ケーニヒスシュトゥール
和名:ケーニヒスシュトゥール |
英名:Konigsstuhl |
1976年生 |
牡 |
黒鹿 |
父:ジンギスカーン |
母:ケーニヒスクレーヌング |
母父:タイポレットー |
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歴史上唯一の独国三冠馬に輝いた名競走馬であるだけでなく、種牡馬としても成功して後世に大きな影響を残す |
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競走成績:2~5歳時に独白伊で走り通算成績20戦11勝2着7回 |
独2000ギニー(正式名称はヘンケルレネン:1871年創設)・独ダービー(1869年創設)・独セントレジャー(1881年創設)の3競走を全て制した独国競馬史上唯一の三冠馬。種牡馬としても成功し、その直系は21世紀になって世界各国に広まっている。
誕生からデビュー前まで
独国ツォッペンブロイヒ牧場の生産馬である。母ケーニヒスクレーヌングは非常に身体が大きな馬だったが、初子もとても競走馬になれそうにないほど大きい馬だったため、ツォッペンブロイヒ牧場はなるべく小柄な種牡馬と交配させてみるなどの工夫を凝らした。そして小柄だった種牡馬ジンギスカーンと交配した結果として誕生した本馬は身体こそそれほど大きくは無かった。しかし頭部だけが大きい不恰好な馬であり、しかも蹄が弱かった。また、同世代の馬達と馴染めずに1頭だけ孤独に草を食んでいたという。そのためツォッペンブロイヒ牧場の所有者クルト・ブレスゲス氏の娘アレクサンドラ嬢は自分が本馬の友人として長い時間を共に過ごしたらしい。また、装蹄師は本馬の弱い蹄をサポートするための特性蹄鉄を用意するなどして、本馬の成長に尽力した。
本馬が1歳時の1977年10月に、ツォッペンブロイヒ牧場の所有者ブレスゲス氏が急死した。牧場を引き継いだ彼の妻は夫や娘と同じく馬好きだったが、夫の死が急だったために牧場にいた馬全てを適切に管理することが困難と判断し、所有していた1歳馬を全て売却することにした。しかしこの売却を任されたスフェン・フォン・ミッツラフ調教師は本馬の素質を見抜き、この馬だけは売らないほうがよいとブレスゲス未亡人に勧めた。その結果、本馬はツォッペンブロイヒ牧場の所有馬のままとなり、ミッツラフ師の管理馬となった。主戦はペーテル・アラフィ騎手が務めた。
競走生活(2・3歳時)
2歳6月にケルン競馬場で行われた芝1000mのヴェルスフスレネン(日本語に直訳すると実験競走であり、要は新馬戦・未勝利戦の類である)でデビューしたが、マイロケットの5馬身差2着に敗退。次走は8月にゲルセンキルヘンホルスト競馬場で行われたリンボレネン(T1200m)となり、ここでは単勝オッズ1.2倍という断然人気に応えて2着フェイナーに2馬身差で勝ち上がった。まだ本馬は成長途上であると判断したミッツラフ師の方針により2歳時は2戦1勝で終えた。
3歳時は3月にノイス競馬場で行われたフリューグフリングスレネン(T1650m)から始動して、レブロンボーイの首差2着。4月にはフランクフルト競馬場でフランクフルテルメッセ賞(T1600m)に出走して、単勝オッズ1.9倍の1番人気に応えて2着シュレンデルハガンに2馬身半差で勝利した。その2週間後に出たブリッツチップポカル(T2000m)では対戦相手のレベルが上がったために単勝オッズ6倍の人気だったが、2着ディオリットに3/4馬身差で勝利を収めた。
そして迎えた独2000ギニー(独GⅡ・T1600m)では、前走2着のディオリット、後に本馬の好敵手となるネボスと過去の対戦成績1勝2敗だったエスクラボなどが対戦相手となった。本馬は単勝オッズ5.6倍の人気だったが、エスクラボを2馬身差の2着に退けて勝利した(3着ディオリットはエスクラボから10馬身以上後方だった)。
