マックダイナモ

和名:マックダイナモ

英名:McDynamo

1997年生

鹿毛

父:ダイナフォーマー

母:ロンドニア

母父:モンテヴェルディ

閉所恐怖症のため平地競走では芽が出なかったが障害競走に転向するとBCグランドナショナルを5連覇するなど大活躍した21世紀米国最高の障害競走馬

競走成績:3~10歳時に米で走り通算成績34戦17勝2着6回3着1回(うち障害25戦15勝2着4回)

この名馬列伝集では平地競走馬の紹介が主体であり、障害競走馬の紹介まではなかなか手が回っていない。欧州の場合は平地競走より障害競走のほうが人気は高いため、そんなことでは本当は良くないのは分かっているのだが、資料不足などもあってどうしても後回しになってしまう。

一方で米国の場合は障害競走の人気がはっきり言って低いため、あまり紹介しなくてもよいかという思考が筆者の頭の中にはある。しかしさすがに本馬を紹介しないわけにはいくまい。21世紀米国障害界における最高の競走馬であり、米国競馬の殿堂入りも果たしている馬だからである。米国障害競走の状況に関してはツスカリーの項に記載したため、ここでは省略する。

誕生からデビュー前まで

リチャード・フォックス氏、ネイサン・フォックス氏、リチャード・カスター氏の3名により米国ケンタッキー州において生産された。1歳時のキーンランド9月セールに出品され、マイケル・J・モラン調教師により8万2千ドルで購入され、彼の所有・管理馬となった。

モラン師は別に障害競走馬を買ったつもりはなく、本馬の全兄オールドチャペルが1995年の平地グレード競走ジェネラスSを勝っていたため、平地における活躍を期待して購入したのだと後になって語っている。そんなわけで、本馬もデビュー当初は平地競走を走ることになった。

競走生活(3歳時)

3歳5月にピムリコ競馬場で行われた芝8.5ハロンの未勝利戦で、ジーザス・カスタノン騎手を鞍上にデビューした。単勝オッズ5.4倍で11頭立ての2番人気に推された。しかしスタートを失敗して最後方からの競馬となり、直線で少しだけ順位を上げただけで、2番手から抜け出して勝った単勝オッズ19.6倍の7番人気馬ノースブリッジから8馬身1/4差の7着に敗れた。

次走は翌6月に同じくピムリコ競馬場で行われた芝12ハロンの未勝利戦となった。今回はマーク・ジョンストン騎手とコンビを組んだ本馬は、単勝オッズ5.3倍で10頭立ての2番人気と、前走とほぼ同じ評価だった。今回は前走ほど出遅れることは無く、普通に馬群の中団後方を追走。向こう正面で外側を通って位置取りを上げると、2番手で直線に入ってきた。そして先に先頭に立っていた単勝オッズ1.8倍の1番人気馬サファリレーサーに並びかけて叩き合いに持ち込むと、サファリレーサーより6ポンド軽い斤量を活かして競り勝ち、鼻差で初勝利を挙げた。

それから3週間後にはベルモントパーク競馬場で行われた芝9.5ハロンの一般競走に出走した。今回はロビー・デイヴィス騎手とコンビを組んだ本馬は、単勝オッズ13.6倍で10頭立ての6番人気だった。今回も馬群の中団を追走したのだが、三角に入った頃には既に息切れ。後方から鮮やかなまくりを決めて勝った単勝オッズ3.1倍の1番人気馬ホットスパーから7馬身差をつけられた9着に敗れた。

次走は翌7月にベルモントパーク競馬場で行われた芝10ハロンの一般競走となった。今回はエドガー・プラード騎手とコンビを組んだ本馬は、単勝オッズ14.6倍で8頭立ての5番人気だった。プラード騎手は本馬をスタートから先頭に立たせて、後続を引き付けながらの逃げを打たせた。そして三角までは先頭にいたのだが、ここから後続馬群に飲み込まれてしまった。レースは2番手を追走してきた単勝オッズ1.95倍の1番人気馬エーピーデルタが勝利を収め、本馬は8馬身差をつけられた7着に終わった。

このレース後に後脚に亀裂骨折がある事が判明して、骨片の除去手術が行われた。そのために3歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は4戦1勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳時は6月にモンマスパーク競馬場で行われた芝9ハロンの一般競走から始動した。ここではカルロス・マルケス・ジュニア騎手とコンビを組み、単勝オッズ9.5倍で10頭立ての5番人気となった。マルケス・ジュニア騎手は後方待機策を選択し、本馬は10頭立ての9番手を追走した。そして三角に入ると外側を通って前との差を詰めていった。そして7番手で直線に入ると末脚を伸ばして次々に他馬を抜き去ってきた。しかし3番手から直線入り口で先頭に立っていた単勝オッズ7.5倍の3番人気馬アロタブルだけに届かず、2馬身差の2着に敗れた。

