コマンド
和名:コマンド |
英名:Commando |
1898年生 |
牡 |
黒鹿 |
父:ドミノ |
母:エマシー |
母父:デアビン |
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僅か7歳の若さで夭折しながら種牡馬として成功しヒムヤー直系の血を後世に伝える事に成功したベルモントSの勝ち馬 |
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競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績9戦7勝2着2回 |
誕生からデビュー前まで
父ドミノの所有者でもあったジェームズ・R・キーン氏により米国ケンタッキー州キャッスルトンファームにおいて生産・所有されたとされる。しかし別の資料には、母エマシーをキーン氏から貰い受けて自身の所有馬として走らせたキャッスルトンファームの専属調教師ビリー・レイクランド師が、競走馬を引退したエマシーを、キーン氏が所有していた種牡馬ドミノと交配させ、誕生した本馬を翌年に今度はキーン氏が入手したと記されている。
いずれにせよキーン氏の所有馬となった本馬は、レイクランド師に代わってキャッスルトンファームの専属調教師として迎え入れられたサー・ジェームズ・ロウ調教師に預けられた。ロウ師は、馬を酷使することで悪名が高かった馬主ドワイヤー兄弟の専属調教師としてヒンドゥーなどの名馬を手掛けた名伯楽だが、名牝ミスウッドフォードの酷使に関してドワイヤー兄弟と対立して彼等の専属調教師の立場を辞しており、彼の手腕に目を付けたキーン氏により招聘されたようである。
競走生活(2歳時)
本馬の血統は、父ドミノにしろ、代表産駒コリンにしろ、仕上がりが早いのが特徴であり、本馬自身も2歳戦から活躍することにはなるのだが、成長自体はゆっくりであり、デビュー前調教においては特にロウ師の目を惹くことはなかったと資料にある。しかし、2歳6月にシープスヘッドベイ競馬場で行われたゼファーS(D6F)において、本馬の全競走に騎乗するH・スペンサー騎手を鞍上にデビューすると、2着ホルスタインに1馬身半差で楽勝した。
5日後に出走した2戦目のグレートトライアルS(D5.75F)では、スタート前にエルクホーンという馬と一緒になって一悶着を起こし、発走を22分間も遅らせた。しかしいざレースが始まると、2着ザパレーダーに3馬身差をつけて完勝した。
3戦目のモンタークS(D6F)では、2着クレソンに8馬身差をつけて圧勝した。さらに1か月後のブライトンジュニアS(D6F)では、125ポンドを背負いながら、13ポンドのハンデを与えたオリンピアン(後にベルモントフューチュリティSで2着している)との激戦の末に、頭差で勝利した。次走のジュニアチャンピオンS(D6F)では、127ポンドを背負いながらも、2着ベラーリオに1馬身差で勝利を収め、107ポンドだったオリンピアンを3着に沈めた。
しかし6戦目のメイトロンS(D6F)では、スペンサー騎手の致命的な騎乗ミスによりボーギャラントの半馬身差2着に敗れてしまった(ザパレーダーが3着だった)。この騎乗ミスの内容について、米国競馬名誉の殿堂ウェブサイトには「騎手が後方から来る馬に気付かずにゴール前で手綱を緩めたところを内側からボーギャラントに差された」と、ターフ・ファーム&フィールド紙には「愚かな不注意により、文字通りレースを捨てた」と、デイリーレーシングフォーム紙には単に「お粗末な騎乗」と、日本語版ウィキペディアには「騎手の飲酒運転による」と記載されている。もっとも、スペンサー騎手はこの後も本馬の主戦を降ろされることは無かったため、各方面からこれほど叩かれるほどの駄騎乗でもなかった可能性はある。
それでも2歳時に6戦5勝の成績を残した本馬は、後年になって米最優秀2歳牡馬のみならず米年度代表馬にも選出されることになった。
競走生活(3歳時)
3歳時は5月にモリスパーク競馬場で行われたベルモントS(D11F)から始動。対戦相手はザパレーダーとオールグリーンの2頭のみだった。しかし過去6戦全て6ハロン以下のレースだった本馬は距離が不安視されており、さらに対戦相手の1頭ザパレーダーはかつてグレートトライアルSで本馬に完敗したとはいえ、ウィザーズSを制した実力馬だったため、決して楽観視できる状態ではなかった。本馬は単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持されたが、ザパレーダーも単勝オッズ2.4倍と支持を集めており、レース前はいずれが勝ってもおかしくないムードだった。しかしレースではスタートから快調に先頭を飛ばして向こう正面で2馬身ほどのリードを取った本馬が、並びかけてきたザパレーダーを直線半ばであっさりと引き離した。最後は2着ザパレーダーに2馬身差をつけて、2分21秒0のコースレコードを樹立して楽勝した。
次走のカールトンS(D8F)では、トレモントSの勝ち馬ブルースとの2頭立てとなった。ブルースも後にトラヴァーズS・ジェロームH・デラウェアH・サラトガC・セカンドスペシャルS・センチュリーH・セカンドスペシャルS・シープスヘッドベイSなどを勝つ実力馬だったのだが、結果は馬なりのまま走った本馬が、ブルースに4馬身差をつけて、1分39秒4のコースレコードを樹立して快勝した。
夏のローレンスリアライゼーションS(D13F)では、ベルモントSの翌週にプリークネスSを勝ったザパレーダーとの再戦となった。ここでも本馬は快調に先頭を飛ばしたが、直線で故障を発生して失速し、ザパレーダーから遅れること2馬身差の2着に敗退。このレースを最後に現役引退に追い込まれた。
3歳時は3戦2勝の成績ながら、後年にこの年の米年度代表馬・米最優秀3歳牡馬に選ばれている。本馬の引退後、ロウ師は「私達は彼に対して何もしてやれなかったので、彼がどれだけ素晴らしい競走馬だったのかは分からずじまいでした」と語っている。
