デザートヴィクスン

和名:デザートヴィクスン

英名:Desert Vixen

1970年生

黒鹿

父:インリアリティ

母:デザートトライアル

母父:モスレムチーフ

エクリプス賞最優秀3歳牝馬・エクリプス賞最優秀古馬牝馬を連続受賞し米国顕彰馬にも選ばれた日本の名種牡馬リアルシャダイの母

競走成績:2~5歳時に米で走り通算成績28戦13勝2着6回3着3回

誕生からデビュー前まで

米国の馬産家マリエル・ヴァンダービルト女史(本馬の祖母の父でもある名馬サラゼンの馬主だったヴァージニア・フェア・ヴァンダービルト夫人の娘)により、フロリダ州において生産された。本馬が2歳時の1972年2月にヴァンダービルト女史が71歳で死去したため、フロリダ州オカラの有名なタータンファームの所有者でもあった米国の事業家ハリー・マングリアン・ジュニア氏により4万ドルで購入された本馬は、サー・トーマス・ルート調教師親子により管理された。

競走生活(2歳時)

2歳9月にベルモントパーク競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦でデビューして、フライトレッティの首差2着と惜敗。アケダクト競馬場に場所を移して翌月に出走したダート6ハロンの未勝利戦でも、ノースブロードウェイの4馬身半差3着に敗れた。同月にアケダクト競馬場で出たダート6.5ハロンの未勝利戦では、主戦となるジョン・ヴェラスケス騎手を鞍上に、2着スンバに6馬身差で圧勝して勝ち上がった。翌11月にアケダクト競馬場で出たダート7ハロンの一般競走は、ヤロビの4馬身差3着に敗退。続いて出走したデモワゼルS(D8F)では、ハリウッドラッシーS2着馬プロテストやフライトレッティなど3頭に屈して、プロテストの3馬身半差4着に敗退。2歳時は5戦1勝という目立たない成績に終わった。

競走生活(3歳時)

3歳時は5月にベルモントパーク競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走から始動したが、マルレディの3/4馬身差2着に惜敗。10日後に出走した同コースの一般競走では、2着マジックストーリーに8馬身差で圧勝した。しかしさらに10日後に出走したミスウッドフォードS(GⅢ・D6F)では、愛国で2歳時にレイルウェイSやアングルシーSで2着した後に米国に移籍してきたシェイクアレッグの3/4馬身差2着に惜敗した。この12日後に行われたCCAオークスなどニューヨーク牝馬三冠競走には結局不参加だったが、ミスウッドフォードSの10日後にベルモントパーク競馬場で出走したダート6ハロンの一般競走を2着フルオブホープに6馬身差をつけて圧勝してから、本馬の快進撃が始まる。

この9日後には分割競走ポストデブS(GⅢ・D8F70Y)に出走すると、1分40秒2のコースレコードタイで走り抜け、2着ライラックヒルに2馬身差をつけて、グレード競走初勝利を挙げた。この11日後にはモンマスオークス(GⅠ・D9F)に出走。GⅠ競走初出走だったが、マザーグースS2着馬レディラヴなどを一蹴し、2着レディースアグリーメントを6馬身ちぎって圧勝。GⅠ競走初挑戦で初勝利を挙げた。

さらに11日後にはデラウェアオークス(GⅠ・D9F)に出走。レディースアグリーメントなどに加えて、ケンタッキーオークス勝ち馬でCCAオークス2着のバゴオブチューンズが参戦してきたが、本馬が2着バゴオブチューンズに6馬身差をつけて圧勝した。さらに17日後には分割競走テストS(GⅡ・D7F)に出走。本馬にとってはやや距離が短かったはずだが、2着フルオブホープに2馬身半差で勝利した。さらに10日後にはアラバマS(GⅠ・D10F)に出走。泥だらけの不良馬場の中を快走し、2着バゴオブチューンズに8馬身差をつけて圧勝した。

この後は3週間の間隔を空けて、ガゼルH(GⅡ・D9F)に出走した。ハンデ戦ゆえに125ポンドという3歳牝馬としては厳しい斤量が課せられたが、2着バゴオブチューンズに6馬身差をつけて圧勝した。この12日後に出走したベルデイムS(GⅠ・D9F)では、ケンタッキーオークス・ベルデイムS・エイコーンS・ガゼルH・サンタマルガリータ招待H・サンタバーバラH・デラウェアH・サンタイネスS・サンタスサナS・サンタマリアH・サスケハナHなどを勝ちまくっていた前年のエクリプス賞最優秀3歳牝馬スーザンズガールとの対戦となった。しかしスタートから先頭を飛ばした本馬が直線で後続を引き離し、2着ポーカーナイトに8馬身半差をつけて圧勝。スーザンズガールは本馬から11馬身半も後方の3着だった。勝ちタイム1分46秒2はコースレコードタイだった。これが3歳時最後のレースとなった。この年は圧勝に次ぐ圧勝で怒涛の8連勝(この連勝に要した期間はちょうど3か月間)を含む、11戦9勝2着2回という素晴らしい成績を挙げ、エクリプス賞最優秀3歳牝馬のタイトルを受賞した。