その後はヴァージニア州コロニアルダウンズ競馬場に向かい、7月に行われた芝10ハロンの一般競走に出走した。今回はマリオ・ヴァージ騎手とコンビを組んだ本馬は、単勝オッズ3.9倍で10頭立ての2番人気となった。ヴァージ騎手は逃げるでもなく追い込むでもなくの最も無難な中団待機策を選択。そして三角に入ってから仕掛けて、外側を駆け上がり、直線入り口で先頭に立った。後はそのまま押し切るだけだったのだが、それに失敗。最後方待機策から4番手で直線に入ってきた単勝オッズ3.1倍の1番人気馬プロスペクトグリーンに瞬く間に差されてしまい、3馬身差の2着に敗れた。

引き続きコロニアルダウンズ競馬場に留まった本馬は、翌8月に前走と同コースで行われた一般競走に出走した。前走に続いてヴァージ騎手が騎乗した本馬は、単勝オッズ2.3倍で8頭立ての1番人気に支持された。ヴァージ騎手が採用した戦術は前走と異なり、逃げ馬を見るように2番手を進むというものだった。そして逃げていた単勝オッズ17.6倍の7番人気馬フォレストサービスに三角で並びかけた。フォレストサービスもここから粘りを見せて本馬に抜かさせず、2頭が並んで直線に入ってきた。しかし斤量は本馬のほうが2ポンドだけだが軽かった事もあり、本馬が徐々に前に出て、2着フォレストサービスに1馬身1/4差で勝利した。

2勝目を挙げた本馬はすぐにニューヨーク州に戻ってきて、前走から僅か9日後にサラトガ競馬場で行われた芝12ハロンの一般競走に出走した。今回は名手パット・デイ騎手とコンビを組んだ本馬だったが、同じ一般競走でもコロニアルダウンズ競馬場よりサラトガ競馬場のほうがレベルは高く、単勝オッズ12.1倍で11頭立ての5番人気だった。デイ騎手は前走でヴァージ騎手が採った作戦を踏襲したようで、逃げる単勝オッズ6.3倍の4番人気馬クワイエットワンを見るように2番手を追走した。向こう正面でクワイエットワンが早くも遅れだしたが、後方にいた単勝オッズ5.4倍の3番人気馬ザフォニックスソングがするすると上がってきて先頭に立ったため、本馬の順位は2番手のままだった。そのままの態勢で直線に入ってきたのだが、ザフォニックスソングを捕まえられず、後方から来た上位人気馬2頭に差されて、勝ったザフォニックスソングから2馬身3/4差の4着に敗れた。

内容的にはそう悪いものではなかったため、次走は翌9月にベルモントパーク競馬場で行われた芝10ハロンの一般競走となった。今回もデイ騎手が本馬に騎乗したのだが、ここでは単勝オッズ25.75倍で7頭立ての6番人気(1番人気馬2頭がカップリングだったために最低人気)という低評価となった。作戦は過去2戦と同じであり、逃げる単勝オッズ2.85倍の2番人気馬メガンティックを見るように2番手を進んだ。しかし大失速こそしなかったものの伸びを欠き、後続馬に次々と差された。結局レースはメガンティックが逃げ切って勝利を収め、本馬はメガンティックから4馬身差の6着に敗れた。

この時点でモラン師は本馬の平地競走馬としての将来に見切りをつけた。そして自身の所有馬のまま、障害調教師をしていた元騎手のサンナ・ネイルソン・ヘンドリクス師に預け、障害競走馬として再出発をさせることにした。

障害デビュー戦は前走から6週間後、10月下旬にニュージャージー州ファーヒルズ競馬場で行われた距離18ハロンの障害未勝利戦だった。主戦となるクレイグ・ソーントン騎手が騎乗した本馬は、先行して馬なりのまま直線入り口で先頭に立ち、ソーントン騎手が鞭を使う必要もなく、2着ストームタッチに4馬身1/4差をつけて勝利した。4歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は6戦2勝(障害1戦1勝)だった。

競走生活(5歳時)

5歳時は4月にコロニアルダウンズ競馬場で行われた距離18ハロンの障害一般競走から始動した。ここではマシュー・マッキャロン騎手が騎乗した本馬は、やはり先行して馬なりのまま道中で先頭に立ち、2着コマンチェレイダーに7馬身差をつけて圧勝した。

次走は翌5月にチャーチルダウンズ競馬場で行われたハードスカッフルハードルS(米GⅠ・17F)だった。対戦相手は、前走のGⅢ競走ボーリューオブアメリカノービスハードルSを勝ってきたナッジム、障害競走で3戦2勝2着1回のアンエイリアネーブルライト、障害未勝利戦を勝ちながら平地に戻って勝てずに障害に舞い戻ってきたマイルスアヘッドなど7頭だった。160ポンドのナッジムが単勝オッズ2.3倍の1番人気、151ポンドのアンエイリアネーブルライトが単勝オッズ4.5倍の2番人気、148ポンドのマイルスアヘッドが単勝オッズ6.5倍の3番人気、ソーントン騎手が騎乗する151ポンドの本馬が単勝オッズ6.6倍の4番人気となった。

レースではアンエイリアネーブルライトが先頭を引っ張り、本馬は2番手を追走。しかし6番目の障害でアンエイリアネーブルライトが飛越に失敗して大きく後退したため、本馬が先頭に押し出された。本馬も5番目の障害でアンエイリアネーブルライトが少し飛越に失敗した際にぶつかってしまっていたのだが、そんなダメージは無かったかのようにその後も先頭を維持。直線ではソーントン騎手が手だけで本馬を追い続け、2着ナッジムに2馬身1/4差をつけて勝利した。

