ザバード(GB)

和名:ザバード(GB)

英名:The Bard

1883年生

栗毛

父:ペトラーク

母:マグダレン

母父:シリアン

2歳時16戦全勝の成績を誇りグッドウッドC・ドンカスターCを勝つなど生涯3着以下が無かった名馬は仏国で種牡馬として成功する

競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績23戦21勝2着2回

誕生からデビュー前まで

ロンドンの金融会社の社長だった第3代ウォルバートン男爵ヘンリー・リチャード・グリン卿により生産された英国産馬である。幼少期から小柄な馬で、成長しても体高15ハンドに達するのが精一杯だったという。小柄ではあったが、その馬体の見栄えの良さは素晴らしく、「完璧な美しさ」と評された。また、栗毛の中に部分的に白い毛が混じっているという特徴があったという。気性はどうやら大人しかったらしく、猫と一緒に描かれた絵画が残っている。

狩猟が趣味だったグリン卿は馬などの動物を生産する事こそ行っていたが自分が馬主になる事は無かったので、本馬は1歳時のニューマーケット7月セールに出品された。そしてロバート・ペック調教師により購入され、ペック師と、アルバート・エドワード英国皇太子の友人だったオーエン・ウィリアムズ将軍の共同所有馬となった。

競走生活(2歳時)

本馬は2歳3月にリンカーン競馬場で行われたブロックレスビーSでデビューして、他15頭を蹴散らして2馬身差で勝利した。次走はリヴァプール競馬場で行われたモリヌークスSとなり、他8頭を蹴散らして3馬身差で勝利した。ノーザンプトン競馬場で出走したオルソープパークS(T5F)では、他4頭を蹴散らして4馬身差で勝利した。この翌日にはアスコットプレート(T5F)に出走して、他5頭を蹴散らして首差で勝利した。エプソム競馬場で出走したウェストミンスターS(T5F)では、半馬身差で勝利した。ハイドパークプレート(T5F)では、他4頭を蹴散らして3/4馬身差で勝利した。サンダウンパーク競馬場で出走したサンダウンS(T5F)では、他4頭を蹴散らして3/4馬身差で勝利した。ニューマーケット競馬場で出走したスプリング2歳Sでは、他3頭を蹴散らして1馬身差で勝利した。ウインザー競馬場で出走したセントジョージズプレート(T5F)では、他4頭を蹴散らして勝利した。マンチェスター競馬場で出走したハーティントンプレートでは、他2頭を蹴散らして半馬身差で勝利した。さらにジョンオゴーントプレート(T6F)も勝利した。次走のアスコットバイエニアルSでは、対戦相手3頭のうち2頭は3歳馬だったのだが、馬なりのまま6馬身差で圧勝した。リヴァプール競馬場で出走したマージーSでは、対戦相手が現れずに単走で勝利した。マンチェスター競馬場で出走したジュライプレート(T6F)では、他2頭を蹴散らして3馬身差で勝利した。サンダウンパーク競馬場で出走したグレートキングスレイSでは、他4頭を蹴散らして3/4馬身差で勝利した。シーズン最終戦はドンカスター競馬場で出走したタタソールズセールスSで、他3頭を蹴散らして3馬身差で勝利。2歳時は何と16戦して全勝の成績を誇った。

この2歳時に16勝というのは現在も英国記録であり、後の1984年にプロビデオという馬が2歳時に24戦して16勝を挙げたが更新する事は出来なかった(しかしプロビデオはグループ競走の勝ちが無かったにも関わらず、エルグランセニョールティーノソを抑えて、英タイムフォーム社や英国競馬クラブにより英年度代表馬に選ばれている。2歳時に16勝というのがいかに凄い記録なのかを物語る事実である)。

本馬の同期は英国競馬史上でも屈指の強力世代であり、本馬以外にも、ミドルパークプレート・英シャンペンS・シートンデラヴァルSを勝ったミンティング、ニューS・ブリーダーズプロデュースS・アスコットバイエニアルS・ハーストボーンS・ロウス記念Sを勝ったサラバンド、そしてデューハーストプレート・クリテリオンSを勝ったオーモンドといった強豪馬がひしめいていた。しかし、これら同期の強豪馬達とぶつからないようなレース選択を陣営が行っていたとして、本馬の勝利は相手に恵まれたものだと否定的に捉える競馬評論家もいたようである。しかし着差が少ないレースが多いのは、大半のレースで他馬にハンデを与えていたためでもあり、この場合、相手が弱ければ勝てるようなものではないため、前述の評論家達の意見はやや的外れであろう。斤量が重くても勝てる本馬は「真の競走馬に相応しいスピード」だけでなく「ライオンのような勇気」を併せ持つと評された。