次走は独ダービーの前哨戦ウニオンレネン(独GⅡ・T2200m)となり、ここで好敵手となる4戦3勝馬ネボスと初めて顔を合わせた。断然の人気を集めたのはネボスのほうだったが、レースでは本馬とネボスが互いに馬体をぶつけ合いながら激戦を演じ、3着馬を5馬身引き離す一騎打ちの末に殆ど並んでゴールインした。写真判定の結果、本馬が僅かに先着していると判定され、本馬が1着でネボスが2着と公式に確定された。ところが公式確定から約1時間後、ゴールの瞬間を別に撮っていた写真を発見したネボス陣営からケルン競馬場側に対して猛抗議があった。その写真では、ネボスが僅かに先着していたのである。調査の結果、写真判定に用いた装置の調整が誤っていたことが判明し、再審査の結果、ネボスが1着、本馬は短頭差の2着と着順が訂正された。独国競馬史上初めて公式確定後の着順訂正であり、非常に大きな物議を醸した。
本番の独ダービー(独GⅠ・T2400m)でもネボスが1番人気に支持され、本馬は単勝オッズ7.2倍で対抗馬の扱いだった。レースでは逃げる本馬に残り200m地点で4馬身差をつけられていたネボスが驚異的な追い上げを見せて、今回も2頭がほぼ同時にゴールインした。今回も写真判定に縺れ込んだが、その結果は本馬の頭差勝ち(3着馬は4馬身半後方)であり、前走の借りをここで返した。
次走はアラルポカル(独GⅠ・T2400m)となった。このレースは古馬混合戦であり、一昨年・昨年と同競走を2連覇していた7歳馬ウラジミールなどの姿もあったが、衆目の一致するところ本馬とネボスの3歳馬2頭の一騎打ちの場であった。レースでは予想どおりこの2頭の大激戦となったが、ゴール前で完全に抜け出した本馬が2着ネボスに1馬身半差をつけて勝利した(3連覇を目指したウラジミールはネボスからさらに3馬身差の3着だった)。
秋にはバーデン大賞(独GⅠ・T2400m)に出走。ネボスはこのレースに出走しておらず、本馬の独壇場になるかと思われたが、愛セントレジャーを勝っていた4歳馬エムロルシャンの1馬身3/4差2着に敗れてしまった。
次走の独セントレジャー(独GⅡ・T2800m)でも、オイロパ賞を目標としていたネボスの姿は無く、本馬が単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持された。そして2着ヴィンドラウフに2馬身差をつけて勝利を収め、史上初めての独国三冠馬となった。
3歳時は9戦6勝2着3回の好成績で、この年の独年度代表馬に選出された。また、ちょうどこの1979年から独国競馬クラブは年度代表馬だけでなく年度代表競馬関係者も選出するようになったが、ミッツラフ師がその初代となった。
競走生活(4歳時)
4歳時は4月にゲルセンキルヘンホルスト競馬場で行われたゲルゼンキルヒェン市大賞(独GⅢ・T2400m)から始動した。ここでは単勝オッズ1.3倍の1番人気に応えて、2着ヴィンドラウフに4馬身差をつけて楽勝した。しかし次走のバーデン経済大賞(独GⅡ・T1800m)では、前走より6.5kgも重い61.5kgの斤量が災いしたのか、ホーリットの2馬身1/4差4着に敗れた(上位3頭は全て本馬から2.5~4.5kgのハンデを貰っていた)。
次走のデュッセルドルフ大賞(独GⅡ・T2200m)では、前年のアラルポカルで本馬に敗れて以降にオイロパ賞など3戦全勝だったネボスと4度目の対決となった。このレースを制したのは1番人気に支持されたネボスで、本馬は2馬身半差の2着に敗れた。本馬とネボスの対戦はこれが最後で、対戦成績は2勝2敗の五分だった。本馬とネボスの競走馬としての評価は、本馬の主戦が経験豊富なベテランのアラフィ騎手だったのに対して、ネボスの主戦が若手のルッツ・メイダー騎手だった事から、客観的な比較は困難であるとされている。
本馬は続いて隣国ベルギーに向かい、プリンスローズ大賞(T2200m)に出走したが、62kgの斤量が響いたのか、9kgのハンデを与えたリュパン賞2着馬アーギュメント(この年の凱旋門賞でデトロワの2着となり、さらにワシントンDC国際Sやガネー賞を勝利して世界的強豪馬になる)の11馬身半差5着と生涯最低の着順に終わった。結局4歳時はこれが最後のレースとなり、この年の成績は4戦1勝止まりだった。
なお、好敵手のネボスはデュッセルドルフ大賞の後にベルリン大賞とバーデン大賞を勝ち、凱旋門賞でもデトロワの5着と健闘して独年度代表馬に選出されて引退している。
競走生活(5歳時)