次走はそれから15日後にピムリコ競馬場で行われたジョーアッチェソンハードルS(米GⅠ・18F)となった。154ポンドの本馬が単勝オッズ1.9倍の1番人気、前走3着のマイルスアヘッドが148ポンドで単勝オッズ6.1倍の2番人気、平地でグレード競走に6回出て全て着外だったために障害に転向してきた148ポンドのディキシーズクラウンが単勝オッズ8.3倍の3番人気、障害競走3戦2勝2着1回の151ポンドのアンオファールキャントレフューズが単勝オッズ9.3倍の4番人気となった。レースはスタートからアンオファールキャントレフューズが先頭を走り、本馬は2番手を追走した。2頭とも特に飛越に失敗する事はなく、そのままの態勢で直線に入ってきた。本馬はアンオファールキャントレフューズに並びかけようとしたが、アンオファールキャントレフューズが二の脚を使って伸びたために捕らえきれず、2馬身差の2着に敗れた。

次走は翌6月にベルモントパーク競馬場で行われたメドウブルックハードルS(米GⅠ・20F)となった。154ポンドのアンオファールキャントレフューズが単勝オッズ3.35倍の1番人気、同じく154ポンドの本馬が単勝オッズ4倍の2番人気、160ポンドのナッジムが単勝オッズ4.1倍の3番人気となった。しかし本馬は先行するも、7番目の障害において生涯最初で最後の落馬競走中止。レースは序盤を抑え気味に入った単勝オッズ51.5倍の最低人気馬シャープフェイスがゴール直前でアンオファールキャントレフューズを捕らえて1馬身差で勝利した。

落馬した原因は、この頃の本馬が行きたがる性格であり、無謀な飛越をして失敗したからだとされている。そのためにヘンドリクス師は本馬に我慢する事を教え込んだ。

その忍耐特訓のためにしばらく間隔を空け、次走は10月にファーヒルズ競馬場で行われたフォックスブロックシュプリームハードルS(米GⅡ・20F)となった。ここではガス・ブラウン騎手が騎乗した本馬は、特訓の成果を試すべく序盤を抑え気味に入った。そしてレース中盤で先頭に立つと、後は延々と後続馬を引き離すだけとなり、2着ミスターパーコレーターに19馬身差をつけて圧勝した。

次走は11月にジョージア州パインマウンテン競馬場で行われたチャンピオンシップシュプリームハードル(米GⅠ・19F)となった。対戦相手は、アンエイリアネーブルライト、ミスターパーコレーター、前走3着のトレビゾンドなどだった。

スタートが切られるとアンエイリアネーブルライトが猛然と加速して大逃げを打ち、今回もブラウン騎手が騎乗した本馬は序盤を抑え気味に入った。アンエイリアネーブルライトは今回飛越に失敗しなかったが、飛ばし過ぎたためかスタミナが切れて失速。代わって2番手追走のギャラントタークが先頭に立って直線に入ってきた。しかしギャラントタークの直後で直線を向いた本馬が差し切り、8ポンドのハンデを与えた2着ギャラントタークに1馬身半差をつけて勝利した。5歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は6戦4勝だった。

競走生活(6歳時)

6歳時は4月にキーンランド競馬場で行われたロイヤルチェイスフォーザスポーツオブキングスハードルS(米GⅠ・20F)から始動した。このレースは定量戦であり全馬同斤量だった。GⅠ競走カロリナC2回の他にGⅢ競走ナショナルハントC3回・アップルトンハードルSを勝っていた前年の同競走2着馬アルスカイウォーカー、GⅠ競走ハードスカッフルハードルS・メドウブルックハードルS・GⅡ競走アフラックUSチャンピオンシップシュプリームハードルS・GⅢ競走テンプルグワスメイハードルSの勝ち馬でGⅠ競走ジョーアッチェソンハードルS・イロコイハードルSで2着していた新国出身馬プレイズザプリンス、13日前のGⅡ競走アトランタCを勝ってきたシャムロックアイル、GⅠ競走BCグランドナショナル・アトランタC・イロコイハードルSの勝ち馬オールゴング、一昨年のBCグランドナショナルの勝ち馬クエルセニョール、前年のメドウブルックハードルS2着後は不振だったアンオファールキャントレフューズなど7頭が対戦相手となった。アルスカイウォーカーが単勝オッズ2.1倍の1番人気、プレイズザプリンスが単勝オッズ5倍の2番人気、ソーントン騎手騎乗の本馬が単勝オッズ5.6倍の3番人気、シャムロックアイルが単勝オッズ7.3倍の4番人気となった。

ソーントン騎手は過去2戦でブラウン騎手が採用した戦術を踏襲し、レース序盤は本馬を後方につけた。最終コーナーに入る辺りでもまだ8頭立ての6番手だったが、ここから瞬く間に他馬を抜き去って直線入り口では既に先頭。後は馬なりのまま差を広げるだけで、ブラウン騎手が騎乗していた2着シャムロックアイルに7馬身半差をつけて圧勝した。