競走生活(3歳時)

3歳時は前哨戦を使わずにいきなり英ダービー(T12F29Y)から始動した。このレースには英2000ギニーで敗れてしまったミンティングとサラバンドは不在だったが、英2000ギニーを勝ってきたオーモンドが出走してきた。オーモンドが単勝オッズ1.47倍の1番人気に支持され、本馬が単勝オッズ4.5倍の2番人気となった。9頭立てで行われたレースは人気薄のコラクルが後続を6馬身ほど引き離す逃げを打ち、本馬は先行策を採り、オーモンドは本馬の少し後方を追走した。そのまま直線に突入すると、失速したコラクルをかわして先頭に立った本馬にオーモンドが並びかけてきて、2頭の叩き合いが始まった。本馬が僅かに前に出る場面もあったが、最後にオーモンドが突き抜けて勝利を収め、1馬身半差の2着に敗れた本馬は生涯最初の黒星を喫した(3着セントミリンは本馬から10馬身後方だった)。しかしゴール前で2頭が見せた攻防戦は見応え十分だったとされており、本馬も2歳時に受けた評価に相応しい闘争心を見せたという。また、レース後に本馬は馬主のウィリアムズ将軍に鼻を擦り付けて甘え、ウィリアムズ将軍も本馬の鼻を撫でて応じる姿が見られ、敗戦後にも関わらずこれは一枚の絵のような情景だったという。

次走は7月にニューマーケット競馬場で行われたマンチェスターC(T14F)となったが、21ポンドのハンデを与えた同世代の牡馬リバーズデールの1馬身半差2着に敗れた。しかし同月にリヴァプール競馬場で出走したセントジョージズSでは、唯一の対戦相手となったサーアイザックを馬なりで破った。次走のグッドウッドC(T21F)では、1826年にスタンプスが勝った時以来60年ぶりに出走馬が1頭だけとなってしまい、本馬が単走で勝利した。続いて8月にヨーク競馬場でシングルトンプレート(T8F)に出走すると、2着ホワイトフライアーに10馬身差で勝利した。ルイス競馬場で出走したクイーンズプレート(T16F)では、またも対戦相手が現れずに単走で勝利した。英セントレジャーには登録が無かったため、無敗で英国三冠を制覇したオーモンドとの再戦は見られなかったが、代わりにドンカスターC(T21F)に出走して楽勝した。

当然、本馬とオーモンドの再戦を期待する声が高まり、実際にニューマーケット競馬場において、本馬、オーモンド、そして1歳年上の英ダービー・英セントレジャー・ミドルパークプレートなどの勝ち馬メルトンの3頭による1000ポンドを賭けたスペシャルマッチレースが企画されたが、本馬陣営は斤量等の条件面が本馬に不利であるとして罰金を払って回避してしまった。メルトンも回避したため、1頭だけで走ったオーモンド陣営が両陣営からの罰金を手に入れる事になった。その後、本馬陣営に対して仏国の砂糖業者アンリ・セイ氏から本馬を1万ポンドで種牡馬として購入したいという申し出があった。この大金の前にはウィリアムズ将軍もペック師も断る事が出来ず、本馬はここで競走馬を引退して仏国で種牡馬入りする事になった。3歳時の成績は7戦5勝だった。

本馬の同世代は強豪馬揃いではあったが、オーモンドとは一度しか対戦が無く、ミンティングやサラバンドとは対戦していないため、本馬の実力がこれらの強豪馬と比してどの程度だったのかは不明瞭である。しかし様々な距離で23戦して3着以下が無かったのであるから、相当な実力馬であった事は確かであろう。オーモンドには英ダービーで敗れているが、久々のレースだった本馬と既にレースを使っていたオーモンドを単純比較する事は難しい。

血統

Petrarch Lord Clifden Newminster Touchstone Camel
Banter
Beeswing Doctor Syntax
Ardrossan Mare
The Slave Melbourne Humphrey Clinker
Cervantes Mare
Volley Voltaire
Martha Lynn
Laura Orlando Touchstone Camel
Banter
Vulture Langar
Kite
Torment Alarm Venison
Southdown
Glencoe Mare Glencoe
Alea
Magdalene Syrian Mentmore Melbourne Humphrey Clinker
Cervantes Mare
Emerald Defence
Emiliana
Princess Autocrat Bay Middleton
Empress
Practice Euclid
Parade
My Mary Idle Boy Harkaway Economist
Fanny Dawson
Iole Sir Hercules
Cardinal Cape
Alexina Hetman Platoff Brutandorf
Comus Mare
Young Medora Prince
Fib

