馬以降には1頭も存在しない。

本馬はその後夏場を休養に充て、秋には英セントレジャーの代替競走であるセプテンバーS(T14F)に参戦した。しかしこのレースを馬なりのまま英2000ギニー馬クラリッシマスを5馬身ちぎって勝ったのは、春のクラシック時点ではまだデビューもしていなかった巨漢馬ハリーオンだった。本馬は文字通り巨大な壁となって立ち塞がったハリーオンの前に成すすべなく、8馬身以上の差をつけられて着外に敗れた。3歳時の成績は4戦2勝だった。

4歳時も現役を続けたが、バリーセントエドモンズプレート(T8F)でファラリスの3着最下位に敗れた1戦のみで競走馬を引退した。

血統

Polymelus Cyllene Bona Vista Bend Or Doncaster
Rouge Rose
Vista Macaroni
Verdure
Arcadia Isonomy Sterling
Isola Bella
Distant Shore Hermit
Land's End
Maid Marian Hampton Lord Clifden Newminster
The Slave
Lady Langden Kettledrum
Haricot
Quiver Toxophilite Longbow
Legerdemain
Young Melbourne Mare Young Melbourne
Brown Bess
Silver Fowl Wildfowler Gallinule Isonomy Sterling
Isola Bella
Moorhen Hermit
Skirmisher Mare
Tragedy Ben Battle Rataplan
Young Alice
The White Witch Massinissa
Jeu Des Mots
L'Argent Jacobite Rosicrucian Beadsman
Madame Eglentine
Twine the Plaiden Blair Athol
Old Orange Girl
Aura Umpire Tom King
Acceptance
Somnambula Saunterer
Lady Rockley

ポリメラスは当馬の項を参照。

母シルヴァーフォウルは、本馬の半姉シルヴァータグ(父サンドリッジ)【チャイルドS・ケンブリッジシャーH】、全弟シルヴァーム【コロネーションC・グリーナムS】など10頭の勝ち上がり馬を産んだ名繁殖牝馬だった。シルヴァータグの孫にシュレッド【リュパン賞】がいる他、本馬の半妹ソウブリケット(父レンベルグ)の孫にパスク【英2000ギニー・エクリプスS】、曾孫にピンザ【英ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・デューハーストS】、牝系子孫に日本で走ったアサカオー【菊花賞】が、本馬の半妹シュルード(父ブリュルール)の曾孫に本邦輸入種牡馬ワラビー【ロワイヤルオーク賞・アスコット金杯・ジャンプラ賞】がいる。→牝系:F3号族④

母父ワイルドファウラーは愛ダービーを制した名牝トラジェディーの息子で、現役成績は8戦4勝。英2000ギニーは4着に敗れ、英ダービーは回避したが、英セントレジャーでは愛国産馬として初めて同レースを優勝した。ワイルドファウラーの父ガリニュールはプリティポリーの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、ハルトン卿が所有する牧場で繁殖牝馬となり、1928年に英国の実業家で馬産家でもあった初代ウーラヴィントン男爵ジェームズ・ブキャナン卿により1万2千ギニーで購入されるまで、そこで過ごした。本馬の産駒は、母から気性の強さを受け継いだ子が多かったが、それでも6番子の牡駒プレスギャング【ミドルパークS・プリンセスオブウェールズS・ゴードンS・ロウス記念S】を筆頭に8頭の勝ち上がり馬を出して繁殖牝馬としても成功を収めた。ちなみに、プレスギャングの父は本馬をセプテンバーSで打ち負かしたハリーオンである。しかし本馬は1931年4月、ハリーオン牝駒を産んだ直後に18歳で他界した。

本馬の牝系子孫は21世紀にも残っており、初子の牝駒フィフィネ(父サンスター)の曾孫にはサイレンソング【MRC1000ギニー】、トーストマスター【サウスオーストラリアンダービー】、テューダーヒル【トゥーラックH・ドンカスターマイル2回】の3姉弟、牝系子孫にはミュージックマエストロ【フライングチルダースS(英GⅠ)】、ジャングルロケット【新オークス(新GⅠ)】、オスカーウイスキー【エイントリーハードル(英GⅠ)2回】などが、2番子の牝駒フェリナ(父スウィンフォード)の牝系子孫には、モニダ【デラウェアH】、マイセレステ【モンマスH】、ボウフォンド【シャンペンS】、オリガーキー【ワイドナーH】、クイーンズハスラー【サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)】などが、7番子の牝駒フィックル(父ソラリオ)の曾孫にはプリテンス【サンタアニタH・サンアントニオH・ガルフストリームパークH・アメリカンH】などがいる。

余談だが、本馬が英ダービーと英オークスを優勝した1916年に生まれた英国の作家ロアルド・ダール氏(「チャーリーとチョコレート工場」の作者として有名)は、自身が最初に書いた児童文学「ザ・グレムリンズ」の中に登場する悪戯好きな女の妖精を、本馬にちなんで「フィフィネラ」と名付けた。「ザ・グレムリンズ」はウォルト・ディズニー氏が映画化しようとしたが実現しなかった。しかしディズニー氏が設計した妖精フィフィネラのデザインは、英国空軍の女性パイロットの間でマスコットとして使用され、最近では日本のライトノベルシリーズ「灼眼のシャナ」にもそれをモデルとしたキャラクターが登場している。

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