その後はしばらくレースに出ず、10月にファーヒルズ競馬場で行われたBCグランドナショナル(米GⅠ・21F)に直行した。このレースは、正式名称グランドナショナルスティープルチェイスであり、英国最大の障害競走グランドナショナルと対比して、一般的にアメリカングランドナショナル(米グランドナショナル)と呼称されるレースである。この時期にはブリーダーズカップの一環として施行されていたので、BCグランドナショナルと呼称されていたが、米国各地の競馬場が持ち回りで開催する他のブリーダーズカップの競走と異なり、ファーヒルズ競馬場のみで施行されていた。そのために他のブリーダーズカップの競走より盛り上がりに欠ける(米国障害競走の人気が低いためでもある)が、米国障害競走界における最高峰の競走である事は確かだった。

対戦相手は、前年のアフラックUSチャンピオンシップシュプリームハードルS3着後にこの年のメドウブルックハードルSでも3着していたミスターパーコレーター、前年のアフラックUSチャンピオンシップシュプリームハードルS4着後にこの年のハードスカッフルハードルS・メドウブルックハードルSを勝ってGⅠ競走2勝馬となっていたトレビゾンド、GⅠ競走イロコイハードルS・GⅢ競走マーセラスフロストハードルSの勝ち馬ペラゴス、GⅡ競走デビッドLジークファーガソン記念ハードルSの勝ち馬インディスペンサブルなど6頭だった。スタートが切られるとインディスペンサブルが先頭に立ち、ソーントン騎手は前走から一転して本馬に2番手を追走させた。そして最終障害を無事に飛越すると、一瞬にして後続馬をちぎり捨てた。直線だけで後続との差を10馬身以上広げ、最後方からの追い込みで2着に入ったペラゴスに15馬身1/4差をつけて圧勝した。

次走は翌11月にサウスカロライナ州カムデン競馬場で行われたコロニアルC(米GⅠ・22F)となった。対戦相手は、ペラゴス、前走で3着と健闘していたムラヘン、ロイヤルチェイスフォーザスポーツオブキングスハードルS5着後にナショナルハントC4勝目を挙げていたアルスカイウォーカー、前年のメドウブルックハードルS3着以降は不振だったナッジム、一昨年の同競走とGⅡ競走バイソンキャピタルハードルSの勝ち馬で前走アップルトンハードルSを勝って復活してきた一昨年のBCグランドナショナル2着馬ロードザダなど6頭だった。スタートが切られるとムラヘンが大逃げを打った。そのためかソーントン騎手はまたしても前走から一転して本馬を後方につけさせた。やがてムラヘンがばてて失速すると同時に加速して先頭に立った。本馬を追いかけてきたのはロードザダのみであり、他馬勢はいつの間にか20馬身後方に消えていた。しかしロードザダが本馬に迫ろうとしたところで、本馬が再び加速。2着ロードザダに4馬身差をつけて快勝した。

6歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は3戦3勝だったが、全てがGⅠ競走だったため、この年のエクリプス賞最優秀障害競走馬のタイトルを受賞した。

競走生活(7歳時)

7歳時はなかなか競馬場に姿を現さず、ようやく出走してきたレースはBCグランドナショナル(米GⅠ・21F)だった。対戦相手は、6年前と一昨年の同競走の勝ち馬でGⅠ競走コロニアルC2回・ロイヤルチェイスフォーザスポーツオブキングスハードルS・GⅡ競走デビッドLジークファーガソン記念ハードルSも勝っていたエクリプス賞最優秀障害競走馬2回受賞のフラットトップ、GⅠ競走イロコイハードルS・ニューヨークターフライターズC・GⅡ競走フォックスブロックシュプリームハードルS・GⅢ競走グラッドストンハードルS・ボーリューオブアメリカスプリングノービスハードルS・マーセラスフロストハードルSの勝ち馬で一昨年の同競走2着のトレトゥシェ、GⅠ競走アフラックUSチャンピオンシップシュプリームハードルS・ロイヤルチェイスフォーザスポーツオブキングスハードルSの勝ち馬ヒラプール、GⅠ競走フォックスブロックシュプリームハードルS・ジョージアC・メドウブルックハードルS・GⅡ競走メトカルフ記念ハードルSの勝ち馬シュールラテート、愛国のGⅠ競走ヒューレットパッカードゴールウェイプレートを勝って遠征してきたアンサール、前年のコロニアルCで3着だったペラゴスの計6頭だった。

ソーントン騎手は今回も本馬を馬群の中団後方につけさせた。先頭のトレトゥシェからは7馬身程度の差だった。しばらくは馬群の中でじっと我慢しながら飛越を続けると、向こう正面で進出して一気に先頭に立った。本馬を追ってきたのはヒラプールとシュールラテートの2頭だったが、その追撃を余裕で凌いだ本馬が2着ヒラプールに1馬身半差をつけて勝利。1928年のジョリーロジャー、1958年のネジ、1960年のサンドッグ以来44年ぶり史上4頭目の同競走2連覇を達成した。

