ネヴァービート
和名:ネヴァービート |
英名:Never Beat |
1960年生 |
牡 |
栃栗 |
父:ネヴァーセイダイ |
母:ブライドエレクト |
母父:ビッグゲーム |
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競走成績は冴えなかったが、日本で種牡馬として大成功しネヴァーセイダイ系種牡馬ブームを起こす立役者となる |
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競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績10戦1勝3着2回 |
誕生からデビュー前まで
英国の馬産家ライオネル・ブルック・ホリデー少佐により生産・所有された英国産馬で、ホリデー少佐の所有馬として英国で走った。ホリデー少佐は家業だった染料・織物業で成功した事業家でもあり、馬産家としても英オークス馬ニーシャムベル、英チャンピオンS・コロネーションCの勝ち馬ナレーター、本馬の半兄である英セントレジャー馬ヘザーセットなど多くの活躍馬を送り出し、1954・56年の英首位生産者に輝くという実績を持っていた。なお、ホリデー少佐が誕生させた最大の大物は凱旋門賞馬ヴェイグリーノーブルだが、ヴェイグリーノーブルが産まれた1965年に彼は死去している。
本馬は血統も良かったし、本馬がデビューする直前に行われた英ダービーを同じネヴァーセイダイ産駒のラークスパーが勝っていた(7頭が競走中止する大波乱のレースではあったが)こともあって、ホリデー少佐はおそらく期待していたと思われる。しかし競走馬としては、はっきり言ってたいした馬ではなかった。
競走生活
2歳8月にリボン競馬場で行われたウートS(T6F)でデビュー。結果はサルタレロの1馬身半差3着とまずまずだった。しかし翌9月にアスコット競馬場で出走したロイヤルロッジS(T8F)では、後の英セントレジャー2着馬スターモス、後の英ダービー2着馬マーチャントヴェンチャラーなどに歯が立たず、勝ったスターモスから10馬身以上の差をつけられた着外に敗れ、2歳時は2戦未勝利に終わった。
3歳になると、2頭の兄が英セントレジャーで好走した影響もあってか、10ハロン以上の中長距離路線を進む。まずは4月にサンダウンパーク競馬場でロイヤルS(T10F)に出走したが、後にドンカスターC・ヨークシャーC・グッドウッドCを勝つ名長距離馬レイズユーテンの3着に敗退。次走のダンテS(T10F110Y)では、ロイヤルロッジSで3着だったマーチャントヴェンチャラー、レイズユーテンなどにやはり歯が立たず、勝ったマーチャントヴェンチャラーから10馬身差の4着に敗退。結局英ダービーには出走しなかった。その英ダービーでは、仏2000ギニー馬で後にロワイヤルオーク賞・ガネー賞・コロネーションC・サンクルー大賞を勝つ名馬レルコが、マーチャントヴェンチャラーを6馬身差の2着に、後に愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・英セントレジャー・エクリプスSを勝つ名馬ラグーザをさらに3馬身差の3着に破って勝っており、本馬が出走しても好勝負になったとは思われない。
その後は7月にアスコット競馬場で行われたクラボーンチェースS(T12F)に出走したが、ナナレッタの4着に敗退。その後はハンデ競走路線に矛先を転じ、7月にレッドカー競馬場でヴォーゴールドタンカードH(T14F132Y)に出走した。このレースには同年と翌年のバーデン大賞を連覇するエスプレッソも参戦しており、136ポンドという厳しい斤量を課せられていた。一方の本馬は斤量105ポンドと恵まれていた。しかし結果はエスプレッソが後のシザレウィッチH2着馬トロピカルスカイ、チェスターヴァーズ2着馬ヤングロッチンバーとの激闘を制して勝ち、本馬は8馬身以上の差をつけられて着外に終わった。翌8月にはヨーク競馬場でメルローズH(T14F)に出走したが、ツリーレオパルドの着外に敗れた。
9月にリポン競馬場で出走した芝10ハロンの未勝利プレートを2着パントリーに頭差で制してようやく初勝利を挙げたのは、デビュー8戦目のことだった。初勝利の僅か6日後にはドンカスター競馬場でグレートヨークシャーH(T14F132Y)に出走したが、後にチェスターCを勝ちグッドウッドCで2着するクレドの着外に敗退。10月にニューマーケット競馬場で出走したステイヤーズH(T16F)でも、アリグルヴァレーの着外に敗退。結局これが最後のレースとなり、3歳時8戦1勝の成績で競走馬生活を終えた。
血統
Never Say Die | Nasrullah | Nearco | Pharos | Phalaris |
Scapa Flow | ||||