一方の本馬は5歳時も現役を続行。まずは5月のゲルリング賞(T2400m)から始動して、ネボスを2着に破った前年のアラルポカルなど3連勝中だったワウタイの鼻差2着と無難なスタートを切った。次走のデュッセルドルフ大賞(独GⅡ・T2200m)では単勝オッズ1.7倍の1番人気に応えて、前走で屈したワウタイを3馬身半差の2着に破って勝利した。続いて出たハンザ大賞(独GⅡ・T2200m)では、59.5kgのトップハンデながら単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持され、愛2000ギニーとイスパーン賞で2着していたストロングゲイルを6馬身差の2着に破って圧勝した。しかし次走のベルリン大賞(独GⅠ・T2400m)では、7kgのハンデを与えた仏国調教の3歳馬リディアン(前走ミラノ大賞を4馬身差で圧勝していた)の1馬身半差2着に敗退。
その後はバーデン大賞やワウタイが2連覇を飾ったアラルポカルには向かわず、10月のジョッキークラブ大賞(伊GⅠ・T2400m)に向かった。ユジェーヌアダム賞勝ち馬ベルマンなどの姿もあったが、本馬が2着となった伊セントレジャー勝ち馬ソレロに5馬身差をつけて圧勝。5歳時5戦3勝の成績で競走馬生活に終止符を打った。
馬名は独語で「国王の椅子」という意味で、母ケーニヒスクレーヌングが「王の即位式」である事に加えて、父の名前が草原の王者ジンギス・カーンだった事からの連想のようである。
血統
Dschingis Khan | Tamerlane | Persian Gulf | Bahram | Blandford |
Friar's Daughter | ||||
Double Life | Bachelor's Double | |||
Saint Joan | ||||
Eastern Empress | Nearco | Pharos | ||
Nogara | ||||
Cheveley Lady | Solario | |||
Lady Marjorie | ||||
Donna Diana | Neckar | Ticino | Athanasius | |
Terra | ||||
Nixe | Arjaman | |||
Nanon | ||||
Donatella | Allgau | Ortello | ||
Arabella | ||||
Blaue Donau | Ferro | |||
An der Wien | ||||
Königskrönung | Tiepoletto | Tornado | Tourbillon | Ksar |
Durban | ||||
Roseola | Swynford | |||
Roseway | ||||
Scarlet Skies | Blue Skies | Blandford | ||
Blue Pill | ||||
Scarlet Quill | Scaramouche | |||
Red Quill | ||||
krönung | Olymp | Arjaman | Herold | |
Aditja | ||||
Olympiade | Oleander | |||
Osterfreude | ||||
Kaiserkrone | Nebelwerfer | Magnat | ||
Newa | ||||
Kaiserwurde | Bubbles | |||
Katinka |
父ジンギスカーンは現役成績33戦12勝。独2000ギニー・エドモンブラン賞を勝ったマイラーだった。種牡馬としては、本馬より2歳年下で3年連続独年度代表馬に輝いたオロフィノ【独ダービー・独2000ギニー・ウニオンレネン・アラルポカル・ベルリン大賞・ハンザ大賞2回】などを輩出。本馬が3歳時の1979年と、オロフィノが3歳(本馬は5歳)時の1981年の2度にわたり独首位種牡馬になっている。ジンギスカーンの父タメルランはパーシャンガルフ産駒で、現役時代はセントジェームズパレスS・ニューS・ジュライS勝ちなど9戦6勝。