その後は前年と同じくコロニアルC(米GⅠ・22F)に出走した。対戦相手は、ヒラプール、前走3着のシュールラテート、同4着のトレトゥシェ、GⅢ競走カロリナC・アップルトンハードルSの勝ち馬プリエンプティヴストライクなどだった。スタートが切られるとプリエンプティヴストライクが大逃げを打った。一時期は2番手のトレトゥシェに20馬身以上の差をつける超大逃げだった。本馬は序盤こそ馬群の後方にいたのだが、あまりにプリエンプティヴストライクの逃げが凄かったためか、早い段階で進出していった。しかしそれは結果的に早仕掛けとなってしまったようで、レース終盤で全く伸びなかった。レースは粘るプリエンプティヴストライクを直線でかわしたヒラプールが勝利を収め、本馬はヒラプールから16馬身3/4差をつけられた4着に終わった。

7歳時の成績は2戦1勝で、いかにBCグランドナショナルを勝ったと言ってもエクリプス賞最優秀障害競走馬の受賞は成らなかった(ヒラプールが受賞)。

競走生活(8歳時)

8歳時は4月のロイヤルチェイスフォーザスポーツオブキングスハードルS(米GⅠ・20F)から始動した。ヒラプール、前年のコロニアルCで3着だったシュールラテート、前年のコロニアルCで完走できなかったトレトゥシェ、前年暮れにGⅠ競走アフラックUSチャンピオンシップシュプリームハードルSを勝っていたチェロキーインザヒルズなどが対戦相手だった。162ポンドの本馬が単勝オッズ2.5倍の1番人気、160ポンドのヒラプールが単勝オッズ3.4倍の2番人気、156ポンドのシュールラテートが単勝オッズ5.2倍の3番人気、142ポンドのチェロキーインザヒルズが単勝オッズ5.9倍の4番人気となった。

レースは150ポンドのトレトゥシェが先手を取ったが、前年のコロニアルCにおけるプリエンプティヴストライクのような超大逃げではなく、後続に2~3馬身をつける程度のものだった。本馬は例によって馬群の後方にいたが、しばらくして2番手に上がり、トレトゥシェを見るように進んだ。そしてトレトゥシェをかわして先頭に立ったところに、後方からヒラプールとシュールラテートの2頭が追い上げてきた。直線で一気にかわされた本馬は、勝ったヒラプールから4馬身3/4差、2着シュールラテートから3馬身半差の3着に敗れた。

その後はテネシー州パーシーワーナー競馬場に向かい、5月のイロコイハードルS(米GⅠ・24F)に出走した。ヒラプールはいなかったが、シュールラテートが出走してきた。レースはシュールラテートが中団を進み、本馬は例によって後方待機策を採った。そしてシュールラテートが加速するのと同時に動き、先頭のシュールラテートに並びかけた状態で直線に入ってきた。このレースは定量戦で全馬同斤量だったから、後方から来た本馬のほうが有利なはずだったが、二の脚を使ったシュールラテートが直線で本馬を突き放した。最後は2馬身半差をつけられて2着に敗れてしまった。

次走は7月にコロニアルダウンズ競馬場で行われたデビッドLジークファーガソン記念ハードルS(米GⅢ・18F)となった。今回はロバート・マッセイ騎手とコンビを組んだ本馬が単勝オッズ1.5倍の1番人気、GⅠ競走フォックスブロックシュプリームハードルS・GⅡ競走メドウブルックハードルSの勝ち馬パラダイスズボスが単勝オッズ3.4倍の2番人気となった。レースはパラダイスズボスが逃げて、本馬が最後方という、上位人気2頭が正反対の戦術を採った。当然本馬はいつまでも最後方にいるわけにはいかず、レース中盤からパラダイスズボスとの差を詰めにかかった。しかし本馬より8ポンド斤量が軽いパラダイスズボスをいつまでたっても捕らえる事が出来なかった。結局はパラダイスズボスが逃げ切り、本馬は5馬身1/4差をつけられて2着に敗れた。

次走は10月にメドウランズ競馬場で行われたサマーセットメディカルセンターハードルS(米GⅡ・24F)となった。ここには、前走のGⅠ競走ニューヨークターフライターズCで2着してきたスリーカラットに加えて、前年のコロニアルCで超大逃げを打って2着に粘った後にこの年のGⅡ競走ジョージアCを勝っていたプリエンプティヴストライクも出走してきた。158ポンドの本馬が単勝オッズ2.8倍の1番人気、152ポンドのプリエンプティヴストライクと144ポンドのスリーカラットが並んで単勝オッズ3.3倍の2番人気となった。

スタートが切られるとプリエンプティヴストライクが先頭に立った。プリエンプティヴストライクが半年前のジョージアCを勝った時は普通の逃げだったのだが、今回は超大逃げを打った。前年のコロニアルCでは2番手に20馬身差をつける逃げだったが、今回は2番手に30馬身差をつけていたから、超大逃げのさらに上を行く・・・何と表現すればよいのか分からないような逃げを打った。他の出走馬6頭は概ね固まって進んでおり、マッセイ騎手騎乗の本馬はその中では前方につけていた。プリエンプティヴストライクを追いかけるべきかマッセイ騎手は迷っていた様子である。しかしプリエンプティヴストライクの脚色がそれほど衰えないのを見て、ようやく他馬を置き去りにして追撃を開始。直線入り口ではプリエンプティヴストライクの後方3馬身ほどまで迫っていった。ところが本馬も追撃のために脚を使ってしまっており、ここからプリエンプティヴストライクを抜き去ることが出来なかった。ゴール前では逆に差を少し広げられ、5馬身差をつけられて2着に敗退してしまった。