競走生活(4歳時以降)

4歳時は5月にベルモントパーク競馬場で行われたヴェイグランシーH(GⅢ・D7F)から始動した。しかし129ポンドの斤量、距離不足、それにおそらくはレースに使い続けて良くなる叩き良化型だった本馬の特徴などが影響したようで、前年のケンタッキーオークス2着馬コラッジオソの9馬身1/4差11着と惨敗してしまった。その10日後には前走と同じベルモントパーク競馬場ダート7ハロンの一般競走に出たが、フライトレッティの4馬身差3着に敗退。さらに1週間後にも前走と同コースの一般競走に出たが、ポンテヴェキオの14馬身差6着と惨敗。さらに半月後に出たベルモントパーク競馬場ダート6ハロンの一般競走でも、アイエンコンパスの8馬身差4着に敗れた。

その後はしばらくレースに出ず、前走から約2か月後の8月にサラトガ競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走に出走。ここでは2着タムバックに1馬身1/4差をつけて勝利した。しかし翌9月に出たベルモントパーク競馬場ダート6.5ハロンの一般競走では、フルオブホープの1馬身3/4差2着に敗退した。次走のマスケットH(GⅡ・D8F)では、ベラスケス騎手に代わって主戦となったラフィット・ピンカイ・ジュニア騎手を鞍上に、ミレイディH・サスケハナHなどの勝ち馬ツイクストやポンテヴェキオ以下を蹴散らして勝利した。と思われたのも束の間で、進路妨害により着外に降着となってしまい、ポンテヴェキオが繰り上がって勝ちを拾った。

それから10日後には、2連覇を目指してベルデイムS(GⅠ・D9F)に出走した。前年にはスーザンズガールも出走していたがこの年は不在であり、最大の強敵はサンタマルガリータ招待H・サンタモニカH・ラモナHなどを勝っていた南米チリ出身の名牝ティズナ(BCクラシックを2連覇したティズナウの父シーズティジーの祖母に当たる)だった。レースは不良馬場で行われ、本馬はスタートから先頭をひた走った。前年の同競走で2着だったポーカーナイトが本馬を徹底マークしていたが、直線に入ると2頭の差は開くばかりだった。最後は本馬が2着ポーカーナイトに前年を上回る12馬身差という大差をつけて圧勝し、1969年のゲイムリー以来5年ぶり史上3頭目の同競走2連覇を果たした。

次走のマッチメイカーS(GⅠ・D9.5F)では、逃げ馬を見る形で先行し、三角辺りで逃げ馬が失速すると先頭に立ち、そのまま後続を寄せ付けず、2着コラッジオソに3馬身3/4差をつけて、1分55秒2のコースレコードタイで勝利した。その後はケンタッキー州に向かい、スピンスターS(GⅠ・D9F)に出走。しかし過去一度もニューヨーク州とその近隣以外の州で出走した事が無かった本馬にとってはケンタッキー州への移動も負担だったのか、1歳年上のCCAオークス・ブラックアイドスーザンS・モンマスオークス・アラバマS・グレイラグH・ボーリンググリーンH勝ち馬サマーゲストの頭差2着に敗れてしまった。

その後はワシントンDC国際S(GⅠ・T12F)に出走。本馬にとっては初の芝競走となった上に、12ハロンという距離も初だった。対戦相手の筆頭格は誰が何と言っても前年の同競走勝ち馬ダリアだった。欧州でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS2回・サンタラリ賞・愛オークス・サンクルー大賞・ベンソン&ヘッジズ金杯を勝っていたダリアは、マンノウォーS・加国際CSSを連勝してこのレースに臨んできており、この時期が紛れもなく競走馬としての全盛期だった。他の出走馬は、前年の同競走でダリアの2着だったサンルイレイS・ガヴァナーS・マールボロカップ招待H・ギャラントフォックスH・ベルモントレキシントンHの勝ち馬でチャールズHストラブS・サンフアンカピストラーノ招待H・サンルイレイS2着のビッグスプルース、エクリプスSの勝ち馬でジャックルマロワ賞3着のクードフー、愛セントレジャーを勝ってきたミスティグリ、独ダービー・バーデン大賞・独セントレジャーを勝ってきたマルドゥク、モーリスドニュイユ賞・エヴリ大賞・プリンスオブウェールズSの勝ち馬アドメトス、オカール賞・ドラール賞・コンデ賞の勝ち馬でイスパーン賞2着・凱旋門賞3着のマルグイヤ、ミシガンマイル&ワンエイスH・マンハッタンH・ホーソーンダービー・クラークH・バーナードバルークH・ブライトンビーチHの勝ち馬でアメリカンダービー2着のゴールデンドンの7頭の牡馬で、本馬以外の全馬が芝のグループ競走又はグレード競走を勝っていた。ピンカイ・ジュニア騎手に代わってロン・ターコット騎手が手綱を取った本馬はスタートから先頭に立ち、最初の6ハロン通過が1分17秒2というマイペースの逃げに持ち込んだ。そして直線に入っても粘り続けたが、内側から強襲してきたアドメトスにかわされて3/4馬身差の2着に惜敗した。しかし初の芝競走、初の12ハロン、騎手の乗り代わり等の不利な条件だらけだった事を考慮すると、立派な2着だった。なお、追い込みが及ばなかったダリアは本馬から3/4馬身差の3着であり、本馬はこの年のダリアに先着した2頭の牝馬のうちの1頭となった(もう1頭は言わずと知れたアレフランス)。4歳時の成績は11戦3勝だったが、内容が評価されてエクリプス賞最優秀古馬牝馬のタイトルを受賞した。