ペトラークは当馬の項を参照。

母マグダレンは現役時代2歳戦から積極的に短距離レースに出走し、勝ち星こそ少なかったものの、ニューナーサリーS・リヴァプールオータムナーサリーS・チェスターフィールドナーサリーSなどで2着に入った。4歳時まで走って繁殖入りした。しかし事故で早世したために産駒は3頭しか残せなかった。

本馬の半姉ニューマグダレン(父アルタイレ)の牝系子孫は米国でしばらく続き、加国最大の競走キングズプレート(現クイーンズプレート)を1930年に勝ったエイモンドが出たが、その後が続かずに現在は途絶えている模様である。本馬の半妹ミセスバードウェル(父シーソー)の牝系子孫は、ミセスバードウェルの孫にマッセナ【ミラノ大賞】が出るなど、独国や伊国でしばらく残っていたが、20世紀初頭に欧州では途絶えた。しかしミセスバードウェルの娘レディミンストレルが南米に輸入されてその牝系が細々と生き残り、末裔にチリのGⅠ競走ポージャデポトランカス賞・ラスオークスを勝った後に日本に繁殖牝馬として輸入されたワシントンシティが登場して、21世紀にも繋がる事になった。→牝系:F1号族①

母父シリアンは現役時代タフに走り、ニューポートC・グレートシュロップシャーH2回を勝ち、ケンブリジシャーHで独ダービー馬アドニスの2着している。シリアンの父メントモアはウエストオーストラリアンの父メルボルン産駒。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は仏国パリ近郊のラルモイ牧場で種牡馬入りした。本馬と同世代の強豪馬であるオーモンド、サラバンド、ミンティングは当初英国で種牡馬入りしたが、3頭とも種牡馬としての成績は期待以下であり、オーモンドは後に亜国に、サラバンドは独国に売却される運命を辿った(オーモンドは直系が残り、サラバンドは独国で成功種牡馬となった他にプリティポリーの母父となり、ミンティングはスペアミントの母父となり、いずれも全く不振だったわけではない)。

同世代の強豪馬4頭の中で一番種牡馬として成功したのは本馬であり、8頭の仏国クラシック競走の勝ち馬を出し、1894・1901年と2度の仏首位種牡馬に輝いた。本馬の産駒は本馬ほど短距離戦におけるスピードは有していなかったが、クラシック競走を勝ち切るだけのスピードとスタミナを兼備していた。1902年3月、本馬は腸捻転のためラルモイ牧場において19歳で他界した。直系は現在残っていないが、本馬の血を引く馬は残っている。本馬の名前が血統表内に出てくる馬として筆者が真っ先に思い浮かぶのは、凱旋門賞を2連覇したクサール(クサールの父方の祖父チョウベルスキーの母父が本馬)と、クサールの代表産駒トウルビヨンの2頭である。本馬の血は主にこの2頭を経由して後世に受け継がれているのである。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1888

Berenger

ロワイヤルオーク賞・カドラン賞・サブロン賞

1889

Annita

仏オークス

1889

Saint Michel

ノアイユ賞

1890

Tilly

仏1000ギニー

1891

Calceolaire

仏1000ギニー

1891

Floride

ヴァントー賞

1891

Gouvernail

ロワイヤルオーク賞・リュパン賞

1892

Launay

サラマンドル賞・仏2000ギニー・プランスドランジュ賞

1894

Indian Chief

仏2000ギニー・ドゥザン賞

1894

Longbow

バルブヴィル賞

1894

Poetess

アラバマS

1894

The Shrew

ロワイヨモン賞

1894

Vidame

ロベールパパン賞・ユジェーヌアダム賞

1897

Monsieur Amedee

ドーヴィル大賞

1897

Royal

ノアイユ賞

1898

Butor

クリテリウムドメゾンラフィット

1898

Indian Shore

ロベールパパン賞

1898

Saxon

仏ダービー・リュパン賞・ダリュー賞・ロンシャン賞

1898

Tibere

ノアイユ賞

1901

Monsieur Charvet

グレフュール賞

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