これでこの年4戦全敗となった本馬だが、それでも同競走史上初の3連覇を目指してBCグランドナショナル(米GⅠ・21F)に出走した。対戦相手は、前走のGⅠ競走ニューヨークターフライターズCを勝ってきた好敵手ヒラプール、前走3着のスリーカラット、GⅢ競走マーセラスフロストハードルSの勝ち馬で平地のグレード競走でもレッドスミスH2着・ニッカーボッカーH3着の実績があったアンダーストゥッド、英国のGⅡ競走プロペンシティロッシントンメインノービスハードルの勝ち馬モンヴィリーズの4頭であり、プリエンプティヴストライクはいなかった。

このレースから主戦を務めることになったジョディ・ペッティ騎手と初コンビを組んだ本馬は、スタートしてすぐに先頭に立った。そして後続との2~3馬身ほどの差を維持しながら先頭を走り続けた。そして徐々に加速していくと、直線独走で2着スリーカラットに9馬身差をつけて圧勝。史上初の同競走3連覇を達成すると同時に、ブリーダーズカップ史上初の同一競走3連覇を達成した(2008~10年のBCマイルを2連覇したゴルディコヴァが2頭目)。

その後は3年連続出走となるコロニアルC(米GⅠ・22F)に向かった。対戦相手は、前走3着のヒラプール、同5着最下位のモンヴィリーズ、前月にGⅢ競走アップルトンハードルSを勝ってきたエリンゴブラーなど8頭だったが、本馬にとっては一番戦いたくない相手である前年2着馬プリエンプティヴストライクは長期休養に入っていたため不在だった。そのためにペッティ騎手は今回もスタートから本馬を先頭に立たせて、後続との差を確実に維持しながら逃げる作戦を採ることが出来た。直線入り口では2番手のヒラプールに5馬身ほどの差をつけていたが、さすがにヒラプールは実力馬であり、着実に本馬との差を縮めてきた。しかし本馬が凌ぎ切って1馬身半差で勝利を収め、前年の雪辱を果たした。

8歳時の成績は6戦2勝だったが、最後のGⅠ競走2連勝が効いて、この年のエクリプス賞最優秀障害競走馬を受賞した。

競走生活(9歳時)

9歳時は4月のロイヤルチェイスフォーザスポーツオブキングスハードルS(米GⅠ・24F)から始動した。対戦相手は、前年のイロコイハードルSで本馬を破った後に長期休養入りしてこれが復帰初戦だったシュールラテート、前年のコロニアルCで3着だったエリンゴブラーなど7頭だった。166ポンドの本馬が単勝オッズ2.3倍の1番人気、158ポンドのシュールラテートが単勝オッズ2.6倍の2番人気、148ポンドのエリンゴブラーが単勝オッズ6.1倍の3番人気となった。スタートが切られると斤量138ポンドのモーリタニアが先頭に立ち、本馬は馬群の中団につけた。そのまま中団でレースを進めた本馬だったが、第12障害を飛越したときにどこかを痛めたのか、コースから外れてそのまま競走中止。レースはやはり中団を追走したシュールラテートが直線独走で2着モーリタニアに10馬身差をつけて圧勝した。

その後はしばらくレースに出ず、前年にも出走した9月のサマーセットメディカルセンターハードルS(米GⅡ・24F)で復帰した。前走のGⅠ競走ニューヨークターフライターズCを筆頭にGⅡ競走ナショナルハントC・GⅢ競走マーセラスフロストハードルSを勝っていたミックスドアップが最大の強敵だった。152ポンドのミックスドアップが単勝オッズ2.4倍の1番人気、162ポンドの本馬が単勝オッズ2.7倍の2番人気となった。レースは本馬が2番手、ミックスドアップが3番手を走る展開となった。レース序盤では本馬とミックスドアップとの差は3馬身程度だったのだが、徐々にその差が広がり、直線入り口では5馬身ほどの差がついていた。勿論この段階で既に先頭は本馬であり、あとはゴールまで走り切るだけだった。最後は2着ミックスドアップに6馬身1/4差をつけて圧勝した。

そして4連覇をかけてBCグランドナショナル(米GⅠ・21F)に参戦した。対戦相手は、ミックスドアップ、本馬が競走中止となったロイヤルチェイスフォーザスポーツオブキングスハードルS2着後に2戦して2・3着していたモーリタニア、英国のノングループ障害競走を2連勝してきたチヴィテ、愛国で地道に障害競走を走っていたキルベガンラッドの4頭であり、過去3年の同競走に比べると格段に楽な対戦相手であり、落馬などのアクシデントでもしない限り本馬が負ける事は無さそうだった。