血統
Domino | Himyar | Alarm | Eclipse | Orlando |
Gaze | ||||
Maud | Stockwell | |||
Countess of Albemarle | ||||
Hira | Lexington | Boston | ||
Alice Carneal | ||||
Hegira | Ambassador | |||
Flight | ||||
Mannie Gray | Enquirer | Leamington | Faugh-a-Ballagh | |
Pantaloon Mare | ||||
Lida | Lexington | |||
Lize | ||||
Lizzie G | War Dance | Lexington | ||
Reel | ||||
Lecomte Mare | Lecomte | |||
Edith | ||||
Emma C. | Darebin | The Peer | Melbourne | Humphrey Clinker |
Cervantes Mare | ||||
Cinizelli | Touchstone | |||
Brocade | ||||
Lurline | Traducer | The Libel | ||
Arethusa | ||||
Mermaid | King Tom | |||
Water Witch | ||||
Guenn | Flood | Norfolk | Lexington | |
Novice | ||||
Hennie Farrow | Shamrock | |||
Ida | ||||
Glendew | Glengarry | Thormanby | ||
Carbine | ||||
Glenrose | Lexington | |||
Sally Lewis |
父ドミノは当馬の項を参照。
母エマシーはドルフィンSの勝ち馬。近親にはそれほど活躍馬は多くない。エマシーの曾祖母グレンローズの全妹スーザンビーンの子にサスケハナ【アラバマS】、孫に1890年の米最優秀2歳牡馬ポトマック【ベルモントフューチュリティS・ローレンスリアライゼーションS】、玄孫にコヴェントリー【プリークネスS】がいる程度である。グレンローズの半姉ミニールイスの牝系子孫は21世紀になっても残っており、日本と香港で活躍したミッドナイトベットが出ているが、それほど繁栄はしていない。→牝系:F12号族①
母父デアビンは豪州産馬で、現役時代はヴィクトリアダービー・ロイヤルパークS・メルボルンS(現マッキノンS)・シドニーCなど豪州の中長距離の大レースを複数制している。当初は豪州で種牡馬入りしていたが、その後米国に渡ってきた。デアビンの父ザピアは英国産馬で、競走馬としての記録は残っていない。種牡馬として豪州に渡っている。ザピアの父メルボルンは英国三冠馬ウエストオーストラリアンの父として知られるマッチェム系の名種牡馬。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のキャッスルトンファームで種牡馬入りした。しかし1905年3月、石に躓いて蹄を負傷。怪我自体はたいしたことが無かったのだが、患部から破傷風を発症したのが致命的となり、7歳の若さで早世した。遺体はキャッスルトンファームに埋葬された。
残した産駒は4世代で僅か27頭しかいなかったが、この中からコリン、ピーターパン、ケルトといった活躍馬が登場し、死後の1907年には北米首位種牡馬を獲得した。27頭の産駒中、競走馬となったのは19頭で、そのうち16頭が勝ち上がり、そのうち10頭がステークスウイナーとなった。ステークスウイナー率は37%という驚異的な数字であり、余命があれば米国競馬史に残る大種牡馬になれていた逸材だった。
本馬の後継種牡馬として成功したのはピーターパン、ケルト、アルティマスの3頭である。ピーターパンは、自身も種牡馬として成功したが、直系子孫からエクワポイズ、シャットアウト、ブルーラークスパー、バイムレック、クリムゾンサタンなどの名馬を登場させ、本馬の直系を一時期大きく繁栄させた。ケルトは、ローレンスリアライゼーションHの勝ち馬タッチミーノット、ベルモントフューチュリティS・ローマーHの勝ち馬ダンボイン、CCAオークス馬ポルカドット、カーターHの勝ち馬リトルケルト、デモワゼルSの勝ち馬ケランドリア、デモワゼルSの勝ち馬コケットなどを出して、1921年の北米首位種牡馬となった。アルティマスはドミノの2×2という非常に強いインブリードの持ち主で、それが災いしてか競走馬にはなれなかったが、種牡馬としては、ベルモントSの勝ち馬ルークマクルーク、デモワゼルSの勝ち馬マイレヴェリー、ジェロームHの勝ち馬プリムローズ、ベルモントフューチュリティSの勝ち馬ステップライトリー、ピムリコフューチュリティの勝ち馬スティミュラス、メイトロンSの勝ち馬ツリートップ、1928年の北米首位種牡馬ハイタイムなどを出して成功した。しかし、以上3頭の後継種牡馬の直系は、現在は残っていない。ただし、種牡馬としてはそれほど成功しなかったコリンの直系が細々と生き残り、アルサブやアクアクといった名馬を経て、21世紀に本馬の直系を繋いでいる。1956年、本馬は息子のコリン、ピーターパンと共に米国競馬の殿堂入りを果たした。米国競馬名誉の殿堂博物館には、画家のチャールズ・L・ゼリンスキー氏が描いた本馬の肖像画が納められている。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1904 |
ベルモントS・ホープフルS・ブルックリンダービー |
|
1904 |
Superman |
ブルックリンH |
1905 |
Celt |
ブルックリンH |
1905 |
ベルモントS・サラトガスペシャルS・ベルモントフューチュリティS・メイトロンS・ウィザーズS |