5歳時は、1月にフロリダ州ハイアリアパーク競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走に出走したが、バードアイランドの5馬身1/4差6着に敗退。このレースを最後に競走馬を引退した。

血統

In Reality Intentionally Intent War Relic Man o'War
Friar's Carse
Liz F. Bubbling Over
Weno 
My Recipe Discovery Display
Ariadne
Perlette Percentage
Escarpolette
My Dear Girl Rough'n Tumble Free for All Questionnaire
Panay
Roused Bull Dog
Rude Awakening
Iltis War Relic Man o'War
Friar's Carse
We Hail Balladier
Clonaslee
Desert Trial Moslem Chief Alibhai Hyperion Gainsborough
Selene
Teresina Tracery
Blue Tit
Up the Hill Jacopo Sansovino
Black Ray
Gentle Tryst Sir Gallahad
Cinq a Sept
Scotch Verdict Alsab Good Goods Neddie
Brocatelle
Winds Chant Wildair
Eulogy
Glen Arvis Attention Equipoise
Fizzaz
Helen Gleason Wise Counsellor
Britannica

インリアリティは当馬の項を参照。

母デザートトライアルは本馬の生産者ヴァンダービルト女史の生産・所有馬で、現役成績は31戦11勝。ラモナH2回・デルマーオークス・レディーズH・ミレイディH・ゴールデンポピーH・キャンパナイルHを勝った活躍馬で、母としても、本馬の全弟で種牡馬としても良績を残したヴァリッドアピール【ドワイヤーH(米GⅡ)】、全弟クラシックトライアル【コールダーH】、全弟コートトライアル【ニードレスS】などを産んでいる。

デザートトライアルの半妹シークレットヴァーディクト(父クランデスティン)の子にはリモートルーラー【ゴールデンロッドS(米GⅢ)】、玄孫にはスニッツェル【オークレイプレート(豪GⅠ)】、マークグローリー【エストレージャス大賞ジュヴェナイル(亜GⅠ)】、ミスターネダウィ【パラナ大賞(伯GⅠ)・ダルドロチャ大賞(亜GⅠ)2回】が、デザートトライアルの半妹キルツンケイパーズ(父ナショナル)【モンマスオークス】の子にはスタブ【ソロリティS(米GⅠ)・アーリントンワシントンラッシーS(米GⅡ)】が、デザートトライアルの半妹サマーレジェンド(父レイズアネイティヴ)の曾孫にはシャドウキャスト【パーソナルエンスンS(米GⅠ)】、パンティーレイド【アメリカンオークス(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)】が、デザートトライアルの半妹メモリーガーデン(父ボールドビダー)の曾孫には日本で走ったゴールデンダリア【新潟大賞典(GⅢ)】がいる。→牝系:F2号族②

母父モスレムチーフはユアホストの父であるアリバイ産駒で現役成績30戦4勝、エヴァーグレイズSを勝ち、バハマズSで2着した程度の競走馬で、種牡馬としてもデザートトライアル以外に活躍馬は出せなかった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はケンタッキー州ブレッキンリッジファームで繁殖入りした。代表産駒は、日本でライスシャワーなどを出して全日本首位種牡馬にもなった2番子の牡駒リアルシャダイ(父ロベルト)【ドーヴィル大賞(仏GⅡ)】である。ライスシャワーに特に顕著に見られたリアルシャダイ産駒の豊富なスタミナや叩き良化の傾向は、ロベルトよりも寧ろ本馬から伝えられたような気がする(ただし、連戦を平気でこなした本馬の頑健さは残念ながらリアルシャダイやその産駒達に受け継がれなかった)。本馬はリアルシャダイを産んだ1979年に米国競馬の殿堂入りを果たした。しかしその3年後の1982年に12歳の若さで他界し、ブレッキンリッジファームに埋葬された。リアルシャダイ以外には、ワットアプレジャー牝駒のヴィクシー、ダマスカス牡駒のアラビーエース、ノーザンダンサー牡駒のフォックスボロの3頭の子がいるが、全て未勝利又は不出走に終わっている。ヴィクシーは繁殖入りしなかったようで、本馬の牝系子孫は残っていない。しかしリアルシャダイを経由して多くの日本馬にその血を受け継がせている。

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