母ケーニヒスクレーヌングは競走馬としては主に2400m以上の長距離戦で活躍し、仏国でジュベール賞を勝つなど19戦11勝の成績を残した。母系は第二次世界大戦のどさくさに紛れて仏国から独国に導入され、第二次世界大戦を生き抜いて独国の土着血統となった牝系である。第二次世界大戦後における独国土着の牝系としては最も成功した部類に入ると評されているが、それはケーニヒスクレーヌングの母クレーヌングの功績によるところが大きい。ケーニヒスクレーヌングの半姉クロヌングスフェイエル(父アルプセー)の孫にはカーロフ【独ダービー(独GⅠ)】が、ケーニヒスクレーヌングの半姉クロヌングスガーベ(父オルシニ)の子にはカンディア【アラルポカル(独GⅠ)】、孫にはカミロス【オイロパ賞(独GⅠ)】、玄孫には2002年のカルティエ賞最優秀3歳牝馬カッツィア【英1000ギニー(英GⅠ)・英オークス(英GⅠ)・フラワーボウル招待S(米GⅠ)】、カッツィアの子にはイースタンアンセム【ドバイシーマクラシック(首GⅠ)】が、ケーニヒスクレーヌングの半妹クロヌングスプラクト(父ネカール)の子にはクラシッカー【独セントレジャー(独GⅡ)】、牝系子孫にはカムシン【独ダービー(独GⅠ)・ラインラントポカル(独GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)】がいる。クレーヌングの半弟には1972年の独首位種牡馬クロンツォイゲ【アラルポカル・ベルリン大賞】がいる。→牝系:F5号族②
母父タイポレットーは、仏国で走り仏グランクリテリウム・シェーヌ賞など6勝。その父トルネイドはトウルビヨン産駒で、リュパン賞・ジャンプラ賞・ダリュー賞・サブロン賞を勝ち、凱旋門賞・仏ダービーで2着している。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のツォッペンブロイヒ牧場で種牡馬入りした。本馬は種牡馬としても独国三冠馬の名に恥じない好成績を収め、1988・94年と2度(資料によっては1996年も含めて3度)の独首位種牡馬、及び1989・94年の独2歳首位種牡馬に輝いた。1995年8月に疝痛のため19歳で他界した。後継種牡馬としては代表産駒モンズーンが本馬を上回る好成績を収め、世界中の大競走で活躍する産駒を続出させ、独国産馬としては史上初の世界的大種牡馬として名を馳せた。モンズーンの産駒は世界各国で種牡馬又は繁殖牝馬となっており、本馬の血は世界中に広まりつつある。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1983 |
Helikon |
ベルリン大賞(独GⅠ)・メルセデスベンツ大賞(独GⅡ)・ゲルゼンキルヒェン市大賞(独GⅢ)2回 |
1984 |
Astylos |
メルセデスベンツ大賞(独GⅡ)・ハンザ賞(独GⅡ) |
1984 |
Majoritat |
独1000ギニー(独GⅡ)・独オークス(独GⅡ) |
1984 |
Medicus |
ティームトロフィ(独GⅡ)・シュプレティレネン(独GⅢ) |
1985 |
Alkalde |
独2000ギニー(独GⅡ)・ウニオンレネン(独GⅡ)・エリート賞(独GⅡ)・エリート賞(独GⅢ) |
1985 |
Twist King |
ブンテヴィンターファヴォリート(独GⅢ)・フランクフルトポカル(独GⅢ)・シュプレティレネン(独GⅢ)・フランクフルトポカル(独GⅢ) |
1986 |
Riamo |
シュタイゲンベルガーホテル大賞(独GⅢ) |
1987 |
Mandelbaum |
独2000ギニー(独GⅡ)・ウニオンレネン(独GⅡ) |
1989 |
Pik König |
独ダービー(独GⅠ) |
1990 |
アラルポカル(独GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)2回・ヘルティー大賞(独GⅡ)・ゲルリング賞(独GⅡ)2回・ハンザ賞(独GⅡ)・シュタイゲンベルガーホテル大賞(独GⅢ) |
|
1990 |
Tres Heureux |
デュッセルドルフ大賞(独GⅡ)・デュッセルドルフ大賞(独GⅢ) |
1991 |
Caballo |
独セントレジャー(独GⅡ) |
1991 |
Twen |
ウニオンレネン(独GⅡ)・フュルシュテンベルクレネン(独GⅢ) |
1993 |
Lavirco |
独ダービー(独GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)・独2000ギニー(独GⅡ)・ウニオンレネン(独GⅡ) |
1995 |
Laveron |
仏チャンピオンハードル(仏GⅠ)・独セントレジャー(独GⅡ) |
1995 |
Page's King |
デュッセルドルフ大賞(独GⅢ) |