そして実際にレースは完全な本馬のワンサイドゲームとなった。スタートしてしばらくはモーリタニアを先に行かせて、2番手を追走。残り4ハロン地点でモーリタニアをかわすと後は延々と後続を引き離すだけだった。直線入り口では既に2番手のチヴィテには15馬身ほどの差をつけていた。ゴールではさらにその差を広げて、2着チヴィテに22馬身差をつけて同競走4連覇を達成。チヴィテから18馬身3/4差の3着がミックスドアップ、さらに61馬身3/4差の4着がモーリタニアで、最終障害手前で既に最下位確実な大差をつけられていたキルベガンラッドは最終障害を飛越せずに競走を中止するという、レースとしての体裁を成していない状況だった。別に誰かが悪いわけではないが、米国最大の障害競走がこんな有様では、米国における障害競走の人気が上がらないのは納得である。

その後はこれまた4年連続出走となるコロニアルC(米GⅠ・22F)に向かった。対戦相手は、この年はGⅡ競走APスミスウィック記念スティープルチェイスSを勝っていた前年2着馬ヒラプール、前年の同競走で5着に終わっていたモンヴィリーズ、チヴィテ、ミックスドアップの4頭だった。定量戦だったために本馬に対抗できそうなのはヒラプールくらいであり、他3頭では本馬の影も踏めないと思われたが、レースはその事前予想とは少し異なる結果となった。

スタートからモンヴィリーズが先頭に立ち、本馬は2馬身ほど後方の2番手を追走。ヒラプールは本馬から4馬身ほど後方の最後尾だった。残り5ハロンを切ってもモンヴィリーズが先頭で粘っており、それは本馬が並びかけてきても変わらなかった。そしてモンヴィリーズと本馬がほぼ同時に直線を向き、2頭の叩き合いが始まった。さらに直線ではヒラプールが追い上げてきて、2頭の叩き合いに割って入ろうとしてきた。最後は本馬が競り勝って同競走3勝目を挙げ。モンヴィリーズが1馬身差の2着、ヒラプールはさらに半馬身差の3着だった。2着に入ったのがヒラプールではなくモンヴィリーズだった点や、接戦となった点で事前予想と少し異なっていたが、本馬の勝利は結局揺るがなかった。

9歳時の成績は4戦3勝で、2年連続3度目のエクリプス賞最優秀障害競走馬に選出された。

競走生活(10歳時)

10歳時も現役を続け、2年ぶりの出走となるイロコイハードルS(米GⅠ・24F)から始動した。対戦相手は、本馬が競走中止した前年のロイヤルチェイスフォーザスポーツオブキングスハードルSを勝った後にこのイロコイハードルSも勝利したがその後は長期休養に入ったためにこれがちょうど1年ぶりの実戦だったシュールラテート、本馬と同じくコロニアルC以来の実戦となるモンヴィリーズ、前年のコロニアルCで5着最下位だったチヴィテ、GⅢ競走デビッドLジークファーガソン記念ハードルSの勝ち馬で前走ロイヤルチェイスフォーザスポーツオブキングスハードルS2着のグッドナイトシャートなど9頭だった。

スタートが切られるとグッドナイトシャートが先頭に立ち、本馬は4番手の好位を追走した。向こう正面ではいったんグッドナイトシャートの隣まで上がってきたのだが、ここからグッドナイトシャートより先に失速。レースは結局グッドナイトシャートがそのまま逃げ切ってしまい、5馬身1/4差の2着がシュールラテート、さらに5馬身1/4差の3着がチヴィテで、本馬はさらに18馬身差、勝ったグッドナイトシャートからだと28馬身半差をつけられた4着と惨敗した。前年のBCグランドナショナルで22馬身差をつけたチヴィテに18馬身差をつけられたわけであり、さすがに10歳ともなると競走能力の減退が見られる頃だったこともあり、引退の文字が本馬の周囲を回り始めた。

しかし陣営は本馬に長期休養を取らせると、5連覇を目指してBCグランドナショナル(米GⅠ・21F)にぶっつけ本番で参戦させた。対戦相手は、イロコイハードルSに続いて前走ロンサムグローリーハードルSも勝ってGⅠ競走2連勝としていたグッドナイトシャート、この年のGⅡ競走カロリナCの勝ち馬で前走ロンサムグローリーハードルS2着のオリソン、一昨年の同競走2着後に長期休養に入りこれがちょうど2年ぶりのレースだったスリーカラット、イロコイハードルSから直行してきたチヴィテ、豪州のGⅠ競走LVラカールハードルSの勝ち馬スイートシャニ、この年のGⅡ競走ナショナルハントCを勝っていたベストアタック、この年のGⅠ競走ニューヨークターフライターズCで2着していたアンダービッダーなど8頭であり、前年に比べると対戦相手のレベルが高く、全盛期を過ぎていた本馬にはやや厳しい状況だった。

スタートが切られると本馬は先頭を伺ったが、ルオンゴに先頭を譲って2番手に控えた。しかしレース中盤で先頭を奪い、そのまま後続を引き付ける逃げを打った。そして最終コーナーで後続との差を広げ、6馬身ほどの差をつけて直線に入ってきた。あとはペッティ騎手が何もしなくてよいほどで、2着スイートシャニに6馬身差をつけて圧勝。同競走5連覇を見事に成し遂げた。なお、このBCグランドナショナルがブリーダーズカップの一環として施行されたのはこの年が最後で、翌年からは以前のグランドナショナルスティープルチェイス(米グランドナショナル)の名称に戻っている。