Nogara | Havresac | |||
Catnip | ||||
Mumtaz Begum | Blenheim | Blandford | ||
Malva | ||||
Mumtaz Mahal | The Tetrarch | |||
Lady Josephine | ||||
Singing Grass | War Admiral | Man o'War | Fair Play | |
Mahubah | ||||
Brushup | Sweep | |||
Annette K. | ||||
Boreale | Vatout | Prince Chimay | ||
Vashti | ||||
Galaday | Sir Gallahad | |||
Sunstep | ||||
Bride Elect | Big Game | Bahram | Blandford | Swynford |
Blanche | ||||
Friar's Daughter | Friar Marcus | |||
Garron Lass | ||||
Myrobella | Tetratema | The Tetrarch | ||
Scotch Gift | ||||
Dolabella | White Eagle | |||
Gondolette | ||||
Netherton Maid | Nearco | Pharos | Phalaris | |
Scapa Flow | ||||
Nogara | Havresac | |||
Catnip | ||||
Phase | Windsor Lad | Blandford | ||
Resplendent | ||||
Lost Soul | Solario | |||
Orlass |
父ネヴァーセイダイは当馬の項を参照。
母ブライドエレクトは現役成績5戦2勝。クイーンメアリーSを勝ち、チェヴァリーパークSで2着した実績がある。繁殖牝馬としても実績を残し、本馬の半兄プラウドチーフテン(父パーシャンガルフ)【2着英セントレジャー】、半兄ヘザーセット(父ヒュールパス)【英セントレジャー・グレートヴォルティジュールS】などを産んだ。なお、本馬が日本で種牡馬として成功した事により、ブライドエレクトの産駒のうち3頭、すなわち本馬の半妹アクトナウ(父アルサイド)、半妹オールアファイア(父オリオール)、半弟ボールドアンドブレーヴ(父バリモス)が日本に輸入されている。日本に輸入された3頭はいずれもそれほど実績を残せなかった(ボールドアンドブレーヴが東海公営競馬の名馬ゴールドレットを出したくらい)が、本馬の半妹アンブロシア(父アルサイド)の子には、ハードフォート【プリンスオブウェールズS(英GⅡ)・ジャージーS(英GⅢ)・ゴードンリチャーズS(英GⅢ)・アールオブセフトンS(英GⅢ)】が、本馬の半妹プルーデントガール(父プリメラ)の子には、プロヴィデンシャル【ワシントンDC国際S(米GⅠ)・クリテリウムドサンクルー(仏GⅡ)・グレフュール賞(仏GⅡ)】、プレイイットセーフ【マルセルブサック賞(仏GⅠ)・オマール賞(仏GⅢ)】、孫にはサラトガスプリングス【レーシングポストトロフィー(英GⅠ)】、曾孫にはヴィーナーヴァルツァー【独ダービー(独GⅠ)・ラインラントポカル(独GⅠ)】などがおり、牝系を伸ばしている。本馬の半兄ヘザーセットも種牡馬として英ダービー馬ブレイクニーなどを出して活躍したが、7歳の若さで夭折している。
ブライドエレクトの半弟にはパイレートキング(父プリンスシュヴァリエ)【クレイヴンS・セントジェームズパレスS】が、ブライドエレクトの半妹チェリッシュド(父シャントゥール)の孫には本邦輸入種牡馬テュデナム【ミドルパークS(英GⅠ)】、曾孫には本邦輸入種牡馬ヒッタイトグローリー【フライングチルダースS(英GⅠ)・ミドルパークS(英GⅠ)】、玄孫世代以降には、ストリーマ【フライトS(豪GⅠ)・AJCオークス(豪GⅠ)・ジョージメインS(豪GⅠ)・ドゥーンベンC(豪GⅠ)】、シールオブアプルーヴァル【英チャンピオンズフィリー&メアS(英GⅠ)】などがいる。ブライドエレクトの母ネザートンメイドは英オークス2着馬で、ネザートンメイドの全妹にはニーシャムベル【英オークス】、ノンナイサー【ヨークシャーオークス】、全弟にはナレーター【英チャンピオンS・コロネーションC】がいる。→牝系:F21号族①
