クルセイダー
和名:クルセイダー |
英名:Crusader |
1923年生 |
牡 |
栗毛 |
父:マンノウォー |
母:スターファンシー |
母父:スターシュート |
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3歳時にサラゼンやプリンセスドリーン、それに同世代の強豪牡馬達を次々に撃破して米年度代表馬に選出されたベルモントSの勝ち馬 |
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競走成績:2~5歳時に米で走り通算成績42戦18勝2着8回3着4回 |
誕生からデビュー前まで
父マンノウォーの所有者だったサミュエル・D・リドル氏により生産され、リドル氏のグレンリドルファーム名義で競走馬となり、グウィン・R・トンプキンス調教師に預けられた。父マンノウォー産駒の中でも本馬は特に父に良く似た外見を有した馬だったという。主戦はアール・サンデ騎手又はアルバート・ジョンソン騎手が務めた。
競走生活(2・3歳時)
2歳4月にハヴァードグレイス競馬場で行われた未勝利戦でデビューしたが着外に敗退。2戦目も敗れたが、ピムリコ競馬場で出走したダート4.5ハロンの未勝利戦で初勝利を挙げた。その後はベルモントパーク競馬場で行われたポトマックパースを勝った。さらにピムリコ競馬場で行われた賞金1万ドルのマナーH(D8F)を10馬身差で圧勝。他にもナショナルS(D6F)で3着するなど、2歳時は11戦5勝2着1回3着2回の成績を残した。
管理調教師がジョージ・H・コンウェイ師に代わった3歳時は、初戦と2戦目の一般競走で連続2着の後、父マンノウォーと同じくケンタッキーダービーには出走せず、ウィザーズS(D8F)に向かった。ここでは、グランドユニオンホテルS・サラトガスペシャルSの勝ち馬ヘイストの2着だった。
その後は古馬相手のサバーバンH(D10F)に出走。前年にウィザーズS・ベルモントS・ドワイヤーSを制して米最優秀3歳牡馬に選ばれている同馬主同厩同父のアメリカンフラッグ、一昨年のジョッキークラブ金杯で2着していたキングソロモンズシールなどが対戦相手となった。しかし本馬がアメリカンフラッグを5馬身差の2着に、キングソロモンズシールを3着に破って圧勝した。
それから1週間後には、この年から距離が1ハロン延長されたベルモントS(D12F)に出走した。レースは泥だらけの不良馬場で行われたが、単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持された本馬が、シャンペンS2着馬エスピノを1馬身差の2着に、ヘイストを3着に破って勝利した。
7月に出走したドワイヤーS(D12F)では、ユースフルSの勝ち馬でジュニアチャンピオンS2着・ホープフルS・ベルモントフューチュリティS3着のチャンスプレイ(翌年にトボガンH・サラトガC・ジョッキークラブ金杯などを勝利して米年度代表馬に選出される)を鼻差の2着に、エスピノを3着に抑えて、2分29秒6のコースレコードを樹立して勝利した。その3週間後にオハイオ州リヴァーダウンズ競馬場で出走したシンシナティダービー(D10F)では、同世代のプリークネスSの勝ち馬ディスプレイとの対戦となったが、「特筆すべき容易さ」で本馬がディスプレイを3馬身差の2着に下して勝利した。勝ちタイム2分02秒0は再度のコースレコードだった。
9月初めにはサラトガ競馬場でヒューロンH(D9.5F)に出走して、エスピノを2着に、この年のケンタッキーオークス・イリノイオークスの勝ち馬でCCAオークス・アラバマSでも2着していたこの年の米最優秀3歳牝馬ブラックマリア(さらにレディーズH2回・アケダクトH2回・メトロポリタンH・エッジメアH・ホイットニーSなども勝って、翌年から2年連続で米最優秀ハンデ牝馬に選ばれる)を3着に破って勝利。同月に出走したジョッキークラブ金杯(D16F)でも、エスピノを2着に、前年の同競走とブルーグラスS・ボウイーH・ピムリコC・ラトニアCを勝っていたアルタウッドを3着に破って勝利した。