その後はこれまた5年連続出走となるコロニアルC(米GⅠ・22F)に向かった。対戦相手は、前走4着のグッドナイトシャート、同5着のアンダービッダー、同6着のオリソン、同競走中止のルオンゴ、同落馬のスリーカラットなどであり、前走の結果から本馬の同競走4勝目は有力視されていた。スタートが切られるとグッドナイトシャートが先頭に立ち、本馬が1~2馬身ほど後方の2番手を追走。そのまま2頭の順位も差も変わることが無く最終コーナーに入ってきた。ところがグッドナイトシャートが快調に先頭を飛ばすのに対して、本馬は少しずつ離されていき、後方から来た馬達に次々と追い抜かれた。レースはグッドナイトシャートが逃げ切って勝ち、本馬は12馬身3/4差をつけられた6着と惨敗。そしてこのレースを最後に競走馬を引退する事がモラン氏から発表された。

10歳時の成績は3戦1勝で、さすがにエクリプス賞最優秀障害競走馬の4度目の受賞には至らなかった(グッドナイトシャートが受賞。ちなみにグッドナイトシャートは翌年に米グランドナショナルなどGⅠ競走だけ5戦して全て勝利を収め、2年連続でエクリプス賞最優秀障害競走馬を受賞している)。

競走馬としての特徴

本馬の獲得賞金総額131万104ドルは、障害競走馬としては2015年時点で米国1位の記録となっている。本馬が5連覇したBCグランドナショナルはファーヒルズ競馬場で行われたために、本馬は“King of Far Hills(ファーヒルズの王)”と呼ばれた。体高は16.3ハンドで、大跳びで走り、レース終盤の爆発的な末脚で勝負する事が多かった。

そんな本馬だが幼少期から閉所恐怖症の気があったらしく、当然馬群に包まれるのも嫌いだった。本馬が逃げたり追い込んだりと両極端なレースが比較的多かったのはおそらくそのためである。しかし障害競走では下手に馬群が密集すると落馬があった際に大事故に直結するため、比較的馬群がばらける場合が多く、その点では本馬に向いていたようである。あと、閉所恐怖症の本馬はゲートに入れられるのも大嫌いだったが、米国の障害競走は現在もゲートを採用していないから、これも本馬には向いていた。もし本馬が閉所恐怖症で無ければ平地競走でそれなりに活躍していたかもしれないが、そうしたら世紀の名障害競走馬にはなれなかったわけであり、結果的には閉所恐怖症が吉と出たわけである。

ちなみに本馬は現役競走馬のときから、狩猟用馬及び厩舎内の誘導馬としてヘンドリクス師に使役されていたが、これは別にヘンドリクス師が本馬を酷使したわけではなく、むしろ本馬の気分転換のためだった。本馬の年間最多出走回数は6回であり、少しでも負傷した場合には長期間の療養期間が与えられた。本馬は陣営から家族同様に扱われていたと言われており、長期間に渡って一線級で活躍した本馬の競走能力の理由の一端をそこに垣間見ることが出来る。

馬名は、本馬の購入をモラン氏に薦めた彼の友人スティーヴ・マクドナルド(Steve McDonald)氏と父ダイナフォーマーの名前に由来している。

血統

Dynaformer Roberto Hail To Reason Turn-To Royal Charger
Source Sucree
Nothirdchance Blue Swords
Galla Colors
Bramalea Nashua Nasrullah
Segula
Rarelea Bull Lea
Bleebok
Andover Way His Majesty Ribot Tenerani
Romanella
Flower Bowl Alibhai
Flower Bed
On The Trail Olympia Heliopolis
Miss Dolphin
Golden Trail Hasty Road
Sunny Dale
Rondonia Monteverdi Lyphard Northern Dancer Nearctic
Natalma
Goofed Court Martial
Barra
Janina Match Tantieme
Relance
Jennifer Hyperion
Avena
Flying Carpet Damascus Sword Dancer Sunglow
Highland Fling
Kerala My Babu
Blade Of Time
Pimento Dram Cyane Turn-To
Your Game
Rum Bottle Bay Thinking Cap
Sea Snack

父ダイナフォーマーはバーバロの項を参照。

母ロンドニアは不出走馬。母としては本馬の全兄オールドチャペル【ジェネラスS(米GⅢ)】も産んでいる。ロンドニアの曾祖母ラムボトルベイの半姉にはエンディネ【デラウェアH2回・レディーズH】がいる。ラムボトルベイの母シースナックはモデスティHの勝ち馬で、シースナックの母ミスファーディナンドはメイトロンSの勝ち馬。→牝系:F1号族①

母父モンテヴェルディはリファール産駒の愛国産馬で、現役成績は8戦4勝。デューハーストS(英GⅠ)・愛ナショナルS(愛GⅡ)を制して1979年の英及び愛最優秀2歳牡馬に選ばれた。種牡馬としては米国で供用されたが、あまり好成績を挙げられなかったため、11歳時に南米のベネズエラに輸出された。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、モラン氏が所有するペンシルヴァニア州アップルストーンファームで、狩猟馬などをしながら余生を過ごすことになった。2013年に米国競馬の殿堂入りを果たした。

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