母父ビッグゲームは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬はすぐに日本に輸入されて、北海道浦河町の牧場がシンジケートを組んで種牡馬生活を開始した。勿論、競走成績が評価されたわけは無く、その良血が評価されての種牡馬入りであった。それでも当初から人気種牡馬であり、初年度の1964年は52頭、2年目は54頭、3年目は61頭、4年目の1967年は56頭の繁殖牝馬を集めた。初年度産駒はこの1967年にデビュー。マーチスがこの年の阪神三歳Sを勝利した上に、翌1968年にはマーチスが皐月賞を、ルピナスが優駿牝馬を勝つなど初年度産駒が大活躍。これで本馬の種牡馬人気は不動のものとなった。
5年目は71頭、6年目は70頭、7年目の1970年は75頭、8年目も75頭、9年目も75頭、10年目は78頭、11年目は75頭、12年目も75頭、13年目は65頭、14年目は39頭、15年目は60頭、16年目は58頭、17年目は54頭、18年目は35頭の繁殖牝馬を集めた。1970年には天皇賞春などを勝ったリキエイカン、ビクトリアカップなどを勝ったクニノハナなどの活躍により全日本首位種牡馬を獲得。その後の1972年にも全日本首位種牡馬を獲得すると、1975年には名障害競走馬グランドマーチスなどの活躍により3度目の全日本首位種牡馬を獲得(ただし、一般的に1975年の全日本首位種牡馬はテスコボーイとされている)。1977年には牝馬二冠馬インターグロリアなどの活躍により4度目の全日本首位種牡馬を獲得した。
本馬の産駒は距離の長短を問わずに走り、芝もダートもこなし、障害競走でも活躍しており、典型的な万能種牡馬だった。大物も少なくないが、地道に賞金を稼ぐ産駒も多く、1972年にはマミーブルーが勝った京成杯三歳Sしか産駒の重賞勝ちが無かったにも関わらず全日本首位種牡馬を獲得したのはそれ故である。本馬や、本馬より一足先に輸入されていたシプリアニの活躍により、日本ではネヴァーセイダイ系種牡馬ブームが起こり、その後も数多くのネヴァーセイダイ直子種牡馬が輸入された。本馬は19年目の1982年に5頭の繁殖牝馬と交配したが1頭も受胎しなかったために同年限りで種牡馬を引退。その後は北海道浦河町の荻伏牧場で余生を過ごしていたが、1985年に老衰のため25歳で他界した。
後継種牡馬が成功しなかったため、現在本馬の直系は残っていない。しかし本馬は1984・86・88年と3度の全日本母父首位種牡馬になったように、繁殖牝馬の父として優秀であり、現在も日本の競馬界に大きな影響を与えている。母父としては、メジロラモーヌ、サクラユタカオー、キョウエイプロミス、スズカコバン、ダイタクヘリオス、パッシングショットなどを出している。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1965 |
ダイイチオー |
神戸盃・スワンS・小倉大賞典 |
1965 |
ハヤシゲル |
キヨフジ記念(川崎) |
1965 |
マーチス |
皐月賞・阪神三歳S・きさらぎ賞・スプリングS・NHK杯・札幌記念2回・ハリウッドターフクラブ賞・目黒記念 |
1965 |
ルピナス |
優駿牝馬 |
1965 |
ワタラセ |
上山市長杯(上山)・花笠特別(上山)・YTS杯(上山) |
1966 |
エビフジ |
関東オークス(川崎)・キヨフジ記念(川崎) |
1966 |
リキエイカン |
天皇賞春・阪神三歳S・スワンS |
1967 |
クニノハナ |
ビクトリアC・京都牝馬特別 |
1967 |
スリービート |
愛知盃・みちのく大賞(盛岡) |
1968 |
マツカオリ |
小倉記念 |
1968 |
メジロスイセイ |
京都記念・みちのく大賞(盛岡) |
1969 |
グランドマーチス |
中山大障害春2回・中山大障害秋2回・京都大障害秋2回・京都大障害春 |
1970 |
カシハタ |
東京障害特別春 |
1970 |
スズカクイン |
阪神障害S春 |
1970 |
マミーブルー |
京成杯三歳S |
1971 |
インターヒリュウ |
東京記念(大井) |
1971 |
ミサトクイン |
関東オークス(川崎)・キヨフジ記念(川崎) |
1972 |
スリーパレード |
みちのく大賞(盛岡)2回・北上川大賞(水沢)2回・桐花賞(盛岡)2回・東北サラブレッド大賞典(上山) |
1972 |
タニノチェスター |
阪神大賞典 |
1972 |
トウフクホープ |
神戸新聞杯 |
1973 |
アランフェス |
小倉大賞典 |
1973 |
スズサフラン |
東京新聞杯 |
1973 |
トウフクセダン |
東京新聞杯・オールカマー・ダイヤモンドS |
1974 |
インターグロリア |
桜花賞・エリザベス女王杯・阪神牝馬特別・マイラーズC・京都牝馬特別2回 |
1974 |
ヨシノリュウジン |
スプリングS |
1976 |
オートミナロー |
南国特別(高知) |
1976 |
ハシクランツ |
大阪杯・鳴尾記念・みちのく大賞(盛岡) |
1979 |
ミサキネバアー |
東京王冠賞(大井)・大井記念(大井) |