ハヴァードグレイスH(D9F)では、ディスプレイ、シャンペンS・マンハッタンH・カーターH・ディキシーH2回・メトロポリタンHなどを勝ち2年連続で米年度代表馬に選ばれていたサラゼン、ケンタッキーオークス・CCAオークス・フォールシティH・インディペンデンスH・オータムH・ボウイーH・サラトガHなどを勝っていた5歳馬プリンセスドリーンといった強豪馬を撃破。2着サンオブジョンに5馬身差(10馬身差とする資料もある)をつけ、1分50秒0のコースレコードタイで圧勝。この勝ち方は絶賛され、シーズン途中であるにも関わらず、この年の米年度代表馬は本馬で決まりと言われたそうだが、この当時はまだ米国競馬の年度表彰が存在しなかった(デイリーレーシングフォーム紙とターフ&スポーツダイジェストマガジン誌が年度表彰を開始したのは1936年から)はずなので、この年度代表馬というのは表彰ではなく単にこの年一番の馬という意味合いで用いられた表現と思われる。
さらにメリーランドH(D10F)でも、チャンスプレイを2着に破って勝利した。次走のローレルS(D8F)では人気になりながらも、クロイデンの4着に敗退。ローレンスリアライゼーションS(D13F)では、ジュニアチャンピオンS・ウォルデンH・トラヴァーズSの勝ち馬でプリークネスS3着のマーズには先着したものの、エスピノの2着に敗退。それでもリグス記念H(D12F)では130ポンドを背負いながらも、マーズを2着に破って勝利した。その後のピムリコC(D18F)では、プリンセスドリーンに加えて、この年のCCAオークス・ラトニアオークスを勝っていたエディスキャヴェルの2頭の強豪牝馬との対戦となった。しかしいかに牡馬と牝馬の性差があると言っても、同い年のエディスキャヴェルに与えたハンデ33ポンドは大きすぎた。結果はエディスキャヴェルが勝ち、本馬は2着、プリンセスドリーンは3着に敗れた。
3歳時は15戦9勝2着4回の成績で、後年になって米年度代表馬・最優秀3歳牡馬に選出された。このシーズン終了頃に、本馬が競走馬を引退した後は欧州で種牡馬入りする予定である旨が発表された。もっとも、この年限りで引退したわけではなく、4歳時も現役を続行した。
競走生活(4・5歳時)
4歳シーズン序盤は重い斤量に悩まされたために不調だったが、127ポンドで出走した6月のサバーバンH(D10F)では、牡馬相手のメトロポリタンHを勝ってきたブラックマリアを8馬身差の2着に下して圧勝し、同レース初の2連覇を達成した。本馬以降にサバーバンHを連覇したのは1993・94年のデヴィルヒズデューの1頭のみで、ケルソは2勝しているが2連覇はしていない。
しかし復活したと思われたのも束の間だった。次走のブルックリンH(D9F)のレース中に本馬は他馬に蹴られて負傷してしまったのである。まともなレースにならなかった本馬は、ピーナッツの着外に敗れた(チャンスプレイが2着で、ディスプレイが3着だった)。その後は満足がいく成績を残す事が出来ず、4歳時は結局9戦4勝の成績に終わった。
それでも5歳時も現役を続行。ハヴァードグレイスH(D9F)では、ジェロームH・イースタンショアH・フラッシュS・ナショナルS・ローレルS・サラナクHの勝ち馬でケンタッキーダービー2着のオズマンド、この段階ではまだ無名だった後の米国顕彰馬サンボウの2頭に続く3着だった。新設競走ホーソーン金杯H(D10F)では、ディスプレイ、ラトニアカップH・ディキシーH・ワシントンHの勝ち馬マイクホールの2頭に続く3着だった。しかし結局5歳時は7戦未勝利2着3回3着2回の成績に終わり、この年限りで競走馬引退となった。
血統
Man o'War | Fair Play | Hastings | Spendthrift | Australian |
Aerolite | ||||
Cinderella | Tomahawk | |||
Manna | ||||
Fairy Gold | Bend Or | Doncaster | ||
Rouge Rose | ||||
Dame Masham | Galliard | |||
Pauline | ||||
Mahubah | Rock Sand | Sainfoin | Springfield | |
Sanda | ||||
Roquebrune | St. Simon | |||
St. Marguerite | ||||
Merry Token | Merry Hampton | Hampton | ||
Doll Tearsheet | ||||
Mizpah | Macgregor | |||
Underhand Mare | ||||
Star Fancy | Star Shoot | Isinglass | Isonomy | Sterling |
Isola Bella | ||||
Dead Lock | Wenlock | |||
Malpractice | ||||
Astrology | Hermit | Newminster | ||
Seclusion | ||||
Stella | Brother to Strafford | |||
Toxophilite Mare | ||||
Dolly Higgins | Migraine | Top Gallant | Sterling | |
Sea Mark | ||||
Cinderella | Tomahawk | |||
Manna | ||||
Frances Mcclelland | Bermuda | Bersan | ||
Fair Lady | ||||
Sallie Mcclelland | Hindoo | |||
Red and Blue |
父マンノウォーは当馬の項を参照。
母スターファンシーは不出走馬。本馬の2歳年下の全妹シスターシップの孫にユーラシアン【トラヴァーズS・ジャージーH・ギャラントフォックスH】がいる。
スターファンシーの半兄にはビーバーキル(父オグデン)【クラークH】がいる他、スターファンシーの半妹カミラエス(父オーモンデール)の牝系子孫には、シアマ【エイコーンS・モンマスオークス】、ワンアイドキング【ドンH2回・アーリントンH】、ボールドイーグル【ワシントンDS国際S2回・メトロポリタンH・サバーバンH・ワイドナーH・ガルフストリームパークH】、シーラススカウト【パンアメリカンS(米GⅠ)・ハイアリアターフCH(米GⅠ)】、フリントシャー【パリ大賞(仏GⅠ)・香港ヴァーズ(香GⅠ)・ソードダンサーS(米GⅠ)】、日本で走ったボンネビルレコード【帝王賞(GⅠ)・かしわ記念(GⅠ)】、ディアドムス【全日本2歳優駿(GⅠ)】などがいる。
スターファンシーの祖母フランシスマクレランドはサリーマクレランド【スピナウェイS・アラバマS】の娘で、フランシスマクレランドの半妹オーディエンス【ケンタッキーオークス】の子にはニューヨークハンデキャップ三冠馬ウィスクブルーム【メトロポリタンH・ブルックリンH・サバーバンH】がいる。→牝系:F4号族③
母父スターシュートは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬はサラゼンの生産・所有者だったフィル・T・チン大佐が所有する米国ケンタッキー州ヒムヤースタッドで種牡馬入りした。しかし1年後にチン大佐が破産したためにリドル氏の元に戻り、ケンタッキー州ファラウェイファームスタッドで種牡馬生活を続けた。現役時代に欧州で種牡馬入りする旨が発表されたのに米国で種牡馬入りとなった理由は資料に明記されていないが、本馬は父マンノウォーの血統表にレキシントンの名前があったため、それがジャージー規則に抵触して少なくとも英国では種牡馬入りする事は出来なかったはずであり、その辺りに理由があると思われる(ジャージー規則の制定はマンノウォーが産まれるより前なので、欧州種牡馬入り宣言時点で英国における種牡馬入りは無理と分かっていたはずであるのだが、その辺りの事情は詳らかではない)。本馬は交配される繁殖牝馬の質量ともに恵まれなかったため、生涯で出したステークスウイナーは僅か6頭であり、種牡馬として成功したとは言い難い。15歳の時にカリフォルニア州の馬産家ウォルター・ホフマン氏にリースされてランチョカシータススタッドで種牡馬生活を続けた本馬は、その地で1940年5月に17歳で他界した。1995年に米国競馬の殿堂入りを果たした。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1933 |
Crossbow |
サンフォードS |
1937 |
Royal Crusader |
デルマーH |